神獣の眷属と妖精 2
「声が大きいぞ。レティシアのそんな元気な声が廊下に聞こえていたらまずい」
「あ、そうか」
せっかくブーボが元気になったのに、この男はうるさいな。
放置されたレティシアの部屋の前に、わざわざ来るやつなんているの?
「ねえフルン。この子、本当に元気よ。魔力が多少戻っても病弱なのは変わらないわよね?」
サラ、その薄気味悪いものでも見るような目はやめてくれないかな。
微妙に距離を取られているのは、急に暴れだすとでも思われているんだろうか。
この世界の御令嬢はきっとおしとやかで、護衛がいつもついているんでしょ?
それに比べたら、私はかなりがさつで動きが粗野に見えるんだろう。
「元気ないわよ。本当は猫じゃらしを持って、リムと駆け回りたいところよ」
でもこの体でそんなことをしたら、すぐに息切れして倒れそう。
「レティシアとはまるで性格が違うのね」
「別人なんだから当たり前よ」
「あ……ごめんなさい。同じにしろと言っているんじゃないのよ」
「それも当たり前よね。同じにしていたら、私がこの世界に来た意味がないもの」
「……そのとおりね」
私は自分の意見はきっちり言うようにしている。
敵を作るような言動は駄目だけど、何も言わないで察してもらおうなんて甘えは社会では通用しない。
言葉を尽くして話しても、話の通じない人だってたくさんいるんだ。
たいていのことは押しが強くて声が大きいほうが得をするもんよ。
「それにこのくらい我の強い性格じゃないと」
サラに向けてサムズアップして、にっと笑った。
「レティシアの代わりに復讐なんて出来ないと思わない? この世界に私の味方はあなたたちしかいないんだから」
「復讐……」
サラは噛みしめるように呟いて、人間らしい平凡な顔でよくそんな表情が出来るなと驚くくらい、妖艶な微笑を浮かべた。
「復讐をしてくれるのね」
「ええ。レティシアの人権を取り戻すわよ」
「ジンケン?」
「えーーっと、レティシアは魔力のない出来損ないの子じゃなくて、実はランクSで神獣の巫子で、大事にされなくちゃいけない存在なんだって、みんなに知らしめてやるの。そして迫害してきたやつらには痛い目を見させてやるのよ」
「いい! リムもやる!」
「私もやりますぞ」
妖精たちは私の考えにすぐに賛同してくれた。
「神獣様の力を取り戻すことも忘れるな」
フルンはレティシアより神獣のことが心配なんだね。
巻き戻しは二年間だったって聞いているし、男性恐怖症でまともに会話もできなかったなら、それほど親しくなかったのかも。
「もちろんよ。女神との約束はどれもやり遂げるわよ」
「もう、我慢しなくていいのね?」
胸に手を当てて歌うように言うサラの髪が、茶色から白に代わり、すぐにまた元の色に変わった。
「ようやくこの時が来たわ」
鬱憤がたまっていたのね。
そりゃそうだよね。
サラとフルンと妖精がふたり。
最初から四人も信頼できる仲間がいるのはありがたい。
私の脳みそで出来ることなんてほとんどない。
日本では、祖父の代から世話になっていた弁護士事務所の人たちのおかげで戦えた。
ここでは彼らが協力者だ。
「レティシア、かなり大変な状況だということはわかっているな?」
無表情でも、フルンが私を心配してくれているのはわかる。
神獣を助けるために私の力が必要だからなんだろうけど、私にとってはむしろ目的がはっきりしているほうがつき合いやすい。
「わかっているわよ。日本でも似たような状況になった時もあるの。多少のことじゃ傷つかないから安心して。それと、ここにいる人たちにはレティって呼んでほしいわ。神獣様の眷属とそれだけ親しいんだってアピールになるでしょ」
「いいだろう」
「まずはこの部屋から出なくちゃね。侯爵令嬢にふさわしい生活空間を確保するわよ!」
「レティシアはついさっきまで死にかけていたんだ。突然、そんなに元気だとおかしくはないか?」
「大丈夫。女神が夢の中に現れて助けてくれたって話していいそうよ」
「それはいいな」
神獣の巫子であるだけじゃなくて、女神にも守られている特別な少女がレティシアよ。
そんな子を迫害したんだから、きっちり責任取ってもらうわよ。
「ということで、サラ、私が目覚めたって家族に知らせてきてもらえるかな?」
「言いづらいけど、誰も気にしていないんじゃないかしら」
「いや、侯爵は気にして様子を見に来るだろう。ラングリッジ公爵家の騎士が何度も様子を尋ねに来ている。このまま放置が出来ないはずだ」
「ああ、そうだったわね。ラングリッジ公爵家の息子が、川に飛び込んでレティシアを助けてくれたの。ラングリッジ公爵騎士団の騎士が何人もずぶ濡れになりながらレティシアを連れてきたものだから、侯爵家は大騒ぎになったのよ」
公爵家って貴族では一番上の階級だよね?
そこの息子が川に飛び込んだ?!
「十人くらい子供がいる家なの?」
「息子と娘がひとりずつだったかしら?」
「跡継ぎの息子が川に飛び込んじゃ駄目でしょう!!」
そのくらいは私にだってわかるよ。
貴族にとって家を守ることは最重要なはず。
どこかの女の子を助けようとして溺れちゃいましたじゃ済まないでしょ。
「なぜか助けなくちゃいけないって、彼も、その場に一緒にいた騎士たちも思って助けたそうよ」
女神が手を回したのかな。
『言い方』
…………にしても、死にかけていた娘を心配はするかもしれないけど、そんなに何度も訪ねてくる?
『無視? え? 女神を無視?』
この女神、誰か引き取ってくれない?
「だが、侯爵は娘を医者に見せていない」
「え? そうなの? うーーん。面倒だからいっそ死んでくれって思っていそうね」
でも前より元気になって復活しちゃったもんねー!
「来なくてもいいの。知らせるって手順を踏みたいだけなの。相手の反応も確認できるし。だから知らせは行ってほしいわ。サラが行くの?」
「そうなるわね」
「リムはフルンの妖精なのよね。フルン、リムをサラと同行してもらっても大丈夫?」
「かまわんが?」
「じゃあ、リム」
私の膝の上にちょこんと座り、誰かが発言するたびに頭を動かして注目していたリムに声をかけた。
「サラと一緒に行って、邪魔する人がいたらぶっ飛ばしちゃって!」
「いいの?!」
尻尾をピンとたてて前足をピタッと揃えたリムの瞳孔が開いて、瞳が真ん丸になった。
ブーボまで急に興味が出てきたようで、私の傍に近寄ってきた。
「いいわよ。殺さない程度にしてね」
「おおお。楽しくなってきたー!」
言いながらリムは、ジャキっと前足の爪を出してみせた。
もう見える人にはリムの存在がわかるはずだから、妖精が現れたことはすぐに屋敷中に知れ渡るでしょ。
「サラ、レティシアは女神の夢を見て元気になったこと。神獣の巫子で妖精が見えることを伝えてね」
「わかったわ。そうだ。長男が屋敷に帰ってきているの」
「えーっと、カルヴィンだったっけ」
「そうよ。全寮制の学園に在籍していたけど、妹が川で死にかけたと聞いて卒業式まで待たずに帰ってきているの。でも妹に会わせてもらえなくて、家族とぶつかっているわ」
「いつ帰ってきたの?」
「今日、ついさっきよ。それで私は出迎えに参加させられていたの」
レティシアが死にかけたって、誰が知らせたんだろう。
医者も呼ばない侯爵夫妻が知らせるわけがない。
カルヴィンは確か学園にいる間に魔力が強くなって、今ではランクSなのよね。
侯爵家の期待の星ってところ?
「今は家族全員が一緒にいるはずだから、そこに行ってくるわ」
「お願い」
「じゃあリム。行きましょう」
「わーい」
途中で邪魔が入るとは限らないのに、リムはやる気満々で、サラが扉を開けると、彼女の足元をすり抜けて廊下に飛び出していった。
廊下を遠ざかる足音を聞きながら、私はベッドヘッドに寄りかかって座り直し、腰まで毛布にくるまった。
「迷いなく指示を出したな」
まだ壁に寄りかかったままのフルンが言う。
ブーボのほうは足元で羽を繕っている。
「そりゃあ、女神に話を聞いて、まずはどうしようかって考えていたからね」
「この先はどうするつもりだ?」
「相手の出方がわからないから、臨機応変にやっていくしかないでしょ」
「行き当たりばったりってことだな」
「そうとも言う」
設定はわかったけど、レティの周りで何が起こっていたのか知らない状況でどうしろと。
かといって、記憶が戻るまでのんびりとなんてしていられない。
女神がこれでも大丈夫だって考えているのなら、なんとかなるんじゃないの? ……なるよね?
「あの女神を信用しちゃだめかも」
「ひとまず今回は俺に任せて黙っていろ」
え? そんな楽をしていいの?
出来ればそうしてもらえると助かる。
余計なことを言ってしまったばかりに、取り返しのつかないことになってはまずいもん。
「何も喋るなと言っているんじゃない。だが……ちゃんと事情をわかっているのか?」
「ん?」
「神獣様の巫子のレティシアが、なぜこんな目にあっているのかわかっているのかと聞いているんだ」
「魔力がないからでしょ?」
「そもそも神獣様の巫子に魔力がないのはおかしいだろう」
そうか。神獣の力を回復するのにも魔力は必要なんだもんね。
だからあ、記憶をインプットするだけで説明してくれないからこうなるんじゃないか。
天候を見れば神獣の力が弱まっているのは誰にでもわかるのに、それを放置しているのもなぜなのか聞きたかったのよ。
小説の設定だとしても理由があるでしょ!
「侯爵との会話を聞けば思い出すかもしれないから、今回は情報確認に専念しておけ」
「わかった。何か聞かれた時には、死にかけたせいで記憶があいまいだってことにするわ」
「だからきみは弱弱しい病人らしい雰囲気で」
「弱弱しい……」
「怯えて会話できない演技でもしていればいい」
「怯えて? なにそれむずかしい」
「……は?」
剣道は自分の年齢でとれる最高の五段を持っていて、女性の力でも相手を昏倒できる急所狙いの護身術を習得している私よ? 弱弱しい演技ってどういうの?
弁護士がついていたとはいえ、実の両親相手に一歩も引かず、獲れるものは全部勝ち取ってひと財産築いた時はまだ十六歳だったのに……あ、今のレティシアと同じ年齢だ。
「大丈夫なのか? 不安になってきた」
「今のうちに少しでも何か思い出せないか、記憶を整理してみる」
フルンを不安にさせるって、ある意味私ってすごくない?
また窓の外を眺めだしたフルンは、一枚の絵画のように美しく隙が無い。
雨が降っているし暗いので、たいした景色は見えないだろうけど、私の邪魔をする気はないということを態度で示してくれたのかもしれない。
間違いなく私より強いから、彼が傍にいてくれるのは心強いな。
レティシアの記憶に関しては、なるようになると思うしかないんだけど、ひとつだけ気になることがある。
小説のせいで決まった行動をしていたのだとしたら、レティシアの両親を責めるのは違うんじゃないかと思うのよ。
魔力が強いほうが優れた人間だってプロパガンダは誰が始めたんだろう。
それも女神の設定よね。
だとしたら誰に復讐すればいいんだろう。
『そこまで気にするとは。小説の影響は、あなたが思っているほどは強くないわよ』
うわ。まだ話しかけてくるよ、この女神。
『あなたをこの世界に放り込んだまま放置するわけにいかないから、見守っていたんでしょ!』
アリガトウゴザイマス。
でも眷属のふたりはかなり影響を受けていたでしょ?
『あのふたりは、あまり多くの人間と接点を持っていないからよ。王宮で普通に生活している人たちは、小説には出てこない人間と毎日接しているのよ。小説に出ていない人たちは自由に動くし、小説に出てこない場面では、登場人物たちだって自分で判断して動く。それを積み重ねていくうちに、小説とは違う行動をするようになったの。神獣の力をここまで弱めて苦しめるような小説を、私が書くと思う?』
…………。
『心を無にするんじゃないわよ!』
きっと私、近いうちに悟りを開けるわ。
『レティシアの両親は社交界で相手にされなくなっていたから、影響は受けているでしょうね。でも、それも巻き戻しまでの話よ』
少なくとも二年前から、彼らは自分の意志で行動できるようになっていたのに、娘の危篤を知らされても顔を見せるどころか、医者すら呼ばなかった。
『あとは自分の目で見て答えを出すしかないわね。小説を消去して巻き戻したせいで、性格や生き方まで変化した人もいるのよ』
じゃあ、女神でも誰がこれからどう動くかわからないの?
『なんとなくはわかるわよ。あなた以外は。あなただけは異世界から来たせいで予測がつかない時があるわ』
私は他の神の世界の住人だったから、そういう影響が出るのか。
『だから話していても楽しいし、見ていて面白い。これからも見てるわよー!』
女神との会話で気力を奪われたせいもあって、また体がだるくなってきた。
拒食症で体力が落ちているところに川に落とされ、何日も寝込んでいたんだから当然か。
だらりとベッドヘッドに寄りかかってぼんやりしていたら、遠くでドンっと何かが壁にぶつかる音が響いて、続いてガシャンとガラスが割れる音がした。
リムが遠慮なく暴れているようだ。
悲鳴が聞こえたような気もするけど、気にするのはやめよう。
「派手ね」
「今まで我々は存在を隠していたのだぞ」
熱心に羽根の手入れをしていたブーボが、立てていた膝の上に止まった。
「きみが傷つけられていても見ているだけしか出来なかったことも多いのだ。でも今回は暴れられる。リムはそれが嬉しくて仕方ないのだろう」
渋い声で話しているのに、目はくるんとまん丸で、鳥らしく絶えず顔を動かしている。
かわいいからずっと見ていられそうよ。
「そろそろ来るぞ」
初めてレティシアの家族と顔を合わすのか。
どうしよう。緊張してきた。
大丈夫。彼らはどうせ、もう何年もレティシアと会っていないし、まともに会話したこともないはずだ。
中身が代わって性格が変わっても家族にはわからない。
「来たぞ。用意はいいか」
「ええ」
フルンに答えるとすぐ、タッタッタとこちらに向かって廊下を走る足音が聞こえてきた。
「本当にこっちなのか?」
「そうよ!」
「なんで妹がこんな屋根裏に?!」
「あんた達のせいでしょうが!」
若い男性の声とリムの声がどんどん大きくなってくる。
走っているせいで途切れがちな声にリムが怒鳴り返しているようだ。
「ここよ」
「……嘘だろう」
コンコンとノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
ためらいがちにゆっくりと開かれた扉の向こうに、長身で黒髪のイケメンが立っていた。




