守られるのは照れくさい 1
非常事態ということで、戴冠式のないままにラングリッジ公爵は国王になり、クレイグが公爵家を継いだ。
そして、
「私は神獣の世話役として何も出来ませんでした。神獣の巫子である娘にも、今までずっとつらい思いをさせてしまいました。責任をとって引退し、息子に爵位と神獣の世話役を譲ります。しばらくは私が相談役となり、滞りなく仕事を引き継げるようにいたします」
国王に世話役に戻るように命じられたクロヴィーラ侯爵は、約束通り引退することを発表した。
ようやく神獣様の世話役に返り咲き、娘が大暴れして存在をアピールした後での引退発表は意外だったようで、潔いと貴族的に好意的に受け入れられた。
これでクロヴィーラ侯爵家の評判は、今までとガラッと変わることだろう。
カルヴィンに爵位を譲る話をした時には不満そうだった侯爵も、今は十何年かぶりに人々に囲まれてちやほやされて嬉しそうだ。
だけど、これで勘違いされては困る。
私の彼らへの復讐はまだ終わってはいないのだから。
目敏い人ならば、私が一度も侯爵夫妻と会話をしていないどころか、目を合わせてもいないことに気付いたかもしれない。
先程の両親に迫害されていたという指摘も、一回も否定はしていない。
眷属たちだって、カルヴィンに対してと侯爵夫妻に関しては距離感がまるで違う。
これがずっと続けば、いずれは多くの人が違和感を持つだろう。
その頃にはきっと、カルヴィンは侯爵としても神獣の世話役としても、元侯爵の助力がなくてもやっていけるようになっているはずだ。
その時に、侯爵夫妻の元に残る人がいるのかな?
「フルン、私はもう神獣様の神殿に戻っていいと思わない?」
政治の話はよくわからないし、引き際は大事だ。
有意義に時間を使うためにも、神獣様の元に戻りたい。
「いいのではないか?」
「新しい神獣の世話役にカルヴィンがなったでしょ? 挨拶することは出来そう?」
「神獣様に面会するということか?」
「そう」
まだ私以外の人間は誰も面会できていないけど、神獣の世話役になる人なら会ってもらえないかな。
カルヴィンだけ会えたってなれば、周りも彼を特別扱いしないわけにはいかなくなるはず。
「会ってほしいのか?」
いいか駄目か、どちらかの答えがすぐに帰ってくると思ったので、フルンの顔をまじまじと見てしまった。
相変わらずの仏頂面だから、意味がないんだけどね。
「会ってもらえるとありがたいけど、無理はしてほしくないわ。神獣様の体力のほうが重要だから」
「ふむ……」
この沈黙は、神獣様とテレパシーみたいなものでやり取りしているんだなってわかる。
私が女神と会話している時も、こんな感じで黙っているのかもしれない。
「会っていただけるそうだ」
「本当に!? ありがとう」
「俺ではなく神獣様に言え」
そっけないなあ。
もう慣れたし、そこがいいっていう女の子がたくさんいそうだけどね。
さっそく立ち上がり、クロヴィーラ元侯爵と一緒に大勢の人に囲まれているカルヴィンに近付いた。
笑顔で話している人たちもついさっきまでは、クロヴィーラ侯爵家はもう落ちぶれて消えてなくなると思っていた人たちよね。ずいぶんと変わり身の早いこと。
国王やクレイグのほうに行かないってことは、身分も度胸もそれほどでもない人たちなんだろう。
私が近づくと、すぐにこちらに気付いた人が会話をやめて私に注目したので、すぐにその場の全員が私に注目した。
「お話し中にごめんなさい」
御令嬢の言葉使いなんてわからないし、貴族の、しかも目上の人にどう接していいかわからないので、カルヴィンにだけ顔を向けて他の人とは目を合わせないようにした。
話しかけないでオーラ全開だし、背後にフルンがついてきているから大丈夫だろう。
「カルヴィン、フルンが神獣様に会わせてくださるそうよ。お話が出来る状態ではないけど、ご挨拶はしたほうがいいでしょう?」
「よろしいんですか!?」
カルヴィンが驚いて尋ねると、フルンは相変わらずの無表情で頷いた。
「ありがとうございます」
「神獣様に魔力を届ける仕事に戻りたいの。これからすぐ一緒に行ける?」
「行くよ。行ってお詫びしないと」
元侯爵や会話をしていた人たちに事情を説明するカルヴィンを、私は少し離れた場所で待った。
妹を紹介するってカルヴィンに言ってほしくて、ちらちらとこちらを見る人がいても、カルヴィンは知らん顔をしている。
助かるわあ。
彼に対する信頼感が日に日に大きくなっていく。
兄貴ってこういう感じなのね。
「レティ」
壁際にフルンと並んで立っていたら、サラスティアとアシュリーが話しかけてきた。
「これからの予定は?」
「神獣様に魔力を届ける作業に戻るわ。神獣様がカルヴィンに会ってくださるそうなんで、一緒に行くつもり」
「そう。私も帰るわ。アシュリー、ここは任せてもいい?」
「いいよ。ボブと話でもしているさ」
魔力ランクの再検査を求める貴族がいるのと、近衛の再編成の間、魔道省の魔道士にも力を借りたいという話が出ているせいで、大魔道士は忙しそうだから邪魔しないであげてほしい気もするんだけど、アシュリーは楽しそうに国王と話している大魔道士のほうに歩いていく。
ここでみんなの動きを観察していると、人間関係や重要人物かどうかがわかっておもしろい。
マクルーハン侯爵は何人かの貴族とさっさと退席してしまったけど、闇属性を広めている季節風が、自分の領地に向かって吹き始めたのを知っているのかな。
教えてあげようと思っていたのに、話しかける前にいなくなっちゃうんだもん。
「お待たせしました」
ようやくカルヴィンが戻ってきた。
「ねえ、侯爵夫妻は大丈夫そう?」
余計なことをしないでしょうね。
「大丈夫。あれでも貴族社会でずっと生きてきたんだ。せっかく社交界に戻れるのに馬鹿な真似はしないさ」
「じゃあ行きましょう」
私がフルンと、カルヴィンがサラスティアと並んで、それぞれ神殿に転移した。
もちろんリムとブーボも一緒よ。
神殿にはいつものようにラングリッジ公爵騎士団が待機していて、神獣省の建物の警備にあたってくれている。
おかげで魔力吸収を一時間後に始めると伝えれば、すぐに各所に連絡してもらえる。
ハクスリー公爵家の関係者にも早めに魔力吸収をしたほうがいい人がたくさんいるし、どうせ王宮にいる人たちも、闇属性が自分の魔力に少しでも混じっていたら、治療してほしいと言ってくるはずだ。魔力不足になる心配はなさそうよ。
カルヴィンは神獣様に会うのは初めてなので緊張気味だ。
奥の部屋に行き扉を開けて、地平線まで広がる草原と青空と、その中にぽつんと浮いている球体を見たカルヴィンは、しばらく足を止めて茫然と目の前の風景を見つめていた。
魔法のある世界だからって言っても、神殿の中にこんな空間があるのはびっくりだよね。
それに神獣の身を守るためとはいえ、大地と空だけが果てしなく広がる風景ってちょっとこわい。
私だったら孤独に耐えられなくて、この世界にはいられないよ。
「申し訳ありません」
ようやく歩き出したカルヴィンは、神獣様の眠る球体の前で足を止めて跪いた。
「父が不甲斐ないばかりにオグバーンの策略にはまり、神獣様にこのような……」
この状況が衝撃的だったのか、代々神獣の世話役を引き継いできた責任を感じたのか、言葉に詰まってしまったカルヴィンの横に立ち、そっと球体に触れた。
「彼はカルヴィン・クロヴィーラ侯爵。私の兄です。前侯爵は引退し、彼がこれからは神獣の世話役になります」
「ああ……そういえば名乗っていませんでした。カルヴィン・クロヴィーラです。これからは今までの分もしっかりと務めさせていただきます」
反応は返って来ないけど、声は届いているんだよね。
会ってくれたんだから、カルヴィンのことは怒っていないんだろう。
「神獣様、魔力を使って雨を減らしているんですね?」
だったら、挨拶が終わっても俯いて座っているカルヴィンには悪いけど、時間が惜しいので今のうちに神獣様に話をしておきたい。
「妖精も起こして、王宮に配置するそうですね。私としてはそれより神獣様の体力回復を優先させてほしいんですけども。人間のことより、自分を優先してください。ちゃんと聞いてます?」
「レティシア、叩いちゃ駄目だよ」
ちょっと指でトントンってやっただけでしょ?
慌てて止めないでよ。
「だって、せっかく魔力を届けても自分の回復じゃないところに使っちゃうのよ。それじゃいつまでたっても動けないじゃない」
「それはそうかもしれないが」
「あ」
「今度はなんだよ」
私が何を言い出すか心配で身構えるんじゃないわよ。
カルヴィン相手に無茶なことを言ったことなんてないでしょ。
「戦争が始まったら神獣様に力を使ってもらえるか聞こうとしていたのを思い出した。偉そうに文句を言える立場じゃなかった」
やめたほうがいいのかな。
でも神獣や女神の存在はしっかりアピールしたほうがいいと思うんだよな。
どうしよう。都合よく力を借りようとするのは図々しいよね。
考えながらコツンと額を球体に軽くぶつけたら、急に後ろに引っ張られてのけぞって倒れそうになった。
「頭突きをするな」
いつのまにかフルンとサラスティアが背後にいて、私を球体から遠ざけようとふたりがかりで引き摺って行こうとするのは何さ。
「まだ話は終わっていないのよ」
「俺に話せば神獣様に伝える」
「レティ、球体を壊そうとしないで」
「はあ? そんなことしていないでしょ? ちょっと額を当てただけよ? まさかあんな少しの衝撃で壊れちゃうの?」
「頭突きしようとしていたんじゃないのか」
「…………」
眷属にまでそんなふうに思われていたの? え?
「レティシアは脳筋ですけど、意味なく乱暴はしませんよ……しないと思います」
カルヴィン、ちゃんと言い切ってよ。
「ひっど。みんなひっどい」
でもそんなことでめげてなんていられるか。
ゴリラ扱いは慣れている。
「まあいいや。それよりカルヴィン、この国と隣国との国境ってどんな風になっているの?」
「どんな?」
「ほら、川が境になっているとか、山があるとか」
「平地だ」
それは攻めてきやすいわね。
「こちら側の国境には砦があって、人が通れそうな場所には長い壁が出来ている。旅人は街道にある大きな門を通って国境沿いの町に入ることになる。平地といっても街道から離れれば獰猛な動物がいるし、深い森になっていて歩くのは難しい」
「なるほど」
「国境を超えるとどちらの国にも所属していない土地が広がっている。隣国としては万が一結界が破れて我が国が滅んだ場合、自国に魔獣が侵入する前にそこで排除したいんだろう」
どちらの国でもない土地か。
いいじゃない。そこで戦えばいいのよ。
「ねえフルン、戦争が始まったらそこに雨を降らせてもらうことは出来るかしら。短時間でいいの。その代わりかなり激しい雨がいいわ」
「出来る」
「魔力がだいぶ減っちゃうわよね」
「減らない。雨を降らせないようにするのに魔力がいるんだ。何もしなければこの地域は荒れた天気が続く土地なんだ」
「あ、そうか」
だったらやれるわね。
誰が指揮官になるんだろう。
「それと魔力のことだけど、たぶんレティは誤解しているわよ」
「え?」
「神獣の世話役が作って届けていた魔力の量は、あなたが一度に神獣様に届ける魔力量より少なかったわ」
……へ?
私、日によっては二十回以上魔力を届けている時もあるわよ。
「人間が魔力の属性を変えるのは、とても難しいのよ」
「つまり私は一日で二十日分の魔力を届けていた日もあるってこと?」
「そうよ。だから私たちも驚いていたのよ」
「ということは、戦闘訓練のために少し魔力吸収の時間を減らしても平気?」
「問題ない」
「むしろ、そろそろ神獣様が自分で魔力を循環させて生み出すようにするために、渡す魔力量を減らしてもいい時期かもしれないわ」
まだそんなに日数が経っていないのに、そんなに順調に回復していたなんて思っていなかった。
毎日毎日、食事と寝る時間以外はほとんどここにいた甲斐があったわ。
「それでも! 体力回復に魔力を回してくださいよ。私は神獣様とお話したいです!」
びしっと指さしながら言ったら、気のせいかもしれないけど、幻かもしれないけど、神獣の尻尾が少しだけ動いた。
「い、い、い」
「尻尾が動きました」
「まあ」
気のせいじゃなかった。
嬉しい! って、球体に抱き着こうとしただけなのに、三人がかりで止められた。
壊さないっていっているでしょ。
というか、私が体当たりしたくらいで壊れるようなやわな球体なの!?




