裁判? いいえ、代理復讐です 1
今まで一部の人にしか姿を見せなかった眷属や、生まれて初めて目にする妖精の登場、それに魔力なしから神獣の巫子にジョブチェンジした私の存在のせいで、裁判場はカオスになってしまった。
誰もが自分の憶測や意見を隣の人と話し、眷属と大魔道士は旧交を温め合い、私の周囲を魔道士が警護するためにずらりと並ぶ。
私と話していたカルヴィンはもちろん、クロヴィーラ侯爵夫妻も近くにいたので自然と警護の輪の中に納まる形になり、彼らも重要人物だという雰囲気が出来上がっている。
その一方で、国王と王妃はすっかり蚊帳の外だ。
誰もそちらに目もくれない。
日本の裁判所では裁判官が座る位置に彼らはいるので、不満を隠さないでこちらを睨んでいる姿は目立つはずなのに、誰も彼らの機嫌を取ろうとしない。
ということは、現在進行形で王宮の力関係が変化しているってことなんじゃない?
さてどうしよう。
もう一度周囲を見回して、国王の右側、少し離れた位置にある大きな机に座っているハクスリー公爵と目が合った。
ハクスリー公爵も彼を挟んで座っているふたりの男の人も、揃いの上着に帽子をかぶっている。
彼らより二段ほど低い位置にある長いテーブルには、たくさんの書類が置かれ、同じく揃いの上着を着た人がふたり、タイプライターのような機械をカチカチと動かしていた。
「ハクスリー公爵」
公爵様っていうべき? それとも閣下?
視線を合わせたまま手をあげたら、ハクスリー公爵がしっかりと頷いてくれたから呼び方は気にしないでいいのかな。
あ、裁判長か。
「裁判長?」
呼び直したら木槌を振り上げながらにっこり微笑んでくれた。
これが正解だな。
ハクスリー公爵がテーブルに置かれている木製の台座に木槌を振り下ろすと、カンカンと聞き覚えのある音が響いた。
「静粛に!」
おお、裁判っぽい。
いや、裁判なんだけど。
「巫子殿、発言をどうぞ」
一気に静かになるのはやめてほしい。
周囲からの視線が痛いわ。
でもここでしっかりした態度を取らなくては。
「まずは、妨害が入ったとはいえ遅刻してしまって申し訳ありませんでした。王宮内で戦闘になりそうでしたので、眷属のフルンが強制的に転移してくれたんです。私を殺せと叫んでいる方がいましたので」
王妃がひじ掛けをきつく握りしめて身を乗り出したのが視界の端に見えた。
この国には三人の王子がいるというのに、王妃は長男だけを可愛がっているというのは有名な話だ。
「御無事で何よりです。その件に関しては後程お話を伺わせていただきます」
「はい、承知しました。……ひとつお伺いしたいことがあります」
「なんでしょう」
「今日はオグバーンの裁判ですのに、なぜ私の家族が証言台に立っているのでしょう。証人尋問でしょうか」
「神獣の巫子を虐待していたという話があるからです!」
横から大きな声が聞こえてきた。
「私はあなたをお救いしたい。あなたはクロヴィーラ侯爵家でずっと虐待を受けていたのでしょう? 存在をなかったことにされ、食事も与えられず、暴力を受けていたのでしょう?」
椅子から立ち上がり、腕を派手に動かしながら腹から声を出して話す様子は舞台の上の役者みたいだ。
年齢的には三十代後半ってところかな。
私は黙って彼の話を聞き、そのまま何も答えずに体ごとハクスリー公爵に向き直って挙手をした。
「巫子殿、発言をどうぞ」
「はい。私は魔力を無理やり抑えられていたために体が弱く、礼儀作法には疎いので教えてください。裁判中は他の場所とは別の作法があるのでしょうか。ここでは、私と裁判長が会話している時に、急に横から割り込んでくる行為は失礼には当たらないのですか?」
ぶふっと声が聞こえたので振り返ったら、大魔道士が愉快そうに笑っていた。
カルヴィンも横で口を押さえて笑いを堪えている。
つられたのか、あちらこちらから失笑が聞こえてきた。
「いいえ。巫子殿のおっしゃる通りです。キンバリー伯爵、きみの発言は許可していない。発言を望むなら挙手をするように」
よかったー。
私が変なことを言ったせいで笑われたのかと思った。
キンバリー伯爵の態度を、大多数がよく思っていなかったってことよね?
「失礼しました。では改めて。裁判長、発言を許可願います」
恥ずかしいのか顔を赤らめて、それでもキンバリー伯爵は手をあげた。
その根性はすごいわ。
「どうぞ。発言を許可します」
ハクスリー公爵の言葉にほっとしたように強張っていた表情を緩め、キンバリー伯爵は私に視線を移した。
どきどきわくわく。この胸の高鳴りは緊張しているせいじゃない。まずは彼を叩きのめせるって期待感よ。
「クロヴィーラ侯爵令嬢、いえ神獣の巫子様、先程の質問に答えていただきたい」
でも嬉しそうな顔をしちゃだめだ。
私は落ち着き払った顔で彼を見上げた。
彼は私がどういう反応をすると思っているんだろう。
助けてくださいと泣きつくと思った? それとも侯爵夫妻が近くにいるから怯えるとでも思ったのかな?
少なくとも、胸を張って堂々と彼を見上げる態度は、彼のお気に召さなかったみたい。
「どうして答えないのですか? 私はあなたを助けたいのですよ」
「証拠はあるんですか?」
「は?」
「私が家族に虐待されていたという証拠はあるんですか? まさか証拠もないのにクロヴィーラ侯爵家に言いがかりをつけたりはしませんよね?」
キンバリー伯爵の表情の変化が見事だった。
さも同情しているんだと言いたげな顔が驚愕に染まって、次に苛立ちに変わっていく。
私のほうは表情を顔に出さないように必死よ。
ここで笑ったら嫌な性格だと思われそうじゃない?
でも、悲しそうな顔やこわがっている顔をしたら話が面倒になる。
どうしたらいいかわからない時はポーカーフェイスが一番よ。
「なんでそんな。私はあなたのためを思って質問しているんです」
「つまり証拠はないのですね」
「信頼できる人から話を聞いたのです。そして出来れば彼女を救い出してほしいと依頼を受けました」
「まあ、どなたでしょう」
「それは答えられません」
「名前を言えないような人の話を信じたんですね」
いつのまにか裁判場は静まり返っていた。
ここには王宮を訪れたレティシアを見かけたことのある人が何人もいるだろうから、今までとの変化に驚いているのかもしれない。
「虐待はないとおっしゃるのですか?」
「キンバリー伯爵、私、あなたを覚えていますよ」
「…………は?」
「あなたになら虐待を受けたことがあります」
さっきまでの静けさが嘘のように、場内がざわめいた。
「加害者はたいしたことじゃないと軽く考えているので、もう何年も前のことだから忘れていると思っているんでしょうね。でも被害者は一生忘れません」
ぴかりと視界の端が輝いたのではっとして振り返ったら、ブーボの足元に置かれた水晶が輝きだした。
もしかして映像がある?
「ブーボ、素敵」
得意げに思いっきり胸を張って羽を広げたブーボの足元から光が伸び、入り口上の壁に映像が映し出された。
豪奢な王宮の廊下にはあまりにも不釣り合いな、髪を乱し汚れたドレスを着て俯いたレティシアが、近衛兵に連れられてとぼとぼと歩いている映像だ。
そこに横から体格のいい男が現れ、肩と肘でレティシアを突き飛ばした。
「なんだよ邪魔くさいな。そんなみすぼらしい女は使用人用の通路を歩かせろ」
病的に細いレティシアだ。大人の男に体当たりされたら吹っ飛ぶに決まっている。
廊下に倒れ込み動けないレティシアを見降ろしたのは、間違いなくキンバリー伯爵だ。
「よくも恥ずかしげもなく生きていられるな」
「やあねえ、せっかく王宮に招待されたのに気分が悪くなるわ」
「キンバリー伯爵、あちらに行きましょう」
着飾った令嬢がふたりと、キンバリー伯爵と同年代の男がふたりもいるのに、誰もレティシアを助けようとはしない。
それどころかシルバーラインの制服を着た騎士が、
「早く立て」
と、レティシアの腹を蹴飛ばしたら楽しげに笑いだした。
「虐待って、こういうことですよね?」
今にも飛び出しそうなカルヴィンをサラスティアが抑えてくれているけど、彼女の表情も険しい。
おどおどとキンバリー伯爵が視線を泳がせているのは、私の近くにいる人たちの殺気に当てられているからだろうな。
脂汗? 冷や汗?
人間ってあんなに汗をかけるのね。
ぽたぽた垂れて、前髪やシャツの襟が濡れてしまっている。
「嫌がらせを受けていたのは私だけじゃありません。家族全員が被害者です。おかしいですよね? 魔力がないと思われていたのは私だけで、両親もカルヴィンもランクAかBの魔力があったのに嫌がらせされたんですよ?」
あそこの家は落ち目だから叩いても平気だと思って、みんなでよってたかって嫌がらせしたんだよね。
それなのに私を救いたい?
よくもまあ、そんなふざけたことが言えたものだわ。
「十年以上ずっと耐えてきた私たちの気持ちが、あなたたちにわかるはずがありません。私を救いたい? 笑わせないでほしいわ」
腰が抜けたのかキンバリー伯爵はどさりと椅子にへたり込んだ。
「あの映像にいる他の男もここにいるんだな」
「女もいるよ」
フルンとアシュリーは彼らを逃がす気がないみたいだ。
あれはあとで痛い目に合わすってマークかな。
おでこに二重丸が浮き上がっている。
「あなた、額にマークが」
「え? なに?」
「ひい!」
「なんなのこれ。私は何もしていないわ!」
半狂乱で叫ぶ令嬢を助ける人はいない。
自分まで目をつけられたくはないよね。
だからレティシアのことも助ける人がいなかったんだもんね。
でも私は違うわよ。
「落ち着いてフルン。私は過去の暴力を蒸し返すつもりはないの。そんなことをしたら何十人も牢屋に入れなくてはいけなくなってしまうわ。今はそんなことをしている時間はないのよ」
フルンとアシュリーの間に立ち、ふたりの腕に手を添えた。
「それにこの国はこれからが大変なの。立ち直れるか滅亡するかの瀬戸際なんだから、これ以上貴族を減らすのはよくないと思わない?」
「貴族である必要はない」
「フルン、貴族はすでに組織が出来ているの。それを利用したほうが話が早いでしょ。もちろん、今後はあんなことをされたら許す気はないわ。あの頃はまだ魔力がなかったし、家族まで無事ではいられなくなるとオグバーンに脅されていたから何も出来なかったの」
誰かマイクをちょうだい。
多少健康になったとはいっても、この広い部屋で出来るだけ多くの人に聞こえるような声で話し続けるのは、けっこう体力を使うのよ。
呼吸がつらくなってくる。
「きみがそういうのなら、今は彼らへの処罰は後回しにしよう」
「そうしてアシュリー。彼らの今後の態度を見て決めましょう」
さっき叫んでいた御令嬢ににっこりと笑いかけたら、何度もお辞儀をされた。
あまり恐怖を与えると私たちが悪役になっちゃうって、打ち合わせでカルヴィンが言っていたでしょ。
あくまでも私たちは、この国を守るために戦っている正義だってイメージが大事なんだって。
その時はフルンもアシュリーも当然だと同意していたのに、すっかり保護者目線になってくれちゃって、怒りが勝ってしまっている。
こういう時はサラスティアの冷静さが……って、今、指で印を切らなかった?
彼女は毒を使うスキルがあるって女神が言っていなかったっけ?
ここで使わないでよ!
「なんてこと」
「まだこんな愚かなことをしていたとは」
本気で驚いている人もいるみたいね。
レティシアの記憶にはいない人たちだ。
「ああ、そうか。王妃に呼ばれて王宮に来るときは、いつも王子宮側の端の廊下を通って行ったので、何が起こっていたのか知らない人も多いのね」
政治を行う建物は王宮の正面側に集まっているから、宮廷のメインの人たちは私が王妃の元に連れて行かれていたのも知らないのか。
だって驚いている人の中に、男装の麗人がいるんだもの。
軍服を着た女性なんて、レティシアだって忘れないでしょ。
「なんなの、その言葉遣いは! 無礼者!」
「おまえは王妃には世話になっていたんだろうに。その態度はなんだ」
「あ……それは……」
「ん、どうした」
「いえ、何も」
叫ぶだけ叫んで、王妃は急におとなしくなって俯いた。
国王は意味がわからずに王妃と私の顔を見比べている。
「無礼? それはあんたたちよ」
サラスティアさん、あなたには冷静でいてほしかったよ。
いつもの優雅な雰囲気をどこに落としてきたのさ。
「巫子は大神官、大魔道士、国王と同格だとさっき話したでしょ? 王妃はその下。無礼なのはあんたの態度。今のこの国を守るために巫子には多くの役割があるけど、あんたは無駄に国の金を浪費することしかできないんだから黙っていなさい」
火に油を注ぎまくって、薪もくべて、ついでに火薬も投げ込んでいる。
ハクスリー公爵に申し訳ないな。
どうすんだこれって顔で天を仰いでるよ。
「なんですって! 眷属がなんだっていうのよ! あなた、あの女を捕えて」
「落ち着くんだ。眷属は敵に回すな。だがこれは裁判とは言えない。オグバーンの罪を問う裁判だというから出席したのだ。これ以上は時間の無駄だ」
「王太子は放置でいいんだ」
私の呟いた声が聞こえたようで、立ち上がり、王妃の手を取って退場しようとした国王がピタッと足を止めた。




