神獣の眷属と妖精 1
「じゃあさっそく妖精を紹介しよう」
え? 今、何か変わった?
いつ時間が動き出したの?
あっけなさすぎない?
光がきらめくようなエフェクトを用意するとか、時計が動く音が聞こえてくるとか、なんかあるでしょ!
「リム」
私が戸惑っているなんて全く気づきもしないで、フルンが空中に顔を向けて名を呼ぶと、声に応えるように光が瞬いて、ポンッという軽い音と共に小さな猫が現れた。
「俺に協力してくれている妖精のリムだ。リム、彼女が異世界から来たレティシアだ」
「ふーーん、中身が代わると顔つきも変わるのね」
ま じ で す か?
猫が喋っているよー!
なにそれファンタジー。さすが異世界。
この世界の猫の種類はわからないけど、元の世界のマンチカンにそっくりだ。
手足が短くて、モフモフで、めちゃくちゃ可愛い。
「最高! ここで猫とお近づきになれるなんて!」
家族に見放され迫害されているというヘビーな状況でしょ? シリアスな展開になると覚悟をしていたのに、尻尾をピンとたてて首を傾げて注目しているマンチカンのせいで、顔の筋肉が緩んでしまう。
ずーっと猫と生活してみたかったのよ。
でもひとり住まいで昼間はずっと留守になるから、かわいそうで飼えなかったの。
「ちょっと何? 口を開けたまま凝視しないでよ。気持ち悪いわよ」
お腹の上に身軽に着地したマンチカンにそっくりな生き物は、てしてしと前足で私の胃のあたりを叩いた。
これがシャムネコのようなタイプだったらツンデレになっていたんだろうけど、丸い顔に大きい耳、 手足が短くてモフモフという可愛いを集めたような姿だから、気が強そうな話し方をされてもほんわかしてしまう。
白地にグレーの縞模様の毛並みが綺麗だ。
「ああ、ごめんなさい。口が開いてた? あまりに可愛いから見惚れてしまった」
「おー、話ができる!」
「レティシアは話せなかったの?」
「うん。フルンが私達の姿が見えないようにしてた」
リムに不満げに睨まれて、フルンは頭を掻きながらため息をついた。
妖精が相手の時は、多少は感情がありそうな態度になるのね。
「妖精は、ランクA以上の魔力があれば誰にでも見えてしまう。この屋敷の使用人の中にもランクAの魔力の者は何人かいるし、王宮に行けば大勢の貴族がこいつらに気付いてしまう。魔力のないレティシアの傍に妖精がいたら、彼女は更に好奇の目で見られてしまうだろう」
説明しながらフルンは、リムの頭をやさしい手つきで撫でていた。
でも顔は無表情。
日本人は表情が乏しいって聞くけど、彼よりは何十倍もましよ。
「だから誰にも姿が見えないようにしていたんだ。それにそもそも時間を巻き戻すまでは、レティシアは自分が神獣の巫子だと知らなかったんだぞ」
「なんてこと。こんなかわいい生き物の存在を知らなかったなんて。モフれたら、あと十年はこの境遇にも耐えられたかもしれないのに」
「リムにそんな力はない」
「わかってないなあ。存在するだけで癒されるでしょ? モフれたらストレスだって発散できるわよ」
「モフるって何? この子、なにを言っているの?」
「よくわからん」
猫の素晴らしさを語ろうとしているだけなのに、ドン引きされている?
おかしい。
「レティシア」
「……」
「あんたよ。あんた」
あ、そうだった。
見た目の変化は鏡がない時には気にならないんだけど、名前は慣れるまで大変そう。
自分が呼ばれているって、咄嗟には気付けなかった。
「いやー、まだその名前に慣れてなくて」
「大丈夫なの?」
「うんうん。気を付けるわ」
寝ている私のお腹を座布団にしているリムの鼻先に人差し指を近づけたら、くんくんと匂いを嗅いでから、はっとしたように顔を離した。
そのあたりも猫のままなのね。
すべてのことを後回しにして、今日だけでもリムと遊んでいちゃだめかな。
「レティシア」
だめだろうな。
この無表情男に、癒される時間の必要性を理解させられる気がしない。
「サラが戻ってくる」
「おけ」
「フルン、これからは彼女に協力するのよね」
もう猫が宙に浮くくらいじゃ驚かない。
彼らは妖精だし、この世界には魔法があるんだからなんでもありなんだ。
「当然だ。神獣様もそれを望んでいる。今まではおまえ達の存在を隠してきたが、今日からは魔力の強い人間からは見られるようになる。注意してくれ」
「やったー」
うおおおうい。今度は私のお腹の上で猫がゴロンゴロンしてるよ。
これは夢か? マンチカン、めっちゃ可愛い。
撫でていいのかな。
「失礼します」
ノックのあとに扉が開き、侍女の制服を着た小柄な女性が入ってきた。
彼女がサラ?
三つ編みにした茶髪がやぼったいし、そばかすの目立つ幼い顔立ちだ。
目が大きいから小動物のような可愛さはあるけど、フルンのような人間離れした美形ではない。
部屋に入った彼女は私が起きているのに気づくと急いで扉を閉め、ちらっとフルンに視線を向けた。
注意深く見ると、瞳の光彩が縦に長く横が細い。
「あ、サラさんね」
寝たままで初対面の挨拶はまずいだろうと身を起こそうとしたら、さっとフルンが腕を伸ばして支えてくれた。
何このイケメン、やさしい。
今まで会社関係か道場関係の男としか接点がなくて、女性扱いされたことがほとんどないからさ、こういうやさしさには縁遠い生活をしていたんだよなあ。
「……あなたが、新しいレティシア?」
「はじめまして……でいいのかな?」
今までのレティシアとの信頼関係が強いなら、私はどういう距離感で付き合えばいいのか迷うところね。
私とレティシアでは性格が全く違うから、慣れてもらうしかないな。
「そうね。はじめまして。私はサラ……どうしたの?」
「扉が揺れている」
今、サラが閉めた扉ががたがたと音をたてて揺れていた。
「ブーボは?」
私が起き上がったので、お腹から膝の上に移動してリラックスしていたリムに言われて、サラはあっと声をあげて、急いで扉を開けに戻った。
「ひどいではないか」
「ごめんなさい」
開いた扉の隙間からバサバサと部屋に飛び込んできたのは、一羽のフクロウだった。
茶色がかった灰色で、頭や背には黒い模様がはいっている。
「フクロウ?! いや、みみずくかな。なんてこと。私の好きな動物がどんどん増えていくの? ここだけは女神と趣味が合うわ」
みみずくはフクロウ科の中で、羽角がある種類の呼び名だ。
目の上に長い眉毛みたいに羽があるやつよ。
私はフクロウカフェに行ったこともあるくらい、フクロウもみみずくも大好きだ。
「あれがサラの妖精だ」
「この屋敷にいる神獣側の人員はこれで全部?」
「そうだ」
「妖精はもういないの?」
「今は神獣様の力が弱まっているので、他の妖精は異空間で眠っている」
よし。神獣の力を復活させよう。
そして、妖精を目覚めさせて、モフモフに囲まれて生活するぞ!
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「神獣って強いんでしょ?」
「神獣様」
う……フルンの顔がこわい。
「すみません。神獣様は、どうしてレティシアがこの部屋に隔離された時に、彼女を助けなかったの? 神殿に連れて行っちゃえばよかったじゃない。そうすれば神獣の力も弱まらなかったんじゃないの?」
「…………なるほど」
無表情だったフルンが目を大きく見開いて、しばらく呼吸をするのさえ忘れたように固まった。
なに? どした? そんなに驚くような発言してないよ。
「そう……言われてみれば」
サラも驚いた顔で考え込んでいる。
何をしてるんですか、この眷属たちは。
『その話題にはそれ以上触れないで』
え? この女神ってば、まだ話しかけてくるの?
この声、みんなに聞こえてる?
『あなたにしか聞こえていないわよ。ここまでの経緯に疑問を持つようなことを言うのは禁止よ。小説がそういう話の流れだったから、彼らはそのまま動いてしまったの。レティシアが自殺した時に小説を消去したから、そこから先は自分の意志で判断して動いているわ』
えええ?! 神獣でさえ小説の影響を受けて、何もしないまま魔力を奪われて弱ってしまったってこと?
侯爵が世話役をクビになっても何もしなかったのも、眷属がレティシアを屋敷から連れださなかったのも、全部女神のせいか!
『……』
あれ? 確かレティシアは自分を迫害した人たちを憎んで、闇属性の悪役令嬢になってしまうっていうのが女神の小説の流れだったのよね?
じゃあ話の流れに歯向かって、自殺したレティシアってすごくない?
『なぜか彼女は最初から、小説とは違う反応をしたのよね。だから、あなたの世界に行かせてあげることにしたのよ』
レティシアの性格と、小説で描かれていた言動が矛盾していたのかな。
それにしても女神の呪縛に捕らわれないってすごくない?
「言われてみれば……」
「そうね、なんで今まで気づかなかったのかしら」
いけない。
フルンとサラが自分たちの行動に疑問を持ってしまっている。
「あーーーー、ほら、レティシアが自殺して時間を巻き戻したときに、彼女に全部話したのよね? フルンもそこからここに顔を出すようになったんでしょ?」
「そうだ」
「そこで神獣のもとに連れて行こうとは考えなかったの?」
そこからは自分の意志だもんね。
「もちろん考えた。だが、レティシアが嫌がったんだ」
フルンはため息をついて壁に寄りかかり、窓から外を眺めた。
そういう動きが嫌味にならないのは美形の特権だ。
普通の人だったら、カッコつけるなよって笑われるところだよ。
「レティシア、レティシアは……わかりにくいわね」
「そうね。じゃあ、私はレティで」
「わかった。レティ、レティシアは男性恐怖症だったの。王宮で嫌な目やこわい目にあわされて、もうこの部屋から出るのが恐怖だったのよ。一度も行ったことがなく、知らない人に会うかもしれない神殿に行くのは無理だったの」
狭くて汚くても安全なこの部屋だけが、レティシアの居場所になっていたのか。
神獣のもとに行ったほうがいいとはわかっていても、決断する勇気がなかったのね。
それに……自殺した記憶も残っていたんだよね。
一度はそういう終わらせ方をする決断をしたのに、神獣に会うのは無理だったのかもしれないな。
「今更余計なことを言ってごめんなさい。それよりサラさん」
「え?」
「レティシアがね、元気で異世界に旅立ったってあなたに伝えてくれって言っていたの。私の体は健康で、運動もしていたし武術もたしなんでいたのよ。だから彼女、ジャンプしてはしゃいでいたわ」
「ジャンプ? レティシアが? そう……嬉しかったんでしょうね」
注意深く私を見ていたガラス玉のような金色の瞳が、優しい色を帯びて僅かに滲んだ。
レティシアの苦しみを一番知っているのは彼女だもんな。
「よかったな」
「ええ」
うん? もしかしてこのふたり、そういう関係?
違ったとしても、想像がはかどりそうよ。
小説のモデルに……ああ、ノートPCもスマホもないんだった。
それにこの世界の言語で書かなくちゃ、小説を読んでもらえないんだよなあ。
そもそも、そんな時間もないか。
あ、落ち込んできた。
異世界に来て落ち込むタイミングがここなのはおかしい気もするけど、今までとは違う生活をするんだって、ようやく実感したわ。
「レティ? 大丈夫? 体調が悪いんじゃない? 今まで健康だったなら、その体はつらいでしょ」
「いえ、大丈夫。女神が魔力をランクBまで戻してくれたのでだいぶ楽なの」
「そう。それならよかった」
「サラ、サラ。私も彼女と話してもかまわないか?」
「いいわよ」
テーブルの上でじっと話を聞いていたみみずくが、羽をバサバサと揺らしながら話し出した。
リムもそうだけどみみずくにも触ってみたい。
ちょっとだけ。指先だけでいいんだ。撫でさせて。
「ではレティシア、私はブーボと申す者だ」
目が大きくてくりくりしていて可愛いのに、声が渋くて堅苦しい話し方をするから違和感がひどいけど、これがギャップ萌えね!
それにフクロウは知恵の女神が従えていたって神話があるんだから、この話し方はありよ。
「まずは謝罪をさせていただきたい。きみが川に突き落とされた時、私はきみの傍にいたのだ。だがあいにく私は戦闘力が低く、大勢の人間に取り囲まれたきみを助けられなかった。申し訳ない」
みみずくが器用に頭を下げている……のよね?
俯くと言った方が近いけど、これはたぶん頭を下げているつもりのはずだ。
「謝らなくていいわよ。私はその時はまだレティシアになっていなかったから、記憶はあるけど特に何とも思っていないわ。記憶……記憶……」
「どうした?」
心配そうに顔を覗き込んできたフルンは、
「レティシアは川に突き落とされて殺されかけたのね」
私の言葉を聞いて大きく目を見開いた。
無表情じゃなくなったのはいいけど、それも一瞬だ。
トパーズのような瞳はすぐに細められて、呆れたようなため息をつきながら、すぐにまた無表情に戻ってしまった。
「女神に聞いただろう?」
「いいえ。まったく。必要な記憶は思い出せるようにしてくれたらしいけど、何が起こってどうなったか何も聞いていないわ」
「……うそだろう?」
「それで大丈夫なの?」
サラに気の毒そうに見つめられて、へへへっと力の抜けた誤魔化し笑いをしてしまった。
だってもう笑うしかないでしょ。
「ともかく、ブーボは気にする必要ないからね」
「それはそうなのだろうが……」
「彼は自分の見た場面を水晶の中に残しておくことが出来るのよ」
しょぼんとしているブーボを気遣ったのか、サラが彼の頭を撫でながら説明してくれた。
「あなたが川に突き落とされた場面や嫌がらせされた場面を残してあるの」
「そうなの?!」
それって、防犯カメラを背負って生活しているようなものじゃない?
「やった。これで彼らを確実に追い詰められるよ。ブーボ、その映像を使ってレティシアを傷つけたやつらに、しっかりと報いを受けてもらおうよ。魔力がないからって、女の子を川に突き落とすなんて許せないじゃない。そして女神にたのんでレティシアに仇は打ったよって伝えてもらおう」
「そのようなことが出来るのであるか。よろしくたのむ」
レティシアを守れなかったことを、ずっと気にしていたんだろうな。
もしかして記憶を受け継いだ私に、非難されるかもしれないと覚悟していたのかも。
ようやく安心したのか、ブーボは嬉しそうに羽根をパタパタと揺らした。