嫁でも家族でもないから! 4
フルンとアシュリーが転移し、お茶と軽食を用意して侍女たちが退室したので、部屋にはテーブルにどっかりと座って毛づくろいしているリムと、そのテーブルを挟んで座った私とクレイグだけが残された。
軽食はクレイグがまだ夕飯を食べていないというから用意してもらった。
彼もカルヴィンに負けないくらい忙しいはずなのよ。
「昼間はすまなかった」
「昼間? 嫁に来いってラングリッジ公爵が話していたこと?」
クレイグは神妙な顔で頷いた。
テーブルの上の物に手を出す気はないようで、姿勢よく座ったままだ。
いつもの彼とは様子が違うと察したのか、リムが彼の前まで近づいて不思議そうに見上げている。
「冗談だってわかっているから大丈夫よ」
「冗談ではない。本気の話を三人がかりであんなふうに言うべきではなかった。父も妹もきみのおかげで最悪の状態から脱することが出来て嬉しかったのと、きみを気に入ったのとで我慢できなかったんだろう」
気に入られるようなことを私はしたかな。
「うんまあ、あんな場所でする話ではないよね。でも迷惑だったのはクレイグも一緒でしょ。突然私との結婚話が持ち上がっちゃってさ」
「迷惑ではない。いずれ俺から話そうと思っていた」
「はあ!?」
話す? 結婚話を? クレイグから?
どどどどどういうこと!?
ありえないわ。私たち、出会ったばかりよ。
私がサラスティアみたいな美女ならまだわかるけど、肉も色気もたりていない実年齢より幼い見た目の女の子なのに。
あ、まさかそういう趣味が……。
でもそれなら筋肉をつける運動を教えてくれないよね。
「難しい顔で何を考えているんだ? 俺がきみと結婚する気があるのはそんなにおかしいか?」
「おかしいでしょ。公爵家の嫡男でその容姿。騎士としても一流の男なんて嫁を選び放題でしょ」
「ふむ。俺の容姿は悪くないと思ってくれているのか」
そりゃそうでしょうよ。
あなただけじゃなくて、イライアスも大神官もカルヴィンも顔面偏差値が高すぎて、私の貧弱さが目立って嫌になるわよ。
「きみは大きな勘違いをしている」
「勘違い? 何が?」
「俺は結婚相手としては避けられている」
「……は?」
「よく考えてみろ。うちの領地は結界の真ん前で、俺は騎士団を率いて結界前に詰めなければいけない立場なんだぞ」
あ、そうか。
普通の女性からしたら、夫がそんな危険な仕事をするのは嫌なのか。
自分が結界前に行こうと思っていたから、そこは全く考えていなかったわ。
「なるほど。言われてみれば確かに」
「それに父は国王に憎まれている。父が魔素病にかかったと報告を受けた国王は、息子が騎士団を率いて戦えばいいと言っただけで、健康を気遣う手紙ひとつ寄越さなかった」
弟が死ぬ確率が高い病にかかったというのに、そんな態度だったの?
確かに誰かは戦わなければいけないわよ。
いけないけど、だったら国のために戦ってくれている人には敬意を払うべきでしょう。
もしかして……目障りな弟を片付けるのが神獣の力を弱めた理由のひとつだったり?
ラングリッジ公爵だけじゃなくて、王位継承権を持つクレイグも本当は魔素病で死ぬのを望んでいるの?
「今頃、俺達ときみが協力したことを聞いた国王は激怒しているだろう。きみが魔素病を治療できることも聞いているかもしれないな。どんな顔をしているか見に行きたいくらいだ」
「国王はラングリッジ公爵が自分の地位を脅かすと思っているの? 長男が王太子なのに?」
「国王が王位に就く前は、父のほうが国王にふさわしいという声が多かったんだ。国王は傲慢で、貴族たちや使用人に対する態度がひどかった。それに大神官や神獣様より国王が敬われるべきだと考えていたんだ」
「うちと同じような話ね」
優秀な弟が邪魔で最前線に送った国王と、無能な長男が侯爵家を継いだことが許せないオグバーン。
共通しているのは、どっちも性格破綻してるってことよ。
「うちと親しくしたら国王に何をされるかわからない。だから表向きは軽んじたりはしなくても、出来ればうちとはかかわりたくないというのが貴族たちの本音なんだよ」
「なんかさ、やりきれないわね。国王や貴族たちに虐げられている家ばかりが、この国の未来を心配して戦っているっておかしいわよ。神獣様だって人間たちのために国を守ってくれていたのに」
「そうだな。だが俺は、王宮にいるやつらのために戦っているわけじゃない。家族や仲間たちや領地の民のために戦っているんだ。きみだってそうじゃないのか?」
「私? 私は自分のために戦っているのよ。それと神獣様のためかな。女神様とも約束したしね」
ぶっちゃけこの世界の人間がどうなろうと知ったこっちゃないわよ。
この状況を作ったやつらは自業自得でしょ。
「それに私は自己犠牲の精神は持ち合わせていないの。自分たちが我慢すれば丸く収まるからなんて考えは捨てたほうがいいわよ。我慢したって相手をつけあがらせるだけなんだから」
「ああ、俺もそう思う。父はどうかはわからないが、俺は国王をこのままにしておく気はない」
そうこなくっちゃ……って、あれ? なんの話をしていたんだっけ?
「ああ、クレイグが実はもてないって話だ」
「ひどいな」
「でもそれも過去の話よ。国王をぶっ飛ばして結界を強化すれば、女の子たちが掌を返して群がってくるわよ」
「そんなの嬉しくないんだが」
「…………だね」
そんな相手は信用できないし、過去の行いが消えるわけじゃない。
私だって、レティシアに嫌がらせをしてきたやつらとは今後も親しくはなれないわ。
謝罪されても無理。
「クレイグが私との結婚を考えるのは、魔素病対策と魔法のためでしょ?」
「正直それもある。でもそれだけじゃない」
今までは沈んだ表情でどこか遠くを見るように話していたクレイグの目が、急にまっすぐに私に注がれた。
「なによ」
「きみは見ていて痛快なんだよ」
ううう、突然笑顔を向けないでほしい。
それも親しみを込めた、甘さを含んだ笑顔だ。
自慢じゃないけど、今まで男性にそんな笑顔を向けられたことないのよ。
「目覚めたと聞いてこの屋敷に来て会ったきみは、今にも倒れそうなほど細くて顔色も悪かったのに強いまなざしをしていて、明るい未来について胸を張って話していた。青空が戻ると自信満々に言い切るなんて思ってもいなかった」
「それは、私は神獣様の巫子だから」
「そして言葉通りに魔素病を治し、騎士たちを絶望から救ってくれた。知ってるかい? きみのきっぱりとした言動と多くの騎士を助けているのに全く恩着せがましくなく傲らない態度は、騎士たちに絶大な支持を得ているんだよ」
知っているわよ。毎朝、ずらっと並んで敬礼して出迎えてくれるんだから。
元気になった騎士の家族から手紙をもらったり、贈り物だって山ほど届けられているのよ。
こちらも魔力をもらって助かっているんだって何度説明したって、誰もそんなの聞いちゃいない。
それより、さっきからずっと視線を感じて落ち着かないんだけど。
なんでずっと見ているのよ。
「せっかく用意したんだから食べたら?」
「話を変えようとするな」
いやもうなんか、部屋の温度が上がってない?
話している内容よりも、クレイグの声のトーンとか視線とか表情とか、今までと明らかに違うじゃない。
いや落ち着こう。男に免疫がないとしても、これでも一応社会人だったのよ。
十代の男に振り回されてどうすんのさ。
だからリムさん、私とクレイグの顔を交互に見ないで。
そうだ。リムを撫でて落ち着けばいいんだ。
「わかった。私の言動が痛快で、ラングリッジ公爵家はそういうタイプを好ましいと思うのね」
「そうだ。とうぜん俺もだ」
「なるほど。少なくとも容姿が好みだと言われるよりは信じられるわ」
「容姿も! もちろん好みだ」
「うそつけ」
ラングリッジ公爵家もクロヴィーラ侯爵家と同じような立場だった。
でも彼らは強い。
自分の非運に嘆くだけの侯爵夫妻は、子供の存在すら疎ましくて家族がバラバラになったのに、ラングリッジ公爵家は力を合わせて困難を乗り越えて、強い絆で結ばれている。
いいえ。強いなんてひとことで片づけたら駄目よね。
きっと彼らだって心の痛みを堪えて、うずくまって泣いた夜もあったはずだ。
それでも朝になったら立ち上がって、結界を守るために戦ってきたんだ。
尊敬できる人たちだと思う。
そんな人たちと親しく出来るのは本当に嬉しい。
でも勘違いしちゃいけない。
今は非常時で、私の存在が事態を動かしたことで気に入られているだけだ。
平和になったらもう、私の力は必要なくなる。
その時に仲良く付き合えるかはまた別の話だ。
「本当だよ。川からきみを救い出したときは、ドレス姿でなかったら性別もわからないくらいに痩せ細っていたんだぞ。それが次に会った時には、射貫くような強いまなざしで、きみは笑って見せたんだ。確かにまだ頬がこけて今にも倒れそうな姿だったけど、あの笑顔は忘れられない。あんな、はっとさせられる笑顔は初めて見た」
ああ……うう……どんな顔で聞けばいいのよ。
「なんで横を向くんだよ」
「あなたがずっと見ているからでしょう。頬に穴があくわよ」
「……見てたか?」
無意識かい!
「ともかく、今は私のおかげで事態が好転したって思っているから、私が魅力的に見えるのよ。吊り橋効果ってやつよ。でも結界が強化されて平穏な日々が戻ってきたら、結婚したいと思う相手も変わるわよ。聖女はかなりの美女らしいし、魔素病を完治出来るのよ。騎士たちも聖女のほうをありがたがるようになるんじゃない?」
「それはないな」
「そうかしら」
「じゃあ、聖女が現れても俺の心が変わらなかったら信じるのか?」
それは……そうね。
裁判が終わって、ラングリッジ公爵家の立場が好転して聖女が現れた後でも、まだ私がいいというなら信じられるわね。
「信じるわ」
「忘れるなよ。その時には本気で口説きにかかるからな」
「……え?」
皿の上にあったハムを一枚だけ摘まんで口に入れながら、クレイグは立ち上がって歩き出した。
「おやすみ。リムもおやすみ」
「おやすみーーー!」
「おやすみなさい」
思わず立ち上がって見送って、バタンと扉が閉じると同時に椅子にへたり込んだ。
この私が、男性に口説かれる日が来るなんて。
「レティ」
「うん?」
「クレイグはレティが好きなの?」
やばい。ちゃんと答えないと、リムはフルンやサラスティアにも同じ質問をするかもしれない。
それだけじゃなくて、こんな話をしてたよって全部フルンに報告するかもー!
……あれ? 私がクレイグに告白したわけじゃないんだから、報告されても困らなくない?
信じるとは言ったけど、結婚を受けるとは言ってないんだし。
「好きみたいね」
「みんなレティが好きだね」
「そう?」
「そうだよ。リムもレティが好き」
「私もリムが好きよ」
「わーい。おなか撫でて」
撫でてもらいたいだけだなこれは。
でも好かれてはいるみたいだし、癒しだし、いくらだってモフモフしちゃうよ。
翌朝、早朝にタッセル男爵夫人に起こされて、カルヴィンが呼んでいると言われて居間に案内された。
起きたばかりなんで、寝巻にガウンを羽織っただけの姿よ。
私の部屋から近い場所だからふたりで話すのかと思ったのに、部屋には眷属三人と侯爵夫妻までいた。
侯爵夫妻も寝ているところを起こされたみたいだ。
「早朝すまない。アシュリー様とフルン様も御足労いただきありがとうございます」
「サラスティアに連れてこられただけだ。気にするな」
「人間のように眠らないといけないわけじゃないしね」
だから眷属は三人とも、朝からさわやかなのね。
私は成長痛と筋肉痛でつらいんだってば。
「カルヴィン、どうしたの?」
「裁判が明後日に変更になった」
「は?」
さらに早まったの?
なんでまた急に?
「うふ。風向きが変わったからよ」
嬉しそうなサラスティアの声につられてそちらを見たら、眷属たちは特に驚いた様子もなくくつろいでいた。
「風向き?」
「今までラングリッジ公爵領のほうに吹いていた風が王族の領地に流れるようになって、ハクスリー公爵領に向かっていた気流は、マクルーハン侯爵領に向かうようになったの」
「マクルーハン?」
「王妃の実家だ」
「うは」
カルヴィンの返事に、思わず変な声が出てしまった。
だって、闇属性の魔力が王族の領地や王妃の実家に流れるようになったってことでしょう?
新手の攻撃じゃない。
「まさか、神獣様がやったの?」
「そうだ。そのくらいの力が使えるくらいには回復したそうだ」
私はまだ神獣と会話できないけど、眷属と神獣はテレパシーのようなもので分かり合えるんですって。
眷属は女神が神獣のために作ったって言ってたから、通じ合う手段があるんだろうね。
「その力、温存しなくちゃ駄目でしょ。神獣様が元気になるのが先でしょ」
「まあまあ、神獣様としては頑張っているレティを少しは助けたかったんじゃない?」
「でもアシュリー」
「それに、神獣様だってさすがに怒っているんだよ。レティだってやられたままにはしておけないだろう?」
それは確かにそうだけど、順番ってものがあるでしょう。
私としては、神獣には自分の回復を何より優先してもらいたいのに。
「それに王都にも闇属性が風に乗って届いているって話もだいぶ広まったのよ」
「それで国王は慌てて裁判を開くことにしたのね」
でも裁判をしたからって、気流の流れは変えられないわよ?
オグバーンを罰して済ませられる話じゃないのに、私を引っ張り出せば命令できるとでも思っているのかしら。
「神獣様が力を取り戻し始めているのを知って慌てているんだよ」
私が何を気にしているのか察したようで、アシュリーが説明してくれた。
「きみの周りにいる人間は国王が迫害してきた者達だ。その者達がいつの間にか神獣の神殿に集まって、神獣省の内情を暴露するのと同時に風の向きが変化した。このままだと自分の立場が悪くなるとようやく気付いたんだろう」
「もう遅い」
フルンのきっぱりとしたひとことに、その場の全員が頷いた。




