広がる波紋 4
「神獣省の長官だなどとふざけたことを言うのなら、せめて眷属である我らの顔くらいは覚えておけ」
「神獣省の実態が白日の下にさらされた以上、おまえは犯罪者だ。……ああ、おまえのせいでこの国では、白く輝く太陽は拝めないんだったね」
フルンの抑揚のない声も怖いけど、アシュリーの目だけが笑っていない笑顔もこわい。
ふたりの放つ怒りのせいで、部屋の温度が上昇している気がする。
「犯罪者……レティシアと話せば、彼女が誤解を解いてくれるはずだ。私は家族の誰より彼女と親しいんだ。彼女が信用しているのは私だけだ」
信用するわけないだろう。
あなたがやろうとしていたのは洗脳と支配だ。
「愚かだな」
フルンはため息をつきながら、やれやれと言いたげに緩く首を横に振った。
「月に一度か二度、それも一時間にも満たない時間だけ顔を出し、レティシアの好みとはかけ離れたドレスや宝飾品を押し付け、泣いて嫌がる彼女を無理やり王宮に連れて行く。いったいどこにレティシアに好かれる要因があるんだ?」
「本当にそうですわ。国王命令では逆らえず、私たち家族がどれほど心を痛めたことか……」
ホールの反対側から美しく着飾った侯爵夫人が出てきた。
ああ、見舞客が来ていたのか。
侯爵夫人の後ろに好奇心いっぱいで目を輝かせている女性が四人、今までのやり取りをしっかり聞いていたようで、眷属のふたりには礼儀正しくスカートを摘まんで挨拶した。
「なんて素敵」
「眷属様って、こんなに見目麗しい殿方だったのね」
小さい声で言っているつもりなんだろうけど、ホールの構造上か女性の声は高いからか、二階にいる私の耳までしっかりと言葉が届いた。
「何を言ってる。おまえは娘のことなんか忘れていたじゃないか!」
「おまえですって? 侯爵夫人である私をおまえ呼ばわりするとは失礼な。神獣様の力が弱まっているのにもかかわらず何もしないで、予算を贅沢な家具や遊びに使っていただけのことはあるわね」
おおお、意外にも侯爵夫人がかっこいい。
私を迫害していたことを指摘されそうになってもいっさい動揺しないで、扇を開いて口元を隠しながら、軽蔑の目でオグバーンを見て眉を寄せている。
今更オグバーンが何を言ったって、執事も侍女長も捕まっているんだから証人がいないもんね。
「社交界から追い出された女が偉そうに。レティシア! 出てくるんだ! 私だ! オグバーンだ!」
命令すんな。
そんなふうに言われてのこのこ出ていくやつがいるわけないでしょ。
ここから花瓶を投げつけてやろうか。
「行ってくる」
「え? クレイグ?」
あなたが出ていくんかい!
当然のようにふたりの騎士がクレイグの後ろに並んで、さっそうと階段を下りていく。
騎士団の制服を着て登場したクレイグに、女性陣のテンションがさらにヒートアップよ。
「うるさいな。なんの騒ぎですか。眷属のおふたりがいないのでレティシアが心配していましたよ」
クレイグは露骨にオグバーンを無視してフルンとアシュリーに話しかけた。
「クレイグ・ラングリッジ? なんでラングリッジ公爵家が口を出すんだ」
名前を呼ばれてようやくオグバーンがいることに気付いたように足を止め、顎をあげて目を細めて見降ろす。
クレイグもああいう顔をするんだ。
冷酷で尊大に見えそうな表情だけど、性格を知っているものだから頑張って演技しているなあって感心してしまう。
「なぜ、おまえの問いに答える必要がある?」
煽ってる煽ってる。
いいなあ。私もあそこでオグバーンを馬鹿にしてやりたいなあ。
私があなたを信用してる? 頭の中に綿でも詰まっているの? って。
「クレイグ、この男を黙らせろ。でないと殺してしまいそうだ」
「別に俺はそれでもかまわないのですが……猿轡でもつけておきますか。捕らえろ」
「「はっ」」
フルンに言われてクレイグは部下に命じてオグバーンを捕らえさせた。
五人も職員らしき人がいるのに、誰も助けようとしないのよ。
あの人たちは何のためについてきたんだろう。
「レティシア! 何をしている! 早く来い!」
あの根性だけはすごいわ。
ふたりがかりで両腕をがっしりと掴まれても、オグバーンは叫びながら体を捩じり、手足をばたつかせて見苦しい程に暴れている。
「黙れ」
クレイグがオグバーンの顎を親指と人差し指できつく挟みこんで、無理やり自分のほうを向かせた。
たぶんかなり痛いんだろうけど、口が左右から押されてタコのように変形しているせいで、変な顔になってしまっているので笑えてしまう。
「神獣様の巫子の名を、犯罪者のおまえが気安く呼ぶな。もう証拠は集まっている。誰が擁護しようとおまえの罪が消えることはないし、レティシアがおまえを助けることもない」
指が食い込んで痛そう。
オグバーンの顎の骨が折れそうよ。
「もうすぐ裁判省の兵士が来る。もう逃げられないぞ」
おとなしくしていればいいのに、侯爵が余計なことを言うものだからオグバーンがまた暴れだした。
「おまえたちがレティシアに何をしたか、全部ばらしてやるぞ!」
「オグバーン、おまえのせいでクロヴィーラ侯爵家は魔力の消えた家だとか呪われた家だとか言われてきた」
今度はカルヴィンが話し出した。
みんな言ってやりたいことがたくさんあったんだよね。
「レティシアを王宮に無理やり連れて行かれても、陛下の命令では何もできなかった」
「……知っていた?」
「だからレティシアは家族が巻き込まれないように演技していたんだよ」
「嘘を言うな! あの気の弱い子にそんなことが出来るわけない」
うん。嘘だけど、そういうことにしようって話になったのよ。
クロヴィーラ侯爵家内の問題を表に出す気はないの。
カルヴィンがスムーズに当主になるためには、余計なスキャンダルは困るのよ。
「気が……弱い?」
クレイグ、今はそこを気にする時じゃないでしょう。
そりゃ、あなたは私しか知らないからしょうがないんだけどさ。
「弱くはないな」
フルンが頷いて、
「むしろ強いよね。年齢よりしっかりしているし度胸もある」
アシュリーが頷いた。
ありがとうアシュリー。褒めてもらえて嬉しい。
「しっかりしてるか?」
フルン、あなたは駄目だ。
「体が弱いくせに、なんで腕力で解決しようとするんですかね。あのスキルのせいですか?」
クレイグ、私の話はもういいのよ。
雑談タイムじゃないの。
噂好きの御婦人方がいるんだから余計なことを言わないで。
「そんな……まさか……あれが、演技……」
オグバーンが信じ始めたよ。
ちょろいな。
「そもそもここで喚くのが間違っている。レティシアは神獣様の元にいる。神獣の巫子なのだから当然だろう」
「そんなわけがない!」
とうとうおかしくなった?
両腕を捕まえられているのに、オグバーンがクレイグに食って掛かった。
「だったらどうして天候が回復しないんだ。まだ雨が降っているじゃないか。おまえたちがレティシアを監禁しているんだろう!」
何を言ってるの?
天候がなんだって?
みんなの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるじゃないか。
「あーーーー」
突然カルヴィンが声をあげながら右の掌を左の拳で叩いた。
「そうか。それでこんな状況になるまで平気で放置していたのか」
「おい、なんの話だ?」
「いやそれが……ぶふっ。まさかそんな勘違いするなんて」
侯爵に聞かれているのにカルヴィンは笑ってしまっている。
「まさかとは思うが」
代わりにクレイグが言った。
「レティシアが魔力を取り戻して神獣様の元に行けば、瞬時に力が回復すると思っていたのか?空は晴れ、大地に緑が戻り、魔素病が消えるとでも?」
「…………違うのか?」
うわーーー、あほがいる。
頭を抱えてうずくまったまま立ち上がる気力もなくなったわよ。
なんだそのアニメの最終回みたいな奇跡は。
それが出来たら私が神だ!
『それな』
……また変な言葉を覚えてきたわね。
「そんなことが人間に出来るわけがないだろう。聖女にもそんなことは出来ない。当たり前だろう!」
アシュリーが怒鳴ってる。
フルンなんてあほくさくなって、クレイグの肩に腕を乗せて俯いているわ。
そっかー。そうだったのかー。
だからこんなぎりぎりまで放置していたのかー。
「そもそも神獣様の力が蘇ったからといって、なぜ天候が回復すると考えられるんだ。さんざん好き勝手して神獣様を苦しめたおまえたちのために、天候を回復するわけがないだろう!」
「それは、神獣の巫子がたのめば……」
「きさまが」
あ、フルンが怒りで復活した。
「レティの魔力を魔道具で抑え込んだせいで、彼女がどれだけ迫害されたか知っているだろう。それなのに、なぜ彼女がおまえのために動かなくてはいけないんだ。きさまがのうのうとのさばっている限り、この国の天候は回復しない!」
オグバーンは終わったな。
私もね、どうあっても国王側が有利な状況になった時には、今の国王が玉座に座っている間は天気を回復しないよって脅すことも考えてはいたのよ。
このままだとこの国は滅びるよって。
でも、こんな状況でも頑張って日々を過ごしている国民や、魔素病になっても戦っている人たちの命を盾にして、国王を脅すのはさすがにねえ、やっていいことではないと思ったんだよね。
その気持ちは今も変わらないけど、それは私が人間だからであって、眷属にまで同じようにしてとはいえない。
というかそれ以前に、神獣様の力を回復するのが大変なんじゃー!
一瞬で回復して天候が回復するとか、そんなうまい話があるもんか。
「せめて国王がもう少しまともだったら、こんな馬鹿な話を信じやしなかったでしょうに」
「うるさい!」
カルヴィンが冷ややかな口調で言った途端、オグバーンが叫びだした。
「私はおまえたちよりもずっと優れている。兄のような凡人ではない。私のほうが本来は侯爵家にふさわしかったんだ。それを長男だからという理由だけで兄に継がせ、私を田舎の伯爵家の婿養子にするような愚かなことをしたのが悪いんだ!」
「どこが優れているのかは僕にはわからないけど、悪だくみをして陰でこそこそ動き回るのは得意みたいだね、叔父さん」
カルヴィンもいい性格しているなあ。
逆切れしたオグバーンにさわやかに笑いかけている。
「でも、全部失敗しているんじゃない? レティシアはあなたを毛嫌いして顔も見たくないって言っていたよ?」
「そんなはずはない。レティシアに会わせろ!」
オグバーンがカルヴィンに詰め寄るより先に、ようやく到着した裁判省の兵士が大勢玄関ホールに到着し、オグバーンの体を拘束した。
「こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
オグバーンは縄で拘束されてもまだカルヴィンを睨んでいる。
たぶん国王がすぐに解放してくれると思っているんだろう。
そうしたらカルヴィンに仕返しをしてやろうと思っているのかもしれない。
でも国王の立場もだいぶ悪いと思うんだけど、オグバーンを助ける余裕なんてあるのかな?
「夫人、私はそろそろお暇しますわ」
「私も。慌ただしくて申し訳ありません」
とうとう我慢できなくなった御婦人方が、帰る準備を始めだした。
一番にみんなに話したいもんね。
明日には王都中に広まっているんだろうな。