広がる波紋 3
彼らは神獣省の予算を遠慮なく使い切って、本館の建物を男性専用の社交クラブのような内装にしていた。
チェスやトランプを楽しむための部屋にバー、ビリヤード室まで用意されていたそうだ。
それはおかしいと思う人が、職員の中には誰もいなかったの?
この天候を見て、自分たちにも責任があるのではと考えもしなかったの?
「伯爵家や子爵家の三男や四男で、秀でた資質のない楽な環境に流される男ばかりをオグバーンは選んでいたんだ。爵位を継げない彼らは、騎士になるか王宮で出世するしか貴族でいる道がない。せっかく得た仕事、それも楽の出来る仕事をみすみす逃したりは出来なかっただろう」
魔法吸収をしている間にクレイグの説明を聞いてイラついて、思わず予定より多くの魔力を吸収しそうになったわよ。
「向こうの内装を見たいか?」
「そんな暇はないわ。ひとりでも多くの魔力が必要なの。あなたは行ってきていいわよ」
「いや、俺にはきみの警護という重要な仕事がある」
ついさっき、アビーを帰宅させたから、確かにクレイグがいてくれると心強い。
いろんな立場の人が出入りすれば、敵側の人間も入り込みやすくなるから心配じゃない。
今の体力じゃ、プロの男性相手では勝てるかどうかわからないし、ずっと眷属たちに傍にいてもらうのも申し訳ない。
今はフルンが神獣様の傍にいて、他のふたりは向こうの建物を見に行っている。
「明日はアビーが休むから、明後日はエリンが休むのよ」
せっかく痣が薄くなったのに、アビーってば家族に知らせていないっていうのよ。
娘が魔素病にかかった姿を見て両親は泣き崩れていたんでしょ? 安心させてあげないと。
この時間から実家に帰ると今日中には帰れないと聞いて、すかさずクレイグに休みにするように頼んだの。
他の騎士たちもそうよ。
順番に休ませて家族や恋人を安心させれば、士気が上がって全体の雰囲気がよくなるでしょう。
「巫子が休まないのに私が休むわけにはまいりません」
「私は家族と離れて生活していないし、魔素病にかかっていたわけでもないし、むしろ今は動いて体力をつけたほうがいいの。早く肉が食べられるようにしなくちゃ」
「そうだな。筋肉をつけるには肉は必要だ」
そういうあなたも休めと言いたいところだけど、ラングリッジ公爵がここにいるから、クレイグは休むより父親の近くにいられるほうがいいよね?
いろんな部隊の騎士が入れ替わりに魔力吸収のために顔を出すので、ここにいたほうが各部隊の指揮官にも会いやすいみたいだ。
「プロはすごいよ」
しばらくして興奮気味にやってきたカルヴィンの話を聞いたところ、神獣省の現状を理解したハクスリー公爵は裁判省の人間を大勢呼び寄せ、現場検証するのと同時に、職員たちの事情聴取を始めたそうだ。
今夜中にある程度の報告書をまとめ、明日には職員の実家の当主や裁判で証言してもらう上位貴族の関係者を集めて神獣省を訪れ、現状を見せるらしい。
「職員が不当に使用したお金や今まで支払った給料は、彼らの実家に返却してもらうことになる。払わないなんて言い出したら、金も責任感もない貴族だということで社交界では生きていけなくなるし、顔ぶれを確認したところ、この程度の金額ならあっさり支払いそうな貴族ばかりだった」
「大騒ぎになるな」
「国王にも報告してオグバーンの逮捕請求をするそうだ。国王がどこまで知っていたかは知らないが、これだけ大事になっては庇えないだろう」
庇うもなにも、国王も同罪でしょう。
オグバーンにだけ罪を擦り付けようとしても逃がさないわよ。
といっても、今の私がしなくてはいけないのは、健康的な生活を送ることだ。
時間になったら屋敷に帰り、美味しいご飯を食べて、エリンに手伝ってもらって軽い運動とストレッチをして、お風呂に入ってふかふかのベッドで就寝。
その間にもたくさんの人たちが睡眠を削って働いてくれて、坂道を転がり落ちる車輪のように事態は動いていく。
申し訳ないなとは思うけど、ヒーローは最後にさっそうと現れるものよ。
まずは少しでも健康的な姿になって、レティシアを馬鹿にしていた人たちを見返してやらなくては。
翌朝も筋肉痛と成長痛は残っていたけど、朝からマッサージをしてもらって、お肌も髪もつやつやよ。
これぞ、侯爵令嬢の一日ってやつよ。
他所の御令嬢も、筋力と体幹は鍛えたほうがいいんじゃないかな。
前に芸能人が社交ダンスをしていた番組で、けっこう体力使っていそうだったわよ。
そして、ようやく朝ごはんのスープに小さな肉団子が入っていた。
ちょっと甘いふかふかの蒸しパンも美味しかった。
食べる量だって、だいぶ増えてきたんだから。
「これなら腹筋や腕立て伏せを始めてもいいわよね」
昼食のために屋敷に戻り、食後にまったりとお茶を飲んでいる時にクレイグに聞いてみた。
「うーん……骨が細いのが気になるなあ。座った体勢や横になってできる運動のほうがいいんじゃないか?」
「平気よ」
「ちょっとこれを持ってみろ」
クレイグがいつも持っている剣を鞘ごと差し出してくれた。
うはーー、剣を触れる!
「お、おも……」
日本刀は持ったことあるけど、それよりも重い。
両手で柄の部分を掴んで中段に構えても、剣先がぐらぐら揺れてしまう。
「手が震えているな」
「くっそーーー!」
「御令嬢がくそと言っては駄目だ」
笑うな。
こんな重い剣を片手で振り回せるなんて、男はずるい。
重さで叩き切るような剣じゃなくて、すっと引けば切れる日本刀がほしい。
「その剣はクレイグ様に合わせているので仕方ないですよ」
「エリンの剣だってあまり変わらないじゃない」
「私は腕力があるので」
筋肉が羨ましい。
やっぱり今日から腕立て伏せをするぞ!
「しかたない。運動メニューを組もう。それで筋力がついたら、レティシアの剣を用意しよう」
「本当!?」
クレイグってば、私が喜ぶものをよくわかっているじゃない。
花や宝石なんていらないのよ。
剣か防具がほしい!
「怪我をしたら運動できなくなって、余計に剣を握れる日が遅くなるのを忘れるなよ」
「大丈夫よ。私はそのへんはしっかりしてるの」
クレイグはレティシアが死にかけた状態だった時を見ているから、心配しちゃうんだろうね。
でも私は、筋肉をつけるには毎日の鍛錬が必要なことを知っているのだ。
「失礼します。副団長、オグバーンが神獣省の職員を連れて押しかけてきました」
オグバーンが?
えーーー、自分からのこのこやってきたの?
「捕まりに来たのかな」
「王宮では神獣省の実態が広まって大騒ぎになっているのに、立ち入り禁止になっているために中がどういう状況が確認できない。だいぶ追い詰められているんだろう」
レティシアの記憶ではオグバーンを見ているけど、私はまだ実際には会っていないのよ。
どんなやつか顔を見てみたい。
出来ればぶっ飛ばしたい。
「ちょっと行ってくる」
「駄目に決まっているだろう」
えーい。御令嬢に気安く触るんじゃない。
「オグバーンが来ただと」
フルンが突然転移してきた。
「なんで知ってるの?」
「カルヴィンにリムを預けてあった」
それで昨日から私の傍にいなかったのか。
カルヴィンのほうが動き回っているから、情報を得るにはそっちがいいもんなあ。
「ねえフルン、私も」
「駄目だ」
ひど。
こっちを見もしないでまた転移して行っちゃった。
「フルンは?」
今度はアシュリーが転移してきた。
「おそらくオグバーンが来ている正面玄関です」
「そうか」
「アシュリー! 私も」
「駄目だよ」
アシュリーまで!
「いいわよ、自分で行くわよ」
「レティシア、オグバーンはきみに会いに来ているんだ。わざわざ会ってやる必要はない」
「わかっているわよ。隠れて見るだけよ」
「…………」
「クレイグも一緒に来ればいいじゃない」
「しかたないなあ」
「やった。早く行こう」
もちろん行くのはふたりだけじゃない。
何かあった時に動けるように、クレイグが騎士に指示を出していた。
すでに玄関には、うちの騎士団が揃っているだろうから、ラングリッジ公爵騎士団は大きく散開して、他に仲間がいないか確認しつつ、オグバーンを逃がさないために敷地の外にまで騎士を配置するんだってさ。
相手が爵位持ちだから、公爵家の騎士団が捕まえてしまうと少々手続きが面倒になるらしい。
ラングリッジ公爵家は直接はこの問題には関係ないからね。
「どうとでもなるから、裁判省の兵士が遅いなら捕獲してしまう」
「フルンにたのんでこのまま閉じ込めておけばいいんじゃない? それか裁判省まで転移しちゃえば?」
他人事のように言いながら、吹き抜けの玄関ホールが見下ろせる廊下の端まで行き、壁に隠れる。
大神官たちが来た時に玄関ホールを見下ろした場所よ。
私の定位置になりそうだわ。
「おまえに話すことはない。レティシアを呼べと言っているんだ」
「オグバーン、おまえはもう侯爵家の人間ではない。少しは身の程をわきまえろ」
睨み合っている侯爵とオグバーンはあまり似ていない。
言われないと兄弟とは思わないだろう。
見た目は断然オグバーンのほうが男前で身長も高い。
だけど、頑固そうな表情や目元の険しい感じは似ているわ。
「はっ。娘の存在なんて忘れていた男が何を言っている。レティシアはおまえより私を信頼しているんだ。彼女が神獣の巫子と聞いて利用しようとしているんだろう」
「オグバーン伯爵、あなたはレティシアの叔父でしかない。妹を渡せと言われて渡すわけがないでしょう? それに何か誤解しているようだけど、僕たち家族は仲良くやっているよ? まだ体力が戻っていないのに、レティシアはすぐに無茶をするから心配なんだ」
険しい顔で睨み合っていた侯爵とオグバーンは、口元に笑みを浮かべて落ち着いた表情で話すカルヴィンに気圧されて、気まずげに視線をそらして互いに距離をとった。
子供にやんわりと諫められるなんて情けない。
「私は神獣省の長官だ。レティシアが神獣の巫子なら……」
「長官? 神獣省にそんな役職はないよ」
「今はある。陛下に任命されて」
「ほお、ずいぶんと勝手な話だな」
「神獣の神殿は神獣様のお住まい。長は神獣様だ」
空間から声が聞こえ、見えない扉から出てきたように歩きながらフルンとアシュリーが姿を現した。
だいぶ怒っているようで、ふたりとも体の周りに淡い光が漏れ出している。
フルンはときおり瞳が猛獣のように金色に光り、アシュリーは背中に翼のように赤い光が揺らめいている。
「知らないみたいだから僕が紹介しよう。おふたりは神獣様の眷属だ。幼少の頃からレティシアの傍にいて守ってくださっていたんだよ」
「は? なにを……」
フルンと目が合ってしまって恐怖を感じたようで、逃げ場を探してオグバーンはあたりを見回した。
でも、他の職員は最初から開いたままの扉の傍にいて、ホールの中央付近まで入っているのはオグバーンだけだ。
何をやってるんだろう。
私が顔を出せば、全てどうにかなると思っていたのかなあ。
もし私を連れ去ろうとしたら、たぶんこの場で殺されるよ?