広がる波紋 2
「ハクスリー公爵」
クレイグが呟くのを聞いて改めてカルヴィンの隣のナイスミドルに視線を向けた。
公爵って王家の次にえらいんでしょ?
そんなに簡単にぽんぽん現れないでほしい。
大丈夫かな。礼儀作法なんて全く知らないんだけど。
「彼は裁判省の長官だ」
仕事が早すぎるだろう。
どうなってんのよ。
カルヴィンだけではそんな立場の人は動いてくれないだろうから、大神官が手を貸したってことよね。
あの子、やれば出来る子なの?
横に神官長もいるってことは、彼も協力したってこと?
いったい何が起こっているの?
『裁判をして多くの人に真実を知らせたがっていたじゃない。 だったら喜びなさいよ』
あ、女神だ。
今日は朝から静かだったのは、大神官のほうにくっついていたからか。
それであの子が張り切ったのね。
『違うわよ。面白そうだから見物はしていたけど、私は何もしていないし大神官は私が見ていたことを知らないわ。彼らは昨日打ち合わせをして、それぞれの分担と今後の計画を立てたのよ。だからクレイグもイライアスも驚いてないじゃない』
つまり昨日から決まっていたのに、私だけ教えてもらえなかったってこと?
ちょっと……ショック。
『聞かないのがいけないんでしょうが。そうじゃなくてもあなたは忙しいんだから、いつか倒れるんじゃないかってみんな心配しているのよ』
そうだとしてもよ、少しは話しておいてほしいと思うのは我儘なのかな。
それにまさか打ち合わせをした次の日に、裁判省の長官が動き出すなんて思わないじゃない。
大神官たちを止めようとついてきた職員なんて、仲間が縛られているのを見てパニックを起こして、助けてくれと大神官とハクスリー公爵に泣きついてるよ。
『あなたには、この世界に来た途端にいろんなことが起きて、ものすごい速さで事態が動いているように感じるでしょう。でもこの世界の人たちにとっては、日々悪化する状況の中で何もできずに耐える時間が長く続いていたの。そこにあなたが現れたのよ。ぎりぎりまで水の入った壺に小石を投げ込んだようなものよ』
私が均衡を崩して、水が溢れ出したのか。
『波紋は確実に広がっているわ。もうあなたにも止められないわよ』
止めないわよ。
私はまさしく石を投げ込むために来たんだから。
でも小石じゃないわよ。
下手したら壺ごと叩き壊すような大きな石だからね。
『壊さないでよ』
それはこの世界の人たちの行動次第よ。
「オグバーン様は、神獣様はもう老齢で魔力を渡しても意味がないと話していたんです。ですから」
職員が一生懸命に言い訳を並べているけどさ、ハクスリー公爵はここまでカルヴィンや大神官と一緒に来たのよ。
もうすでに説明を聞いているに決まっているじゃない。
あなたたちにはスピードが足りない!
「きみたちはおかしいと思わなかったのか? 神獣様が老齢で力が弱まったままだと国が亡びるんだぞ」
「特別な方法を知っていると言っていたんです。その方法を使えばすべて元に戻ると」
「だから? 力を失い動けなくなっている神獣様を放置していい理由にはならないわ。何もしていないのにお金だけもらっている言い訳にもならないわよね」
むかつく。
本当にむかつく。
この世界のために魔力を使ってくれている神獣様に対して、感謝する心を持っていないやつが神獣省に勤めるんじゃないわよ。
「あのお嬢さんは?」
「妹のレティシアです」
ハクスリー公爵の問いにカルヴィンが答えたのを聞いて、職員の私を見る目に軽蔑の色が籠った。
またなの?
魔力がないというだけで馬鹿にしていいって風潮を、ここまで完璧に作り上げたオグバーンは見事だと言うべき?
それとも人間は、攻撃しても大丈夫な相手を求めているとでもいうの?
でもここにいるメンバーの前で、それは地雷よ。
「魔力のない……」
「今、何か言いました?」
意外なことに大神官が職員に詰め寄った。
クレイグ、あなたはまた剣を構えようとしたでしょ。
私よりよっぽど短気じゃない。
ん? なんで職員は私のほうを見て怯えているの?
「え?」
振り返ったら、ラングリッジ公爵騎士団の騎士たちが私の背後に半円形にずらっと並んでいた。
このポジションにいると、やっておしまいなさいって言いたくなるわね。
私は言わないわよ?
むしろクレイグが言ったときに止めに入れるようにかまえているわよ。
「いえ……な、なにも」
「そうですよね。レティシア嬢は女神にも愛されている神獣の巫子ですから、あなたごときが話しかけていい相手ではないんですよ」
いったいなんなの?
私を持ち上げるのはやめてよ。
「女神の? え? どういう……」
「神獣の巫子ってしっているか?」
「い、いいや」
オグバーンは職員に何も話していないの?
けっこう王宮では噂になっているんだとしたら、ここの職員の家には王宮に顔を出すような人がいないってことかね。
それなのに侯爵令嬢の私にあんな態度を取ろうとしたの?
「オグバーンから何も聞いていないということは、神獣省が機能していると思わせるための道具として雇っただけなんでしょうね」
「そのようだな」
「どうでしょう。現在ここにいる職員は全員、不当に給金を得ていた者達ばかりです。全員の取り調べをするべきではありませんか?」
カルヴィンがとうとうオグバーンを呼び捨てですよ。
しかもハクスリー公爵にガンガン意見を言っている。
「証拠はあるんだったな」
「こちらのサラスティア様が何年も証拠を集めて残してくださっているそうです」
「まかせて。国をひっくり返すくらいの証拠があるわよ」
あ、職員のひとりが逃げた。
釣られて何人か走り出したけど、すぐに神官に捕獲されている。
神官なのにあんな身のこなしが出来るってことは、わかった。僧兵みたいなものね。
神殿にだって警備や警護の人材はいるもんね。
「すぐに全ての出入り口を閉鎖しろ」
クレイグの凛とした声が響き渡った。
「ひとりも逃すな。建物や備品の破壊は禁止だ。証拠が残っている可能性がある。注意して動け」
一斉に踵を合わせて鳴らし右手を胸に当ててから、騎士たちが駆けだした。
イライアスが無言でひらひらと手を振ると、魔道士たちも動き出す。
そうかー。向こうの建物も使えるようになるのかー。便利だなあ。
……いいの? 本当に?
国王やオグバーンが強硬手段に出てこない?
むしろそれ狙いなの?
「ハクスリー公爵、ご無沙汰しております」
で、命令を出したクレイグはにこやかにハクスリー公爵に話しかけている。
公爵家ってどこも王家の親戚なのかな?
だとしたらハクスリー公爵とクレイグも親戚ってことよね?
「巫子、どうして今日はペンダントをつけていないんだ?」
クレイグとハクスリー公爵が親しそうに話しているのを見ていたら、さっき職員に詰め寄ったのと同じような感じで、今度は大神官が私に詰め寄ってきた。
この場に残っている神官たちは、全員魔素病の症状が出ている人たちばかりなので、もうすっかり顔なじみで、大神官が気安く私に近づいても止めやしない。
唯一止めてくれそうな神官長はここに滞在しているので、奥のベッドに寝ていてここにはいないのよね。
いろいろと鬱憤が溜まっていたようで、吸収しに行くたびに愚痴を聞いていたからか懐かれている気がするんで、今度大神官のことを相談しようかな。
「いや、女神の力を感じるぞ。どこだ? 服の中か? おとしたら大変だからポケットになんて入れたら駄目だぞ」
ぐるぐる回りながら探るんじゃないわよ。
あんたは犬か。
大神官がこんなだから神官長が実務を全部やっていたんでしょう。
でも女神の声を聞けるのは大神官だけ。彼は見た目がいいので大人気で、神官長もその他大勢の扱いを受けていた。
それでまじめに働くのが馬鹿らしくなってしまって、ついつい賄賂を受け取っちゃったんだそうだ。
理由がどうあれ犯罪は駄目なんだけど、女神に罰を受けたということは、女神はちゃんと自分のことも見ていてくれたんだって思ったら、嬉しいし申し訳ないしで心から反省しているらしい。
そこに私が、あなたのせいで神官長も苦労しているんじゃないかって大神官を叱ったのを見て、感激したんだってさ。
「なんで隠しているんだ!」
しつこいわね! あなたたちが胸に挨拶するからよ。
「女神のペンダントって、この世界の宝みたいなものなんでしょう?」
「そうだ」
「誰にでも見せていい物なの?」
「だめだろそれは!」
本当にこの子は大丈夫なのか。
ちゃんと教育しないでのびのびと育てすぎなんじゃないの?
「さっきみたいに職員がいたり、騎士や魔道士やいろんな人と今後も接するんだから、服の下に隠しておくほうがいいでしょう」
「だが私は見てもいいんだ。一日一回は見せてほし……」
「大神官、そういう話をこの場でするのはやめたほうがいい」
クレイグに言われて、ようやく私たちが注目の的になっているのに気付いた。
大神官と神獣の巫子の会話だもんね。
どんな話をしているかと思ったら、巫子が大神官に絡まれて困っていたって感じ?
神官たちが申し訳なさそうな顔なのが気の毒だ。
「レティシア、ハクスリー公爵の話を聞いてくれないか?」
「もちろんよ。私たちの話も聞いてほしいわ」
ハクスリー公爵がまだどんな人かわからないからか、私の横にアシュリーとフルンが移動した。
ふたりの圧がすごいのよ。
ハクスリー公爵の表情も厳しくなるくらいに、わかりやすく威圧するのはやめようよ。
サラスティアは騎士たちと一緒に移動して、向こうの建物に行ってしまったので、私が場を和ませるしかない。
「ふたりともそんな怖い顔をしたら話しにくいでしょう?」
「いいえ。眷属の方々がお怒りになるのも仕方ありません。おかしいとわかっていたのに、私は何もしなかった。申し訳ない」
「え!?」
ハクスリー公爵が深々と頭を下げた。
「裁判については、むしろ我々のほうこそ力を貸していただきたいのです。今回の件だけではなく、国王も王妃も王太子も問題があるのですが、それを追及してしまうと国が二分する恐れがあり、また、成人した王族が全て罪人になってしまうため、今まで動くのを躊躇してしまっていました。でももう迷っていられる段階ではありません」
まあ……そうだよね。
どこかこの国はおかしいと思っても、実際に反乱を起こすとなったらどれだけの準備と覚悟がいることか。
「協力しましょう。私も王妃や王太子を罰する証拠を持っています。あの王太子が国王になったら、どっちにしてもこの国は終わりますよ。だから頭をあげてください。敬語もやめてくれませんか?」
「いやしかし……」
「私は侯爵家の娘ですよ。公爵閣下に敬語を使われては落ち着きません」
ハクスリー公爵はまだ迷っているようで、フルンとアシュリーの顔を見て大丈夫そうだと思ったのか、ようやく頭をあげた。
「巫子様、私は裁判省の長官だ。どんなに王家が悪人でも法で裁かなくてはならない。正義であるからこそ、慎重に行動しなくては」
うーん、慎重に行動するって苦手というか、先に動いていることがあると言うか……。
「すでに人間は神獣様を裏切っているのだ。人間ですら守っていない法を我らに押し付けるな」
「フルン、やり方ってものがあるでしょう。多くの貴族がこの王家を潰すべきだと思わないと、その後の国の運営が出来ないんだよ。国王の椅子が空いた途端、より多くの利益を欲しがって争いだすのが人間だ」
フルンをたしなめているように見せかけておいて、アシュリーの言っていることも辛らつだ。
せっかくハクスリー公爵と普通に会話できそうだったのに、急に正論をぶちかまさないでよ。
「そんなの簡単よ。誰も文句を言えない次のトップを用意すればいいのよ。それと悪事をみんなの前で明らかにするのは大切なの。悪いやつだからって陰で葬り去ってはいけないの。証拠なんてこれからいっぱい集まるから平気よ。相手はバラバラで互いの足を引っ張り合っているのにも気付いていないんだから、裁判の場に引っ張り出してくれればどうとでもなるわ。あ、でもハクスリー公爵、私に一発ずつ殴らせてください。彼らにされたことを考えたら、そのくらいは許されるはずよ」
「……一発ずつ……え?」
「レティがいいならまあいい。だよね? フルン」
アシュリーに言われて、フルンはしぶしぶだけど頷いてくれた。
「一発殴れるのよ? 蹴るんでもいいけど」
「裁判の場でそんなことを巫子がしていいのか?」
「アシュリー、フルンが真面目なことを言っているわ」
「いや、この男はいつも真面目でしょうが」
よし、少しは場の空気が緩んだな。
でも殴るのは本気だけどね。
「レティシア、ハクスリー公爵領もうちの領地に近いんだ」
クレイグの言葉を聞いて、私ははっとしてハクスリー公爵や彼の後ろに並ぶ人たちを見た。
「え? じゃあ魔素病が?」
「はい。我が領地は距離はラングリッジ公爵領よりあるのですが、風向きのせいで一般の人が住む街にも闇属性の影響が出ているんです。私の妻も……」
「なにやっているんですか、連れてくればよかったじゃないですか。それと敬語に戻ってますよ」
「あ、ああ……そういえば……」
なんてこった。
思っているより患者が多いんじゃない?
一瞬、魔素病を治したくて味方になる人がたくさんいるんじゃない? って思ってしまった自分が嫌だ。
「クレイグ、向こうの建物も制圧しているんでしょ」
「制圧って」
「重病の人の個室を用意したいわ。もう少し元気になったら家族だってお見舞いに来たいでしょう。それと女性用の診察室と控室も用意してほしいの」
「わかった。すぐに手配しよう。ハクスリー公爵、せっかくですから裁判省の方々も魔力を吸収してもらってください。体調がよくなるのを実感するはずです」
おうよ、まかせてちょうだい!
ガンガン吸収するよ。




