神獣の神殿へ 2
「ありがとう」
騎士たちの手によりホールがいくつかの部屋に区切られ、機能重視だけど使い勝手のよさそうな家具が並べられていくのを見ていたら、クレイグが急に呟いた。
「きみが人でいられることを保証してくれたから、彼らは救われた気分だろう。彼らの家族も友人も、心の底から渇望していた言葉だ」
「ふふん、まだまだよ。実際に痣が薄くなるのを見てもらわないとね」
そんなふうに言われると照れるから、つい得意げに言ってしまった。
可愛げがないって、昔からよく言われていたのはこういうところだな。
「あ、そうだ。クレイグ、女性の騎士の何人かを私の助手兼警護として配置してくれない? 特に今日いるふたりには是非ともお願いしたいわ」
「警護は俺の部隊がしているだろう」
「侯爵家は今、侍女の数が足りないの。ヘザーを休ませたときに周りに男しかいないのはまずいでしょ。それに警護も、男では入れない場所がたくさんあるのよ」
「彼女たちに侍女の仕事は無理だ」
「助手と護衛だって言ったでしょう。前線で戦っていた騎士に侍女の仕事を頼むわけがないでしょう」
「……確かに女性は必要か。アビー、エリン、ちょっとこっちに来てくれ」
その不満そうな顔は何さ。
でも彼女たちを警護に出来るなら、クレイグの機嫌なんて正直どうでもいい。
最前線にいた騎士なら、絶対に強い。
命を失う可能性のある戦闘なんてしたことのない私の剣技なんて、彼女たちからしたらままごとみたいなものだろう。
体を鍛えるのを手伝ってもらおう。
剣も教えてもらおう。
うわあ、わくわくしてきた。
「お呼びですか」
クレイグに呼ばれてきたのは十代後半の子と二十代半ばくらいの女性だった。
魔素病の症状がかなりひどくて、ひとりは顔のほとんどが痣になり、もうひとりは首のあたりが甲羅化している。
甲羅って言うと亀の甲羅を思い浮かべちゃうか。
どっちかというとアルマジロの肌のような感じね。鎧のように見えないこともないかな。
「きみたちには神獣の巫子の警護と作業の助手を命じる。女性しか入れない場所もある。ついさっきも巫子を拉致しようという賊が現れたばかりだ。重要な任務だぞ」
「はいっ」
ふたりとも髪が短い。どうにか後ろで結わけるくらいの長さだ。
私は髪を切るって言ったら全力で止められてしまったから、令嬢は髪が長くないといけないんだとしたら、平民なのかもしれない。
「私が神獣様にご挨拶している間に魔道具の使い方を教えてもらえるように、サンジット伯爵にたのんでおくので、まずはそれを覚えてください」
「はい。あの……私たちに敬語はおやめいただけるとありがたいのですが」
いけない。
クレイグにため口で部下に敬語はおかしいか。
でも初対面の相手に急にタメ口はなれなれしすぎる気がして、敬語のほうが楽に感じる日本人って多いと思う。
「わかったわ。私と一緒にいるといろいろ忙しいと思うけどよろしくね。まずはあなたたちの魔力から吸収するので、あの扉の向こうで待機していて」
「私たちからですか?」
「そうよ。助手の仕事をしてもらうのだから、まずはどんな流れでやるのか確認しながら作業を進めたいわ」
「はい」
もしかして、身分や階級で治療の順番を決めたりしていないわよね。
いや……騎士団の中のことにまで首を突っ込むのはやめよう。
「クレイグ、今まで警護をありがとう。それじゃあ、神獣様に挨拶してくるわ。フルン、行きましょう」
「は? ちょっと待て」
クレイグが歩き出した私の前に回り込んだ。
「事情を知っている俺の部下も今まで通り警護に当たるぞ」
「そうね。そうしてもらうと助かるわ」
「だったらさっきの言葉はおかしいだろう」
「あなたは騎士団の副団長としての仕事もあるし、常駐する必要はないでしょう? 」
「神獣の巫子を守ることが今は最重要だと言ったはずだ」
「公爵が病気で寝込んでいるなら、そっちの仕事もあるじゃない。まさか人任せにしているの?」
「それは……」
「え? やだー、次期当主なのにー」
わざとらしく話していたら、フルンに肩を叩かれた。
なによって見上げたら、視線だけ横に向けている。
うっ、声が大きすぎたかな。また注目の的だわ。
「レティシア」
「この話はあとでしましょう。時間を無駄にしたくない」
「……ああ」
クレイグは神獣の巫子を囲い込みたいのよね。
今は神殿と魔道省以外は、ラングリッジ公爵家しか私と会ったことがないけど、いずれは王宮にだって行かなくてはいけない。
そうしたら私を味方につけるために、いろんな貴族が動き出すだろうなんて私だって想像がつくわ。
でも、そんなの今だけよ。
聖女が見つかったら、私への関心なんて奇麗さっぱりなくなるに決まっている。
聖女は魔素病を一発で回復出来るんだし、なにより美人だ。
騎士たちだって、どうせなら美人の聖女を守りたいだろう。
「ここが治療する部屋だ。魔力を急激に失うと倒れる危険があるので、椅子と簡易ベッドを用意してある。こっちがレティのための椅子だ」
フルンに案内された部屋は、十畳ほどの壁も床も白い部屋だった。
病院の診察室を超豪華にした感じ?
ふかふかのベッドや座り心地のよさそうな椅子はホテルに置かれていてもおかしくないような豪華さなのに、魔道具や作業用のテーブルは野営地に置かれていてもおかしくないような物だ。
「助手のための椅子と机も必要だな。魔道具は騎士団の使っている場所にも二個用意してある」
「魔道省がくれたの? これ、高いんじゃない?」
「治療してもらえるなら、このくらいは安いだろう。前線でも似たようなものは使っていたんだ。闇属性の影響が多くなった者は、結界から離れた部署に異動させなくてはいけないだろう?」
放射能汚染の危険のある場所での作業みたい。
それでも誰かが戦わなければ魔獣は人を襲って、どんどん人の住める場所が減ってしまうから、彼らは大事な人や家族を守るために戦っているんだよね。
「レティ、行くぞ」
クレイグの説明を聞いている時間も惜しいらしくて、フルンは部屋を横切って奥に歩いていく。
私は早く神獣に会いたい反面、あまりにひどい状況に置かれていたらどうしようって思っちゃって、会うのが少しこわく感じていた。
「この通路の先に行くの? こっちは?」
駆け足で追いかけた先には、薄暗い細い通路が続いていた。
「そっちの扉の先は小さな調理場と侍女の控室だ。この通路はおまえ以外の人間は通れない」
福利厚生がしっかりしてるなあ。
「あ」
フルンのすぐ後ろについて、五歩くらい歩いたかな。
背後から聞こえていたクレイグやヘザーの声が聞こえなくなって、急に周囲の空気が変わった。
神社の境内に入ったときに、感じたことがある変化に似ているかも。
「気が付いたか。今、神獣様の空間に入った」
「うっわ」
フルンの言葉が引き金になったように周囲の壁が消え、急に世界が広がった。
地平線まで広がる草原と青空の中、少し離れた位置に光に包まれた球体が浮いている。
その傍らに、青藤色の髪を肩まで伸ばした長身の男性が立っていた。
「ようやく会えたね」
「アシュリー?」
「うん。初めまして」
「初めまして。今は私がレティなの」
「レティはきみだけだよ。それに、レティシアには僕は会ったことがないんだ」
静かな声と穏やかな表情で話す彼は、中性的な美しい容姿をしていた。
瞳が濃いピンク色なのに違和感がないってすごくない?
背が高いし僕と言っていたから、たぶん男なのよね?
いや、僕っ子かもしれないのか。
「神獣……生きてるのよね」
近付くにつれて球体の中に、ハイエースくらいの大きさはありそうな白い虎が横たわっているのが見えた。
光のせいかホログラムのようにも見えるし、足先や尻尾の先が光に溶けて消えてしまいそう。
「眠っておられるだけだよ。この中だけは無属性の魔力で満たされていて、これ以上神獣様が弱ってしまうのを防いでいるんだ」
「少しずつ魔力が減ってしまうので、女神様がたまに補充してくれているようだ」
ほー。神はあまり干渉してはいけないと言いつつ、手助けはしていたのね。
だよねー。自分の書いた小説のせいで被害を与えているんだもんね。
『反省しているのよ。彼はこの世界を作る前からの知り合いなんですもの。私だって早く彼と話がしたいわ』
創造神って全知全能で間違いなんて犯さないかと思ってた。
『神が間違いを犯さないなら、人間は生まれていないわよ』
まあ、そうかもね。
『でも人間がいないと、この空間のようにつまらない世界になっちゃうんだもの』
どこまでも広がる空と草原の間に、神獣の眠る球体だけが存在している世界。
時間も空気の流れも、全て止まってしまっているみたいだ。
神獣を守っているのはわかるんだけど、牢獄のようにも見えてしまう。
この世界を守ってくれている神獣が、なんでこんなひどい目にあわされなくちゃいけないのさ。
「レティ?」
いけない。
女神と会話している時はそちらに意識が向いてしまうから、フルンに話しかけられているのに気付いていなかったみたいだ。
「魔力を渡すにはどうすればいいの?」
「球体に触れればいい。焦る必要はないぞ。神獣様は大丈夫だ」
フルンが落ちつかせるように私の肩に手を置いて言った。
「残っている魔力量を、僕がこの魔道具でチェックする。ここまでって言ったらすぐにやめるんだよ。それ以上は危険だからね」
「わかった。無理はしないから大丈夫」
私を中心に左右にフルンとアシュリーが立ち、アシュリーは私の手に小さな魔道具を押し付けた。
「やるわよ」
両手を伸ばして球体に触ろうとしたら、すぽっと手が中に入ってしまった。
「なに!?」
「フルン、この子すごいよ」
眷属まで驚かすなんて、私ってばやるわね。
「ゆっくり放出するんだぞ」
「まかせろ」
掌に魔力を集め、ゆっくりと放出していく。
「アシュリー、まだ平気なのか」
「うん。今で半分くらい」
「半分?」
ゆっくり過ぎたかな。
時間がかかりすぎ?
「おい」
「まだ平気なんだよ」
「そんなわけあるか」
「この子、おかしいよ」
「そんなに魔力量が多いのか」
「もう普通の人間十人分くらいは放出しているんじゃない?」
それだけ魔力を溜め込めるなんて、便利でいいでしょ?
一度にたくさん集められれば、何往復もしないで済むから効率がいいはずよ。
「ここまで」
「はい」
球体から腕を引き抜いて、首や腕を回してみた。
ふらつくこともないし気持ち悪くもない。
「もう少し平気そうよ」
「無理をするな」
フルンは心配性だなあ。
私はレティシアとは違って頑丈なのに。
さっきは少しでも早く魔力を渡したくて、神獣の姿をよく見ていなかった。
動物園で見た虎より、少し毛が長いような気がする。
確か虎の毛って剛毛よね。猫とは手触りが違うわよね。
でも神獣の毛は柔らかくてモフモフしてそう。
動物は好きだし、特に猫が好きな私としては、この世界を守っている神獣がこんな目にあわされているのを見て、黙ってはいられない。
ぐったりしてしまって、さっきからまったく動かないのよ。
それをずっと見ているしかできなかった眷属たちもつらかったろうに、レティシアを急かしもせず、今も私の体調を最優先にしてくれている。
もとはといえば女神のせいだけど、国王とオグバーンも許せない。
「今までは国王やオグバーンをどうするか具体的に決めていなかったけど、今決めたわ。国王は。玉座から引きずり下ろし、オグバーンには地獄を見せてやる」
「またそうやって腕力で解決しようとするな」
腕力? フルンは何を言ってるの?
玉座から引きずり下ろすって、物理的にやるわけじゃないのよ。
「ようやく神獣様の力を取り戻せる。僕はもうそれだけで」
「甘い! アシュリー、あなたがそんな甘いことを言っては駄目。自分の行いの責任は、きっちりと取らせなくちゃ」
「あ……うん。もちろんこのままにはしないよ」
「やめろ、レティ。そいつは切れるとやばい」
サラスティアもフルンも充分こわいと思うのに、もっと上がいるのか。
普段おとなしそうな人が実はやばいってあるあるよね。