神獣の神殿へ 1
ブーボがフルンを呼んで来てくれるまで、部屋には気まずい空気が流れていた。
侯爵夫妻なんて彫刻のように動かないで、それぞれの考えに沈んでいる感じだった。
用がないなら退出してもかまわないのに、下手に動いて私の機嫌を損ねるのが嫌だったのかもしれない。
そうなると私とカルヴィンも話しにくいじゃない。
侯爵夫妻がいると話を聞かれるわけだし、ふたりだけで仲良さそうに話しているって嫌味っぽいし。
そういうくだらない嫌がらせをする趣味はないのよ。
だから、さっさと廊下に出てリムと遊んで時間を繋いだ。
いらない紙を丸めて思いっきり投げて、真剣にリムと追いかけっこしているあの男が次期侯爵で私の兄です。
普段はくそ真面目な雰囲気だから、たまにはああいう姿もいいんじゃないかな。
「その格好で行くのか」
現れたフルンは息を切らして遊んでいたカルヴィンと、まだ遊び足りないリムを無表情でちらっと見ただけで、すぐに私に向き直って話し始めた。
「問題ある? 強そうに見えるしお堅い感じもするドレスだから、騎士たちに舐められないようにするにはちょうどいいわよ」
「そういうもんか」
「レティシアは騎士と仲良くしようとか、気に入られようとかは思っていないんでしょう」
この程度で息が切れるなんて、カルヴィンも運動不足よ。
「え? この服だと仲良くなれないの?」
「近寄りがたい雰囲気はあるかな」
「素敵」
「魔力が戻ったら可愛くなったから、そのくらいがいいかもしれない」
「カルヴィンは一度、目の検査をしたほうがいいわ」
自分でも少しはましになったとは思うけど、今までがあまりにひどかったからようやく普通になれただけよ。
レティシアが王宮に行った時の記憶の中には、ウエストが細くて胸を強調するドレスを着た美しい御令嬢が何人も出てくる。
彼女たちを目指す気はないけど、あれに比べたら普通は可愛いなんて言葉は出てこないわよ。
運動をほとんどしなかったせいで姿勢が悪く、歩き方も美しくない。
筋肉をつけながら、学ばなければいけないことがたくさんあるわ。
「まずは、おまえの部屋の前に行こう。レティがひとりで神殿に行くのはまずいとタッセルという侍女が言っていた」
「なんで?」
「当然だろう」
カルヴィンは額に手を当てて大きなため息をついた。
「騎士団なんて男ばかりなんだぞ。そうじゃなくたって独身の令嬢が侍女も連れずに外出なんてありえない」
「めんどうなのね」
「そうだよ。気の毒だと思うくらいに独身の女性は行動を制限されるんだ。ひとりで出歩く女性と結婚しようとする男はいないんだよ」
「なんで?」
「隠れて誰かと会っているかもしれないだろう?」
ああ、男性経験がある女は嫁にはしたくないってことか。
傷物扱いされるのね。
それに関しては全く心配いらないわ。
日本での生活も含めて、私は男性経験皆無だと胸を張って言える。
「フルン様、僕も部屋まで一緒に行きます。連れて行く侍女についてタッセル男爵夫人と打ち合わせしないといけません」
フルンが頷くと、一瞬で私の部屋の前の廊下に移動していた。
浮遊感みたいなものはあるんだよね。
ジェットコースターで、ふわっと体が浮く感じになることがあるでしょ? あんな感じ。
あれが苦手な人は、転移魔法は無理なんじゃないかな。
「あ、お嬢様。カルヴィン様もいらしてくださったんですか」
部屋の前にはタッセル男爵夫人とヘザー、そしてふたりのラングリッジ騎士団の騎士が待っていた。
慣れってこわいね。
もうここにいる誰も、突然フルンが現れても驚きもしない。
「侍女を連れて行かなくてはいけないんですって?」
「当然です」
当然なのか。
私としては、むさい男どもの中に可愛い侍女を連れて行くのは不安でしかないんだけど。
「ヘザーをお連れください」
「はあ? 何を言ってるの? こういう男ばかりがいる場所に行くのよ」
横にいる騎士を指さす。
指をさされた彼は、びくっと驚いて姿勢を正したけど、自分の何がいけないのかわからないのか眉を寄せて不満気だ。
「ヘザーは若くて可愛いんだから危険よ。ね?」
もう一度騎士たちのほうを向くと、違うともそうだとも言えずに、話に巻き込まれないように廊下の端まで撤退してしまった。
危機管理能力が高いな。
「それならお嬢様も危険じゃないですか。私はお嬢様が屋敷を出るときについていくと決めたので、今回も……」
「えええええ? 何を言ってるの? タッセル男爵夫人、彼女を止めてよ」
「どうしてですか? 私もそうするのが一番だと思っています」
この親子、おかしいでしょう。
結界近くまで行くのよ。
もうこの屋敷には戻って来る気はないのよ?
「問題は、人手が足りないためヘザーしか同行できる侍女がいないことです。申し訳ありませんが、私は屋敷を離れることが出来ません」
「そんなのわかっているわよ。ヘザーだって仕事があるでしょう」
「ヘザーの仕事はお嬢様のお世話をすることです」
「レティシア、ヘザーを連れて行かないと話が進まないぞ。侯爵令嬢としての体裁を整えないと、騎士たちにも舐められる」
確かにカルヴィンの意見には一理ある。
魔素病を治療してもらう立場だから、露骨に私を馬鹿にするようなことはしないとしても、若い女だからと軽く見る男はどこにでもいるものよ。
身分制度の確立しているこの世界では、それに合わせた行動をするのが賢い選択だわ。
「わかった。ヘザーよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
でもそうなると、ヘザーの仕事が多くなりすぎる。
休憩時間や休日はしっかりとってもらえるようにしたいから、対策を考えないといけないな。
「ヘザー、レティシアを頼む。彼女が騎士に殴りかかったりしないように見張ってくれ」
「え?」
「ちょっとカルヴィン、どういう意味?」
「僕の妹がどういう性格か、少しはつかめてきたってことだよ」
「さすがだな」
フルン、そこは褒めるところじゃないわよ。
私は意味もなく殴りかかったりはしません。
「意味があっても殴っては駄目だ。警護の騎士が近くにいるんだから、彼らに任せればいいんだ」
あなたたち、やっておしまいなさいって言えばいいってこと?
悪役令嬢らしいとも言えるけど、私は自分でけりをつけたいの。
「そもそも、どうしてきみはあんな立ち回りを出来るんだ?」
「それは……フルンに教わったからよ」
まさか異世界で習得しましたとは言えないもんね。
屋根裏のあの部屋にいたのは眷属と私だけなんだから、他に教えてくれる人がいるわけもないし。
「……フルン様」
「カルヴィン、フルンを責めないで。だってほら、運動不足になってはいけないでしょ? だから狭い場所でも運動できるようにフルンが考えてくれたのよ」
「護身術は覚えたほうがいい。これからもずっと彼女は狙われるだろう」
話を合わせてくれて、ありがとうフルン。
「それはまあそうでしょうけど……本当に危ないことはやめてくれよ」
「わかってます。大丈夫」
危なくないようにするために戦うんだから。
フルンが転移した場所は、六角形の殺風景なだだっ広い部屋だった。
ずっと降り続いている雨の音はもう無意識に耳が遮断していて、ここに来るまで気にしていなかったけど、部屋が薄暗くて寒々しいせいかやけに大きく響いて聞こえた。
「こんなに雨が降っていたのね」
「また、水没して人が住めなくなる地域が増えるんだろうな」
そんな深刻な状況なのに、何もしない国王に誰も文句を言わないの?
国王はもうおかしくなってるんじゃない?
貴族たちも、いざとなれば亡命すればいいって考えてそう。
「うるさっ」
フルンが扉を開けると、雨の音は一瞬でかき消された。
扉の向こうは高校の体育館くらいの広さがあるホールになっていて、ラングリッジ公爵騎士団が待機場所にするための作業をしていた。
ベッドごと運ばないといけない患者もいるし、魔力を急激に失うわけだから体調が悪くなる人もいるかもしれない。
献血センターと似たような感じよ。
テーブルに魔力回復のポーションや軽食を並べたり、簡易ベッドを用意したり、衝立やマットまで持ち込んでいる。
それにしても大勢の人の気配と声と、足音や物音で結構な賑やかさよ。
「こんなうるさくていいの? 神獣様の邪魔にならない?」
「神獣様のいるところには、ここの音は聞こえないから心配するな。ずっと誰もここに入れなかったから、こんなに賑やかなのはずいぶんと久しぶりで、アシュリーが喜んでいた」
「……そっか」
忘れられていたこの神殿に、また人が来たのが嬉しいって言ってくれるんだ。
人間は約束を破って神獣に魔力を渡さなかったのに。
……って、考えながら歩いていたから気づいてなかったけど、いつの間にか静かになってない?
うっ……全員が作業を止めて私に注目している。
医療班や設営の手伝いだけをしている人もいるみたいだけど、体格のいい男ばかりが五十人くらい?
剣道の道場や試合の会場だって、もっと女性の比率が多いよ。
「あっちの扉の向こうで、きみには作業をしてもらう」
「あ、そうなのね」
よかった。
こんな注目された状態で何時間もいたら、体力より先に精神力が削られてしまう。
「ヘザー、大丈夫? こわくない?」
「いえ、大丈夫です。でもここにひとりで取り残さないでくださいね」
「そんなことはしないわよ」
彼女の身を守るのは私の役目だ。
私の初めての侍女に手を出したら、急所に強化魔法を全のせの蹴りをお見舞いしてやるわ。
「レティシア、体調は大丈夫なのか?」
騎士たちに混じって作業をしていたらしいクレイグが、副官のピアーズ子爵と見覚えのある部下を引き連れて近づいてきた。
訓練用の服なのかな。
ピタッと体にフィットする服を着ているせいで体格がよくわかる。
周りの騎士たちもみんな同じ服を着ているので、暑っ苦しいったらない。
それは筋肉を見せびらかしているの?
羨ましいだろうって言いたいの?
くそーーー。筋肉はつけりゃあいいってもんじゃないんだからね。
「問題ないわ。神獣様にご挨拶したら、すぐに始めるわよ」
「ありがたい。その前に騎士たちにきみの紹介をさせてくれないか?」
必要ないと言いたいところだけど、こういう時は最初にかましておいたほうがいいのよね。
「いいわよ」
「全員、作業をやめて整列!」
私が返事をするとすぐに、ピアーズ子爵が驚くような大きな声で指示を出した。
そこからの彼らの訓練された素早い動きはさすがだったけど、自衛隊特集のテレビ番組で、何度も同じような場面は見たことあるんで感激はしないかな。
それより、一部皮膚が甲羅状になっている人が何人もいるほうが意外だった。
今日は動ける中での重傷者が来ているのかもしれない。
まだ痣だけの人も、かなり広い範囲が変色している人ばかりだ。
つまり彼らはラングリッジ公爵騎士団の中でも、最前線で戦っていた猛者たちだってことだな。
どうりで威圧感があるというか、顔からしてこわいというか。
「魔素病の原因となる闇属性の魔力を取り除いてくれるレティシア・クロヴィーラ侯爵令嬢だ。彼女は人間では唯一、無属性の魔力を持つ神獣の巫子だ。知っての通り、今まで魔道具で魔力を無理やり抑えられていたため、体調が万全ではない。くれぐれも無理をさせたりしないように」
騎士たちの期待に満ちた視線が痛い。
でも心のどこかで、この期待が裏切られるのがこわいって思っているんじゃない?
私ならそうなる。
「レティシア、きみからも何かあるかい?」
「あるわ」
だからまずは安心してもらいましょう。
「こんなにたくさんの人が神獣様に魔力を提供してくださるそうで、ありがとうございます。私は神獣様の力を回復したいので、こうしてラングリッジ公爵騎士団の全面的な協力を得られて、大変感謝しています。そして、それが闇属性の魔力を減らすことになり、魔素病を治療することにもなります。ただ、変形してしまった個所を直すことは私には出来ません。それに闇属性の魔力を減らすだけですので、いずれまた発病するかもしれません」
「レティシア」
「クレイグ、最後まで話をさせて。余計な期待はさせたくないし、正しい情報を伝えたいわ」
「……わかった」
台の上に立っているわけではないから、前の列の人しか見えないし、その人たちの顔を見るためには見上げなくてはいけない。
私の話を聞いても誰も感情を表したりはしないけど、ずいぶんはっきりと話す令嬢だなと思っているのか、私を見る目が少し変わったように感じる。
あ、女の人がいた。
この猛者たちの中にいる女性か。すごいな。
「でも発症したら、また私に魔力をくれればいいんです。甲羅状になった皮膚が治らなくても、それ以上病気が悪くならないようにすることは出来ます。つまり、私に魔力をくれている限り、あなたがたが人間でなくなることはありません。死を恐れる必要もありません。私が保証します」
今回はさすがに空気がざわりと動き、騎士たちの表情が目に見えて明るくなった。
ここまで自信満々に言い切れるのは、女神と話していたおかげね。
『ほほほほ』
この女神、本当にストーカーだわ。
「聖女が見つかれば病気は治してもらえます。神獣様の力が回復すれば、青空がこの国に戻り、闇属性の威力が弱まります。そのためにも協力をお願いします」
どうよ。好感度アップする話だったでしょ?
「みんな作業に戻ってくれ」
それぞれの持ち場に戻りながらも、ちらちらとこちらに視線を向けてくる騎士が何人もいた。
嫌がられてはいないようだけど、好感度はアップしていない?
神獣の巫子って聞いているから、変人扱いになっていたりして?
「ずいぶんと腰の低い話し方をしていたな。俺相手の時より部下に話すほうが丁寧な話し方じゃないか」
クレイグに言われて納得した。それで不思議なモノでも見るような顔をされていたのか。
諸君! 私は戦争が好きだ! とか背中で腕を組んで言えばよかったかな。