神獣の巫子覚醒 5
「じゃあそういうことで。私はさっそく神獣様の回復に向かうから」
「これからすぐに?」
カルヴィンに聞かれて、椅子から立ち上がりながら彼の顔を見返した。
この世界の人たちは呑気すぎる。
神獣の力が弱まっている状況に慣れすぎているのだとしても、神獣がどうなっているのか心配じゃないの?
でもまあ……日本にいた時に、実は日本は神獣が守っていて、今はその力が弱ってしまっているから地震が多いんですよなんて言われても、はあそうですかって聞き流していただろうな。
この世界は女神や神獣の存在がもっと身近だけど、太陽の光を生まれてから一度も見たことがない人達に青空は美しいと言っても理解できないだろうし、国が亡びると言われても変化が緩やかすぎて実感がわかないのかもしれない。
にしてもさ、もう少し神獣のことを心配してよ。
あ。神獣の世話役を彼にするのなら、カルヴィンも挨拶に行ったほうがいいんじゃない?
「サラスティア、カルヴィンにも神獣様に挨拶させたほうがよくない?」
「そうね」
唇に人差し指を当てて考えるしぐさも色っぽい。
なるほど。ああいう仕草が大人の女性の色気を感じさせるのね。
「いいけど、今は駄目よ。人間で会えるのはレティだけ。ある程度力が回復したら、その時に改めて面会できるようにしましょう」
「それで充分よ。じゃあ移動する準備をするわ。こっちで用意するものはあるかしら」
極力余計な会話はしたくないので侯爵夫妻には声をかけず、背を向けて歩き出す。
扉を開けようと手を伸ばしたら、私の手が届くより先に扉が外から叩かれた。
「はい?」
「失礼します」
扉を開けた騎士団長は、私が目の前にいても驚きを顔には出さずに礼儀正しく挨拶した。
「重要な話し合い中と伺っておりましたが、至急お伝えしたほういいと思われましたのでお邪魔させていただきます」
「かまわないわ。もう話は終わったの。誰に用事なの?」
私の傍にはいつもラングリッジ公爵家の騎士がいるせいで、クロヴィーラ侯爵騎士団と騎士とはあまり良好な関係とは言えないんだけど、騎士団長は感情をいっさい交えず、いつも礼儀正しく有能だ。
侯爵に仕えさせるには勿体ない人材よ。
「サラスティア様です」
「え?」
意外。
まさか眷属のサラスティアに用事とは思わなかった。
「クロンという男が侍女のサラに手紙を届けにきました」
サラはサラスティアが侍女に化けていた時の姿だ。
だから手紙を送ってくるような家族や友人はいないはずなのに?
「あら、おもしろい」
でも彼女は、楽しげに騎士団長の差し出した手紙を受け取り、ひらひらさせながら微笑んだ。
「クロンはオグバーンの侍従のひとりよ。レティが王宮に行くときに、何回か御者をしていたことがあるわ」
ああ、なるほど。
侍女長にも執事にも連絡が取れなくて中の様子がわからないから、レティシアのすぐ近くにいたサラに目をつけたのか。
「サラなら自分たちの思い通りに動かせると思ったのかしらね」
「返事を持ち帰るように言われているそうで、まだ正門近くの小屋で待っています」
小屋って言うな。
正門の傍にある二階建ての建物のことでしょう?
門番をしている人たちの休憩や、手紙や贈り物を届けに来た者たちが返事をもらうか面会を許されるまで待機するための建物で、日本の一般的な建売住宅よりよっぽど大きいのよ。
あれを小屋って言うなんて、日本人に喧嘩売ってんのか。
「返事ねえ」
手紙を開けて中身を読んで、サラスティアはくすくすと笑いだした。
「ねえ見て。オグバーンってレティが何もわかっていないと思っているのね。しかも自分は好かれていると思っているのよ」
「はあ?」
手紙を読んですぐ破り捨てたい衝動に襲われたけど、ぐっと我慢して横から覗き込んでいたカルヴィンに押し付けた。
レティシアの健康を心配している。
でも侯爵夫妻が邪魔をして会えない。
神官たちやラングリッジ公爵家の人間は、レティシアを利用するために連れ去ろうとしている。
きみとレティシアを助けたいですって?
だったら、堂々と正門から訪ねてこいや!
見舞いにも来なかったやつが、こんな手紙を送り付けて信用されると思っているのか!
「そのクロンってやつは、まだ待っているのね」
「はい」
「捕まえて、いろいろと情報を吐かせましょう。なんなら私が……」
「お待ちなさいな。まったく気が短いわね」
廊下に出ようとした私を、サラスティアとカルヴィンがふたりがかりで止めに入った。
騎士団長も今、道を塞ごうとしたわよね。
「せっかくここまでいろいろ考えて行動してきたのに、突然、脳筋にならないでくれ。オグバーンにとってはきみの状況がわからない、会えないというのが一番堪えるんだ。姿を見せないほうがいいんだよ」
「そんな、つまらない」
「え?」
「いえ、なんでもないわ。そうね……じゃあどうするの?」
こういう時は捕まえて、相手の情報を得ようとするもんなんじゃないの?
オグバーンがどこまで何を知っているのか気になるじゃない。
「私が会うわ。で、情報を聞きつつ、こっちの嘘の情報を渡しましょう」
「サラもレティシアもオグバーンを信用していると思わせたままのほうがいいですね」
「まかせて。侍女長と執事が捕まったことは話したほうが、私の話に信憑性が増すわね」
サラスティアとカルヴィンが私の頭上で会話している。
嘘の情報を流すなんて、そんな高等テクニックを使うんだ。
……なんで?
私がオグバーンを信用しているかいないか、家族と和解しているかいないか、そんなのどっちであろうとオグバーンは神獣の巫子を手に入れられなければ終わりなのよ。
クロヴィーラ侯爵の代わりに神獣の世話役になっておいて、何もしないで神獣様の力を弱めた責任があるの。
それを神獣様の老いのせいだなんて言ってしまったから、神獣の巫子が本当のことを言ったら命が飛ぶんだから。
「時間稼ぎをしたいんだよ」
私が不満そうな顔をしているのに気づいたカルヴィンが、笑いながら説明してくれた。
「あ、なるほど。神獣様の力が回復するまでしばらく動けないからね」
「そこまでの時間稼ぎは無理よ。十年以上かけて弱まってしまった力が、そんなに早く回復するわけがないでしょう。私もカルヴィンも、あなたの体力が回復するまでの時間を稼ぎたいのよ」
「私? 元気よ?」
今も元気に動き回っているじゃない。
むしろ絶好調よ。
「死にかけてからまだ三日しか経っていないことを忘れていないか? 女神様のおかげでだいぶ体調が回復していると言っても、まだ固形物も食べられない状態なんだ。元気なわけがないだろう」
「まったくよ。魔力が戻って体がちょっと動かせるようになったからって無理すると倒れるわよ」
「……それはまあ……確かに」
急に体調がよくなったから調子に乗っていたかもしれない。
これだけ急激に身長や体格が変わったんだから、反動がきてもおかしくないのよね。
「わかったわ。私が倒れてしまったら、神獣様の回復どころではないものね」
「神獣様の回復もそうだけど、僕はきみが心配なんだよ」
私が心配? 倒れたら困るからじゃなくて?
待って。混乱させないで。
兄だから心配して当たり前なんて常識は私の中にはないの。
「カルヴィン、今はまだレティには人間を信用するのが難しいの。わかってあげて」
「はい、サラスティア様。今までの彼女の置かれていた環境を考えれば当然です。それでどうする気ですか? レティシアの体調が悪くて、サラもなかなか会わせてもらえないということにしたほうがいいのでは?」
「そうね。眷属がいつもくっついているせいで、なかなか会えないと言いましょう。そうすれば王宮に呼び出されても、断る理由になるわ」
「侍女長がレティシアの予算を使い込んで、レティシアは古いドレスばかり着させられていた。侍女長がオグバーンにいつまでも甘えるな。おまえは魔力がないからオグバーンの迷惑になると言っていたので、レティシアはオグバーンに頼りたくないと言っているというのはどうですか?」
「いいわね。オグバーンからもらったドレスや貴金属も、全部売ってしまっていたと話しましょう」
体調が悪い上に、オグバーンには会いたくないと私が言っているという話にしたいのか。
オグバーンを怒らせないで納得させたいのね。
「じゃあ、これも言って。オグバーンの息子のダレルが、王宮に行くたびに待ち伏せしていて、暴力をふるったり魔法をぶつけてきたの」
「なんだって! あの野郎」
カルヴィンと同学年だけど、あっちはだいぶ出来が悪いのよ。
見た目も性格も最悪。
でも王太子の側近で、世渡りだけはうまいタイプなんだよね。
「オグバーンが私を引き取るって話をしていたみたいで、もしうちに来たら殺すって脅されていたの。だからオグバーンには会わないようにしたいって話したらどうかしら」
悪いのは侍女長と自分の息子だって聞いたら、レティシアの態度もしょうがないって思うわよね。
あの男は、自分の思い通りに人を動かせていると勘違いしているから、だいぶ驚くんじゃない?
オグバーンを愛していた侍女長の気持ちも、父親が自分より従妹ばかり気にかけて鬱憤がたまっている子供の気持ちも理解できず、無視していたのが悪いの。自業自得なのよ。
「いいわね。屋敷内にはもうオグバーンの内通者はいないとなったら、残されたのはサラだけね。向こうがどうやって近づいてくるか楽しみだわ」
「ねえ、いっそのこと夫人にお茶会を開いてもらったら?」
体調が悪いのに、国王が王宮に来るようにせっついているって広めちゃおう。
特に私は死にかけからの、一気に魔力が戻るっていう大きな変化のコンボを体験したばかりなんだから、王宮に来いってひどい話よ。
「お茶会はまずいだろう。体調が悪いことになっているんだよ」
「お見舞いしたいって言ってきている人はいないの?」
今まで無言で話を聞いていた夫人は、急に話しかけられて一瞬固まっていた。
「何人もいるわ。今まで連絡してこなかった人たちが、急に私を思い出したみたいよ」
「じゃあ会ってあげればいいじゃない。つらそうな演技をして、でも家族全員の魔力がランクSに戻ったって話せばいいのよ。今ならまだ、神官や魔道士が庭をうろうろしているのも見せられるわ。なんならラングリッジ公爵騎士団の騎士にもわざと姿を見せてもらおうかな」
「それは……いいわね。みんなきっと喜ぶわ。流したほうがいい話をまとめてくれれば、うまく話しておくわ」
協力的ね。
社交界の中心に返り咲けるのなら、私の機嫌を取るくらい苦ではないらしい。
置いてきぼりの侯爵は放置しておこう。
事務仕事でもやっていて。
「カルヴィン、どう思う? 国王は出来るだけ内密に私を手に入れたいんだと思うの。国王が神獣の巫子の存在を以前から知っていたのに、放置していたって知られたくないはずよ」
「そうだね。母上が見舞客に会うのは問題ないんじゃないかな。でもきみは顔を出しちゃ駄目だ」
「神獣様のほうにかかりきりなんだから、そんな暇ないわよ」
どうも私は放っておくと何かやらかすと思われているみたいね。
こんなにうまく立ち回っているのに失礼でしょ。
「メイド服に着替えるからちょっと待ってて」
騎士団長に断って、サラは姿を消した。
なんとなく楽しそうだったな。
神獣様の力を回復するにしても復讐するにしても、ようやく行動に移せるようになったからかな。
「あれ? 私はどうやって神殿に行けばいいの? フルン! どうすればいいの? いる?」
「レティ、私が伝えてこよう」
ああ、そういえば妖精たちが窓辺で待機していたんだった。
ブーボとリムは、ずっと私の傍にいてくれるのね。
「ありがと、ブーボ」
「大声出してすぐに来たら、ずっと隠れて見ていたってことじゃない。フルンをなんだと思っているの」
不満そうに尻尾をパタンパタンとテーブルに打ち付けているリムが今日も可愛い。
でもフルンなら、見ていても不思議じゃない気もするんだけど。