神獣の巫子覚醒 4
眷属しか使えない転移魔法になれてしまうのは、まずいとはわかっているんだ。
ずっと眷属たちと一緒に生活するわけじゃないのに、楽に慣れるとまともな生活が出来なくなってしまう。
行動が制限される令嬢でも、屋敷内なら好きなだけ歩いたって文句を言われないはずだから、筋力をつけるために歩かなくちゃ。
「庭に魔道具が埋まっていたなんて。なんで今まで調査しなかったのよ!」
「庭から影響を与えられる魔道具があるなんて考えないだろう。あんな大きな魔晶石があるなんて知らなかった。おまえも気付かなかったくせに、今更俺を責めるな」
「ふざけないでよ。やっぱり私のせいじゃなかったんじゃない! あなたが、私との結婚は失敗だった。そのせいで我が家の魔力が弱まったんだと発言したせいで、私が社交界でどれほど馬鹿にされたと思っているの!」
心の中で拳を握りしめていると、転移してすぐに侯爵夫妻の怒鳴り合っている声が聞こえてきた。
扉をちゃんと閉めなさいよ。
それか、使用人の誰かがわざと開けたままにしたのかもしれないな。
「外まで声が聞こえていたわよ。廊下は使用人も通るのに、ただでさえなくなっている信用をこれ以上落としていいの?」
サラスティアは遠慮なく扉を開いて先頭を切って室内に入り、扉を背で押さえて私とカルヴィンを通してくれた。
はっとして振り返った夫妻は私たちに気付いて気まずそうに腰を下ろし、ちらちらと伺うように私の顔を見ている。
昨日までの傲慢な態度が嘘のようよ。
親のこういう姿って、子供は見たくないものだよね。
カルヴィンは侯爵夫妻の顔を見ずに視線をそらしたまま、一番近くの椅子に腰を下ろしてノートを広げ始めたけど、私にとっては他人だし、親だって他の人間と何も変わらないってわかっているから、この程度じゃなんとも思わない。
といってもこの状況で、責任のなすり合いをしているなんて情けないったらない。
「ま、魔力が戻ったのね。だいぶ顔色がよくなったじゃない。私たちも急に体が軽く感じられて驚いていたのよ」
私たちから顔をそらして横を向き、不機嫌そうに椅子に座った侯爵とは違って、夫人のほうは、私の機嫌を取ろうと話しかけてきた。
そんなに怯えなくても、侍女長にしたみたいに腕力に訴えたりはしないわよ。
「ねえ、レティ」
ちょっとだけ殺意が湧いたわ
「いくつかお茶会の誘いが来てるのよ。一緒に」
「レティと呼ぶなと言ったわよね?」
「……え?」
表情は変えず正面を向いたまま、視線だけ夫人に向けた。
「それなのにいまだにレティと呼ぶのは嫌がらせ? それとも私の話をまともに聞いていないの?」
「でも、ほら、これから家族として一緒に」
「よくもまあ家族だなんて言えるわね。自分のしてきたことを忘れたの? あなたたちと仲良し家族ごっこをする気はないのよ。二度と気やすく呼ばないで」
「……わかったわ」
夫人はきまり悪そうに俯いたけど、ここまで言っても謝罪はないのね。
この国には子供に謝ってはいけないという法律でもあるの?
「さっさと話を終わらせましょう。何が起こっているのか、あなたたちはちゃんと把握しているのよね?」
私も夫妻の近くには行かないで、手前にあるひとり掛けの椅子に腰を下ろして足を組んだ。
サラスティアは私の椅子の背もたれに肘をついて立ったままだ。
「昨日までのことは僕が説明しておいた。魔道具が見つかったのとオグバーンの息のかかった騎士がきみをさらおうとしたことは、騎士団長が報告したはずだ」
「まあびっくり。娘がさらわれそうになったと聞いたのに、父親は黙って座っているだけだし、母親はお茶会の話をしているの? それで私たちは家族だなんてよく言えるわね。あなたたちクロヴィーラ侯爵家が置かれた状況をわかっていないの?」
「神官や魔道士、ラングリッジ公爵家が出入りしていることはもう知れ渡っている。陛下からも話が聞きたいからと王宮へ来るように連絡が来た」
「父上、まさか王宮に行く気じゃないでしょうね」
「陛下に呼ばれたらいかないわけにはいかないだろう」
クロヴィーラ侯爵は本当に無能な男だった。
長男だからとこの男が爵位を継ぐのを、オグバーンが許せなかった気持ちも少しは理解できてしまうほどに。
「それで? 神獣の世話役に戻すと言われたらレティシアを渡す気ですか? 国王の領地でしか手に入らない魔晶石が、あの魔道具には使われているんですよ!」
カルヴィンが怒りに満ちた顔で話しても、クロヴィーラ侯爵は口をへの字にして黙ったままだ。
思考停止しているんじゃない?
神官も魔道士もラングリッジ公爵家も、私の味方であって侯爵には興味がないんだってわかってる?
「カルヴィン、おまえこそもっとよく考えろ。このままだとレティシアに侯爵家を乗っ取られるぞ」
「この状況でそんなことを」
「くふっ……ふふふ……ふはははは」
あまりに馬鹿馬鹿しくて笑ってしまった。
令嬢が口を大きく開けて爆笑しちゃ駄目なのはわかるけど、じゃあこういう時はどうやって笑えばいいんだろう。
おしとやかに笑うなんて無理無理。
「馬鹿馬鹿しい。侯爵家を乗っ取ってなんになるの? 全く興味ないわ。どっちにしろ私は、体力がついて問題なく動けるようになったら、この家を出ていくから」
「レティシア!」
「あれ? 前に話さなかった? 神獣様の力を取り戻して、聖女と協力して結界を強化しなくちゃいけないって。だから私は結界近くのラングリッジ公爵家の領地に行くの。それに爵位が欲しかったら、今の私なら簡単に手に入れられるわよ。いらないけど。私はね、全て終わったら、のどかな場所でのんびり生活するの。ああそうだ。小さな屋敷と生活費を少々いただけるかしら。それできっぱり縁を切りましょう」
「ちょっと待て。僕はきみと縁を切る気はない」
「カルヴィン、落ち着いて。今すぐにどうこうって話じゃないわ」
カルヴィンだって結婚して子供が出来たら、妹にかまってなんていられなくなるわよ。
侯爵家の当主として忙しくなるしね。
「やっぱり侯爵には引退してもらいましょう」
ひじ掛けに肘をついて、頬杖をつきながら侯爵の顔を見てにこやかに話しかける。
そう言われるだろうと予測はしていたんだろうな。
侯爵は眉を寄せて片眼を細め、拳でテーブルを叩いた。
「貴様にそんなことを言う権限はない!」
「あるわ。あなたもわかっているはず。この家で私がどんな待遇を受けていたのか話したら、あなたは終わりなのよ。神獣の巫子を虐待していたなんて許されないの。神獣様の力を失わせたのはオグバーンかもしれないけど、あなたがもう少し私に気を配っていたら、もっと早く何が起こっているのか気付けたわよね。それを少しでも優位な立場に立とうとする貴族たちが問題にしないわけないでしょ?」
「そんな勝手なことはさせない!」
「どうやって?」
ぞっとするほど静かな声でサラスティアが言った。
「あ……いや……」
「レティは神獣の巫子。私たちの保護下にあるということを忘れないで。クロヴィーラ侯爵、レティの体力回復を第一に考えているだけで、私たちはあなたたち夫妻がしたことを許しているわけじゃないということを覚えておきなさい。余計なことはしないで、レティシアの指示に従いなさい」
「し……しかし」
「邪魔をするようなら、できないようにするまでよ」
私よりサラスティアのほうが侯爵夫妻に対する怒りや恨みは強いよね。
私はレティシアの代理復讐をしているだけだけど、サラスティアはレティシアの苦しみを隣で見ていたんだから。
「……」
嫌だとは言えないけど同意もしたくなくて、クロヴィーラ侯爵はまた黙り込んだ。
答えなければ同意したことにはならないとでも思っているの?
「それで……私たちはどうすればいいの?」
「おまえ!」
「レティシアの意見のほうが正しいでしょう。もうあなたには何も期待していないわ」
こういう時、女のほうが肝が据わっている。
一度開き直ったら強いよね。
「侯爵も、まあ落ち着いてよ。そう悪い話じゃないわよ。カルヴィン、気付いたことがあったら途中でも言ってね」
「わかった」
この場で何を言うかは、もう考えて決めてある。
私の考えつく範囲では、今はこうするのが一番いいはずよ。
「国王に呼ばれたからと王宮に行くのは危険だわ。私に言うことを聞かせるために人質にされる危険があるし、下手をすれば暗殺されるかもしれない」
「暗殺……」
どうも侯爵は問題を軽く考えている節があるのよね。
暗殺と聞いて、今更不安そうな顔をするんじゃないわよ。
私の人並程度の脳みそでも考え付くことを、なんで考えられないかな。
「だから大勢の人が集まっている場所で、国王と対峙したいの。私が王宮に貴族を招集することは出来ないのかな?」
「クロヴィーラ侯爵家としてなら出来るよ。侯爵以上の身分の者なら招集をかけて、重要な問題の会議をしたり、裁判を開いたりすることも出来る。おそらくラングリッジ公爵とサンジット伯爵も連名に同意してくれるだろう。大神官も協力してくれるのなら、国王でさえ招集できるし邪魔は出来ないはずだ」
「よろしくカルヴィン。出来るだけ大勢の前で話したいことがあるの」
「何をするつもりだ?」
なんでそんな警戒した顔をしているのよ。
なにもそこで暴れようなんて考えていないわよ。
「神獣の巫子を殺そうとした犯人を裁判にかけるわ」
「なに!?」
「侍女長を捕まえるときにブーボが見せたスキルがあるでしょ。それでみんなに誰が私を川に突き落としたか見てもらいましょう」
「犯人は誰なんだ?」
「うーーん。今はまだ言わない。知ったら、あなたたちの身に危険が及ぶかもしれない。それと、神獣の巫子から神獣様の現状や、魔素病についての説明があるって言うのも召集の理由に入れておいて。そのほうが人が集まるわよね」
「いや、神獣の巫子が姿を見せるってだけで、大勢の人間が集まるだろう。噂を流すように仕向けたせいで、今や王宮はきみの話で持ち切りだよ」
私ってば注目の的ね。
国王も手出しできないくらいに注目してくれるとありがたいわ。
「で、そこで侯爵には引退することを自分から話してもらうわ。どうせ国王たちは侯爵の責任問題を追及してくるんだから、その前に自分は責任を取って引退して、爵位はカルヴィンに譲るって発表したほうがいいのよ。ただし、引退したからって領地に引っ込めなんて言わないから安心して」
顔をしかめて私を睨んでいた侯爵は、不意に私に笑いかけられて顔をひきつらせた。
「カルヴィンはまだ若いから、侯爵が引退したなんて聞いたら、親戚たちが群がってくるでしょ?」
「だろうな」
「だから侯爵には、こんなに早く引退するとは思わなかったから、引継ぎが出来ていない。カルヴィンが問題なく侯爵として動けるようになるまでは、傍で補佐をするので心配はいらないと言ってもらいましょう。そして実際に補佐をしてもらいましょう」
「補佐?」
「そうよ。カルヴィンには神獣の世話役としての仕事をまずはしてもらわないといけないから、侯爵にもいろいろと動いてもらわないと困るのよ」
ここまで話を聞いて、ようやく侯爵の表情が僅かにだが明るくなった。
このやり方ならぶざまな立ち去り方にはならずに面目が保てる。
これからクロヴィーラ侯爵家は国中の注目を浴びて、面倒ごとが山ほどやってくるに違いないけど、それはカルヴィンに押し付けて、おいしいところだけ持っていけばいいって考えているんじゃない?
しばらくは役に立ってもらいましょう。
もちろん、こんな甘いやりかたで終わりにする気はないわよ。
「……いいだろう。確かに何もできなかったことの責任はあるからな」
「夫人には社交界で情報操作をしてほしいの。招待状が山ほどきているんでしょう?」
「ええ」
「今まで迫害してきた人たちを見返してやれるわよ。そうして社交界の中心で必要な情報を集めてほしいの」
「……わかったわ」
声も表情も平静を装っているけど、急に夫人の瞳が輝きを増した。
ハンカチを握りしめていた手が震えている。
彼女もつらい目に合ってきたんだろう。
「裁判の前に、もっと味方を増やさないといけないな。伯爵だけならいいが、陛下も断罪するとなると、反逆罪に問われる可能性もある。すでにかなり強力な布陣が出来上がってはいるが、クレイグや大神官は、国王を玉座から引きずり下ろす覚悟はあるのか? まさかきみを殺そうとした犯人を捕まえるだけで終わらせる気はないんだろう?」
メモをしながらカルヴィンがめんどくさいことを言い出した。
この世界では誰も公平に罪を裁いてはくれないってこと?
……まあそうよね。どこも権力を持っているやつらは、うまく法の網をかいくぐるものよ。
復讐はしたいけど、そのあと罪に問われてしまうようなやり方は駄目だ。
こっちは無傷の状態で、しっかりと相手にだけ損害を与えて、高らかに笑ってやりたいじゃない。
日本にいるときも、だから弁護士を雇ってお金を奪う形の復讐をするしかなかった。
でもこの世界は身分制度がある分、日本よりもっと金や権力がものを言うのよね?
「犯人のところに乗り込んで、殺さない程度にボコるのは犯罪にはならなかったりする?」
「は?」
質問したこととまったく違う返事が返ってきたせいで、カルヴィンは驚いて顔をあげて私を見た。
「それか、ひとりずつ闇に葬るのは……」
「犯罪だ」
「……そうよね。残念」
「レティシア、面倒くさがっているだろう。そうか。だんだんきみの性格を把握してきたぞ」
カルヴィンに文句を言われるのはまあしょうがない。
でも侯爵夫妻にまでドン引きされるのはどうよ。
私は犯罪になるようなことはしないわよ。