神獣の巫子覚醒 2
ガゼボの中に足を踏み入れてすぐ、私はくるっと振り返って後ろをついてきた男のほうを向いた。
途中から姿を隠そうともしないで堂々とついてきていたから、男のほうも特に驚きもせず、少し離れた位置で立ち止まり、仲間に目配せをした。
彼らからしたら私とサラスティアは戦力外なんだろうけど、五対三で私をこの場から連れ出せるなんて、どういう計算なんだろう。
今はこの周囲で作業をしている人たちがいないとしても、敷地の外に出るまでには大勢の人間とすれ違わなくてはいけないでしょ。
「レティシア様、お迎えにあがりました」
リーダーらしき男が正面に立ち、恭しく頭を下げたのにはびっくりよ。
こいつらは、私が進んでオグバーンのところに行くと思っていたのか。
もしかしたら建物内や門に仲間がいるのかもしれないし、私が自らここを出ていきたいんだと言い出せば、神官や魔道士の目を気にして黙って送り出すだろうって考えたんだな。
「オグバーン伯爵の元にお送りします。怪我をさせたくはありませんので、どうかおとなしく御同行ください」
脅しの言葉をしっかりと含んでいるので、にんまり笑ってしまった。
「なんでオグバーンのところに行かなくちゃいけないの?」
彼らは食堂で私が暴れたときにはいなかった。
だから噂では私が前とは違うと聞いていただろうけど、震えて泣いていたおとなしいレティシアを知っていたなら、大袈裟な話だと思ったのかもしれない。
その後も体調が悪いからって、ほとんど部屋に籠っていたしね。
だから、機嫌の悪そうな声で言いかえしてくるとは思わなくて、男はうっと言葉に詰まって目を瞬かた。
「あなたは家族よりオグバーン伯爵と親しいじゃないですか。こんな家にいたくないでしょう?」
「え? あの気持ち悪い男と親しかったことなんてないわよ」
無理やり馬車に押し込まれているところを見たことあるんじゃないの?
調子いいこと言うんじゃないわよ。
「おい、話が違うじゃないか」
「侯爵に言いくるめられたか。神獣の巫子だと知って、急に態度を変えたんだろう」
「そうだとしてもこのままじゃまずい」
ごちゃごちゃと余計なことを言わないで。
侯爵家の中のことは外に知られたくないのよ。
「レティシア様、どうしたんですか? オグバーン伯爵の恩を忘れたんですか!」
「恩?」
ぴきっと頭の血管が切れた気がした。
「あなたたち、今ここで大勢の人たちが何をしているか知らないの?」
思わず一歩踏み出したら、しっかりサラスティアとクレイグが左右についてきた。
「魔力を抑える魔道具を探しているのよ。その魔道具のせいで私は魔力を抑え込まれていたの。それを誰がやったと思う? オグバーンよ!」
目を見開き、顔を見合わせる男たちに向かって小声で魔法をかけていく。
「移動速度減少、防御力減少、素早さ減少、攻撃力も減少」
周囲にいる五人の男たちの足元に一瞬魔方陣が出現し、光の輪が足元から頭まで上がっては消えていく。
「魔法?」
「本当に魔法が使えるのか?」
「これは何をやられたんだ?」
男たちはパニックだ。
クレイグたちも何が起こっているのかわからなくて、一瞬私への警戒が緩んだ。
「移動速度上昇、素早さ上昇、攻撃力上昇」
こいつこんなに元気なのかよってみんなが唖然とする速度で、ぶつぶつ呟きながら正面の男に歩み寄る。
「レティシア!」
クレイグが伸ばした手は一瞬遅かった。
男が私を捕まえようとした動きなんて、スローモーションまではいかないけど体の弱っている御老人ですか? って聞きたくなるくらいには遅かった。
「デコピーン!」
攻撃を自分でするのは駄目なんて考えは、頭に血が上ったら忘れるもんよ。
でもさすがにアッパーカットとかしたら怪しまれるし、私は剣道の有段者であって拳で語る系の人間ではないのよ。
だから、か弱い女性らしく相手の眉間を狙ってデコピンしたの。
「ぐおっ!」
「いったーい」
防御力もあげておけばよかった。
がっという鈍い音がした時に、爪が割れて指先が痺れるくらいに痛んだ。
攻撃力が上がっているってことは、跳ね返ってくる衝撃も増えるのよね。
男のほうは爪が割れるなんて生やさしい痛みでは済まなかった。
白目を剥いて後方にのけぞり、額を押さえて悶えながら地面に倒れ込んだ。
「な、なんだと」
「何を大袈裟な」
か弱そうな細い女の子にデコピンされて倒れる騎士なんて信じられなくて、誰ひとり動けずに茫然としている。
あとで聞いたらこの時にはもう、私の体はうっすらと輝いていたらしい。
「神獣様の力が失われたのは誰のせいだと思う? オグバーンのせいよ。天気がいつも悪いのは? オグバーンのせい。闇属性の魔力が広がって魔素病に苦しむ人が増えたのもオグバーンのせいよ!」
『魔力を戻すわよ』
私が怒りに任せて大声で話している間に、女神が徐々に魔力を開放してくれた。
抑え込まれていた魔力がようやく戒めを解かれて、体の奥深くから湧き上がる勢いが強すぎて、体を包む銀色の光になって溢れていく。
風が起こり、服や髪が煽られるのに合わせて、体の奥そこから湧き上がった力が全身に広がっていった。
「いい? たいていのことは全部丸ごとオグバーンのせいなの。権力が欲しくて、金に目がくらんで、大勢の人を苦しめているのはあの気持ち悪い男なのよ!」
すごい。どんどん力が漲ってくるわ。
これなら健康になれる。
日本にいた頃と同じように動けるようになれる。
「オグバーンだけは、絶対にぶっ飛ばす!」
拳を作った手を振り上げたら、後方から頭をぺしっとはたかれた。
「おまえは何をやっているんだ。サラスティアもクレイグも傍にいたんだから止めろよ」
いつのまにかフルンがすぐ後ろにいて、呆れた顔で文句を言っていた。
「楽しそうだったからつい……」
「止めないでそっとしておいたほうがいいのかと思った」
サラスティアの言葉は優しさに取れるけど、クレイグのちょっと引いている態度は何さ。
少し気の強いだけの病弱な女の子かと思ったら、こいつはやばいって気付いたとか?
騎士団と協力して戦おうって女が、守られているだけの可愛い娘のわけがないだろうが。
これだけ派手なことをすれば周囲も何か起こっているのは気付くし、クレイグが待機させていたラングリッジ公爵騎士団がすぐに駆け付けて、逃げようとしていた男たちを全員捕らえた。
光や騒ぎに気付いて集まった人たちは、よちよち歩きの子供のような歩き方をして逃げている男たちを目撃して、いったい何事かと最初は怪訝な顔をしていたけど、私の近くにいた人たちの反応を見ていろいろと察したようだ。
「すごい」
「あれが巫子の魔法か」
興奮してこんな台詞を言い合っていれば、そりゃあ誰でも私が何かしたとは思うよね。
「こっちにもあったぞ!」
「こっちもだ。やはりさっきのは魔道具が壊れる音だった」
もうここでの用事は済んだので部屋に戻ろうとしていた時に、少し離れた場所から声が聞こえてきた。
私が急に魔力を開放したから、魔道具では抑えられなくて壊れたってところかな。
「フルン、サラスティア、家族の打ち合わせが済み次第、神獣様のところへ行くわよ」
「体のほうは平気なの?」
心配そうなサラスティアに笑顔で頷き、クレイグに向き直った。
「さっそく魔力を神獣様に渡したいの。魔素病の治療にもなるから協力してくれるのよね」
「もう、開始できるのか?」
「出来るのかじゃなくてやるのよ。呑気なことを言っていられる状況じゃないの。神殿のほうの準備もよろしくね」
神獣の力を取り戻すのが、今は最優先よ。
国王やオグバーンが横やりを入れてくる前に、少しでも力を回復してもらわないと。
でもその前に、侯爵夫妻と話さないといけないのよね。