神獣の巫子の位置づけ 3
王都にまで闇属性の影響が及んできたと知って、今更慌てている人はなんなの?
空は繋がっているのよ。
魔素が大気に含まれているのなら、風に流されてどこまででも飛んでいくでしょ。
黄砂が海を越えて日本中に飛ぶのを考えたら、こんなの当たり前だよ。
「十六年も放置してきたんですから、そりゃこうなりますよ。王都は結界のある地域とは国の反対側なんでしょ? ということは、おそらく国中に影響が出ているんでしょう。これを知ったら国民は大騒ぎになるのではないですか?」
「貴族は国を逃げ出し、平民は暴動を起こす危険もあるだろうな」
私の言葉に重々しく頷いてから、クレイグが神官長を睨みながら言った。
「これでもまだ、神獣様の回復を後回しにしろと言うつもりか」
「そ、そんなことは私は言っておりませんぞ。ただただ神獣様の巫子の健康を案じただけです」
「あの、私も検査してください」
「私も!」
神官たちが顔色を変えて魔道具の傍に近づいてきた。
他人事ではなくなって慌てているってこと? 情けない。
「あなたはいいんですか?」
群がってきた神官たちを無視して、サンジット伯爵は先程からずっと発言せずフードを深くかぶって俯いていた神官に尋ねた。
「私はすでに魔素病にかかっていますので……」
少しだけ顔をあげたので、僅かだけど顔が見えた。
三十代後半の優しげな顔をした人だ。
彼だけは装飾品をいっさいつけていなかったから、神官たちの中で異質な存在で気になっていた人だ。
「アダムソン神官でしたか。おひさしぶりです。巫子様、彼は結界近くの街にも立ち寄り、人々を力づけてくれている人なんですよ」
「そうでしたか」
首筋の色が一部変色している。
それで目立たないようにフードを深くかぶっていたのかもしれない。
人々のために真面目に働いている人が魔素病にかかって、金の亡者で貴族と癒着している人は楽をして健康でいられるなんて。
「私の魔力が戻ったら、ぜひあなたも神獣様の神殿にいらしてくださいね」
「ありがとうございます。しかし、結界に近い街には魔素病に苦しんでいる患者さんがたくさんいるんです。私ばかりが助かるわけにはいきません」
「あなたが病魔に倒れたら、誰が病気に苦しんでいる人たちを助けるんですか。ラングリッジ公爵騎士団も魔道省も、そしてあなたも、最前線で戦わなくてはいけない人たちこそ、万全の態勢を整えるべきです」
文句を言う人は必ず現れるだろう。
でも私は、まず救助に向かう人の健康を確保するべきだって思うのよ。
「そして健康になったら聖女を探してください。私は神獣様の力を取り戻すために頑張ります。そうすれば魔素病はこの国からなくなるんです」
思わずこぶしを握り締めて力説してしまった。
「その通りです!」
横から神官長が大きな声で話に割り込んできた。
正直、かなりうざい。
「ですから、私の魔力を調べてください。そして闇属性の影響を受けていたら、すぐに治療してください。聖女を探すには私の力が必要ですから」
え? 殴っていい?
攻撃力上昇の魔法をかけて、思いっきりぶん殴っていい?
厚顔無恥ってこの男のためにある言葉だったのね。
「そんなに心配なら、陛下にたのんで専用の魔道具を作ってもらったらいかがですか? 魔道の塔とは仲良しなんだそうじゃないですか」
「魔道長、私は巫子様とお話ししているのです。巫子様、聖女を早く見つけ出すためにも我々を優先的に治療していただきたい」
「あなたが私の話を聞いていなかったことはわかりました」
「はい?」
間の抜けた返事をした神官長に、最大限の嫌悪感に満ちたまなざしを向けた。
毛虫だと思えばいいのよ。
それかカマドウマ。
「私のスキルは魔素病の治療をするスキルではありません。神獣様の力を回復するためのスキルですので、神獣様がおそばにいらっしゃらなくては使えません。それにまだ私の魔力は魔道具で抑えられていてきちんとスキルが使えないので、魔道具を急いで探さないといけないと先程話したばかりです」
「いやいや、もちろんお話は伺っておりましたとも。今ここでという話ではないのですよ。必要でしたら神獣様の神殿に伺っても……」
「浅ましいことこの上ないな。こんな男が神官長だとは情けない」
突然、凛とした声が響き渡った。
たいして声を張っているわけでもないのに、よく通る涼やかな声だ。
少し尊大さを含んだきっぱりとした言葉に驚いて振り返った先には、半目になり、無表情で神官長を見下ろした大神官がいた。
「な、何をおっしゃるんですか。私は神官たちのために」
「愚か者ばかりしか我が神殿にはおらんのか。聖女を探せという言葉を無視し、神官としての務めも果たさず、症状もないうちから魔素病に怯える。おまえたちなどが我が神殿の神官などとは情けない」
「大神官……様?」
これ、トランス状態ってやつじゃない?
半目になっているだけじゃなくて、視線が定まっていない。
「許さん。祟りじゃーー」
うわーーー。女神が大神官に取り付いてるーー。
待って。やめて。その言い方はいろいろ間違ってる!
『え? 祟り神って神様でしょ?』
日本は八百万の神様がいて、土地神とか付喪神とかいろいろな神様がいるし、祟られるのが嫌で死んだ人を神として祭ったりもするのよ。
そういう神と世界を創造した神とでは違うでしょ。
こういう時は天罰よ。天罰って言って!
「祟り……とは? 大神官様? どうなさったんですか?」
「め、女神様。そこにいらっしゃるんですね!」
状況がわからずぼんやりしている神官長を押しのけて、両手を胸の前で組んで大神官の近くに駆け寄った。
「女神様?!」
「そうですよ。大神官様の体を使って、女神様が話していらっしゃるんですよ」
「な、な、なんですと!」
そんなに驚くってことは、こういうことは初めてなのか。
やばいやばい。
私が変なことを教えたもんだから、女神がすっかりその気になってしまっている。
「巫子よ。この者たちに天罰を下すので、魔力を取り戻したのち闇属性を吸収するのだ。そなたが魔力を吸収すれば一時的に病は治る。だがまたすぐに発病する」
魔素病になるってこと?
説明がわかりにくいわよ。
勢いで行動しているでしょ!
「その闇属性の魔力は結界近くで暮らす者達から集めた闇属性の魔力だ。それをこの者達に肩代わりさせる。結界を守るために戦う者たちの病を肩代わりし、我が言葉に従わず、多くの者の命を失わせてしまったことの罪を償え」
言葉が終わるのと同時に、神官長の手の皮膚の色が浅黒く変色し始めた。
「や、やめてくれ」
「うわああ」
彼だけじゃない。
アダムソン神官以外の全ての神官たちの手や首が変色していた。
「彼らが魔素病になる代わりに、誰かの魔素病が治るのか。さすが女神様。見事な天罰だ」
今まさに魔素病を発症している神官たちを前に、フルンは実に楽しそうだ。
フルンだけじゃないな。
この場にいるほとんどの人たちが、冷めた顔で慌てふためく神官たちを眺めている。
日頃の行いって、こういう時に自分に返ってくるんだよね。
「こんな……こんな……」
この世の終わりのような顔をしている神官たちの中で、神官長だけが怒りに顔を歪めてわなわなと震えていた。
「神殿が機能していたのは我々の働きだということを忘れていらっしゃいませんか? 大神官は何もできない子供で、組織のことなどまるで考えていません。神殿を守ってきたのは私たち……うわあああ」
神官長は急に左の手首のあたりを右手で掴み、体を丸めて床に倒れ込んだ。
彼の肌は更に色が濃くなり、まだらに灰色の斑点が浮き上がっている。
「女神様! 私が病に倒れたら、神殿は崩壊してしまいます。大神官は実務は何もわかっていないんです」
「そう育てたのはおまえだろう。だがむろん、大神官にも罰を与える」
「お、お待ちを。そういう意味ではありません! お許しください!」
神官長の止める言葉が女神に届くわけがない。
あっという間に大神官の綺麗な顔の右半分が、浅黒く変色した。
「ああああ。彼までそのような姿になっては、神殿の信用が……権威が……。ああ、もう終わりだ」
両手を床についてしゃがみこんだ神官長の左手は、右手より一回り大きくなり、皮膚が甲羅のように厚く変化し、細かい突起が隆起していた。
「聖女を見つけ出せ。そうすれば罰は終わらせよう」
言葉を終えるとすぐ、大神官の顔はぐらりと後ろにのけぞり、そのまま背後に倒れ込んだ。
近くにフルンやクレイグがいてよかった。
後頭部から倒れていたら大惨事よ。
「大丈夫か、おい!」
「あ……め、女神様が……」
フルンとクレイグのふたりがかりで床に座らせると、大神官はぼろぼろと涙をこぼし始めた。
元が綺麗な顔だったからか、顔の半分の色が変わって余計に作り物めいて見える。
変色する時に痛みはあるのかな。
神官長は苦しそうだったよね。
これもみんな、祟りなんて教えてしまった私のせいなのかな。
『違うわよ。最初から罰は考えていたのよ』
そうならいいけど。
いやよくはないな。
神殿はこの状態で聖女を探せるのかな。
「終わりだ……神殿は、もう」
「それほどひどい状況でもないでしょう」
意外にも、土下座の体勢のまま立ち上がることも出来なくなっている神官長に話しかけたのはカルヴィンだった。
「結界近くにいる人たちの苦しみを肩代わりしている。神官たちが魔素病になる代わりに、病気が治っている人がいると発表すれば、それほど神殿のイメージは悪くならないでしょう?」
「そ、そうでしょうか……」
神官長が急にしおらしくなって気持ち悪い。
私が治さないと言い出したら魔獣になってしまう危険があるからか、今には藁にも縋る思いなのか……どちらにしても、実際問題、神殿が機能しなくなってしまうのは困る。
「女神に罰を受けたというのは正直に発表するべきでしょうね」
「そうですね。言い方に気を付けて、たとえば作物を実らせることばかりを考えてしまって、神獣様の力が弱まっているのを知りながら何もしなかった。また聖女をいまだに見つけられていないために罰を受けた……とかですかね」
「魔道士長……そんなことを言えるものか。そうやって神殿の地位を下げようと」
「まだわからないのか? もう私たちにはそんなことをしている時間はないんだよ」
膝に手を当てて神官長の顔を覗き込んだサンジット伯爵は、苛立ちを隠さずに言った。
「私たちの仲間はもう何人も魔素病のせいで魔獣になりかけて、自ら命を絶っている。どうせあんたはそんな勇気もないだろう。だったら巫子に協力するんだ。そして早く聖女を探し出せ」
おお、格好いい。
さすがは魔道省のナンバーツー。
「待て。その男を外に出すのは危険だ。そのまま捕らえておくべきだ。どうせすぐに貴族たちに助けを求めに行くに決まっている。レティシア嬢の話を広げられるのはまずい」
「いいえ、むしろ広めてください」
にっこりと笑顔で言ったら、クレイグに露骨に嫌な顔をされてしまった。
でもそんなことでめげるような私ではないぞ。
「みなさんも、この場で起こったことは是非、友人や知り合いに広めてください。ただし、不安を煽るような言い方をするのは禁止です。神官長たちは罰を受けていますけど、その分、魔素病の治った人がいるということ。巫子の魔力が戻れば神獣様の力を回復できるということ。そうすればこの国に青空が戻ってくるので、作物を育てる準備を進めたほうがいいと知らせてください」
「おい」
「聖女も神殿が総力を挙げて探し出すはずです。最悪の日々はもうすぐ終わるんだと」
「レティシア嬢! そのようなことを広めたら、きみの身が危険なんだ。少なくとも巫子が誰なのかは広めないほうがいい」
「クレイグ様、貴族たちが私の存在を知り、話を聞きたいと思わせたいんです。どうせ陛下はすぐに私を王宮に呼ぼうとするでしょう。誰も私のことを知らなければ軟禁される危険があります。家族だって人質にされるかもしれません。そうできないくらいに注目を集めたいんです」
「陛下以外にも危険な相手はたくさんいるんだぞ」
「だからラングリッジ公爵家の騎士団が護衛についてくれるんじゃないんですか?」
「うっ……」
こういう時には首を少し傾げて、目を見開いてみせるといいって読んだことがある。
たぶん。
「フルンもサラスティアもいますし、当分は神獣様の傍を離れられませんし、私のことよりクロヴィーラ侯爵家に関わる人たちの安全をどう確保するか考えてほしいです」
……って、話している間ずっと、大神官は床に座り込んでめそめそしたままだ。
この男、本当に情けないな。
「いつまでそうやって泣いているつもりなの? 図体のでかい男がめそめそしても誰も同情してくれないわよ」
大神官のすぐ前にしゃがみこんで話しかけたら、そんな冷たいことを言われるとは思っていなかったのか、彼は目を大きく見開いて私を見てきた。
「今回はこれで済んだけど、まだ聖女を探しもせずに無能を晒すなら、次は大神官ではいられなくなるわよ。女神様に本当に愛想をつかされて嫌われないためには、あなたが変わらなくては駄目でしょう」
「……変わる?」
「女神様は、あなたを信頼して期待したから特別にあなたにだけ話しかけたの。で、あなたは何をしていたの? これからどうするの?」
「女神様!」
「うわ」
突然大神官が勢い良く立ち上がったせいで、驚いて尻もちをつくところだった。
こんなところで転がったら恥ずかしいなんてもんじゃない。
「神殿に戻ります。みなさん、帰りますよ」
もうすっかり私の存在なんて無視だ。
あの男の頭の中には女神しかいないんだな。
でも、すたすたと歩きだした大神官は、外に続く扉の前で立ち止まり、踵を返して駆け足で戻ってきた。
「魔素病になっていない神官たちを、こちらの応援に寄越します」
「はあ」
「魔道具を一刻も早く破壊しましょう。それでは」
それではって、神官長も連れて帰ってよ。
忘れていかないでよ。
いや、今回は私のせいでことが大きくなってしまった部分もあるんだから、あまり冷たいことは言わないようにしよう。
これからは下手なことを考えないようにしないと、女神が何をしでかすかわからない。
……でも考えるのが駄目って、難しすぎでしょう!