中身が入れ替わった悪役令嬢 2
それに、治安がいいと言われている日本にだって性犯罪はあるし、詐欺だってあるのよ。
こんなおとなしい子が東京に行ったら、カモにされて終わりよ。
「ちゃんとフォローして、いろいろ教えてくれる人を用意しているわ。レティシアにもあなたにもね。行動を起こしさえすれば、置かれている環境はすぐに改善されるから心配しないで」
「だから、フォローしてくれる人までいるのなら、入れ替わる必要はないでしょう?」
「無理なのよ。彼女にはその一歩がなによりも難しいの」
どういうことなんだろうとレティシアに視線を向けたら、てっきり俯いているだろうと思っていた彼女は、今にも泣きそうな顔でじーっと私を見ていた。
「私……復讐を望んでしまったんです」
「そりゃ望むでしょう?」
「違うんです」
レティシアが激しく首を横に振ったので、黒髪が揺れて光がはねた。
「私に何かあったら……神獣様は……力を回復出来ません。そうしたら……あの国は……滅びるの」
「だから彼女、自殺したのよ」
「……そういう復讐を……選んでしまった」
床についた手を握りしめレティシアは俯いた。
ぽたりと落ちた涙は、空中で光になって消えていく。
そうか。それも復讐だね。
あれ? でもさっき……。
「さっきは殺されたって」
「だから時間を巻き戻したの。最初は何も知らされていなかったのがいけなかったのかと思って、次の時は魔力のことも神獣のことも話してからやり直してもらったの」
うはー、この女神、あっさりととんでもないことを言ってるよ。
異世界転移だけじゃなく巻き戻しまでやってるんじゃないか。
殺されたレティシアの代わりに私が登場するなら、今回も時間を巻き戻すんだよね?
私は三回目?!
「事情を知ってレティシアは、二回目はけなげに頑張ってくれたの。将来は悪役令嬢役とは思えないほど」
「え? 今、なんて?」
「なんでもないわよ。でも、頑張ってもうすぐ行動に起こせるって時に殺されてしまって、もう心が折れてしまったのよ。これ以上無理をさせると、心が死んでしまうの」
すっかりトラウマになっているんだろうな。
私には両方の祖父母という味方がいたけど、彼女にはいなかったんでしょ?
世界中が敵の中で、病弱なのにひとりで耐える生活を二度も繰り返させるなんて、そりゃ折れて当然よ。
「あなたは境遇が似ているから、レティシアの気持ちがわかるでしょ?」
「境遇が似ているから私と入れ替わっても天涯孤独の身よ。両親もそれぞれの新しい家族も、私の存在を疎んでいる。それはいいの?」
「家族は……もう……いらない」
まあ、気持ちはわかるわ。
赤の他人と違って割り切れなくて、余計に傷が深くなるからな。
「うーーん、代理復讐かあ」
「それだけじゃないわよ。神獣の力を取り戻して、聖女が見つかったら協力して、結界を強化してほしいの」
「忙しいな!」
なにそれ。超重要任務じゃない。
それをこんな形で突然押し付けて、私が何もしなかったらどうするつもりよ。
「それに神獣の力を取り戻すってどういうことよ。説明されていないわよ」
「あとでするわ」
「うわーー、後出しばかりで怪しい。信用できなーい」
「いい? よく聞きなさい。今回ちゃんと役目を全うしてくれたら、そのあとはのんびりスローライフでも、大恋愛でも好きにしてよ。そして寿命がきたら、一度だけ記憶ありで好きな世界の好きな境遇に転生させてあげるわよ」
「え? いろんな情報を詰め込んで転生チートできるってこと?」
「出来るわよ。というか、敬語はどうしたのよ。」
それは楽しそう。
一度は夢見る異世界転生無双よね。
中世風異世界もいいけど近未来風もいいなあ。
でも魔法は使いたいな。
「……乗り気になっているなら、まあいいけども。次回の人生は置いといて、私のお勧めはイケメンとの素敵なラブストーリーよ。あの世界、顔面偏差値高いわよ」
は! イケメンは観賞用よ。私には無関係な存在なの。
……あ! そうか、レティシアになるんだった。
今は痩せすぎているけど、健康になれば結構美人なんじゃない?
猫みたいな目をしているから、ちょっときつい感じかな。
復讐に執念を燃やすなら、きつい顔になるのは当然よね。
……イケメンかあ。
いやいやいや、男なんて相手にしている場合じゃない。
神獣の巫子に近づいてくる男なんて、下心だらけに決まっているわ。
「あの……いいんでしょうか」
いけない。
レティシアの存在を忘れていた。
「え? 何が?」
「入れ替わりなんて。……私ばかり得している感じで」
申し訳ないと思いつつも、新しい生活への期待が抑えきれないレティシアは、年相応に幼く見える。
魔法がない世界で自由に生きられるって聞いて、最初に現れた時よりは目に輝きが戻っていた。
「あなたこそいいの? 私のほうがずっと年上でしょ」
「それは……どうでも……健康なら」
そんなに体が弱いの?
大丈夫かな、ちゃんと健康になれる?
毎日腹筋と腕立て伏せをしたら、それが死因になるようじゃ困るんだけど。
「でも……まあ、いいかな」
私ね、気付いたのよ。
最初に女神を見たとき、これは死んだなって、あっさりと死を受け入れてしまってたって。
最期に会いたい人もいないし、行きたい場所もやり残したこともない。
両親が憎くて、見返してやるためだけに生きてきた。
勉強を頑張ったのも、体力をつけたのも、全部復讐したかったからだ。
ひとりで生き抜くために護身術や剣道まで学んでさ、望みどおりに大学に行き就職して、親と彼らの家族の悔しそうな顔を見て満足してしまった。
そしたらもう、この先何を目標にすればいいかわからなくなったんだよね。
「結局、親とのしがらみから抜け出せなかったのかもね。だから、遠い場所で違う生き方ができるのはいいのかもしれない」
女神が味方に付いている神獣の巫子という立場になれるのは魅力でしょ。
新たに転生しなくても、やろうと思えば無双も出来るかも。
レティシアの状況を考えると、かなりハードルは高そうだけど。
「レティシア、向こうの世界に行ったら、私の机の上に黒い四角い二つ折りになっている機械があるから、フォローしてくれる人にその使い方を習うといいわ。それは世界と繋がっていて、たいていのことは調べられるの」
「世界と……繋がる……」
魔法の代わりに文明が進んでいるからね。
空を飛ぶ乗り物もあるし、冷蔵庫や洗濯機を見たら驚くんだろうなあ。
「さあ、レティシア。これが古賀由紀の体よ」
女神が言葉を発すると同時に、レティシアの体が虹色の光に包まれ、光が消えると彼女のいた場所には、もうひとりの私が座っていた。
寝ていたから乱れている髪まで、そのままにしないでもいいのに。
こうやって改めて見ても、個性のない地味な顔だなあ。
「わ。苦しくない。軽い」
いや、私の体のほうが体重はずっと重いはずだよ……と思って見ていたら、レティシアは勢いよく立ち上がり、その場でジャンプした。
「すごいすごい。なんて楽なの?」
ちょっと待って。
レティシアの体はそんなにひどい状況なの?
今までの暗い雰囲気が嘘のようにはしゃいじゃうくらいに、私の体は動きやすいの?
私はこれから、レティシアの体で生きていかないといけないのよね?
大丈夫なのか?
「レティシア、いいえ、古賀由紀。そろそろ新しい世界に行く時間よ」
それ、本名じゃないから。ペンネームってやつだからね?
普段の生活では使ってないってわかってる?
「はい。ユキ、……本当にいいの?」
「そんな顔しないで。私は大丈夫よ」
「ありがとう。あの……出来れば、私は元気に異世界に旅立ったってサラに伝えて」
「サラっていうのは?」
「神獣の眷属のひとりよ。あの世界では、六歳になったら魔力の属性や強さを調べるの。レティシアはそこで魔力がないって判定されてしまって屋根裏に隔離されたから、サラが侍女として紛れ込んで彼女の世話をしていたのよ」
女神は今、隔離されたって言わなかった?
それ、初めて聞いたんですけど?
「その人がフォローしてくれる人?」
「もうひとりいるわ。生きていくのに必要な知識や、互いの重要な記憶はちゃんとインプットするから安心して」
それは助かるけど、私のどの記憶をレティシアに渡すんだろ?
変な記憶はやめてよ。
「わかったわ。ちゃんと伝える」
「もう無理だと思ったら、壊しちゃってもいいと思うの……あの世界……あなたが……幸せに……」
レティシアの姿は徐々に薄くなっていき、言葉は途中で聞こえなくなってしまった。
人間が成仏するときってこんな感じかな。
最後に物騒なことを言い捨ててたけど、あれが本音なのかも。
「さて、あなたも新しい世界に」
「ちょーっと待って。その前に聞かなくちゃいけないことがあるのよ」
今度は遠慮なく立ち上がり、腰に手を当てて女神を見降ろした。
「悪役令嬢が何ですって?」
「うっ……」
「だいたいおかしいわよねえ。あなた女神でしょ? こんな面倒な状況になる前に、女神の力でどうにでも出来たんじゃないの? 異世界から転移させた人間を使わなくちゃいけない状況っておかしくない?」
目をそらすんじゃないわよ。
あなた、日本でネットに触れたのよね?
悪役令嬢と言えば、ラノベで人気があるもんね?
「私のことも本名じゃなくて、ペンネームで呼んでいたし……。いったい何をやらかしたの?」
「鋭い女は嫌われるわよ」
「そういう女だから、レティシアに選んだんでしょうが」
もう神様に対する態度じゃないな。
でも女神は気にしていないっぽい。
私の力が必要だから我慢しているのか、本当に力の強い人はそんな細かいことは気にしないのかはわからない。
どっちにしても、ここははっきりさせておかないと。
「そうね、これからあなたには頑張ってもらわないといけないしね」
髪をぱさって手で払って、ふふんって笑う女神はかわいかった。
さっきまではもっと女神らしい超越したような瞳で、ほぼ無表情だったのに、レティシアがいなくなった途端に格好をつけるのをやめたな。
「私の世界はね、もうずっと順調だったのよ。そうすると私がやることってあまりなくて暇なの。だからあなたの世界でネットゲームしていて、小説サイトを見つけてね」
女神が、ネットゲーム?
パーティ組んだ相手が人間じゃなかったなんて、誰も思ってないだろうな。
「それで小説を読み始めたら面白くて、新しく作る世界の参考にもなるかなって。あなたの小説もとても面白かったわ」
「それはどうも」
「だから私も書いてみたのよ」
「え?! まさか自分の世界の話を書いたの?」
「そうよ」
「実在の人物を使って?!」
「違うわよ。自分でキャラを作って書いたわよ。でも、そのキャラが現実に生まれてきちゃったの」
女神が作ったからでしょうが!
「他所の世界で書いた小説が、自分の世界に影響するなんて思わないじゃない。私の力って神々の中でも強いんですって」
「それって平気なの? 神にも決まりとかあるんじゃないの?」
「大丈夫だったら、異世界転移なんて考えないわよ」
「ですよねーー!」
「これが原因で、あの世界が崩壊したりしたら大変なのよ。失敗するわけにはいかないの」
それで私の態度なんて気にしていられないのか。
おだてても脅しても、なんでもいいから神獣の巫子の役目をさせないといけないんだな。
「そうよ! 失敗したら、また最初から勉強のやり直しになっちゃうのよ。それにあの世界を崩壊させたら、多くの人命が失われるのよ」
「……無事に結界が強化出来たらその後は自由なのよね」
「もちろん」
「死んだら、次は好きな世界に記憶ありで転生させてくれるのね?」
「約束するわよ」
「じゃあ、やろうじゃないですか」
「ホント?!」
というか、やらないという選択はないでしょう?
日本ではもう、レティシアが私に代わって生活を始めてしまっているんだから。
「レティシアは悪役令嬢なのね?」
「小説は削除したから好きにしていいのよ」
「でも聖女はいるんでしょ? その子がヒロインなんじゃないの?」
ああ、イケメンパラダイスなのはヒロインの相手役候補がたくさんいるせいなのか。
私もいちおうは神獣の巫子だから、イケメンとの接点があるんだ。
「まあ、恋愛なんてどうでもいいんだけどね」
「なんでよ」
「イケメンなんて浮気するに決まっているでしょ。離婚だ再婚だって話はごめんなのよ。地位と金さえ手に入れたら、あとはひとりで気ままに生きていくわ」
ちょっと、その気の毒そうな顔はやめてよ。
まずは代理復讐しないといけないのに、恋愛している余裕なんてないわよ。




