異世界でもプリンはおいしい
目を開けたら、芸術作品と言っていいような絵の描かれた天井が見えた。
青い空を鳥が飛び、木には葉が茂り、色とりどりの花が咲いている。
カーテンに明るい色が使われているのも、こういう絵が天井に描かれているのも、せめて部屋の中だけは明るくしたいって気持ちからなんじゃないのかな。
タッセル男爵夫人にこの部屋まで連れてきてもらって、ちょっと休むつもりがかなり長い間寝てしまった気がする。
あれからどうなったんだろう。
早く起き上がって誰かに確認しなくちゃって思うのに、体がだるすぎて動けない。
やばい。寝返りもきつい。
体中が痛い。
本来は死ぬ体を何日か分だけ時間を巻き戻して、ポーションで回復して、女神が魔法を一部開放してくれて、無理やり動かしていたのに、目覚めた当日にあれだけ動けばそりゃあ体だって悲鳴をあげるわ。
せめてもの救いは、この痛みが筋肉痛の痛みだってことだ。
そうかー。ポーションも魔法も筋肉痛とは無関係だったか。
筋肉は自分で育てるもんだもんね。
風呂に入ってマッサージして、ストレッチをしなくちゃ。
たしかタッセル男爵夫人が、用があったらベルを鳴らすようにって言っていた。
そのベルがすぐそこのテーブルにあるはず。
手を伸ばせば……。
「うぼおお」
十代の少女がこんな声を出してはいけない。
でもしょうがないじゃないか。腕が痛いんだよ。
うわあ、これは懐かしい痛みだなあ。
こんな筋肉痛は高校の強化合宿以来だ。
「うんしょ! いたた」
どうにか布団から腕を出すのに成功した。
この腕を頭の横にあるテーブルにまで移動するのがまた大変なんだ。
「お嬢様!?」
「え?」
「よかった。お目覚めですか! ヘザー、カルヴィン様にご連絡を差し上げて」
「はい」
ちょうどタッセル男爵夫人が、私の様子を見に来てくれたらしい。
足元から声が聞こえるけど上体を起こすのが大変。
体を横に捻るのさえすごい時間がかかるのよ。
私ってば、布団の中でうねうねしている芋虫みたいよ。
「お嬢様?」
ようやく視界の中に入ってきてくれたタッセル男爵夫人は、手にしていたお盆をテーブルに置いて身を起こすのを手伝ってくれた。
「いたたたた」
「どこか痛むのですか?」
「全身が筋肉痛で」
「ええ?!」
「ずっと寝ていたのに、突然動き回ったからだと思う」
「まあ。ではすぐにお風呂の御用意をいたしますわ。温めたほうがよろしいでしょう。カルヴィン様やダニーが剣の訓練で筋肉痛になった時に使用する湿布薬もありますよ。準備をしている間にスープはいかがです? 昨日、何も食べていらっしゃらないので、何か胃に入れなくては」
そう言えばそうだった。
目覚めてから何も食べていなかったわ。
「ねえ、あれからどうなったか知っている?」
「申し訳ありません。私はこちらにいましたので詳しくは存じておりません」
代理で復讐するなんてえらそーに言っておいて、全部カルヴィン任せって情けない。
映像を用意してくれたのはブーボとサラだし、騎士を動かして証拠を集めてくれたのはカルヴィンだ。
私がやったのは侍女長を殴っただけ。
立つのさえ一苦労のこの体をどうにかしなくちゃ、この先も何も出来ないわ。
でもどうにかなるものなの?
「すぐに御用意いたします」
どうにか身を起こした私の前に、病院で食事をするときにも使われるようなテーブルが用意された。
キングサイズのベッドより幅のあるキャスター付きのテーブルよ。それも豪華な金色の飾り付き。
そもそもキングサイズのベッドってふたりで使用するものよね?
それにこのテーブルを用意するシチュエーションって、夫婦が今日はゆっくりとベッドで朝ごはんでも食べようかって、いちゃいちゃする時よね?
今にも死にそうなやせ細った少女が、ちょこんと大きなベッドの真ん中に座って、テーブルの上には小さなスープの皿がひとつ。
寂しくて泣きたくなってくる。
いいや、こんなことで落ち込んでどうする。
この世界に来た当日に、あの屋根裏部屋を脱出してふかふかのキングサイズのベッドを手に入れた自分を誇ろう。
私に用意された居間と寝室のふたつだけで、日本で住んでいたマンションより広いんだから。
焦っちゃだめだ。
ちゃんと前進している。
「いかがいたしましたか? お口に合いませんか?」
タッセル男爵夫人に心配そうに言われて、慌てて首を横に振った。
お風呂の支度をしているふたりの侍女も、心配そうにこちらの様子を伺っている。
ここで弱っている様子を見せたら、あの御令嬢は先が長くないかもなんて噂になりかねない。
「昨日だけでもいろんなことがあったから考え事をしてしまっただけよ」
この国に、食事をする前の挨拶なんてない。
特に貴族は、料理人はおいしい物を作って当たり前だと思っている。
その分、厚遇で感謝は表しているからだ。
「おいしい。うー、空っぽの胃に染み渡る」
優しい味のポタージュだ。
かなり薄めに作ってあるので物足りないけど、生クリームも使われているんじゃない?
私は料理が出来ないんで知らないけどね。
「その言葉を聞いたら、クーパーが喜びます。今度こそお嬢様に料理を食べていただけるとはりきっておりましたよ」
「彼はずっと、私が食べていると思って料理を作ってくれていたんですものね」
「はい。リクエストがあればおっしゃってくださいね。きっと彼は喜ぶと思います」
「じゃあ、プリンがいいわ。ムースでもいい。一度には食べられそうにないから、二時間おきくらいに少しずつ食べてでも体力をつけたいの」
「それはいいのですが、甘い物ばかりではないですか」
呆れた声で言われたのでえへへっと笑ったら、タッセル男爵夫人も侍女たちも笑顔を見せてくれた。
普通の子供っぽい十六歳の少女って、こんな感じよね。
まあ、いくつになっても女の子は甘いものは好きなもんよ。
ぬるめのお風呂にしっかり浸かって、ふたりがかりでマッサージしてもらって、更にクリームも塗り込んでもらうという高級スパのようなラグジュアリなひと時を過ごし、ベッドの上でストレッチをしていたら、クーパーがプリンを運んできてくれた。
居間のテーブルの中央にはリボンで作られた花が飾られていた。
本物はこの国にはないから、造花の種類が豊富なんだって。
白いテーブルクロスの上にお皿がいくつも重ねられていて、その一番上にバニラアイス添えの小さなプリンが置かれている。
なんでこんなにお皿を重ねる必要があるのかはわからない。たぶん色が重なって綺麗なんだろうね。
でも私は体育会系で花より団子なのよ。
花の名前もよくわからないし、ファッションにも疎い。
ただ食べ物にはちょっとうるさいわよ。
「うわー、濃厚でおいしい」
女神が食べ物も日本を参考にして発展させてくれて本当に良かった。
食事が合わないって悲惨だよ?
「お口に合いますでしょうか」
「もちろん。この味は大好きよ。バニラも美味しい。はー、幸せ。また食べたいわ」
「よ、よかった」
ええええ。大の男が泣かないでよ。
「ちょっと、クーパーさん?」
「一度でも自分で料理を運んでいれば、もっと早くお嬢様の置かれた境遇に気付けました。でも私はそうしなかった。どのような物を作ったのか説明したり、感想や要望を聞くのも料理人として必要なことだったのに……申し訳なくて……」
「わかった。わかったから泣かないで。これから美味しいものをたくさん食べさせてよ」
「はい。お嬢様の食事も他の家族の方と一緒に作るようになると思いますので、私が料理を作れるのは今だけですが、一生懸命勤めさせていただきます」
「そうなの? ああでもそうね。私はすぐにこの屋敷を出ていくつもりだから、あなたの料理を食べられるのも今だけだわ。残念ね」
「「「ええええええ」」」
部屋にいた全員に驚かれて、私のほうがびっくりだ。
今までのレティシアの待遇を考えたら、あんな両親の傍にいたいと思うわけがないでしょう。
「賑やかね。なんの騒ぎ?」
部屋の扉を開けて姿を現したのは、侍女服から美しい黒いドレスに着替えたサラ……いや、サラスティアって呼んだほうがいいのかな。
「カルヴィンが廊下にいるんだけど、中に入れても平気?」
「大丈夫よ」
横に退いて先に部屋に入るように促したので、カルヴィンが横を通った時にサラスティアのほうが背が高いことに気付いた。
カルヴィンだってかなり長身なのに……。
「今日のドレスも似合っている。レティシアは明るい色が似合うんだね」
うわ、笑顔が眩しい。
それも昨日よりずっと親しみのこもった笑顔なのよ。
「ありがとう」
「食事中だったのか」
「うーん、休息中? 一度に食べられないから、何回にも分けて栄養を摂取しているの」
「そうか。体調は? 昨日よりはよくなっているのかな?」
カルヴィンとサラスティアは私を挟む位置に座り、ジーっと観察するように見てきた。
心配してくれているのはわかるけど、美形ふたりに見つめられながらではプリンを食べにくいよ。
「筋肉痛にはなったけど、他は問題ないわ」
「ああ、急に動き回ったからだね」
話をしている間に、てきぱきとカップと皿が置かれ、小ぶりなケーキが十種類も置かれた大きなお皿を持ってクーパーが戻ってきた。
カルヴィンたちはその中から好きなだけ選べるってこと?
「ええ? 私もケーキ食べたい」
「今日は固形物は我慢してください」
すかさずタッセル男爵夫人に止められてしまった。
「あなた、子供みたいよ。それより、さっきはなんの話をしていたの? 廊下にまで大きな声が響いていたわよ」
「私は体調が回復したらすぐにこの屋敷を出ていくよって話したらみんなに驚かれちゃったの」
「え?」
「そうなの? 予想できそうなものなのにね」
「……」
サラスティアとカルヴィンで反応が違いすぎて困る。
カルヴィンの表情が明らかに暗くなっている。
「カルヴィン、私は神獣様の巫子だからね、神殿に行って神獣様の力を取り戻さないといけないの。その後は聖女と結界の強化に行かなくちゃいけないって昨日も話したでしょ? 話したよね?」
「侍女長にそんなことを言っていたような気もする」
「あ、ごめんなさい。ちゃんと説明していなかった? 夢に出てきた女神さまは、私にはそういう役目があるからって命を助けてくれたの。だからちゃんと役目は果たさなくちゃ駄目なのよ」
「なんてことだ。せっかく会えたのに」
結界の傍は魔獣が出るし、闇属性の魔力が漏れ出しているんだっけ。
でも危険だからって放置してたら、この国は滅亡しちゃうよ。
「会えなくなるわけじゃないでしょ? 結界の強化が終わったら、郊外でまったり生活したいと思っているから会いに来てよ。私も遊びに行くわよ」
「……役目が終わっても戻ってこない気なんだな」
「侯爵夫妻に会いたくないしなあ。それにカルヴィンだって、そろそろ結婚相手を決めるお年頃なんじゃないの? 婚約者がいたり?」
「いない」
「今はいなくても、そういう話はあるでしょ? 私だって他人事じゃないわ。ここにいたら貴族たちがうるさそう」
神獣の巫子で女神の加護付きって、政略結婚の相手としては優秀だよね。
今まで魔力なしだって馬鹿にしていたやつらだって、手のひらを返してすり寄ってくるかもしれない。
「それに私、礼儀作法も貴族の付き合い方も全く知らないのよ。読み書きや計算はサラスティアやフルンが教えてくれたけど、地理も歴史も勉強したことないの」
「そうか、ダンスも踊れないんだな」
クラブで踊るダンスとは違うよね?
社交ダンスだよね?
無理無理無理。
周りの人にぶつかりまくって転ぶ未来が見えるわ。
「失礼します」
カルヴィンの横にダニーが歩み寄り、上体をかがめて耳元に顔を寄せ、小声で何か囁いた。
そういえば侍女たちがどうなったか聞くのを忘れている。
話さなくちゃいけないことが多すぎて、何を話したか忘れそう。
「おいしい、もう一個もらおうかな」
妖艶な見た目のサラスティアが、ケーキを嬉しそうに食べて、おかわりまでもらおうとしているのにほのぼのしてしまった。
そういえばフルンはどうしたんだろう。
神獣のところに行っているのかな。
「レティシア、クレイグが来ているんだがどうする?」
クレイグ? 誰だっけ?
「あなたの命の恩人よ。ラングリッジ公爵家の」
「ああ、何度も訪ねてきていたんだっけ」
サラスティアに言われるまで忘れていたわ。
「心配をしていたから意識が戻ったことを知らせたんだ。まさかこんなに早くやってくるとは思わなかった。……なんでここまできみにこだわるんだろう」
「サラスティア、何か知っている?」
「そうね」
頬張っていたケーキを飲み込んでから、サラスティアは楽しげに言った。
「会ったほうがいいわ。話を聞いたほうが、私たち全員のプラスになる」
「ふうん」
カルヴィンと顔を見合わせて頷き合った。
サラスティアがそう言うのなら会おうじゃないの。
味方は多いほうがいいもんね。