代理復讐の始まり 2
「黙れ! うるさい! あいつか。あいつが私を陥れたのか!」
一番うるさいのはあんただ。
私の境遇を知らなかった侍従や騎士たちの侯爵を見る目の冷たいこと。
それに気づかずにえらそうにしているこの男が父親だなんて、泣きたくなってくるわ。
「いちいち怒鳴るな。それも説明するより見た方が早いだろう」
背後からフルンの声がした。
「そうね。ブーボ、レティを王宮に送り出す場面もある?」
「それに関する会話は間違いなくある」
「映像を流すぞ」
ベッドやリネン類が少しだけ綺麗なことを除けば、レティシアの部屋は五年前も何も変わらなかった。
窓の外も今日と同じくどんよりとした天気だ。
「さすが伯爵が選んでくださったドレスですわ。なんて可愛らしい」
嘘でしょう。
侍女長ってオグバーン伯爵の前だと、あんな笑顔になるの?
話し方だってまるで違うじゃない。
「これなら王城でも恥をかかないだろう」
兄弟だから当たり前だけど、オグバーン伯爵は侯爵によく似ていた。
侯爵から眉間の皴を取り、口角をあげて微笑んでいるような表情にさせると伯爵になる感じだ。
レティシアはあのうすら笑いが嫌いだったんだよね。
目が笑っていないサイコパス風な微笑だから不気味なのよ。
実際、オグバーン伯爵は優秀ではあったけど、人の気持ちの機微に疎い人だと思う。
「レティ、いつまでもこの部屋に閉じ込められていてはいけないよ。きみは王妃様に面会を許される令嬢なんだ。魔力さえ手に入れられれば、生活は一変するんだよ」
五年前だとレティシアは十一歳だ。
意外なことに幼い顔はそれほど痩せてはいなくて、子供らしく肌がすべすべしている。
おかげで長い睫に縁取られた大きい黒い瞳の、それは可愛らしい子供に見えた。
ただしドレスがひどい。
話の流れ的にこれは、オグバーン伯爵のプレゼントなのよね?
派手なピンクに薄桃色のレースがこれでもかってほどにあしらわれていて、そこに赤いリボンまでついている。
髪もツインテールにして大きな赤いリボンをつけられていた。
「私ならきみを助けてあげられるよ」
「……お父様は……王城に招待されていることを知ってるの?」
「……もちろんさ。でもきみに興味がないみたいでね。そうだ。今度、国王陛下にも会わせてあげよう。陛下もきみを心配していらっしゃるんだ」
侯爵もクソ野郎だけど弟の方もひどいな。
神獣と同じ無属性の力を持つ子供を手に入れるために、随分と陰険なことをするじゃない。
「まともな食事ももらえていないだろう? ほら、今日もたくさん食料を持ってきたよ。侍女長にしっかりたのんでおいたから、ちゃんと食べて大きくなるんだ。また食事を奪われてしまったんだろう? 侍女長、この屋敷の使用人達はどうにか出来ないのかね。レティは大事な姪なのに」
「私も気を付けてはいるのですが、侯爵と奥様がお嬢様のことを家の恥だと言うのを使用人達は耳にしておりますので、私の意見はあまり聞いてもらえないんです」
あー、なるほど。
両親に愛されていないということをしつこく言い続けて、味方はオグバーンだけだと思わせようとしていたのか。
レティシアがオグバーンに懐かないと、いざ神獣の前に連れて行った時に何を言い出すかわからないもんな。
彼だけは自分を助けてくれた人だから、許してあげてくださいとでも言わせる気だったのかね。
うええ……陰険なやつ。
「伯爵、そろそろお時間が」
開けられたままだった扉をノックして、執事が声をかけてきた。
「そうか。レティ、行こうか。今日は私が一緒に行くから心配いらないよ。王妃様は優しいお方だからね」
執事の姿もしっかりと映してくれているブーボは優秀だ。
執事もオグバーンが相手の時には、侯爵相手の時とはあからさまに態度が違う。
彼らはオグバーンを主と思い、侯爵のことは内心馬鹿にしていたんだろう。
自分たちもオグバーンに利用されていたのにね。
カルヴィンは映像が終わってカーテンが開かれると、すぐに騎士団長と会話を交わし、ふたりの指示を受けた騎士たちが慌ただしく食堂を出て行った。
侯爵夫妻は今まで知らなかった事実を突然一度に知らされて、怒りに身を震わせるばかりで動けない。
貴族社会で迫害されていたのが、国王とオグバーンのせいだったというのは衝撃なんだろう。
だって国王だよ?
この国の最高権威者だよ?
普通なら泣き寝入りするしかない。
でもそこに神獣の巫子で女神の加護を受けたチートの登場よ。
まずはこの屋敷の人間に復讐しなくては。
侯爵令嬢がどういう態度をするのが正解かなんて私にはわからない。
でも、悪役令嬢モノの小説や漫画はいくつも読んだから大丈夫。
だってここ、あの女神の世界だし。
扇を開いたのはいいけど、どう使えばいいかわからないので無駄にひらひらさせながら、侍女長の傍に歩み寄る。
彼女が崩れれば、レティシアに嫌がらせしていた侍女たちなんてどうとでもなるわ。
「ねえ、侍女長? オグバーンが持ってきたあんなに多くの食料やドレス、宝石はどこに消えたのかしら。それに侯爵家には私のための予算が用意されていたそうね。毎年使い切っていた割に、私は寝間着すら持っていなかったのはどういうこと?」
私が自分から侍女長に近づいたことが、侍女たちにとっても侍女長にとってもあまりに意外だったようだ。
たぶんレティシアは怖がって、視線を合わせられずに俯いていたんだろう。
部屋の隅で震えていたかもしれない。
「ああ、横領していたって映像の中のあなたが話していたわね。平民の侍女たちが侯爵家のお金を横領して、しかも侯爵令嬢に食事を与えず殺そうとしていた。ねえサラ、どんな処罰が下されるべきだと思う?」
「全員処刑されればいいんだわ」
復讐したいサラとしては、当然そう答えるよね。
私も復讐をすると決めたときから、覚悟は決めている。
「あなたは……別人のように見えるわ。なんでそんな」
ああ、そうだった。
眷属を除けば、侍女長が一番レティシアと一緒にいる時間が長かったんだ。
以前の彼女がどんな子だったか、彼女や下級侍女たちは知っているんだったね。
「そりゃあ別人のようにもなるわよ。私ね、川に突き落とされたの。知ってる? 雨の日の空はこんなに暗いけど、川底はもっと暗いのよ。そして冷たいの。体の奥まで骨の髄まで凍える冷たさなの」
どこかうっとりしているような微笑を浮かべながら話して、侍女たちひとりひとりの顔をゆっくりと順番に眺めていく。
「ひい」
せっかくリムが起こしたのに、屋根裏で捕まえた侍女たちはまた気を失ってしまった。
失礼だな。
「魔力がないというだけで何をしても許されると思っていたのよね。耐えて耐えて耐えて……でも、何もやり返さないと余計に暴力はひどくなるのよ。ここまでやってもまだ大丈夫って思うんでしょうね。水の中で私は、耐えたことを後悔したわ。そしてこの世界の全てを憎んだ。でもそこで女神の声が聞こえたの」
私が言葉を切っても誰もしゃべらない。
私に存在を気づかれたくないとでも言うように、誰もが息を潜めていた。
「あなたに加護を与えて元気にしてあげるから、神獣様の力が弱まっているから回復して、聖女と協力して結界を強化してくれって。ひどいでしょ? この世界を憎む私に、この世界を守れっていうのよ? だから私は女神に願ったの……復讐を」
決まった。
笑みを引っ込め、真顔で侍女長に更に近づいていく。
この演技なら女優になれるかもしれない。
「自分のことしか考えられない愚かなあなたが、何を望んでいたかあててあげましょうか?」
互いの手が届く距離で足を止め、あざけりを込めた顔で笑って見せた……つもりだけどよくわからない。
自分の顔は見えないからね。
痩せて死にそうな顔だから、幽霊になって出てきそうな呪いを込めた顔に見えたかもしれない。
「オグバーンは若い伯爵令嬢と再婚するそうよ?」
「う、うそよ!」
侍女長は、頼りにしていると甘い声で言われ続けて、すっかり舞い上がっていたのよね。
だからオグバーンが私ばかりに優しくするのが気に食わなかった。
「あの野心家の男が、平民の、しかも行き遅れのあなたと結婚すると本気で思ったの?」
ぐさっ!
内心、ブーメランで心が痛い。
うっさいわ。
女性の適齢期はいくつまでなんて余計なお世話だ!
「このっ!」
煽られて逆上した侍女長は、右手を高く振り上げた。
叩くと相手に知らせて怯えさせるには、そうやって振りかぶるのは正しくても、避ける気満々の相手には軌道が予測できるからやめたほうがいいわよ?
「レティシア!」
「きゃあ!」
カルヴィンの声と侍女たちの悲鳴が聞こえる中、私は殴りに来た侍女長の手首の内側に左手に持った扇を当て、勢いを殺しながら大きく一歩踏み出した。
狙うのは当てやすい顔の中心の人中(鼻のすぐ下、唇の上)。
やりすぎると致命傷になる急所だけど、レティシアの腕力なら大丈夫だろう。
あ、身長差があるから下から斜め上に攻撃するしかないのか。
しょうがない。どこでも当たればオッケー。
拳を素早く突くべし!
「うが……っ!」
「いたーい」
防御バフをかけても痛いもんは痛かった。
でも、前歯を二本くらい折ったかもしれないのに、こっちは無傷よ。
侍女長は鼻血を吹きながら後方に倒れたから、鼻の骨も折れたかもね。
私が書くとヒロインが強い女の子になってしまうので、いっそ徹底して強い子にしようと思ったら、物理攻撃的に強い子に……。