中身が入れ替わった悪役令嬢 1
「起きて」
遠くで誰かの声がする。
でもまだ眠くて目を開けたくない。
微かに感じる風が心地よくて、このまままどろんでいたい。
「ねえ、起きて」
いや、遠くじゃない。すぐ近くだ。
女の子の声?
おかしい。私は一人住まいだ。
たとえ無害そうな幼い声であっても、部屋に他人がいるのはありえない。
それに、玄関には鍵を三個もつけている。女の子がひとりで部屋に侵入できるわけがない。
そう思ったら一気に目が覚めた。
いざというときのために枕元に置いてある木刀に手を伸ばす。
小刀だけど室内ならこれが使いやすい。紫黒檀を使ったお気に入りだ。
(あれ?)
私の木刀はどこにいった?
まずい。相手に奪われたか。
だったら素手で殴るしかない……ってこの足はなに?
少し小さめの女性の足だ。
白くてマメや魚の目どころか、傷ひとつない。
顔をあげていくと淡く発光している白いドレスが見え、身を起こし座りながら更に視線をあげた先には、驚くほど整った少女の顔があった。
「私……死んだのか」
「なんでよ」
「天使が迎えに来たんでしょ?」
「天使じゃなくて女神よ」
「すごーい。親玉が迎えに来てくれたんだ。ありがたい」
他人から見れば、かなり不幸な人生だったもんな。
そのくらいのサービスはあってもいいのかも。
必死に生きてきて、やりたいことはそれなりに出来て、他の人のような幸せとは縁遠かったけど充実した日々を過ごしてきたつもりだ。
でも、もうそれも終わりなのね。短い人生だったな。
「拝むのはやめてくれない?」
あ、無意識に手を合わせていた。
女神に仏教は関係なかった。
ここは……ジーザス?
「それはキリストでしょ」
「そうか。キリスト教は一神教。じゃあ女神って? ローマ神話? あれ?」
「私は女神セラフィーナ。創造神のひとりよ。あなたにとっては異世界の神になるわね」
「異世界?! 異世界……まさか邪神?!」
「こんな変な子だったとは。自分の世界じゃないから細かいことまでわからないのがめんどうね。いえ、変人のほうがいいのかもしれない……」
なんか非常に失礼なことを言われている気がする。
一部の二次元ロリ受けしかしなそうな少女の女神が、他人を変人呼ばわりはないわ。
「あなた、それが女神に対する態度なの?」
「はっ! 考えていることがわかる?!」
「女神だからね」
腕を組んでふんぞり返っている気の強そうな少女は、たぶん小学校の四年生くらいだと思う。
外人の子供に会う機会がないからよくわからないけど、海外のドラマに出てくる子供の見た目的に考えてそのくらいだ。
ドレスだけでなく、透き通るように白い肌も艶やかなハニーブロンドの髪も、ぼんやりと発光エフェクトがかかっているように見える。
長い睫に縁取られた目は大きく、瞳は鮮やかなブルーだ。
完璧な線を描く唇は艶やかで、子供なのにスタイルがいいし、どことなく色っぽさもあるんだからすごい。
「いろいろと褒めてくれてありがと。でもいい加減現実逃避から戻って来て。前もって言っておくけど、夢じゃないからね」
「夢じゃない? じゃあやっぱり死んで……」
「いません!」
そうは言われてもねー、周囲を見回しても霧で視界が悪くて、ふわふわの床と発光している美少女以外は何も見えないのよ?
家具も照明もないのに、少女の纏う光のおかげで空間の明るさが保たれているっておかしいでしょ。
手足を動かして、どこにも痛みがないことを確認してから立ち上がったら、少女は身長が低いから見降ろしてしまった。
偉い人を見降ろすのはやばいはず。
素早く膝をついたら、少女は満足げにほほ笑んだ。
「ずいぶんと簡単に私が女神だと信じたわね」
「気配を消せる小学生なんて嫌だし、考えていることがわかる人間なんていないでしょう」
「うふふ、私の選択は正しかったようね。あなたが古賀由紀で間違いないわね?」
「はあ」
古賀由紀はペンネームだ。
リアルの友人には話していないので、その名前と私を結び付けられる人はいないはず。
「ネットに小説を投稿している古賀由紀よね?」
「はあ……まあ……」
でも女神ならそのくらいは、簡単にわかるんだろうな
「両親が再婚して、あなたは父方の祖父母に育てられたが、高一の時に他界。ふたりの残した遺産と、母方の祖父母が生前贈与した財産で一人暮らし。一流大学を卒業して今は大手企業に就職。両親の新しい家族は自分たちの遺産の取り分が減ったことで、あなたの存在を憎く思っている」
「ストーカー?」
ダブル不倫の末の離婚だったから、激怒した両方の祖父母が両親と縁を切り、財産をほとんど私にくれたため、再婚して生まれた子供より私のほうが金銭的には恵まれてしまったのよ。
いいマンションに住んで、いい大学を出て、いい会社に就職したことで、私の両親だった人たちは複雑な心境のようだ。
正直、ざまあみろって思うわ。
「護身術と剣道を学び、かなりの腕前。健康状態は良好。女性の平均よりたくましく、生活は安定」
「何の調査ですか」
「レティシアの第二の人生にふさわしいかどうかの調査よ」
「レティシア? 誰ですそれは。それに第二の人生ってなに? 私をどうするつもり?」
「落ち着きなさい」
子供に落ち着きなさいと言われると違和感しかない。
でも、苛立ちに目を細めて私を見下ろした自称女神の表情は、子供らしさどころか人間らしさが全くなかった。
「私ね、神々の中では一番年下で、まだ生まれてそれほど経っていないの」
「はあ」
「ちゃんと聞いているの? 重要な話なのよ」
寝起きにこの状況で、すぐに脳みそをフル回転させろって言われても無理があるでしょう。
でも何が起こっているのか理解するのは死活問題なので、その場で胡坐をかき、両手で頬を何回かバシバシと叩いた。
「よし! 話の続きをどうぞ」
「……女の子らしさ皆無ね」
大都会で女子高生の頃からひとりで生きてきたのよ?
お金の問題が関わると人は見境がなくなるし、世の中には危ない男がたくさんいるの。
目を付けられたくないから髪をショートにし、護身術を学び、剣道を始めたおかげで、変態だけでなく一般男性も寄ってこなくなったわ。
「創造神の仕事は世界を作り、多くの生物を繁栄させることよ。そうすると世界に様々なエネルギーが満ちるでしょ。私達はそのエネルギーを得て力に変えているの」
「はあ……」
「私は一番若いってさっき話したでしょ? 神は永遠と言っていいほど長命だから、新しい神が生まれるのなんて何千年に一度くらいの話なのよ。だから、他の神々はみんな私のことをとても可愛がってくれるの」
孫に群がるジジババみたいなものか。
「あなたね、神に対して失礼よ」
「思うくらいは許してくれませんかね。口には出していないでしょう」
「ったく、まあいいわ。あなたにはこれから苦労をかけるんだから」
「え?」
「それで、私も新しい世界を作らなくちゃいけなくて」
「今苦労をかけるって」
「黙って話を聞きなさいよ」
だって、神様って言われてもね。
八百万の神様ならまだしも、女神ですって金髪幼女が出てきても日本人の私にはピンとこないのよ。
せめて仙人みたいな見た目の人を連れて来てくれないかな。
「世界を作るって言ったって、すぐにうまく出来るものではないのよ。小さな世界から初めて、失敗の中から学んで、ようやく哺乳類が生活出来る世界を作れるようになったの。あなたの住む世界を作ったのはベテランの神様だから、参考にしていいよって言ってくれて、自由に過ごす許可をくれたの」
「はあ」
「ネットは便利ね。いろんなことを学べたわ」
あ、嫌な予感がしてきた。
神様になりたての女神が、他の神様の世界の人間の事情なんてわかってないでしょ。
ネットで学ぶって、何をどうやって学んだのよ。
「小説をたくさん読んだわよ。アニメも見た」
あああああ。そんなことだと思ったよ。
「創作物と現実をごっちゃにしちゃ駄目でしょう」
「そう? こんなに異世界物が流行るってことは、今の文明社会じゃなくて、魔法が使える自然豊かな世界で生活することに、憧れている人がたくさんいるってことでしょう? 転生するならファンタジーの世界でのんびり暮らしたいってネットの書き込みを、何回も見たわよ」
「まあ……確かに憧れている人はいるでしょうね。つまり、あなたの作った世界はファンタジー小説や映画に出てくるような世界なのね」
「そうよ。私の作った世界には魔獣がたくさんいるの。人間が住む地域と魔獣の棲む地域の間には結界が張られていて、人間は安心して暮らせるの」
「……結界って、破られるパターンが多いのでは?」
「それでね!」
あ、誤魔化そうとしてる。
「その世界には神獣と聖女がいるのよ」
そうかー。聖女が登場しちゃうのかー。
ゲームでもアニメでも小説でも、聖女の出てくる話は多いもんなあ。
「馬鹿にしているでしょ」
「そんなことはありません。それにモフモフは好きです。神獣がいるのは素晴らしい」
「よかった。あなたにはレティシアになって、神獣の巫子としての役割をこなしてもらうわ」
「…………」
何を言ってるの?
レティシアになる?
異世界に行くってこと?
「なんで私が?!」
「異世界の小説を書いているんだから、順応しやすいでしょ?」
「小説を書くのと自分が行くのとでは違うでしょ?! 無茶言わないでくださいよ」
「それに複雑な家庭環境で生活しているから、レティシアの気持ちもわかるんじゃない?」
つまりその神獣の巫子? よくわからないけどその子は複雑な家庭環境にいるのね?
冗談じゃない! 異世界にまで行って、家庭の問題で苦労したくないわよ!
「本人にやらせればいいでしょうが」
「出来ないから困っているんじゃない」
「なんで出来ないのよ」
「彼女がレティシアよ」
神の視線を追って振り返ると、いつの間にかすぐそばに女性が座っていた。
ともかく細い。
街ですれ違ったら手足の細さに驚いて振り返ってしまうだろう。
頬がこけているせいで老けて見えるけど、たぶん十代だ。
病的なほどなのに見ていて不安にならないのは、黒髪が艶やかで肌が綺麗だからかな。
これだけ痩せているのに、栄養は足りているってこと?
「彼女の暮らす国は最近、魔力が強い者が優れた人間だという妙な考えが蔓延しているの。彼女の生まれた家は神獣を世話し守る役目を担っている侯爵家で、代々ランクSの魔力を持つ者ばかりが生まれていたわ。そんな家は他にはないのよ。嫁いできた嫁もランクS。でも、結婚してしばらく経ったら、家族全員の魔力が徐々に弱ってしまったの」
女神の説明をちゃんと聞かないといけないとは思うんだけど、横に座っているレティシアが気になってしまう。
今にも倒れちゃいそうなのに、このままにしておいていいの?
「そして生まれた長男のランクがB。魔力の弱まった家が神獣の世話係を独占するのはおかしいと、神獣省の責任者の任を解かれたあとに生まれたのがレティシアよ」
「彼女の魔力は?」
「なしと判定されたわ」
「うわあ……」
「それで家族から見捨てられて、つい最近は殺されかけたのよ」
「お、重い話ね」
俯いておどおどしているのは、迫害されていたせいなのかな。
暴力を受けたりしたんだろうか。
「心配しないで。本当はランクSの魔力持ちだから。彼女の力は無理やり封印されてしまっているの。その影響もあるし迫害されていたこともあって、こんなに瘦せて体力もないのよ」
「心配するわよ。そんな大変な境遇の子と入れ替われっていうの?! 嫌よ!」
「女神の決定に逆らえるわけがないでしょ。それに何もおとなしくやられる必要はないのよ。好きに暴れてかまわない。レティシアの代わりに復讐するのはどう?」
なんで会ったばかりの他人の復讐を代行しなくちゃいけないの?
私には損しかない話じゃない。
「レティシア。前に話した通り、あなたには新しい生活を用意したわ。今までつらい日々を送ってきた分、新しい世界で自由に生きるといいわ」
「で、ですが……彼女に……申し訳なくて……」
意外。
自分の意見なんて発言する勇気もないような子だと思ったのに、女神相手に話ができるんだ。
「巫子としての仕事をするのは彼女の役目だから、あなたが気にすることはないわ。あんな屋根裏部屋ではなくて、広い家に住めるわよ。それにこれが重要なんだけど、あっちの世界には魔法がないの」
「え?」
驚いて顔をあげたレティシアの横顔は綺麗だった。
骨格が整っているんだろうな。
鼻筋や顎の線が美しいし、全体のバランスがいい。
もう少し肉がついたら、それなりの美人になるんじゃない?
少なくとも地味で平凡な私の顔よりは、格段に美人だ。
「それに強い体を手に入れるから、走れるし、なんでも食べられる。旅行だって行けるわよ」
え? レティシアは走れないの?
食べる物も限られている?
「ちょっと!」
「あなたなら鍛えればすぐに健康になるし、食べられるわよ。ちゃんと考えているから大丈夫よ」
この女神、レティシアと私に対してと態度が違いすぎるだろ。