自主企画・本日のトレンドワード 『ウルフムーン』
1月の満月はウルフムーンと呼ばれる。
この時期に満月が浮かぶと、狼たちが喜び勇んで吠えまくるからだ。
年始最初の満月だからなのか。
冬の凍てつく空気がそうさせるのか。
なんにせよ、1月の満月には俺たちの野生に訴える何かが潜んでいる。
ゆえに、人狼協会は「ウルフムーン」を祝日に定めている
普段抑えた己の姿をさらけ出す、解放の夜。
俺たち人狼が唯一、人狼らしくいられる夜だ。
※
北海道・某所。
俺は冬の森をさ迷い歩いていた。
今夜はウルフムーン。宴の夜だ。
宴はいつも人間が立ち入らない森の奥で執り行われる。
日本においては、ここ北海道で行われるのが伝統となっていた。
俺たち人狼は希少種だ。
こんな機会でもなければ、同胞が集う機会なんてめったにない。
普段は人間たちの中で肩身が狭い暮らしを強いられている。
きっと、みんなそれぞれ苦労を背負っていることだろう。
人間たちの昔話じゃ悪役にされてるけど、いまじゃ人肉を食べる人狼なんていやしない。
この1年間で一番食った肉といえば、松〇の牛丼あたりかもしれない。
だからこそ、今夜は思いっきり野生に帰るのだ。
人間の牧場から分捕ってきた羊を全力で追いかけまわしたり。
狼の姿に変身して、思いっきりじゃれ合ったり。
そしてなんといってもあれだ。
みんなで揃って、満月に向かって吠える。
これが最高に気持ちいいのだ。
ウルフムーンの夜にのみ許された、俺たちだけの祝宴。
ああ、会場に着くのが待ちきれない。
そんなことを考えたときだ。
とある匂いが俺の鼻を刺激した。
つんとした軽い刺激を宿した独特の香水に混ざる、かすかな獣臭。
人狼はまわりの人間たちに正体を気取られないよう、細心の注意を払う。
香水によるカモフラージュは鉄板中の鉄板。
特にこの匂いは最近、人狼のあいだでもトレンドになっていると聞く。
俺も先週あたりからつけ始めていた。
間違いない。同胞の匂いだ。
会場に、同胞たちが集っているのだ!
やっべ、テンションあがってきた!
自然と駆け足になる。
宴の気配が近くなり、全身の血流が熱くなってくる。
もう二本足で走るのがじれったい!
いっそのこと、狼に変身して全速力で会場に乗り込んで――
「あー、兄ちゃん、兄ちゃん。ここでなにしてんの?」
いきなり背筋に冷たいものが走った。
人間の匂い。かなり近い。
迫る宴に浮かれすぎて、全然気づいてなかった。
「こんなところ、一人で歩いてたら危ないよー。
迷ったら、どうするんだい?」
人懐っこそうな顔のおじさん。
年の頃は50手前、脂の匂いが濃いお年頃。
肩にはライフル銃を背負っている。
間違いない。猟師だ。
俺は恐怖で引きつりそうな顔に笑顔を張り付け、返事をした。
「あ、すいません。ちょっと、ここら辺を散歩してまして……」
「散歩? こんな真冬の夜の森で?
命知らずだねぇ、風邪ひいちまうよ」
「ご心配なく。慣れてますから。
はははははは」
俺たち人狼にとって猟師は天敵、いや、トラウマそのものといってもいい。
なにしろあいつらは寝ている同胞の腹を平気で引き裂いて、石を詰め込んで川に溺れさせる悪魔のような連中なのだ。
子供の頃、「赤ずきん」の話を聞いて泣かなかった人狼がいたら会ってみたい。
俺は死ぬほど泣いた。
だからだろう。
人狼の実在を知る人間なんてほとんどいないことは百も承知なのに、猟師と対面すると口の中がカラカラに乾きそうになる。
さっさと話を切り上げてしまいたい。
早くしないと宴が始まってしまう。
「そろそろ僕も帰りますから。それじゃあ、この辺で……」
「待ちなさい」
おじさんが俺の肩をたたく。
一瞬、値踏みするような目つきをしてから、にたーっと人のいい笑顔を浮かべた。
「今夜はもう遅い。近くに車を停めてるんだ。
よかったら、家まで送っていくよ」
「えっ、いや、大丈夫です。
歩いて帰れますから……」
「まぁまぁ、そう言わずに」
俺が振りほどこうとしても、おじさんは肩を離してくれない。
なんでだ?
「いやね? おじさんさ、すぐそばで牧場をやっててね。
牛とか、鶏とか、いろいろ家畜を飼ってるんだけど」
「はぁ」
「そしたらさぁs、こないだ
うちの大事な大事な羊がいなくなっちゃってさぁ」
肩をつかむ力が一気に強まる。
俺は何も言えない。おじさんと目を合わせることもできない。
「それも一頭じゃない。一昨日は二頭、昨日はさらに三頭も……。
ああ、そうそう。なぜか現場には妙な香水の匂いもしたんだけどさぁ」
おじさんは鼻をくんくんと動かす。
人間の嗅覚なんて俺たちと比べればミジンコみたいなもんだ。
それでも、おじさんは大事なにおいをちゃんと嗅ぎ当てたようだ。
「うん、やっぱり。
兄ちゃんのつけてる香水もおんなじ匂いだね?」
おじさんの目つきが悪魔の目になった。
狼の腹を引き裂いて石を詰め込む、悪魔の目……!
「ち、違います!
羊泥棒なんてしてません!」
「まぁまぁ。まずはあったかいところへ行こうか、兄ちゃん。
無実かどうかは警察がちゃんと調べてくれるよ」
「待ってください!
俺にはこれから、大事な用が……!」
「……さっきはただの散歩だって言ってたよね?」
墓穴堀った!
もうおしまいだ~~~~!!!!
「田中さん、どうしたんですかい?」
「あっ、ゲンさん!」
道の向こうから現れたのは、ひょろりした爺さんだった。
眼光の鋭さはおじさんの比じゃない。
年季が入ってそうな猟銃を肩に背負っている。
「ちょうどよかった!
いま、例の羊泥棒を捕まえたもんで!!」
「羊泥棒? この若造がか?」
「そうだよ! 香水の匂いがぷんぷんしやがる!
いまから警察に突き出して、こいつをぶっ殺してもらわないと!」
おじさん、警察をなんだと思ってるの!?
「まぁまぁ、落ち着けって田中さん。
この若造には、俺も用があったのさ」
「えっ、ゲンさんもなにかやられたのかい?」
「ああ。ちょいと、迷惑をこうむったもんでね」
ゲンさんは射貫くような目で、俺をにらみつける。
人間の姿のままなのに、全身が総毛だつような感覚がした。
ゲンさんの迫力に、おじさんも当てられた様子。
「ここは、俺に任せてくれるかい?
田中さんの分のけじめは、きっちりつけさせるからよぉ」
「でも……」
「心配しなさんな。悪いようにはしねーさ。
田中さんもそろそろ戻らねーと、カミさんに叱られるだろ?」
おじさんは迷ったが、やがて首を振りながら俺の肩を離した。
「ゲンさんには敵わないな……。
じゃあ、あとは頼んだよ」
そういって、おじさんは去っていった。
あとに残されたのは俺と、猟銃を背負ったゲンさん。
しばしの沈黙ののち、ゲンさんは口を開いた。
「――ったく。猟師ごときにビビってんじゃねーよ。
だらしねぇなぁ、近頃の若い狼ときたら。」
「……ありがとうございます、助けていただいて。
猟師に化けてる同胞なんて初めて見ました」
「この格好なら、多少匂いがしても気にする奴はいねーしな。
香水なんかでごまかすから、無駄に絡まれるんだよ」
ゲンさんは一切カモフラージュの香水をつけていないらしい。
おかげで純度100%の獣の匂いがプンプン漂っている。
一目見たときから気づいていた。ゲンさんが同胞であることに。
それも、俺たちよりもずっと年上の世代だろう。
「ま、宴には間に合いそうでよかったよ。
今晩くらい騒がねーと、年明けって感じもしねーだろうしな」
「ゲンさんもこれから宴ですか?
いままでお見かけした記憶がないですけど……」
「ああ、宴に出るのなんざ数十年ぶりよ。
一番の楽しみだったクマ狩りが取りやめになっちまったからな」
さすが昭和世代。
羊で満足してる俺たちとはレベルが違う。
「……とはいえ、最近は知った顔もだいぶいなくなったしな。
会える奴らには今のうちに会うのもいいだろうと思ってよ」
ゲンさんは淡々と呟く。
俺は何を言えばいいかわからなかった。
俺たち人狼は希少種だ。
人間よりも寂しがり屋の癖に、群れることは嫌う。
そういう厄介な生き物が俺たちだ。
人狼の数は年々減少している。
遠からず人狼は地上からいなくなるだろう。
まだ俺は年若いが、いずれはこの孤独を分かち合える同胞もいなくなる。
だから、1年に1度の宴に集うのだ。
寄る辺のない孤独を、少しでもいやすために。
どこからか咆哮が響き渡った。
満月の夜を引き裂くような同胞の遠吠え。
「始まったみたいだな」
ゲンさんはにやりと笑って、猟銃を捨てた。
俺も笑い返しながら、スマホをぽいと投げ捨てる。
「会場までひとっ走りするか。
お前もうずうずしてしたかないだろ?」
「当然ですよ……」
「ははっ。やっぱり狼は、そうでなくちゃなぁ!」
どちらともなく俺とゲンさんはいっせいに駆け出した。
靴を脱ぎ、ソックスを脱ぎ、上着を脱ぎ、シャツも、ズボンも、パンツも脱ぎ。
しまいには、人間の姿も解いた。
地面を直にふみながら、俺たちは駆ける、駆ける、駆ける。
まばゆい月光の祝福を浴びながら、俺とゲンさんは存分に吠えた。
この地上でしぶとく生きる我ら人狼の歓喜を轟かせるために。
1年に1度だけ、俺たちが俺たちであることを許される、解放の夜。
ウルフムーンの宴はまだ始まったばかり。
当日中に投稿したかったのに、初回から思いっきり遅刻したんだぜ……。