リグレットの悪足掻き①~リアン視点~
出来立ての紅茶から発生している湯気をぼんやりと眺める自分の顔が琥珀色の水面に浮かんでいる。今いるのはアウムルの私室。極限られた人間しか入れないこの部屋は幼い頃から訪れているので既に見慣れている。王族でも入れないのはリグレットくらいだ。
昔、アウムルと遊んでいたところにリグレットが来て退室を求められても頑として出ようとしないのをアウムルが自身の護衛騎士を使って強制退室させていた。後で国王に叱られたと聞いたが愛娘の悲しむ様を見たくなければ、王太子の部屋への出入りをリグレットに禁じろと王妃が進言し、以降は来ていない。
保健室で休ませたフィオーレは結局そのまま眠ってしまった。体力的にというより、精神的負担が大きく体が強制的に休ませようとしたのだろう。
眠る直前にフィオーレが紡いだ言葉の意味を考えてしまう。
『リアン様……貴方が好きです……』
意識的……じゃないな、きっと無意識に口にしたんだ。
好きな人がいると言うわりにキスもそれ以上の事も拒まない。細い腕に背を回され、潤んだ紫紺色の瞳に思慕の情が浮かんでいるのを見た時は喜びが勝った。後から冷静になるとやっぱり訳が分からなくなる。
考えて浮かぶのはリグレットの件ともう1つ、フィオーレの持つ『予知夢』の力くらい。
「怖い顔してるとフィオーレ嬢に怯えられるぞ」
「ムル」
考え込んでいる間にもムルは来ていて、俺の前に座ると無意識に皺を寄せていた眉間を指で触れられた。
「フィオーレ嬢はあの後どうした?」
「気付いたら寝ていた。馬車を手配して、エーデルシュタイン伯爵家に送り届けたよ。伯爵や夫人には事情を話してある」
「知ってるよ。伯爵が父上に謁見を求めていた。その時はそれどころじゃなかったけど」
「今は?」
肩を竦め首を振ったムルに今もそれどころじゃないと知れる。ティーカップに手を掛けたムルが話を始めた。
「今謁見の間では父上とリグレット、愛人の今後についてオルトリウス様が先王陛下の遺言に従って説明をしている最中だ。正式な決定は明日議会を開き、議論の後決められる」
「隣国の王族がこの国に来ていたのはこの為だったのか?」
「万が一だよ。元々はアウテリート嬢の様子を見に来ていた、というのが理由らしい。お祖父様が危惧していた通りに育った父を見て呆れていたな」
議会の決定によるが陛下の今後は幽閉一択。場所が何処になるかはこれも議論次第。罪を犯した王族を幽閉するのなら、北の塔が妥当だろう。日当たりは悪く、設置されてある家具も簡素な寝台とテーブルだけ。食事は朝と夜の2回だけ。話し相手もいず、読書さえ許されないそこでは何もしない、出来ないという表現が正しい。
ただいるだけの空間は時が経つにつれ苦痛に変わり、軈て精神を衰弱させゆっくりと死んでいく。長期的に時間を掛けて殺すか、処刑して一瞬で殺すか。どちらが楽かと問われれば多分後者だろう。
「リグレットや愛人は?」
「どちらも父上と同じく幽閉だ。去勢処置も施す。勿論リグレットもだ」
「そうか」
「リグレットや父上がいなくなれば、取り敢えずリアンも安心するだろう?」
フィオーレの真意はともかく、エーデルシュタイン伯爵が今までフィオーレに話さなかったのは父にも言われた通り、リグレットの存在があったからだ。だが今日でもう国王からの圧力やリグレットの戯言に振り回されるのも終わる。
「お前の長い片思いが実ればいいな」
「……そうだな」
少し温くなった紅茶を喉に通し、明日フィオーレと話をしようと決めた。
「なあ、ムル」
「どうした」
「エーデルシュタイン家の『予知夢』については知ってるよな?」
「ああ、勿論」
王族であるムルが知らない筈がない。王国の未来に関する重要な事柄を予知する能力を持つ唯一の貴族家。現在能力を持つ者はいないとされている。本来ならフィオーレの為を思うなら、話さない方が良いのだがムルは他者に容易く口を滑らせる男じゃない。何より、俺自身確信を持ちたい事があった。
「エーデルシュタイン家の『予知夢』は、基本王国に関する事柄しか視ないもの、だったよな」
「合ってる。どうしたんだ、まさかフィオーレ嬢が『予知夢』の能力を持っていると言いたいのか?」
「……」
「……本当だったのか?」
「……ああ」
「……リアン」
さっきまでの様子とは打って変わり、声を潜め慎重な声色でムルは囁いた。
「そんな報告は受けていないぞ。多分、父上も知らない」
「先代伯爵夫人には告げているようだが他には話していないようなんだ」
「『予知夢』の内容が異なるとか……?」
コクリと頷き、以前フィオーレが視たという『予知夢』の内容をムルに話した。聞き終わると眉間には似合わない皺が寄せられていた。
「本来なら、王国に関する内容しか視ないのに、フィオーレ嬢の場合は無関係な『予知夢』を視ている……となるのか……確かに周囲に告げていないのは頷ける」
「どうも気になるんだ。明日、フィオーレに会ったら聞いてみようと思う」
「話してくれるといいがな。ああ、そうだ。おれから言うまでもないと思うがフィオーレ嬢に『予知夢』の能力があるとは周囲に知られるなよ? エーデルシュタイン家の『予知夢』の能力を欲しがる輩は、驚く程にいるんだから」
「分かってるよ」
王国で王家以上の権力を持ちたい野心家は正に筆頭と言ってもいい。
ムルとはその後も幾つか話をし、騎士が呼びに来ると俺も部屋を出て城から去った。馬車に乗り込み、ロードクロサイト家の屋敷へ向かう道中、どうしても思ってしまうのはフィオーレの事だけ。
俺が好きだと言っても信じてくれないのも何故かエルミナ嬢と引き寄せようとしているのも『予知夢』のせいなのだとしたら、どんな内容のものなのかを聞かねばならない。
早く明日になればいいものを……。
――翌日。屋敷を出る際、父に呼び止められた。
「リアン。少しいいか」
「なんですか」
「今日、陛下やリグレット王女殿下の処遇を決める会議があって私も出席する」
「知ってますよ」
「間違いなくリグレット王女殿下は幽閉される。そうなれば、お前の悩みの種も一つ減るだろう。フィオーレ嬢を婚約者にしたいなら、今が良い機会だと思うが?」
「父上に言われなくても解ってますよ」
まさか父上に言われるとは……のんびり構えているように見えたのか?
頭を軽く下げて今度こそ屋敷を出て、待たせていた馬車に乗り込んだ。
ぼんやりと窓越しから外の光景を眺め、普段通りの時間で学院に到着。馬車から降り、近くにエーデルシュタイン家の馬車はないかと探すがなかった。一旦教室に向かう事にし、校舎内に入った。
「リアン」
階段を上がろうとした足を止め、呼び止めた相手アクアリーナに向く。
「お父様から聞いたわ。あの我儘王女とやっとお別れできそうね」
「なってくれたら良いんだけどな」
「心配してるの? ロードクロサイト公爵が張り切ってるってお父様は言っていたし、陛下に呆れ果てていたお父様も張り切っているわよ」
此処にムルがいなくて良かったがいないからこその発言なのだと解した。親しい間柄でも礼儀は存在する。
以前から気になっていたある事をアクアリーナに訊ねようとすると「あ、用事を思い出したからまた今度話しましょう!」と何故か慌てて去って行った。俺の後ろを見ていきなり態度を変えたが何を見たんだと振り向くとそこにはフィオーレがいた。
朝1番に会いたかったフィオーレ。目が合うと恥ずかしそうに頬を赤らめ、瞼を伏せたフィオーレの行動の1つ1つが可愛いと思えるのは俺も末期なんだな。
「……フィオーレ」
「リアン様……」
「君に会いたかった。話がしたいから、場所を移そう?」
「はい……」
了承をされ、ホッとする。手を差し出すと一瞬戸惑いを見せるがそっと小さな手が俺の手に重なった。フィオーレの手を引いて向かうのは、生徒なら自由に出入り可能な書庫室。テスト前では勉強に集中するようにと予約制の個室が存在する。テスト前じゃない朝で使用しているのは誰もおらず、適当な部屋を選んでフィオーレを引き入れた。
二人きりになった途端、誰の目もないからとフィオーレを抱き締めた。会った時から抱き締めたくて堪らなかった。昨日の今日だから尚更。遠慮がちに、だが、背に回された小さな手の力強さにホッとする。
拒絶されていないと。
「リアン様……私もリアン様とお話がしたいと考えていました。私の話も聞いてくださいますか?」
「勿論だ。君の話なら何だって聞く」
少しだけ体を離し、腕の中にいるフィオーレを見つめた。抱き合っているのが恥ずかしいのだろう、顔は赤いまま。さっきと違うのは瞳はしっかりと俺を見上げている点。
「本当は暫く休学させるとお義母様に言われていたんです。私が怖い目に遭ったから。でも、リアン様と話がしたくなって無理を言って今日は登校させてもらいました」
「そうか。なら、この後エーデルシュタイン家へ送る。伯爵夫妻は心配で気が気じゃないだろうから」
「そうだとは思いますが今は別の件でも気が気じゃないかと」
「リグレットの件だな?」
コクリ、と頷かれる。
「心配ない。隣国の王族が先代国王の遺言に従って対処をしている。国王もリグレットも愛人も直にいなくなる。君に危害を加えるリグレットは、2度と外には出られなくなるから安心して」
「お義母様が言っていた隣国の怖い人と言うのは、隣国の王族の方だったのですか……」
「多分そうだろう」
毎日大教会の前にある花壇で如雨露を片手に水やりをしているオーリーと名乗る隠居貴族が、まさか隣国の前王弟だと顔を知る者以外は絶対に思わない。俺もアウムルから聞かされて知ったくらいだ。




