隣国の隠居貴族
王都の真ん中にある大教会。大陸最大の大きさを誇り、年中観光客が絶えない最も人が多く訪れる場所でもある。左右の大きな塔が特徴で天高く聳える光景は、間近で見上げると圧巻の一言。神官の方々が毎日手入れしている花壇には、季節の花が多数植えられている。今の時間帯なら、あの方は花を眺めているだろう。
そう思い、長い花壇を眺めつつ、あの方を探しているとすぐに見つかった。正面から割と近い場所にいて、腰を屈んで花の中を覗いていた瑠璃色の瞳が私に向けられた。
「おや。いらっしゃい、フィオーレちゃん」
「こんにちは、オーリー様」
花壇から離れたオーリー様と距離を縮めた。
紫がかった銀糸は男性にしては長く、肩に届くか届かないかの絶妙なライン。他に見たことのない瑠璃色の瞳が神秘的で、常に優しい微笑を絶やさないオーリー様との時間は私にとって貴重な癒しの時間になっていた。
「来ると思ったよ。今日は入学式だったのだろう? 妹君の制服姿はどうだった?」
「ええ。とても可愛らしくて。両親も大喜びでしたわ」
「そう。それは良かった。そうだ、そろそろフィオーレちゃんが来ると思ってね。一緒にお茶をしよう」
「はい!」
オーリー様お気に入りのカフェに向かい、日当たりの良いテラス席を選んだ。給仕の方に今日のオススメスイーツと紅茶を2セット注文した。
「この国の紅茶は種類も豊富だし、味も最高だね。僕の兄や甥っ子が紅茶好きでね。この国の紅茶をよく取り寄せていたよ」
「オーリー様は、隣国の方でしたよね?」
「そうだよ」
オーリー様は隣国の隠居貴族で、役目を終えたからのんびりしたいとこの国にいらした。顔は広い方らしく、大教会で身を寄せている。アウテリート様と知り合いなのは元々で、更にオーリー様を知りたくてアウテリート様に訊ねたら「深入りしちゃダメよあのおじ様は」と制された。私には優しく、時にお茶目な紳士にしか見えないのだが付き合いの長いアウテリート様がそう言うのなら、そうなのだろうか。
隣国は大陸で唯一、女神様に守られている国と聞く。また、気紛れに女神様が人間の願いを叶えてくれると有名だ。本当かどうか興味本位でオーリー様に質問した。
「隣国では、女神様が人間の願いを叶えてくれると有名ですが、本当に叶えてもらった人はいるのでしょうか?」
「いるよ」
「いるのですか!?」
本当だったんだ……。
「運命の女神は、とても気紛れで人間を愛しているんだ。純粋な人間の願いを叶えたくなるそうだよ」
「そうなのですね……」
「フィオーレちゃんなら、運命の女神にどんな願い事をする?」
「私ですか?」
もしも、願うなら……
「……私は……お父様やお義母様、エルミナがちゃんと幸せになってくれるようにと願います」
「その幸せにフィオーレちゃんは含まれないのかな?」
道に迷う子供を導いてくれる、丸で司祭様の如き眼差しで問われ、流れるように頷いた。
「私はエーデルシュタイン家を出ると決めているのです。私よりも、公爵家の血を持つエルミナが継いだ方が良いに決まっています」
この国の法律では、原則的にその家の血を受け継ぐ長子が跡取りとなる。性別は主に男性だが、実力があれば女性でも爵位を継げる。男児に恵まれなかった我が家の跡取りは私だったが、事実を知ってしまえば、私とエルミナ、どちらが相応しいか分かりきっている。
「君も妹君も伯爵家の血が流れているから、確かに家を継ぐ資格はあるよ。だが本来、次男次女が家を継ぐというのは長子にその資格がないか、余程の問題がある時だけ。僕が見るに、君は十分伯爵家を継ぐ能力は持っていると思うよ」
「それはエルミナもです。あの子も跡取り教育を受けているので立派な伯爵になれます」
「うーん……」
私がエルミナにも跡取り教育を受けさせるべきだと、お父様やお義母様に申した時は大変驚かれた。同時に何故と理由を迫られ、用意していた言葉を述べた。
オーリー様と同じようなことを言われ、説得されたがエルミナが継いだ方が良いに決まっている。情けで置いてもらっている私では相応しくない。
困ったように右の人差し指で顎を叩くオーリー様は、出されていた水を飲んだ。
「まあ……僕がああだこうだ言ったところで、フィオーレちゃんの決意も固いだろうし、この話は止めよう。別の話題を出そうか」
オーリー様には私の決意の固さをこの2年で知られた。頑固と言われようがエーデルシュタイン家が齎す『予知夢』は驚くことに実現率100%と言われる、驚異の能力。能力が現れると本来ならば王家に報告するのが義務。しかし、現段階で知っているのは祖母のみ。祖母は私の複雑な心情と頑固さに折れて内緒にしてくれると約束してくれた。前当主の妻であるなら、褒められた行為ではないと知りつつも、祖母の優しさに甘える自分が嫌になる。
でもその際、約束をした。
『いいかい? フィオーレ。もしも、誰かが傷つく予知を視たら、必ず助けるんだよ』
『はい。……けど、どうしたら』
『お前は執事を1度助けているだろう? 大変かもしれないが偶然を装って、そうならないよう誘導するんだ』
『出来ますか? 私に……』
『出来るかどうかじゃない。やるしかないんだ。回数を重ねていくと慣れていくよ、きっと』
祖母の言う通り、人の不幸になる『予知夢』が現れると必ず最悪の事態を引き起こす前にそれとなく誘導して回避してきた。私ばかり行動していれば、何れ不信感を抱かれてしまうので、時にエルミナを使ったり、周りを使って回避した。
大変だが誰かが不幸になる『予知夢』を視て、平気でいられる鋼の精神を私は持ち合わせていない。
「ところで、フィオーレちゃんは家を出たら平民になると言っていたよね?」
「はい」
「僕で良ければ、君の就職先を紹介してもいいよ」
「本当ですか!?」
最難関の1つ、家を出た後の将来。今のところ私が家を出たがっているとは家族は知らない。エルミナに跡取り教育を受けてもらっているのは、あくまでも万が一のことがあったらいけないから。どこの家も、予備は必ず必要とされる。また、エルミナは元々勉強が好きじゃない。お義母様が手を焼くくらい。なので、私の提案はある意味では都合が良かったのだ。現在では真面目に勉強を受けていて、入学試験の結果も上から10番目に入るほど上達していた。
まだまだ覚えることは沢山あるだろうが、今のエルミナなら、きっと立派な跡取りとなれる。
あの子はやれば出来る子だ。ずっと暮らしてきた私が言うのだから。
思わずオーリー様の言葉に食い付いていると給仕の方がオススメセットを載せたトレーを2つ運んで来た。今日のオススメはフルーツタルトだった。
最後にティーカップとティーポットを置いて給仕の方が去るとオーリー様は紅茶を注いで下さった。
「どうぞ、フィオーレちゃん」
「ありがとうございます」
オーリー様の言う通り、我が国の紅茶は種類も豊富な上、味も絶品。特に此処のカフェの紅茶はどの店よりも美味しい。確か、店主が大の紅茶好きで何百もある茶葉から選び抜いた種類だけを使っている。
私は就職先の話の続きをお願いした。
「就職先というのは?」
「うん。フィオーレちゃんは平民と接するのは好きかい?」
「はい」
「それは良かった。隣国の教会で神官として働いてみる気ある?」
「!」
隣国の教会といえば、女神を祭る総本山。願いを叶えてもらいたくて他国からの観光客も絶えないと有名。
また、有名なのはそれだけじゃない。
教会を仕切る司祭様が凄まじい美貌を誇るとか。観光客の中には、美貌の司祭様を一目見ようと押し掛ける女性もいるらしい。
「僕、顔は広い方でね。教会の助祭さんと知り合いなんだけど、今代の司祭がとっっっても女性にモテる子で女性神官がいないんだ」
「噂は聞いておりましたがそんなに凄いのですか?」
「うんうん。確かに顔の綺麗な子だし、接しやすいからね。まあ、女性神官がいなくても不便はないのだけれど、やっぱり華がいるといいよね」
「は、はあ」
うんうんと頷くオーリー様だが、何がうんうんなのだろう。
「隣国の教会で神官になるのは、主に家を継がない貴族の次男三男だったりする。但し、誰もがなれる訳じゃない」
神官になる絶対条件として、決して平民を下に見ず、相手が誰であろうと平等に接せる者が第1にくる。次に必要なのは記憶力と告げらた。
「司祭や助祭のように、国中の貴族の顔を全て覚えろとは言わないけれど……毎日顔を合わせる隣人のような関係を築いていくんだ。当然、彼等のことを覚える必要がある」
「な、なるほど」
「フィオーレちゃんなら、きっと上手くやれるよ。今度、司祭宛にフィオーレちゃんのことを書いた手紙を送っておくよ」
「ありがとうございます!」
善は急げと言うがその通りだろう。
これで無事神官になれる準備が整い次第、お父様とお義母様に報告しよう。事後報告なのが後ろめたくなるが、決まってしまえば2人も止むを得ないと納得してくれるだろう。
もう1つの最難関、エルミナとリアン様両想い実現作戦。本来、リアン様はロードクロサイト家の嫡男なので家を継ぐのは彼。私がいなくなれば、エーデルシュタイン家を継ぐのは自動的にエルミナとなる。
跡取り同士の婚約なんて前例がない。
私が視る『予知夢』には、断罪後の続きがあった。
それのお陰で2人が昔から想い合っていたと知り、片想いの心は粉々になり、一晩中泣き崩れた訳だが――結果として、私の憂いはなくなった。
「さて」とオーリー様はフルーツタルトの載ったスイーツ皿を持って、微笑まれた。
「頂こうか」
「はい!」
本当に不思議な人。こうやって一緒にいるだけで悩みも何もかも吹き飛んでしまう。ついつい緩んだ顔をして気が抜ける。
……その時だ。
歓迎会を抜け出す直前に食らった強烈な視線を受けた。今のは特に、心臓を抉られたような恐怖と痛みを感じるほどの、強さ。
フルーツタルトを楽しむオーリー様に悟られまいと、慎重に視線を動かすも――やっぱり誰も見ていない。
一体何なのだろうと人知れず嘆息した。
カフェの近くに停車されている馬車内から、視線を泳がせながらもフルーツタルトを頬張るフィオーレを見つめる瞳があった。