視線
入学式は何事もなく終わった。今年の新入生代表を務めたのは第1王女リグレット様。王太子殿下の妹君にあらせられる。今時珍しく、金色の髪を縦ロールにした殿下は、王女の中の王女といった佇まい。吊り上がった青水晶の瞳もキツさを印象付ける。私はエルミナが見える範囲にいないかと、少しだけ視線を動かすも見つからなかった。
この後は新入生の歓迎会がある。新入生は全員参加。在校生は自由参加。
最後に学院長の長い話を終えて講堂を出た私はアウテリート様に歓迎会をどうするか訊ねた。
「アウテリート様は歓迎会に出席しますか?」
「そうねえ……フィオーレの噂の妹君を見てみたいし、ちょっと小腹が空いたから顔を出そうかしら」
「まあ。でもそうですね。私も少しお腹が空きました」
お互い、放課後は街に出てスイーツ巡りをして何処が美味しいか、何処が変わった品があるかなど情報を提供し合っている。アウテリート様と笑い合い、一旦教室に戻った。
「ふう。相変わらず、学院長の話は長かったわ。もう少し短く纏められないのかしらね」
「段々と眠くなってきますね」
「そうよ。全く」
学院長なりに生徒にかける言葉を考えて考えた末に長くなってしまったのだろう。前日夜更かしをして出席したら、眠気との戦いとなる。何度か本気で寝そうになったことがあり、あの時は辛かった……。
生徒が皆戻ったタイミングで教師も戻り、幾つかの注意事項を述べると今日は終わりだと笑顔で告げた。
「この後行われる歓迎会は、在校生は参加自由だ。新入生に身内がいる者は行ったらいいし、帰りたい者は帰ってよし」
私はエルミナがいるから参加だ。アウテリート様に声をかけ教室を出た。
不意に、またあの強い視線を背中に感じた。チラリと後ろを見ても、誰も私を見ていない。気にしすぎだとしても、視線が強すぎる。
後でちゃんと考えようと歓迎会会場であるパーティーホールへアウテリート様と行った。
ホール内は新入生で溢れていた。「先に妹君に会う?」と言われるも、中々見つからない。プラチナブロンドの髪をした女の子はチラホラとおり、体格も似ているから間違えそう。歩きながらエルミナを探していると「お姉様!」と向こうから来てくれた。
新品の制服に身を包んだエルミナの可愛さと言ったら、言葉では表現し難い。お父様が寂しがる理由、なんとなく分かるな。
「初めましてエルミナ様。アウテリート=グランレオドです。フィオーレ様とは仲良くさせて頂いてますわ」
「は、初めてまして。エルミナ=エーデルシュタインです。お姉様がお世話になっています」
私が言うのもなんだがエルミナは絶世の美少女と謳っても過言ではない。お義母譲りのプラチナブロンドとお父様譲りの翡翠色の瞳は、彼女の容姿を最高に引き立てる。可憐な彼女を見ているだけで庇護欲をそそられる。対し、アウテリート様は近寄り難い印象の美女。普通にしていても迫力がある。エルミナは緊張しながらも、ちゃんと挨拶が出来て私は安堵する。
「良かった。人が多くてエルミナが何処にいるか全く分からなかったの」
「ふふ。わたしはすぐに分かりましたわ! お姉様はとても目立つので」
「私が? エルミナの方が目立つわ」
「いいえ。お姉様と会えて良かったです」
「お友達は出来そう?」
「はい! 入学式で隣になった子と早速」
「良かったわ」
最初の難関、友人を作れるかどうかは見事クリアしていた。エルミナは天真爛漫で誰とでもすぐに打ち解ける。余計な心配だったわね。
……これなら、きっとリアン様とも上手くいくわ。
あの『予知夢』通りの未来になんて、絶対ならない。
父親の血が同じだけでも、エルミナが私にとって大事な妹なのは変わらないのに、何故夢の中の私はエルミナを虐げてしまったのか。
その原因も日々が過ぎていけば分かるのか。
「あのっ、お姉様」
エルミナが何故か、祈るように両手を握って私を見つめた。
「歓迎会が終わったら、一緒に帰りませんか?」
「ごめんなさい。今日は最後までいるつもりはないの。終わったら、教会に行こうと思って」
「そうですか……」
しゅんっと落ち込む姿に申し訳なさを抱くが教会には行きたい。明日からは、タイミングが合えば一緒に帰ろうと約束したら、満開の笑顔を見せてくれた。エルミナの笑顔には人の心を穏やかにさせる不思議な力がある。自分1人、除け者になったと塞ぎ込んだ時期もあった。けれど、異母姉妹だと知っても変わらず慕ってくれるエルミナを不幸にしたくない。
教会に行けば、あの方がいる。正直『予知夢』通り、私が絶対にエルミナを虐げないと断言したいところだが、人間何時豹変するか不明な生き物だ。ずっと優しかった人が凶悪になり暴れる事例もあるとか。怖い怖い。
最も大事なのは、エルミナとリアン様をどう引き合わせるかだ。
私とリアン様にあまり接点はない。3年間クラスは同じになったが話す機会は無かった。意識的にリアン様を避けていたのもある。まあ、向こうは私のことなど一欠片も意識したことなどない。挨拶程度しか言葉を交わさない他人を意識する人はまずいない。
リアン様と挨拶をするだけで私は幸せだ。秒で終わる一瞬の世界が幸福を齎してくれるから。
折角の歓迎会、楽しまないと勿体ない。飲み物が置いてあるテーブルが近く、2人の好きな飲み物を選んだ。
「アウテリート様、エルミナ。頂きましょう」
「はい! お姉様」
「ありがとうフィオーレ」
2人にグラスを渡し、自分もとレモンスライスが入ったグラスを選んだ。グラスを持ち上げ、2人に振り向いた直後衝撃を受けた。転びそうになったのを踏ん張ったものの、足に余計な力を入れ痛みが走った。持っていたグラスも前へ突き飛ばされたせいで飲み物が飛んでしまい。……気付かない間に私の前にいたアクアリーナ様に掛かってしまった。
「なんてこと! 私の制服にジュースを掛けるなんて!」
大きな声で非難の声を上げられ、周囲の目が一斉に私達に注がれた。私にぶつかった取り巻きらしき女子生徒が顔を青く染めてアクアリーナ様に駆け寄った。
「も、申し訳ありませんアクアリーナ様! フィオーレ様は、私がジュースを取りたいと知っていたのに退いてくれなくて……」
「言いがかりは止めてくれませんか? ドロシー様」
「なっ!」
私がグラスを選んでいる最中、近くにいたのはアウテリート様とエルミナだけ。恐らくだが2人は前後を挟み、グラスを取ったのを狙ったドロシー様が私を突き飛ばし、その弾みで中身がぶち撒けたジュースを近付いたアクアリーナ様が自分から掛かったのだ。顔を赤くして反論するドロシー様を黙らせたのは「見苦しいわ」と一刀したアウテリート様。
「全部見ていたわよ。あなた達の寒い三文芝居。大根役者でも、まだマシな演技をするのではなくて?」
「何よ、他国の令嬢如きが伯爵家と侯爵家の令嬢に向かって……!」
「お馬鹿!! グランレオド様は隣国の公爵家のご令嬢よ!? それに、隣国の先王妃様を大伯母に持つ……!!」
「え……」
え……はこちらの台詞だ。同学年なら知っていて当たり前の情報をどうして彼女は知らない。プライドは人一倍高いアクアリーナ様でも、アウテリート様と敵対するのは不利だと悟って入学当初から避けていたのに。顔色を消したドロシー様、そして首謀者らしきアクアリーナ様は周囲の目の色が自分達に対し悪い物だと認識し、そそくさと会場を退場した。
隣に来たアウテリート様から憐れみの視線をもらった。
「……ずーっと聞きたかったのだけれど、フィオーレ、あなた目を付けられた心当たりは本当にないの?」
「あれば苦労はしません……」
本当に? と再度訊ねられるもないものはない。入学当初からアクアリーナ様は私に突っかかる。ノーラント家とエーデルシュタイン家は因縁も関わりもない間柄。1年生の頃、何気なくお父様やお義母様に聞いてもノーラント家の人と深く関わったことはないと言う。
アクアリーナ様の行動は謎極まる。
「…………あの人、わたしのお姉様になんて無礼な……」
「うん? どうしたの、エルミナ」
「! いいえ、なんでもありませんわ!」
その場を動かないでいたエルミナが何か言っていたような気もしたが、本人が何でもないと言うのなら気にしないでおこう。
未だ、幾つかの目がこちらに向いている。若干の居心地の悪さを感じていると心臓が急停止しそうな出来事が起きた。
「災難だったな、アウテリート嬢、フィオーレ嬢」と気さくに話し掛けてくれたのは王太子殿下。……すぐ後ろにリアン様がいる。
「ええ。全くですわ」
リアン様……リアン様がいる……っ!
目を見たら恥ずかしさと緊張が天辺まで達して私は正気ではいられない。絶対に目を合わせないように王太子殿下に頭を垂れようとすると手で制された。
「今は新入生歓迎会。堅苦しいのは無しでいこう」
「まあ殿下。どんな時でも礼儀は大事ですわ」
「そう言うな。学生時代でしか、気軽には出来ないんだ。リアンもそう思わないか?」
「俺はどっちでも」
低く、色っぽい声色を聴覚は決して逃さなかった。耳から脳へ、脳から全身へ巡って嘗てない心地良さを走らせる。ダメ、私はリアン様の声をまともに聞けないとたった今知った。早々にこの場を去らないと。
「アウテリート様。私はそろそろお暇しますわ」
「あら、もう行くの? よろしく言っておいてね」
「勿論ですわ。王太子殿下、ロードクロサイト様、失礼します」
私は最後にエルミナに向いた。
「歓迎会が終わったら真っ直ぐに屋敷に帰るのよ?」
「もう、お姉様までわたしを子供扱いしますの? お父様も出発直前までそうでしたのよ」
「エルミナを心配してるからよ」
拗ねたように頬を膨らませるから、指で押すと空気が萎んで平になった。面白くてモチモチ肌を堪能し、怒られて離した。アウテリート様にエルミナを任せ、会場を出て教室へ向かった
……会場を出た直後、今日1番の強烈な視線を感じた。咄嗟に後ろを見ても、誰も私を見ていない。
「……気にしすぎ、なのかな……」
不安を抱えたまま教室に戻って鞄を持ち、そのまま学院内を出た。今日は教会に寄って帰るからと敢えて迎えの馬車は断っていた。
誰かに見られているなんて……でも後ろを見ても誰も私を見ていない。気のせいにしては、やはり回数が多い。特に最後、会場を出た瞬間の視線は痛いと感じる程だった。あの方に相談しよう。不思議とあの方に悩み事を相談すると驚くくらいに効果が現れる。
何より、慈愛に満ちた相貌は見るだけで救われる。
「早く行きましょう」
読んでいただきありがとうございます!