土足で踏み込んではいけない
「お帰り」
陽光が降り注ぐ朝の時間。この国に来てから見つけたお気に入りの木の下で日光浴をしていたオーリーの腕に1羽の鳩が乗った。体に巻かれた筒を外し、中から1枚の紙を取り出した。広げ、文面を追う瑠璃色の瞳が和かに細められた。
「あ、はは。相変わらずだなあオズウェル君。きっとアウテリートちゃんが知らせていたのだね、全部僕に対する文句しか書かれてない。えーとシエルちゃんのは……」
昔からの友人の変わらない文字を読みつつ、他の手紙はないかと指で擦り、2枚目を前にした。名前は出さず、女性で神官に推薦したい人がいると隣国の当代司祭に連絡を送った返事が書かれていた。惚れ惚れする綺麗な字からは、彼が愛用している香水の香りが漂う。文面曰く、叔父上の判断に任せるとのこと。やれやれと眉尻を下げると追伸と書かれた最後を読んで「おや」と目を丸くした。
「心配性……違うかお説教かな。どちらにしろ、久し振りに会えるから楽しみだな」
暇な子を1人向かわせる。
それが誰なのかオーリー――オルトリウスは今後の楽しみにすることにした。
手紙を懐に仕舞い、鳩と一緒に教会に入った。
この国に来て2年。問題なく時が過ぎてくれればいいが無理だろうと抱く。
「あの国王陛下は王太子の頃から問題行動を起こしてばかりだったよね」
「ポポ?」
「うん。僕が隣国に来たのはアウテリートちゃんを見守るのもあるけど……1番の理由は……」
首を傾げた鳩に人間の言葉が通じているかはさておき。『親切な人』が教えてくれる情報を歩きながら整理していった。
●○●○●○
学院に無事到着して私はホッとした息を吐いた。『予知夢』では上から植木鉢を落とされ、下にいたエルミナの頭に直撃した。今日はなるべく建物側を歩かないでと馬車内でお願いした。不思議がられたけど、私の言葉を素直に信じてくれたエルミナに感謝しつつ、申し訳なさを抱いた。
私は絶対にやらない。けれど、『予知夢』の的中率はほぼ確実。何時起きるか分からない出来事からエルミナの側にいて守るのは学院内にいる間は無理だ。双子だったなら無理をしてでも一緒に行動していられた。
馬車を降りて校門を潜った。
……朝から訪れた修羅場に溜め息を吐きたくなった。
「ご機嫌よう、フィオーレ=エーデルシュタイン」
「……おはようございます、リグレット王女殿下」
エルミナを背に隠し王女殿下と対峙する。今日も複数の取り巻きを従えており、全員敵意剥き出しの顔で此方を睨んでいた。
登校する生徒達から受ける好奇な視線に晒されるのは嫌でも王族相手に無視は出来ない。
「今日はあなたをわたくしのサロンにご招待するわ」
「王女殿下の?」
「そうよ。光栄に思いなさい。お前のような下位貴族の娘が王族であるわたくしのサロンに招待されることはそうはないわ」
標的を私に絞ったのなら、もうエルミナには……はないか。ここは素直に従うのが賢い。何より、振る舞いや周囲の評価はどうであれ、彼女は王族。逆らえる力はない。
頭を垂れようとするのを制するように第3者の手が前に出た。
「従わないでいい。フィオーレ嬢」
王太子殿下だった。
「リグレット。彼女をお前にサロンに招待するだと? 何を企んでいる」
「企むだなんて……! わたくしは、この間の誤解を詫びようと」
「プライドだけは国王並に高いお前が伯爵令嬢に謝る? 誰が信じる。仮にいたとしてもおれは信用しない」
「そんなあ……あんまりですわ!」
異性から見ても、同性から見ても、守ってあげたくなる少女。それが王女殿下。真珠の如き涙を溢れんばかりに流す王女殿下を心配する取り巻きとは裏腹に、王太子殿下の彼女を見つめる青水晶の瞳は凍てつく氷のよう。
「……リグレット。此処にいるフィオーレ嬢やエルミナ嬢だけじゃない、他の生徒にも手を出そうとしてみろ。その時は本気でおれにも考えがある。生徒会除籍と入室禁止だけで済むと思わないことだ」
泣き落としが通じない相手では分が悪いと悟ったのか、泣きながらも悔しげに唇を噛み締め最後に私を一睨みし早足で行ってしまった。
取り巻き達も慌てて後を追うが王太子殿下の凍える威圧に顔が真っ青だった。
くるりと私達へ向いた王太子殿下の相貌は普段に戻った。
「大丈夫だったか? 2人とも」
「はい。王太子殿下ありがとうございます」
「ありがとうございます」
「いや。全く、少し大人しくなったと思えばすぐこれだ。フィオーレ嬢、後でまたリグレットや取り巻きが来ても取り合わなくていい。おれの名前を出してくれて構わない」
「殿下が睨みを利かせて下さったのでもうないのでは?」
「これだけで諦めてくれるなら苦労はしないよ」
苦笑交じりに紡がれた言葉の端端に王太子殿下の苦労が滲んでいた。諦めが良ければ既にリアン様への想いを断ち切っていただろう。『予知夢』の件とさっきの王女殿下の行動。嫌な予感がする。
犯人が私であれ、王女殿下であれ、エルミナは傷付けさせない。
心配が尽きないのでエルミナを教室まで送った後、3年生のフロアに続く階段の1段目に足を乗せるとリアン様に呼ばれ止まった。気遣う色を濃く宿す青い瞳はどんな時も綺麗。
「またリグレットに絡まれたとアウムルから聞いた」
「王太子殿下が助けて下さったので何もありませんでしたよ。王女殿下は生徒会への出入りを禁止されたのですか?」
入室禁止と王太子殿下が言っていたのは事実だった。私の疑問に頷いたリアン様が経緯を話してくれた。
除籍されてからは毎日王太子殿下の元へ通われ、心を入れ替えると宣言していたそうだが学院内での振る舞いや行動を全て把握され、更に特待生として入学した平民の生徒に難癖をつけたのを知られていた王女殿下は全く信用されず。何度目かの訴えを退けられると逆ギレを起こし、出入り禁止を食らったのだとか。
「そうだったのですか……」
「ムルはエルミナ嬢に手を出すかリグレットを注視していたが……フィオーレ嬢を標的にするなんて」
「リアン様。これは私からのお願いなのですがどうかエルミナを守ってあげてはくれませんか?」
今の標的が私でも、何れリアン様と恋仲にエルミナがなってしまえば王女殿下の嫉妬の矛先は変わる。私はどうせ家を出るつもりだ。1年くらいなら耐えられる自信がある。
「だが……」
「私は大丈夫です。いざという時はアウテリート様を頼ります」
「……」
一瞬顔を歪ませたリアン様だったがすぐに戻った。そうか、とだけ発し、無言のまま先を行かれたリアン様の後に続いて階段を上がった。
さっきのリアン様のご様子……ひょっとして何度も私がエルミナを勧めるから、逆に不審がられている? 2人の想いは自分だけの秘密。他人に悟られないよう今まで過ごしてきたのに『予知夢』を視て知った私が安易に踏み込んでいい領域ではなかった。機嫌が悪いリアン様の背に呼び掛けた。足を止め、顔だけ振り向いてくれた。
「先程のあれは、その、表立って守ってあげてほしい訳ではなく、陰ながらでいいので見守ってほしいのです。エルミナにもあまり1人にならないよう私からも言ってありますが何があるか分からないので……」
「…………そうだな」
「……」
長い沈黙の後に告げられた短い言葉は、低く荒々しい感情を無理矢理抑えた無理があった。無意識に、無神経に、彼の領域に土足に踏み込んだ私は拒絶されている。身長差から歩幅が違う。今はリアン様の歩く早さが違う。あっという間に距離が空いていく。
愚かな真似をしなくても――リアン様の心が私に傾くことはないのだと改めて突き付けられた。
重い気持ちを抱えたまま教室に入った。まだアウテリート様が来ていなかった。席に座っても話し相手がいないと退屈。こういう時は本があると時間潰しになるが生憎と手持ちがない。図書室で借りるか、屋敷から持ってくるか、どちらにしよう。
昼休憩はエルミナと昼食を食べるから図書室へは行けない。なら放課後にしよう。今の気分だとオーリー様に会いに行っても相談だけで終わってしまう。可能なら美味しいお菓子を食べながら楽しい会話をしたい。次の授業にある小テスト対策をしようと鞄の中に入れてあった教科書を机に広げた。
「あ……」
あの視線が体に刺さった。3年生になってから感じる謎の視線。鋭く突き刺さる視線を感じ、主を探しても――誰も私を見ていない。最初の頃は気のせいかと気にしないようにしていたが何度も何度も味わえば絶対に見ている人がいると確信を持った。誰か不明なだけ。人が少ないと言えど、皆思い思いの時間を過ごしている。リアン様もそう。席に座り、頬杖をついて瞼を閉じられている。毎日眠そうなのは王太子殿下の手伝いやロードクロサイト公爵家の跡取りとしての勉強で忙しいせいだろう。
視線を貰うだけで害意はない。不安だが下手に騒ぎを起こすより、別の変化が起きてから調査すればいいと決めているから、私は教科書に目を通していった。
アウテリート様が来たのは予鈴の鐘が鳴る直前だった。
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