今年は最も大事な1年になる
『フィオーレ=エーデルシュタイン。あなたにはガッカリした。片方しか血が繋がっていないとはいえ、妹を平然と虐げるあなたは此処にいるべき人間ではない』
『フィオーレ、お前には失望した』
『やっぱりあなたなんて捨てるべきだったのよ。邪魔なあなたを屋敷に居させるべきじゃなかった』
長年片想いしている公爵令息が、
お父様が、
血の繋がりのない義母が、
皆、思い思いの言葉を私にぶつけていく。
ああ……またこの夢か……。
「嫌になっちゃうな……」
目を閉じていれば見続ける悪夢。見たくないなら、目を閉じなければいい。
私は瞼を開けた。見慣れた天井、周囲に目をやれば花柄の壁紙、何年も使っているソファーや机、ぬいぐるみが置かれている。
此処は私の部屋。
「しっかりしなきゃ……」
窓を見ると明るくなってきていた。もうすぐ侍女が起こしに来るだろう。
私、フィオーレ=エーデルシュタインは伯爵の地位を賜るエーデルシュタイン家の長女。
ベッドから起き上がり、姿身の前に立って自分を見た。青みがかった銀髪に紫紺色の瞳。この国では他にいないと言われる瞳の色は、隣国の公爵家と同じ色をしている。
私の母が隣国の公爵家の血を引いており、更にその血が濃く現れたせいだろうと言う。
光の具合によっては夜よりも深く暗いと言われ、今の気持ちと同じでなんとも言えなくなる。
「しっかりしろ、私」
もう1度、自分に喝を入れた。
今日も、1日が始まる――。
●○●○●○
時間が過ぎると侍女が起こしに現れ、朝の準備をしていく。
顔を洗い、髪を整えられ、制服に着替え、家族が待つ食堂へ足を運んだ。近付くにつれ足が重くなる。弱気になるな。後1年の辛抱だ。卒業したら、私はこの家を出られるのだから。
食堂に入った私に真っ先に気付いたのはお父様だった。
「おはようございます、お父様、お義母様、エルミナ」
「おはよう、フィオーレ」
「おはようございます、お姉様」
挨拶は基本中の基本。寧ろ、挨拶をするかしないかで人間の第1印象が大きく決まると思われても仕方ない。侍女が引いてくれた席に着いた。
食事が始まった。
「今年からエルミナも学生か。なんだか寂しいな」
「もうお父様。わたしだってもう15歳ですのよ? それに学校生活をとても楽しみにしているのですよ?」
「分かってあげてちょうだいエルミナ。お母様もお父様も、エルミナがいなくなったら寂しいの」
お父様、お義母様、エルミナを中心とした会話に私が入る余地はない。8年前から既に存在しない。私はあくまで伯爵家に置いてもらっているだけの娘。家を継ぐのは長女の私じゃない、次女のエルミナ。
黙々と食事をしていると前や隣から視線を感じるのは何故なのかと毎日抱く。3人は優しい。きっと、会話に入ってこない私に気を遣って入ってくるよう視線で訴えてきているのだろうが、家族の時間を邪魔する愚か者じゃない。
最後のヨーグルトを食するとデザートスプーンを置き、水を飲み干して立ち上がった。
「私は先に行きますわ。エルミナも遅刻しないように」
「は、はい……」
今年から新入生のエルミナと一緒に馬車に乗った方がいいのかもしれないが、片方しか血の繋がりがない私達が一緒にいて快く思っていないだろうお父様とお義母様の心配を増やしたくない。
何か言いたげな3人の視線を丸っとスルーし、食堂を出て外に向かう。門の前に停められている馬車まで行くと侍女から鞄を受け取った。
「行ってきます」
「お気を付けて」
馬車に乗り込み、扉が閉められた。馬の鳴き声と共に発車した。私の世話をしてくれる侍女は、幼い頃から私に仕えてくれている。8年前まではよくお喋りしたっけ。でも、それも今では必要最低限の会話しかしなくなった。
「仕方ないもの。私は伯爵令嬢だった前妻の娘、エルミナは公爵令嬢だった義母の娘。どちらが大事かなんて、跡取り教育を受けていた私が知らない筈がないもの」
私を産んだ母、ミランダは産後間もなく亡くなった。生まれたばかりの私を不憫に思い、また、何も知らない赤子の内にと、喪を明けた後幼馴染だった公爵令嬢シェリア様、義母と再婚した。
本来なら、デビュタントを迎えたら話すつもりだったらしい真実を5年も早く知ってしまった当時の私の衝撃は強かった。同時に、どうして同じ両親から生まれているのに両親共に持っていない色を持って生まれてしまったのかという疑問が解消された。
あの時、すまなかったと頭を下げたお父様の義母は何も悪くない。
「寧ろ、とても有難かった」
私は、自分で言うのもなんだが嫉妬深く独占欲が強い。
何も知らない小さい頃はよく、私の物を欲しがるエルミナと喧嘩した。おやつのケーキだったり、2人同時に買ってもらったぬいぐるみだったり。1度自分の物になると絶対に手放しくない。
事実を聞かされれば、今までのような生活を送れない。エルミナが欲しいと強請った物は全て譲った。ケーキもぬいぐるみも。でも何故か、すぐにエルミナは私の物を欲しいと言わなくなった。
ひょっとして、私が大事にしている物が欲しかっただけ? いやいや、あの子は性悪な子じゃない。純粋で無邪気で、とても明るい女の子。
「お嬢様、もうすぐ到着しますよ」
「ありがとう」
今日から新学年。今年最終学年の私には、絶対にやり遂げないといけないことがある。
15歳になった貴族の子供達が通う王立学院。条件を満たせば、平民も特待生として通える此処は今年から私の最大の試練場となる。
私にはやらないといけない事がある。
「おはようございます、フィオーレ様」
「おはようございます、アクア様」
海を思わせる青い髪と瞳の彼女はアクアリーナ=ノーラント侯爵令嬢。昔から私に突っかかってくる人で苦手な相手である。
「あら? 今日から、フィオーレ様の妹君は新入生でしょう? 一緒に登校しなかったのかしら」
「ええ。妹は後から来ます。父と母が学生になった妹を見て感極まっていまして」
「そうなの」
嫌味たらしくエルミナと距離を置いてることを告げてくる彼女に苛立ちながらも、決して感情を見せず、淡々と話をする。私の反応が面白くないからか、興味をなくしたからか、最後に「ふん」と鼻を鳴らして去って行った。
何だったのか。
「あ……」
私の目にある人が映った。
紫がかった少し長い黒髪を耳にかけ、眠そうに小さな欠伸を漏らしたその人の青水晶の瞳がこっちへ向いた。見ていると気付かれたくなくて、慌てて逸らし、平然とした態度で前を通った。その際、会釈は忘れず。
うるさいくらい高鳴る心臓のせいで息がしづらい。校舎内に入ってやっと体から力を抜いた。朝から彼に会えた、目が合っていたら私は魅了され動けなかっただろう。
「リアン様……」
ロードクロサイト公爵家の長男リアン様。
私の……幼い頃からの片想い相手。
――そして、エルミナの運命の人。
3年前から何度も見るようになった夢。私がエルミナを虐げ続けた末に、リアン様に断罪され、父や義母から伯爵家を追放されてしまう。
エーデルシュタイン家には、代々『予知夢』を視る者が生まれると言い伝えられていた。同じ時代に2人いる時もあれば、数十年、長くて数百年生まれない時もあるとか。私が『予知夢』を持つと知るのはお祖母様だけ。お父様やお義母様、エルミナには話していない。
能力が発動したのは、皮肉にも私とエルミナが異母姉妹だと知った翌日だった。その時の内容は【執事が梯子に乗って本を取ろうとした瞬間、誤って落下して命を落とす】という人命に関わるものだった。跡取り教育で受けたことで既に『予知夢』を知っていたとはいえ、まさか自分とは思わなかった。
執事が取ろうとしていた本は父に頼まれた物で、梯子を使おうとした際声を掛けた。梯子から落下したのは梯子に問題があったのではと疑問を抱いていた私は、何も知らない振りをして使ったら危ないと執事に迫った。
困ったように苦笑されながらも、梯子を確認した執事の顔色が変わった。脚の部分が意図的に折れやすいように細工をされていた。
本当に使っていたら、執事は落下して命を落としていた。恐ろしい事実に震えが止まらなかった。私が声を掛けなかったら、今頃落ちて只では済まなかったと何度も感謝をされた。父にも感謝された。
私の『予知夢』は本物。
跡取りにはなれない私が……。
「はあ……」
「溜め息を吐いてどうしたの?」
昔のことを思い出しながら教室に入った私を、顰めっ面が迎えた。
「アウテリート様」
腰まである長い銀髪をリボンで緩く縛った様は狼の尻尾みたいだと、出会った当初抱いた印象。長い睫毛で覆われた青緑の瞳には呆れが濃く映っている。
「いえ……今年最終学年になり、長かったのか短かったのか分からないなと」
「そんなものではなくて? あたしの母もよく言っていたわ。3年生になると案外短い学生生活だったと」
1年生の時は、これから始まる学生生活にワクワクしたものだ。誰と仲良くなれるか、どんな授業が待っているのか、と様々な事に期待を抱き、胸を躍らせた。
席は好きに座っていいので私とアウテリート様は隣同士、最後列に座った。
「アウテリート様は卒業したらご実家へ戻られるのですよね?」
「ええ。毎年、ホリデーになったら帰るのに毎週父から何時帰ってくるのだと手紙が届くの。後1年待っていてほしいわ」
「確か、アウテリート様は兄君や弟君が1人ずついらっしゃいましたよね? 娘がアウテリート様だけだから、心配されているのですよ」
「にしても過保護だわ。あたしは女侯爵様のような、強く立派な女になるのが目標なのに」
隣国の公爵令嬢であるアウテリート様と恐れ多くも友人という立場を築けたのは、とある人が関係している。その方とは私達が入学したての頃、王都にある教会で出会った。
物腰穏やかで、時にお茶目な男性で、悩みを持って訪れた私の話を最後まで聞いてくれた。
その方の助言を元に行動をしていくと驚く程に上手くいった。
アウテリート様と会ったのもその方が会わせてくれたから。2人はきっと相性がいいよ、と慈愛に満ちた笑みで告げられるも最初は戸惑った。相手は隣国の公爵令嬢。それも、先王妃を大伯母に持つ、高貴なる血筋の方。
今では互いに軽口を叩ける間柄なので世の中何が起きるか不思議だ。
入学式当日、在校生徒はいつも通りの時間に登校し、開始の前に講堂へ行き新入生入場を待つ。続々と生徒達が教室に入ってくる。すると、廊下から黄色い声が響いた。呆れ顔のアウテリート様は「クラス替えがないのが唯一の不満だわ」と零され、苦笑した。
王太子殿下とリアン様が一緒に入られた。2人は幼馴染で入学当初からよく一緒にいるのを何度も見掛けている。私はリアン様と同じ空間にいられるだけで幸せだ。取り巻き達の子のように近付けない、声なんて緊張が優って顔が強張ってしまう。
「殿下やリアン様も大変ね。毎日毎日」
「特に今年からは激しさが増しそうですよね」
気軽に彼等と会えるのは今年だけ。卒業すれば、それぞれの地位に立つ者としての役割を熟す日々がやってくる。
「後、まだ婚約者がいないのも追っかけられている原因の1つでしょうね」
「アウテリート様は殿下やロードクロサイト様との縁談話は来ないのですか?」
「1度、王太子殿下との婚約の話は持ち上がったわ。でも断ってもらったわ。あたしの大伯母は、隣国の先王妃だったけれど、決して良い王妃とは言えなかった人だもの。それに、あたしには好きな人がいるもの」
「そうでしたね」
アウテリート様には想い人がいる。私と違って両想いで卒業後はその方と一緒になるのだとか。正式な婚約は卒業後になるらしい。羨ましくて、ちょっと寂しい。好きな人と結ばれる彼女が。でもしょうがない。想い人まで自分を好きだなんて奇跡そうそうない。
「ただちょっと心配なのよ。あの方、何かあれば妹君の話ばかり。決して悪い方ではないのだけれど……、妹君にも会うといつも謝られるの」
「あ……はは……それは……大変ですね」
偶に聞く隣国の話は楽しく、他では聞けないので一句一句逃さないよう真剣に耳を傾けていると不意に強い視線を感じた。一瞬だったので周囲に目を向けても誰も見ていない。
「どうしたの?」
「いえ……なんでもありません。そうだ、アウテリート様。今日の終わり、一緒に教会へ行きませんか?」
「良いわね。でもごめんなさい。今日は先約があるの」
「そうですか……」
「おじ様にはよろしく言っておいて」
「はい」
1人で行くのは寂しいが先約が大事だ。今度は必ず一緒に行こうと約束したところで教師が教室に入った。
簡単な挨拶を済ませた後、私達は入学式出席の為講堂へ向かった。
……教室で感じた視線をずっと背中に感じたまま。
読んでいただきありがとうございます。