閑話 アカリ視点(3)
「私がこうして、自分の思ったことを言えるようになったのは……ルーカスのお陰なんです」
「ルーカスの?」
今度はヘンリー殿下が目を丸くした。
青色の瞳は、ルーカスと同じだ。そう気づくと、緊張がほどけていく。
いつもにこにこ笑って私の話を聞いてくれる人の、ふにゃりと細められた瞳を思い出す。
「私、ついつい流されちゃうというか……頼まれると断れないし、私が悪いのかなとか思っちゃって……嫌だと思っても、それを上手に口に出せなくて」
テーブルの上の紅茶に視線を落とす。
今だって、王子様を前にして、自分の気持ちを話しているなんて、不思議な気分だ。
「でもルーカスが言ってくれたんです。困ってるなら困ってるって言って、って。助けるからって」
目を閉じると、その時のルーカスの言葉も、声も。はっきり思い出せる。
そのくらい私にとっては衝撃的で……それで、とても大切なことだったから。
「もっと我儘言っていいんだよって」
そう言ってくれた彼の笑顔を思い出すと、胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちがした。
ああ、どうして私、ルーカスに怒ってしまったんだろう。
彼の言葉は、いつも私の背中を押してくれたのに。
「そんなの無理、言えるはずないって思ったけど……でも。一度言ってみたら、世界が変わったんです」
あの時の経験は、言葉では言い表せない。
急に目の前がぱっと開けたような。
世界が色鮮やかになったような。
そんな衝撃だった。
今まで私は、半透明の何かを隔てて、一歩後ろから自分を見ていた気がする。
自分のようで、自分でないような。そんな感覚があった。それに違和感も持たなかった。
すべてが他人事のようで……私がどう思うとか、何を感じるとか。
そういうことは、何かこの世界には関係ないものだという気がしていた。
私がしたいこと、いやなこと。それは世界にとって必要がないものだと思っていた。
だけど、違った。
「ああ、私は嫌だったんだ、とか。こんなことを考えていたんだ、って。変な話ですけど……口に出してみて、それを初めて実感したっていうか。私には私の気持ちがあっていいんだって……自分の足でしっかり、この世界に立ってるんだって。そんな気がして」
それに気づかせてくれたのは、ルーカスだ。
一歩踏み出したら違う世界があるって……こんなに世界は広くて綺麗だって。教えてくれたのは、ルーカスだ。
そして、自分の足で立った私と一緒に歩いてくれたのも――ルーカスだった。
これから先、ずっと。一緒に歩くのは、ルーカスがいい。
「そう思ったら、何だか不思議と勇気が湧いてきて。……きっと、前の私だったら、お茶会に誘ってもらっても、ここで縮こまってるだけだったけど――今は貴方から、ルーカスの昔の恥ずかしい話とか聞き出しちゃおうかな、なんて、考えていたりするんです」
「はは」
私の言葉に、ヘンリー殿下が声を上げて笑った。
少し話しすぎてしまったかもしれない。
自分の意見じゃなくて、ただ私の気持ちを聞いてもらっただけになってしまった気がする。
恥ずかしくなって俯くと、頭の上から王子様の声が降ってきた。
「君は、ルーカスのことが好きなんだね」
「……え」
「あれ? 違った?」
顔を上げると、きょとんとした顔の王子様と目が合う。
何か返事をしようとしたけれど、うまく言葉が出てこなかった。
だってすとんと、腑に落ちてしまったのだ。
そうか。
私は、ずっと。
「……いえ、違いません」
小さく首を振る。
こんなに簡単なことに、どうして私は気がつかなかったんだろう。
触れたときにどきどきしたり。
褒められて嬉しくなったり。
誰かと親しそうな様子を見て、寂しくなったり。
他の男の人とのお茶会に行くのを、止めてほしかったり。
一緒にいるのが当たり前になって……これから先もずっと、一緒にいるのが当たり前だったらいいのにって、思ったり。
それは全部、全部。
ルーカスだからなんだ。
王子様の目をまっすぐ見つめる。小さく息を吸って、吐いて。私は自分の気持ちを言葉にした。
「私、ルーカスが好きです」
言葉にしてみると、やっぱりすとんと腑に落ちる。
頬が熱くなる。心臓の鼓動が早くなる。きゅっと胸が締め付けられる。
でも、嫌な感じはしなかった。
むしろ……何だか嬉しいような、どきどきわくわくするような。そんな気持ちだった。
私の言葉に、王子様はすぅっと目を細める。おもちゃを見つけた猫みたい、と思った。
侍女さんが近寄ってきて、空になったカップに紅茶を注いだ。
「なるほど。それじゃあ僕も張り切っちゃおうかな」
王子様は、何故だかとてもうきうきした様子で、悪戯っぽく微笑んだ。
「とっておきのルーカスの恥ずかしい話を教えてあげよう」




