クモをつつくような話 2019~2020 その1
これはSFジャンクボックスの「クモをつつくような話」の再編集版です。
「足」を「脚」に書き直したり、書いた後に正しくないことがわかった事柄を「※」付きで補足説明するなどしていますが、すでに読まれた方とクモが嫌いな方にはお勧めしません。
2019年9月のある日。
近所の中華料理店の裏の生け垣でお尻の黄色と黒の縞々が目立つ体長20ミリほどのクモを見つけた。
※この店はその後いったん更地にされて、今は大手チェーン系の喫茶店になっている。ネコの家族とアブラコウモリとジョロウグモが住みついていて、ウメの花が咲く頃にはメジロもやって来る店だったのでちょっと残念だ。もっとも、コウモリが住みついている食べ物屋というのも衛生的にどうかとは思うが。
そのクモの紡錘形のお尻の上面の模様は頭胸部側から順に、グレーの横帯、黒くて短い横縞、鮮やかな黄色の帯、黒くて長い横縞、黄色の帯、黒い波形の横縞、白っぽい帯の中に黒くてやや短い横縞、黒い横縞、黄色の帯、黒い波形の横縞、白っぽい帯の中に黒くてやや短い横縞、黒い横縞、黄色の帯、黒い幅広の横帯、黄色の帯、中央部と両サイドに白い班がある幅広の黒い横帯、黒い点が3つある黄色の帯、そしてお尻の先端は両サイドに黄色の班が入った黒という、自分で書いたものを読み返してもイメージしきれないようなおしゃれなクモさんなのである。黒っぽい脚にもいろいろな幅のくすんだ黄色の帯がある。そして直径20センチほどの円網には上下に伸びるジグザグの帯(隠れ帯と言う)が付けられていた。
作者は土間と囲炉裏がある家で育ったので、クモと言えば茅葺き屋根の下に居着いている濃いグレーのオニグモと軒下の地面から壁沿いに糸でできた細い管を立ち上げているジグモだった。そんなわけで、作者にはその色鮮やかなお尻がとても魅力的に思えたので指先でツンツンしてみた。するとそのクモは逃げようともせずに「いやーん」とでも言うように円網をゆらんゆらんと揺らしたのだった。〔セクハラは犯罪です〕
その振動が作者のツンツンによって与えられたエネルギーによるものではないことは揺れている時間の長さで明らかだ。動画を撮ってスロー再生してみれば確認できると思うのだが、円網の平面に対して垂直の方向に体を揺らすことで振動を増幅しているようだった。人間が重心の上げ下げによってブランコの振幅を大きくしていくようなものだと言えばわかりやすいだろう。
さらってきた娘に「お許しくださいまし」と言われたら「良いではないか、良いではないか」と余計に手を出したくなるのが男というものである。〔セクハラは犯罪です〕
作者もそのクモの耳元に顔を寄せてそっと息を吹きかけてみたのだが、まったく反応がなかった。〔当たり前だ。クモには耳がない〕
興ざめしてしまった作者はもう一度お尻をツンツンしてスーパーに向かったのだった。〔セクハラは犯罪なんだってば〕
買い物を終えてスーパーを出た所でまたクモを見つけた。先ほどのクモと同じくお尻の黄色が目に付いたのだが、こちらのクモは体がやや小さい上にお尻が細く、その模様も黒地に黄色のまだら模様でお尻の下面には輪郭のぼけた赤い班がある。また、脚の黄色と黒の幅も違っている。円網もその前後に糸が何本も張られている3次元型の大きなものだ。先ほどのクモとは見た目がだいぶ違う。
「別の種かもしれないなあ」などと考えながら指でツンツンしてみると、この子は5センチほど逃げてから円網を揺らしたのだった。それも横方向に! これは「腰を振る」という表現をした方がイメージしやすいかもしれない。その近くにいた同種の他の子たちを順にツンツンしていってみると、移動しては腰を振り、また移動して腰を振りという子や楕円を描くように腰を振る子もいた。つまり決まったやり方がないのだ。たまに腰を振らずに逃げてしまう子もいるし。〔セクハラは犯罪だとゆーとろーが!〕
帰宅してからウィキペディアを開いてみると、スーパーの近くにいた子たちはジョロウグモ科、ジョロウグモ属のジョロウグモの幼体だったようだ。オトナになるとお尻の上面が黄色と緑青色の横帯模様になるらしい。
※後にもっと大きなジョロウグモをツンツンする機会が何回かあったのだが、しつこく手を出しても腰を振る行動はほとんど観察されなかった。これは子どもっぽい行動だということなのかもしれない。オトナになると卵でいっぱいになったお尻が大きく重くなるから腰を振るのがおっくうになるだろうし。実際、翌年に行った実験ではより小型のジョロウグモの方がより長い時間腰を振ることが観察されている。ただし、この腰を振る行動は図鑑等には記載されていないから茨城県の若いジョロウグモ限定の文化である可能性もある。
黄色の斑紋を持つ大型のコガネグモ類もジョロウグモと呼ばれる事が多いということなので「コガネグモ」のページに移動してみる。しかし、これは違うようだ。そこにあった画像の個体のお尻は太くて、頭胸部側から幅の広い白っぽい横帯、黒い横帯、黄色い幅広の横帯、白っぽい点が3つある黒い幅広の横帯、お尻の先端は黒、というシンプルな配色だったのだ。太めの脚の黄色の部分も濃いグレーに近いし、円網に付けている隠れ帯もX字形だ。
続いて同じコガネグモ科の「ナガコガネグモ」のページに移動してみると、ビンゴ! 中華料理店の生け垣にいたのはナガコガネグモの雌だったのだ。
さて、種名は判明したわけだが、この子たちに共通する円網を揺らす、あるいは腰を振る行動にはどういう意味があるのだろう? 作者はこの行動と黄色と黒のお尻を関連付けてその意味を考えてみた。
黄色と黒の小型動物というとハチ、特にスズメバチである(黄色と言うよりオレンジ色だが)。ロードバイク乗りの作者も寒い季節にはネオンイエローのウインドブレーカーを着るのだが、黄色という色はとにかく目立つのだ。というわけで、お尻に黄色と黒の部分がある三種のクモはハナアブなどと同じようにハチに擬態して身を守ろうとしているのではあるまいか。円網を揺らすのもハチが飛んでいるように見せようとしているのだろう。遠くから見てもすぐわかるように黄色と黒を使い、それでも近寄って来るやつに対してはその黄色と黒を動かして威嚇するのだと考えると無理がないと思う。
※2023年時点での仮説は「獲物がクモを避けて飛ぶように、つまり横糸のある部分に飛び込むように誘導するためのものだろう」というものになっている。
さらにこれら三種のクモとスズメバチの仲間の分布も調べてみた。
まずコガネグモ。この子は本州以南、伊豆諸島、台湾、中国に分布している。それとほぼ重なるのがオオスズメバチで、東アジアと日本に分布している。コガネグモの黄色と黒の横帯の幅がオオスズメバチと比べて相当に広くて黄色も鮮やかなのは特徴を強調することでアピール度を高めているのだろう。
ジョロウグモの分布域は本州から沖縄本島までと朝鮮、中国、台湾、インドだそうだ。それに対してスズメバチ亜科の分布の中心は東南アジアで、ヒメスズメバチやモンスズメバチ、そしてアシナガバチがジョロウグモの分布域に重なる。
問題はナガコガネグモで、生息域が日本からユーラシア大陸全域と北アフリカ辺りまで広がっている。おそらくそのために、どのハチに擬態するかに迷いがあるのではないかと作者は思う。地中海沿岸からマダガスカル、インドにかけて分布するオリエントスズメバチは複眼の間と腹部の帯が黄色だし、ヨーロッパクロスズメバチは黒地に黄色い線だ。黄色を使っているのは共通だが、その幅と他の色との組み合わせをどうするかと考えすぎて、逆におとなしめの配色になってしまったように見える。その地方にいるハチに合わせて亜種を形成できれば良かったのにね。
原稿書きはここまでだ。生け垣のナガコちゃんの所に行ってお尻をツンツンしてこよう。〔このセクハラ野郎! ☓☓☓☓☓、☓☓☓☓☓☓☓☓!〕
10月のある日。
ロードバイクで十王ダム方面へサイクリングに行った時に円網から離れて草の上にいるナガコガネグモを見つけた。この子のお尻もツンツンしてみると、この子は大慌てで円網の中心に戻ってそれを揺らしたのだった。逃げるなり隠れるなりした方がいいだろうに。これは本能のプログラムに素直に従って行動しているということなのかもしれない。
※ナガコガネグモが円網を離れるということは、産卵場所へ向かう途中だったのかもしれない。我ながら迷惑なことをしたものだ。
11月のある日。
十王ダムの近くで草の葉の上にいる体長20ミリほどのジョロウグモを見つけた。もちろんツンツンしたのだが、この子は一列めの脚(正式には第一脚と言う)二本を振り上げて威嚇してきた。面白いのでさらにツンツンすると、今度は右の第二脚まで上げる。さすがに気の毒になったのでそれ以上ツンツンするのはやめたのだった。〔むやみに手を出すと咬まれるぞ〕
腰を振る行動を見せず、逃げようともしないジョロウグモは初めて見た。〔ジョロウグモをツンツンするのはまだ二回目だろうが!〕
観察例が少ないので科学的に意味のあるデータではないのだが、個体によって指への対応が変わるということなら、それぞれのクモが自分の判断で行動しているということになる。SF者である作者はあえて言おう、「ジョロウグモはある程度の知性を持っている」と。
ジョロウグモが知性を備えているという仮定が成り立つとすると、お尻をツンツンした時の逃げたり逃げなかったり、腰の振り方も横方向に振ったり、楕円を描くように振ったり、移動してから振ったり、移動しながら振ったりと個体によって腰の振り方が違っているのも説明しやすいだろう。それならば、仲間を殺されたジョロウグモのリーダーが生き残った仲間たちを率いて人間どもに復讐するというお話が作れるかもしれない。そのタイトルはもちろん『ジョログモ』だ。〔アパッチ族のシャーマンかい!〕
とは言っても、ジョロウグモは基本的に群れないし、その毒も人間の命を奪うほどの強さではない。だからといって、体長数十メートルまで巨大化しても円網を離れることがほとんどないクモなら近寄らなければ危険はないし、造網性のクモが巨大化するためにはその巨体を維持できる量の獲物や巨大な円網を張れるような巨木まで必要になるはずだしなあ……。
2020年4月のある日。
今日は予想最高気温が21度だというので、思い切って半袖ジャージを着てロードバイクにまたがった。
桜は開花時期の遅い八重咲きのもの以外は散ってしまっていたが、道端にはマーガレット、林には薄紫のヤマフジ、民家の庭先にはリンゴらしい白い花も咲いていた。
いつもは入り込まない脇道に入ってみると、そこにはシソ科のオドリコソウも咲いていた。しかもほんのりピンクの花を咲かせている株も白花の株もある。同じシソ科で草丈の低いヨーロッパ原産のヒメオドリコソウは道路脇などに普通に咲いているのでよく見るのだが、オドリコソウは初めて見た。ウィキペディアによれば、オドリコソウは「北海道、本州、四国、九州(及び朝鮮半島、中国)に分布し、野山や野原、半日陰になるような道路法面に群生する」と書かれているからヒメオドリコソウよりも水分の多い環境を好む草なのだろう。どうやら作者はオドリコソウが咲かない場所ばかりを走っていたというだけのことだったようだ。いやいや、また新しい発見をしてしまったよ。
今日はガシガシ走る気になれないので、3日前にヨツデゴミグモという小型のクモをしつこくツンツンして1列目の脚二本を振り上げられた生け垣に行ってみることにした。で、今回もツンツンしてみたわけだが、この子はツンツン1回で脚を振り上げたのだった。これは学習したということなんだろうか?
その左隣にもやや小さめのヨツデゴミグモがいたのでツンツンしてみたのだが、なんと、この子は1列目と2列目の計四本の脚を振り上げた! これはいったいどういうわけなんだろう? 右隣の子と違って円網越しに腹側をツンツンしたせいなのか? それとも体の大きさによって反応が変わるんだろうか?
クモは節足動物なので脱皮する度に大きくなっていく。古い外骨格を脱ぎ捨てた後、その下に用意されていた新しい外骨格が硬くなるまでの時間を利用して階段状に成長していくわけだ。その成長段階によって違う対応をするように本能にプログラムされていれば、こういうことも起こり得るかもしれない。ああっと、隣の子からセクハラ野郎の話を聞いていて、ツンツンされたら即威嚇することにしていた、という可能性もないとは言えないかもしれないな。
さらにその左には体長3ミリほどの黒っぽいクモもいた。その長い脚を2本ずつ揃えた姿はおそらくナガコガネグモの幼体だろう。この子もツンツンしてみると、なんと円網を揺らすではないか! 作者は円網を揺らす行動はスズメバチに擬態するためだろうから、ナガコガネグモの場合はお尻の黄色い模様と同時に現れるだろうと予想していたのだが、ハズレだった。
※後でわかってくるのだが、ナガコガネグモやジョロウグモだけではなく、オニグモやゴミグモも円網を揺らすことがある。ただし、揺らす方向は違っている。
このナガコガネグモの近くにはゴミグモも二匹いた。この子たちは全身白っぽい模様入りの黒褐色でお尻の背中側の前方に2個、後方に6個の突起があるので、ゴミの中で脚をたたまれるとどこにいるのかまったくわからなくなってしまう。ゴミグモたちの方もそれをよくわかっているらしくてツンツンしたくらいでは身動きしない。さらにツンツンしても動かない。爪でぐりぐりしても動かない。こうなると、次第にそこにクモがいることが信じられなくなってくる。見事なカモフラージュと忍耐力である。軽くつかんでみたら、さすがにお尻から糸を引いて下方向へ30センチほど逃げたが。〔迷惑だろうな〕
体長2ミリほどの真っ赤なクモも糸にぶら下がって風に吹かれていた。これはコクサグモの幼体らしい。
クサグモのものらしいトンネル付きの水平に広がった棚網もいくつかあった。
さらに左へ五メートルほどの林の中には体長2ミリほどのジョロウグモの幼体がいた。もちろんこの子もツンツンしたわけだが、この子はちゃんと10センチくらい逃げてくれた。ちょっと長いなと思ったら、90度ターンしてさらに10センチだ。まあ、大サービス……というわけではなくて、気温が高いし、小柄なので身も軽いからそれだけ活発に動き回れるとか、そういうことなのかもしれない。これでもっと大きくなると腰を振るようになって、オトナになる頃には腰を振る代わりに脚を振り上げて威嚇するようになるのだろう。ちなみに作者は腰を振るお年頃のジョロウグモが一番好きだな。
話はまだまだ続く。最初のゴミグモまで戻って、その右側には体長5ミリほどのギンメッキゴミグモまでいたのだ。この子は名前通りにお尻の上面が輝くような銀色になっている。もちろんこの子もツンツン……しようとしたのだが、指が触れる前にお尻から糸を引いて地面まで逃げられてしまった。どうも銀色のお尻ではゴミの中に溶け込めないことを理解していて、危険を感じたらさっさと逃げるという方針らしい。そういうやり方もある……のだろうけど、じゃあなんで円網にゴミを付けるんだ? ゴミの中にいたって銀色のお尻は丸見えだよ。矛盾してない? ただし、黒いお尻のギンメッキゴミグモもいるということだから、個体変異の範囲内なのかもしれない。それとも、山姥メイクとかルーズソックスのような単なる流行なんだろうかなあ。「アタシは好きでやってんの。ほっといてよ!」とか? やれやれ、若い子の考えることはわからんよ。〔クモの気持ちが人間にわかるかよ!〕
ここは林の近くの民家の長さ三メートルほどしかない生け垣なのだが、このようにクモの人口密度(クモ口密度?)が高いのである。クサグモが密集して棚網を張っていることはよくあるのだが、これほど多くの種類のクモが見られる場所は初めてだ。周辺のの民家の生け垣を片っ端からチェックしてもクサグモしかいなかったし。
この生け垣は昼過ぎから日の当たる向きになっているから、それがクモたちにとっての快適な環境を提供しているのかもしれない。そういえば、30キロ先の行きつけのコンビニの近くの生け垣にも多くのゴミグモが住みついていたし、ナガコガネグモを見たこともある。
その翌日。
自宅の近くで体長10ミリほどのオニグモの幼体(多分)を見つけたのでツンツンしてみた。この子は腹側から円網越しにツンツンしても脚4本を広げただけだったが、反対側から直接お尻をツンツンしてみると円網を揺らした。しかも、頭とお尻の先端を結ぶ体軸方向にだ! オニグモもコガネグモ科らしいので円網を揺らしても不思議ではないのだが、ナガコガネグモのようにZ軸方向ではなく、ジョロウグモのようにY軸方向でもなく、X軸方向だとは思わなかったよ。ジョロウグモのが「腰を振る」ならオニグモのはヘッドバンギングかな?
どうも円網を張るようなクモは背後が風を遮るような壁とか林とかで前面が開けている場所を好むのではないかという気がしてきたので、サイクリングのついでにそういう場所を集中的に捜索していたら、体長10ミリほどのオニグモの仲間が農道の脇の林に五匹ほど密集しているエリアを見つけた。で、もちろん順にツンツンしていったわけだが、この子たちは最終的には全員逃げた。円網の端へ行くにせよ、お尻から糸を引いて地面まで降りるにせよ、とにかく逃げた。それだけならわざわざ報告するほどの価値もないわけだが、興味深い行動も2件観察できた。
1匹のオニグモの仲間(オニちゃんAとする)をツンツンしたら、この子は糸を伝って円網の外まで逃げたのだが、その糸は別の個体(オニちゃんBとする)の円網に繋がっていたのだ。自分の円網に侵入されたオニちゃんBは1回だけ例のヘッドバンギングをした。するとオニちゃんAはあわてて円網の外へ逃げていった……ように見えた。この場合、オニちゃんBのヘッドバンギングは「ここはあたしの家よ。とっとと出てって!」という警告であり、それを理解したオニちゃんAが逃げた、という解釈が可能だろうと思う。たった1つの観察例だけでは単なる偶然ということもあり得るのだが、作者はSF者なので最も過激な仮説に従って話を進めてしまおう。
これらの行動が起こるためには、まず第一にオニちゃんBが自分の円網に侵入して来たのが獲物ではなく、自分以外のクモであることを察知しなければならない。これはおそらく円網の振動パターンの違いでわかるのだろう。第二にオニちゃんBのヘッドバンギングが警告であるということをオニちゃんAが理解している必要がある。つまり共通の言語を持っていなければならないわけだ。クモは基本的に単独で生活する動物だからそういうものを使う機会はあまり多くはないだろうが、金子隆一著『ぞわぞわした生きものたち』(2012年発行)によれば「……確実な本当のクモは、現在知られている限りでは、石炭紀後期末、3億390万~2億9900万年前には生息していたようだ」と書かれているから、3億年もの間に、ある程度の知性を獲得していても不思議はないだろう。ミツバチはわずか2千万年ほどで蜜のある位置を仲間に教えるためのミツバチダンスを獲得しているのだし。
また、このオニグモたちの中にはお腹側から円網越しにツンツンしても反応しない子もいたのだが、この子も背中側から直接だと脚を4本振り上げ、さらにツンツンすると円網の反対側へ回り込んだ。少なくともこの子は円網の防御力を信じているようだ。ただ、もっと小さい幼体だとまた違った反応を見せる可能性はある。この辺りは来年以降の課題としよう。
続いて今日もゴミグモたちのいる生け垣を覗いてみた。すると見慣れないクモが1匹。体長は7ミリほどで、楕円形のお尻には黒地に鮮やかな黄色の幅の広い縦帯が2本、腹側には同じくらいの幅の緑色の縦帯が2本ある。ツンツンした時の反応は円網の上を逃げて行くというパターンだ。今日届いた新海栄一著『日本のクモ』(2006年発行)で調べてみたところではアシナガグモ科のシロカネグモの仲間のどれからしい(よく似ているオオシロカネグモ、チュウガタシロカネグモ、コシロカネグモの3種がいる)。ただし、この図鑑ではお尻の下面の緑色の縦帯についての記述はないし、この子が成体だとも限らない。
この図鑑にはお尻の上面に黄色い部分があるクモがヒメグモ科、サラグモ科、アシナガグモ科、ジョロウグモ科、コガネグモ科に合わせて19種以上も載っている。ヒメグモ科以外は比較的大型のクモが多くて、だいたい黄色と黒の組み合わせだからやはりハチに擬態しているのだろう。ジョロウグモの幼体のお尻は黒地に黄色のまだらで成体は黄色の横帯だし、体長が最大で50ミリに達するというオオジョロウグモの成体には腹部に黄色い縦線を持つ個体もいるということだから黄色と黒の組み合わせなら横でも縦でも通用するということなんじゃないかと思う。
派手なクモの代表がシロカネグモやジョロウグモなら地味派の代表はゴミグモの仲間だろう。今回は体長0.5ミリほどのヨツデゴミグモの幼体をツンツンすることにする。ゴマの種子よりも小さなクモだが、円網に特徴的な細い渦巻き形の隠れ帯が付いているので間違いない。ウズグモ科のクモも渦巻き形の隠れ帯を付けるのだが、ウズグモの隠れ帯は幅広で3重以上の渦を描くのに対してヨツデゴミグモの渦は細く、1巻きと4分の1からせいぜい2巻きというやる気のなさそうな渦なのですぐわかる。しかもこの隠れ帯は、早ければほんの数日でパソコンの電源ボタンマーク形からI字形に変わり、その後はゴミが取り付けられていくことになる。そのためか、この渦を見ることができた人には幸せが訪れるという古い言い伝えもある。〔嘘だ!〕
ええと、このヨツデゴミグモもツンツンしたわけだが、この子は予想通りお尻から糸を引いて20センチほど下まで逃げた。隠れられていないことを理解しているわけだ。逃げるのをやめるのは円網の中央にゴミを付けてからになるのだろう……と思う。多分。
念のために言っておくと、コガネグモは円網にX字形の隠れ帯を付けるし、ナガコガネグモもI字形の隠れ帯を付ける。ウィキペディアによると、隠れ帯にはカモフラージュの機能はないので専門用語としては「白帯」が用いられるらしい。ということは、これらのクモが稽古を続けて強くなれば茶帯を経て黒帯になっていくのだろうな。〔白帯の読みは「はくたい」だぞ〕
最近の説では、隠れ帯は隠れるためのものではなく、紫外線を反射させて飛んでいる昆虫をおびき寄せるためのものだと言われているらしい。紫外線の反射率の違いによって昆虫に蜜があることをアピールする花も多いらしいからそれをまねているというわけだ。特に渦巻き形の隠れ帯はそれを見た獲物が目を回してしまったところに襲いかかろうという高度な戦術に基づいている……わけはないな。獲物を隠れ帯に沿って円網の中心近くに誘導しようというところか。ゴミグモの仲間はジョロウグモや他のコガネグモ科のクモのように脚が長くないから幼体のうちは獲物を手元まで誘い込むように進化したんだろう。
※後に作者の生息域にいるコガネグモ科のクモの隠れ帯には誘引効果はないらしいことがわかる。誘引説の元になった実験はアメリカ大陸に生息するギンコガネグモで行われたのだ。日本のコガネグモ科のクモの隠れ帯にも誘引効果があるということは確認されていなかったのである。
さらに前回よりも少し大きくなったものの、まだお尻に黄色い横縞が現れていない体長10ミリほどのナガコガネグモもツンツンしてみたのだが……今回は円網を揺らさなかった。理由はわからない。生け垣の少し奥の方、クサグモの棚網の背後にいたせいなのか、前回はたまたまフライングしてしまっただけなのか、あるいはセクハラ野郎につきあう気をなくしてしまったということなのかもしれない。どうにもゴミグモの仲間以外はツンツンする度に違う反応が返ってくるので困ってしまう。
「おーい、クモよー。何を考えているんだ-」〔…………〕
5月のある日。
街路樹の幹の表面を歩いている多数のテントウムシの幼虫(ナミテントウだと思う)を見つけたので数匹のお尻をツンツンしてみたのだが、前脚2本を振り上げた2匹を除いて無視された。これもイモムシたちと同じ「ノーガードで食いまくれ」という戦略なのかもしれない。
後日、ナナホシテントウの成虫を2匹見つけたのでツンツンしてみたところ、1匹は葉の裏に隠れ、もう1匹は地面に落下した。天敵に対する反応ということならどう見てもこれらの方が正解だと思うのだが……どうして幼虫は逃げも隠れもしないんだろう? 脚が短いし、翅もないからか? 以前ツンツンしたイモムシも食べるのをやめただけで逃げようとはしなかったし、アゲハチョウの幼虫はオレンジ色の角を出す。しかし、ゴキブリの子虫は人間が近寄っただけで逃げていく。ということは、逃げ足が速ければ逃げるが、遅いのなら無視するか威嚇するか、せいぜい動きを止めるかするだけということなのかもしれない。テントウムシの成虫が逃げるのは少しは逃げ足が速くなったからなんだろう。
話は変わるのだが新海栄一著『日本のクモ』によると、コガネグモ科オニグモ属にはアカオニグモとアオオニグモが、ネコグモ科にはウラシマグモとオトヒメグモがいるらしいぞ。
コモリグモ科にはヒガシコモリグモとミナミコモリグモがいるからニシコモリグモとキタコモリグモが発見されるのも時間の問題だろう。ヒキコモリグモというのもいいかもしれない。
他にもハエトリグモ科にはアシブトハエトリとウデブトハエトリがいる。ウデブトハエトリは一列目の脚だけが太いことによる命名だそうだ。クモに腕はないだろうに。
コガネグモ科のチブサトゲグモなんて触ったら痛そうだ。〔触るな!〕
カニグモ科のキハダカニグモというエロい名前のクモもいる。〔「木肌蟹蜘蛛」だ。「ハダカ」の前後で区切るんじゃない!〕
アシナガグモ科にはキンヨウグモと〇〇ドヨウグモという名前が付いているクモが七種いるのだが、どうせならニチヨウグモ、ゲツヨウグモ、カヨウグモ、スイヨウグモ、モクヨウグモにして欲しかったな。1日分足りないのが問題だったのかなあ。
ホシスジオニグモ(多分)もツンツンしてみた。この子は腹側から円網越しにツンツンした場合にはヘッドバンギングをしたのだが、背中側からだと円を描くように腰を振るのだった。2回ずつ繰り返しても同じ反応が返ってきたから、少なくともこの子はどの方向からツンツンされたかによって違う対応をすることにしているようだ。スカスカの円網に防御力などあるとは思えないのだが、昆虫サイズの相手になら有効なのかもしれない。
このクモが円網の上を逃げていくのを追いかけて頭胸部をツンツンし続けたところ、この子は逃げるのをやめて、1列目の脚を2本振り上げた。さらにツンツンし続けると2列目の右脚も振り上げたのだった。これはどう見ても威嚇である。糸を引いて地上へ逃げるという選択肢は考えていないらしい。
またまた話は変わるのだが、『日本のクモ』の表紙裏に描かれていたクモの系統樹によると、ジョロウグモ科とコガネグモ科とアシナガグモ科は系統的に近縁らしい。詳しく説明すると、これらの共通祖先からまずジョロウグモ科が分かれ、その後にコガネグモ科とアシナガグモ科が分かれたということだ。そうするとアシナガグモの仲間にも円網を揺らす形質を受け継いでいる子がいる可能性があるかもしれない。
※後にアシナガグモ科のコシロカネグモでも円網に侵入して来た他のクモに対して円網を揺らす行動が観察されることになる。
おおっと、ここで新事実を発見。系統樹の根元側にユウレイグモ科というのがあった。この比較的小型でやたら脚の長いクモたちは不規則網という特定の形状が見られない不規則に糸が引かれた網を造るらしいのだが、危険を感じると体を激しく揺らして相手を驚かすのだそうだ。おそらくこれがジョロウグモ科やコガネグモ科の威嚇の原型なのだろう。この行動を糸で造られた円網という振動しやすい構造物の上で行うと腰を振るとか円網を揺らすとかになるはずだ。
後日、体長14ミリほどのゴミグモの円網に指を置いて振動させてみたところ、この子はゴミの中から数歩踏み出して1列目の脚を2本振り上げた。これは獲物がかかったと判断したのかもしれない。さらに振動させ続けると、ごく短時間だが、ヘッドバンギングも見せた。ゴミグモは脚が短いし、ゴミの中に紛れ込んでいるので円網を揺らすことはないだろうと思っていたのだが、わずかながらもちゃんとコガネグモ科らしい行動をするのだなあ。しかし、そのゴミグモは1列目の左足に糸を引っかけて弾くような動作をした後、ゴミの中に戻ってガードを固めてしまった。このつま弾き行動によって襲うか、ガードを固めるかの判断をしているようだ。おそらく、円網の振動で獲物の大きさを判断しているのだろう。
※後でわかってくるのだが、ゴミグモの場合は手に負えないような大型の獲物が円網にかかった場合に、その獲物が円網から外れるように円網を強く揺らし続けることがあるようだ。
またまた後日、ツツジの葉の上にいるハエトリグモ科のネコハエトリ(多分)を見つけたのでツンツン……しようとしたのだが、指が届く前に脚を2本振り上げて威嚇されてしまった。ハエトリグモの仲間は捕獲用の網を張らず、歩き回りながら眼で獲物を探して飛び付くという狩りをするそうだから、指の接近に気が付いたので威嚇したということだろう。ただし、体長7~8ミリほどのクモから見れば人間は200倍以上の大きさになる。そんなゴジラよりもはるかに巨大な怪物が迫ってきたら逃げることを優先するべきだろうに。これはもう勇敢を通り越して無謀としか思えない。ハエトリグモの狩りはジャンプして獲物に襲いかかるというやり方だから、獲物だと判断したわけでもなさそうだし、もしかして、私の人差し指の先端部分しか見えていなかったんだろうか?
その子にはもう一度指を近づけても威嚇されたのだが、さらにもう一度近づけると指に向かって踏み出して葉の縁を踏み外してしまった。お尻から命綱(しおり糸と言う)を引いていたから20センチほどぶら下がったところで止まったのだが、この子はいったい何を考えていたんだろう? 作者の人差し指でも普段獲物にしているような昆虫よりもはるかに大きいはずだぞ。たまたま気性の荒い子だったということなんだろうか。あるいは長いあいだ人里で暮らしてきたので人間という存在に慣れてしまったのかもしれない。いずれにせよ、クモの世界はまだまだ謎が多いのだなあ。
5月下旬のある日。
近所で体長2ミリほどのクモを2匹見つけた。お尻は黒地に白のまだら模様で、直径15センチほどの円網の前後には不規則網状のバリアーがある。これは、と思ってツンツンしてみると、この子たちも円網の端まで逃げてからちゃんと腰を振った。間違いない。ジョロウグモの幼体である。いやはや、今年は会えないのかと思っていたのだが、他のクモよりも現れる時期が遅いというだけのことだったようだ。
話は変わるのだが、近所の水田にはサギが3種類くらい住みついているらしい(ダイサギ、コサギ、アオサギだと思う)。水田で獲物を捕り、近くにある林をねぐらにしているようだ。そして5月頃からカモが3羽見られるようになっている。羽の色が地味な茶色と白なのでカルガモの雌かなとも思うのだが、この季節に子育てしていないとか、雄がいないという点に疑問が残る。写真を撮ろうとしてもロードバイクを停めただけで逃げられてしまうので停まらずに「カモーン!」と呼びかけてみたのだが、英語は通じないようだった。〔当たり前だ!〕
6月初め。
オニグモの仲間の円網の端の辺りを指で振動させてみた。前回のゴミグモには見破られてしまったようなので、今回は昆虫になりきって「あ、しまった。逃げなきゃ。逃げなきゃあ!」という感じで、もがくように揺らしてみた。するとそのオニグモは作者の指の方を向いてわずかな時間様子を見てから一気に駆け寄ってきた。体長はゴミグモの成体よりやや短いくらいなのに積極的である。ゴミグモのように隠れる場所を用意していないからガードを固める意味がないということなんだろうか?
円網に触れたままでいれば捕帯でぐるぐる巻きにされて牙を打ち込まれていたかもしれないのだが、残念ながら作者には縛られたり咬まれたりして喜ぶ趣味はないので手を引かせてもらった。しかし、いつかはその先まで踏み込んでしまうことになりそうな気もする。クリスティー・ウィルコックス著『毒々生物の奇妙な進化』(2020年発行)には命に関わらない程度に薄めた毒蛇の毒を自分の腕に注射する人たちが何人か登場するし、どこかの国ではスパイダーマンになりたくて、わざと毒グモに咬まれた子もいたらしい。〔放射線を浴びて突然変異を起こしたクモでなければ効果はありません。よい子は真似しないでね〕
ついでに言っておくと、人間がクモの能力を獲得するというのなら糸は手首からではなく、お尻の出糸器官から出すはずだが、スーパーヒーローがお尻丸出しの全身タイツを着るわけにもいかなかったんだろうな。それに人間がクモ化するというのなら腕と脚が3本ずつ増える方が先だろう。実際にそうなったら仮面ライダーの怪人にしかならないだろうけど。
今日はコシロカネグモの円網に白っぽい他のクモ(網を張らないエビグモ科のシャコグモだと思う)が侵入したところを観察する機会にも恵まれた。侵入者に気付いたコシロカネグモは相手を円網の縁に沿って追いかけ回し、最後は円網を揺らして追い払った。円網を揺らして威嚇する行動はアシナガグモ科にもちゃんと受け継がれていたのだな。ということは、以前オニグモの仲間が円網を揺らしたのも作者に対する威嚇だったということになるかもしれない。クモに対するのと同じ威嚇行動をしてくれたというのならとても光栄なことだが……円網を張るクモは長時間動きまわるのが得意ではないだろうから、体温が上昇して逃げられなくなったから威嚇に切り替えたという程度の話なのかもしれない。
なお、このコシロカネグモは前回と同じ場所にいたのだが、前回は黒かった脚がメタリックグリーンになっていた。
「シロちゃんはいつもと同じだ。でも脚の色が違う。この円網は狙われているんだ!」というように円網はそのままでクモだけが入れ替わったというのなら面白いのだが、おそらく成長の段階によって色が変化するのだろう。ジョロウグモのお尻の模様は幼体では黒地に黄色のまだらで、成体になると横縞になるし、ナガコガネグモのお尻も幼体では黒と白の横縞だ。
さてさて、ここでも疑問が生じる。この子はなぜ体表面の色を変えるのだろうか? それを考えるために模様が変わる三種のクモの雄と雌の体長を比べてみた。
ジョロウグモの雌は雄の約3倍、ナガコガネグモでも2倍になる。そうすると同じ時期に卵から孵っても雄の方が先に成熟することになるだろう。この場合、飢えた男どもがまだオトナになっていない女の子に襲いかかるということにもなりかねない。そういう事態を防ぐために体色を変えることで雄に向かって「お預け! あたしはまだ成熟してないのよ」というメッセージを送っていると考えられるのではないだろうか。で、成熟したら成体の模様に変えて「もういいわよ。来て」というわけだ。コシロカネグモについては雌がどれくらい体色を変えるのか未確認だが、雄と雌の体長の比がだいたい1対1.3だからあまり大きな変化は必要ないかもしれない。
※実は造網性のクモは一般的に視力が弱いらしい。となると、体色の変化は獲物との関係という面から考えるべきなのかもしれない。例えばジョロウグモのお尻は体長5ミリくらいまでは白と黒だが、それ以上に大きくなると黄色と青灰色になる。これはクモには獲物の体当たりを避けることはできないので、獲物の方でクモを視認して避けてもらいたいということのような気がする。
低木の葉の上で密集している1ミリもないような子グモたちを見つけた。このクモの子団子も何気なくツンツンしてみたのだが、それが一気に広がったので驚いてしまった。これもおそらく威嚇なのだろう。分散して逃げるよりも驚かす方が効果的だとわかっているのだな。なお、その近くには多数の子グモの抜け殻らしいものも残っていたから、もう一度脱皮するくらいまでは集団でいるということなのかもしれない。
※「蜘蛛の子を散らすように」という例えもあるのだが、これは卵囊を破った場合にその中にいた子グモたちが無秩序に逃げていくことから成立した表現だそうだ。あてにしていた卵囊という防御システムを破壊されたら、それはパニックにもなるだろう。それに対して、卵囊を出た後にツンツンされた場合には、統制された動きで集団を広げることで獲物が急に大きくなったように見せるわけだ。実際、作者も驚いてしまった。もう一度ツンツンしていたら、その時こそ「この手は通用しない」と判断して蜘蛛の子を散らすようにデタラメに逃げたのかもしれない、と今は思う。
ウィキペディアの「クモ」のページには「クモ類は一腹の卵を糸で包んで卵囊を作る。卵が卵囊内で孵化すると、一令幼虫は卵囊内に止まり、もう一度脱皮して二令になって初めて出てくる。多くのクモ類ではしばらくの間はこの卵囊の周囲に子グモが集まって過ごす。これを「まどい(団居)と呼ぶ」と書かれていた。このクモの子たちも、もう一度脱皮してから旅立っていくのだろう。その時に多くのクモが行うのが糸を伸ばして風に乗るバルーニングだ。こうして生息範囲を広げるので東南アジアのクモが日本で見つかるようなこともあるらしい。
ここで疑問が生じるのだが、なぜクモは脱皮してからバルーニングをするのだろう? まどいの状態ではおそらく獲物を捕らえることはできないだろう。目立つまどいを形成するよりもさっさと風に乗って旅立ってしまった方がいいような気がするのだが……。考えられる理由としてはダイエットだろうか。何も食べずに脱皮して体が軽くなれば、それだけ遠くまで飛べるというわけだ。母乳が与えられないとすぐに死んでしまう哺乳類の赤ちゃんとは違って、クモはもともと長期間何も食べずに生きられる生物だからできることなのだろう。なんとも凄まじい生き方ではあるが。
そして、その多数の抜け殻の近くには体長3ミリほどの脚の生えた銀色のとんがり帽子みたいなクモもいた。新海栄一著『日本のクモ』によると、この子はシロカネイソウロウグモらしい。イソウロウグモの仲間は自分で網を張ることをせず、「他のクモの網の中に侵入して網の主が捕らえた獲物を盗み食いしたり、網にかかった小昆虫を食べる」のだそうだ。うーん……体長で最大10倍にもなるクモから横取りって、哺乳類だとトラの獲物を横取りするイエネコというところだろう。どうして主に襲われないんだろう? あまりにも小さすぎて食いでがないということだろうか? あるいは食われたり追い出されたりしないような侵入のしかたを知っているのか、だな。
※後にゴミグモで居候ごと円網を切り落とすという行動が観察されることになる。寄生する方とされる方の体格差にもよるのだろうが、黙って寄生されるばかりではないようだ。体格差が小さいほど追い出すことによるメリットが大きくなるということなのかもしれない。
ここにはシロカネグモの仲間の雄らしい赤褐色の脚の長いクモもいたのだが、こいつがどうにもやる気がなさそうな奴で、糸を1本ほぼ水平に張り渡して、その中央辺りから垂らした糸にぶら下がって脚を広げているのである。脚の先を順に口元に持っていくのだが、それ以上のことは何もしないのだ。いくら雄だからといっても円網も張らず、隠れもしないでぶら下がっているクモというのは初めて見た。
雄の場合は、成熟してしまえば後は体力を維持するのに十分なだけの食事をすればいいわけで、さほどがっつく必要は……いやいや、外骨格だと成体になったらそれ以上成長できないのだから絶食するしかないのだ! 生物の目的は自分の遺伝子を次の世代に伝えて行くことだから食べる必要がないのならそれでいいわけだが、基本的にいくらでも太れる内骨格の哺乳類には理解しがたい世界ではある。
※実はオニグモやコガネグモなどのお尻の外骨格は柔らかいのらしい。大きな獲物を食べると目に見えてお尻が膨らんでいくのだ。
くすんだピンク色のゴミグモの仲間もいた。『日本のクモ』によると、この子は「海岸~山地まで広く生息するが個体数は少ない」というキジロゴミグモらしい。体色は黄色でも白でもないのだが、緑色の部分がないのにミドリアシナガグモという名前を付けられているクモもいることだし、成長の途中でそういう色になる時期があるというようなことなのかもしれない。
そして、今日もゴミグモたちの円網を指で振動させてみた。まずは体長10ミリくらいの子から。この子はZ軸方向(円網の平面と直交する方向)の振動にはゴミから1歩踏み出すくらいの反応しか見せなかったのだが、X軸方向(クモの体軸と平行な方向)に揺らすと素早く駆け寄ってきた。もしかすると、ゴミグモを誘い出すのには円網を揺らす方向が重要であるのかもしれない。それがゴミグモにとってどういう違いになるのかまでは見当も付かないが。
続いてその辺りでは最も大きい体長12ミリほどの「ゴミグモ婦人」と名付けた子の円網にも指を置いてみた。今回は思い切ってゴミの中に隠れているゴミグモ婦人のすぐ近くである。すると、ゴミグモ婦人はゴミの中から踏み出して手、もとい、第一脚の先を作者の人差し指にそっと乗せたのだった。襲いかかるでもなく、ガードを固めるでもなく……。ああっ、なんてこった! これは映画『E.T.』のあのシーンと同じではないか! シャイで慎重なタイプのゴミグモたちがガードを固めたりしたのは、いきなりお尻をツンしたからだったのだ。〔当たり前だ。りっぱなセクハラだぞ〕
人間とゴミグモという異種の生物同士でも友好的なコミュニケーションは可能だったのだなあ。しかもそれは、ただ近くに指を置くだけでできることだったのだ。今、作者は強く思う。スティーヴン・スピルバーグ監督もゴミグモとハイタッチをした経験があるに違いない、と。〔アメリカ大陸にゴミグモはいないぞ〕
ええと、作者はそのままいつまでもゴミグモ婦人とハイタッチをしていたかったのだが、しょせんは異種の生物同士である。そういうことを続けていると通報されてしまいかねない。そこで前回さんざんツンツンしまくったオニグモの仲間の所にも行ってみることにした……のだが、この子は1回のツンツンで下生えの中に逃げ込んでしまった。ゴミグモ婦人と浮気しているところを見られていたんだろうかなあ……。〔いじめられたのを憶えていて、さっさと逃げることにしていただけだろ〕
ええと……最近では異星人とのファーストコンタクトはまず素数列を送信するということになっているらしいのだが、宇宙のどこかにはコンピュータどころか、数という概念すら持っていない新石器時代の地球人のような知的異星人も存在するはずだ。そういう異星人とのコンタクトは指先でタッチすることから始めるべきだと思うのだが、どうだろうか?
さてさて、ここで残念なお知らせ。ゴミグモ婦人とはハイタッチできたのだが、他の若いゴミグモたちとはまだコンタクトできていないのだ。まだ何かが不足しているということである。もしかすると、ゴミグモ婦人は作者の指を成熟した雄だと思い込んだのかもしれない。つまり「ああ、男が欲しい……」という気分になっていたオトナの女性に手を出してしまったというわけだ。
しかし、作者も人間である。「ああ、あなたはどうして人間なの。お父様と縁を切り、人間であることを捨てて。そうすれば私もゴミグモである事を捨てましょう」なんて言われても困るのである。同じ地球型とはいえ異種の生物との恋など成就するわけがないのだから。〔あなたは人間よ。人間なのよ!〕
6月10日。
作者の自宅から39キロ先の十王ダムのトイレの天井に体長15ミリほどの白っぽくてすらっとした、やたら脚の長いクモが3匹いた。
手は届かないので草の茎でツンツンしてみると、1匹はその茎を抱え込んで放そうとしなかったのだが、残りの2匹は円を描くように腰を振った。体型はアシナガグモ科のようでいてジョロウグモの幼体のように腰を振るクモである。それはいいとして襲ってくる個体と威嚇する個体がいるのはなぜなんだろう? 空腹だと襲いかかるが、そうでなければ「あっち行け」なんだろうか?
6月12日。
今日はクモとのハイタッチの日になった。
まずは体長2ミリほどのジョロウグモの幼体(多分)を指に乗せることに成功した。この子の円網の中心からやや外れた所に指を置いて円網を振動させてみたら近寄って脚を乗せてきたのでそっと持ち上げたのだ。野生の手乗り(指乗り)ジョロウグモである。クモとのつきあい方が確実にうまくなっているのを実感する。よろこばしい。長生きはするもんじゃなあ。
体長10ミリほどのゴミグモにも同じやり方でアプローチしてみると、この子も歩み寄って来てハイタッチしてくれた! 何のことはない。ゴミグモは警戒心が強いので初対面のキツネリスに対するのと同じように「怖くない怖くない……」と少しずつ距離を縮めていくのがポイントだったのだ。やはりいきなりお尻をツンツンしてはいけなかったのだなあ。〔当たり前だ。セクハラだぞ〕
体長5ミリほどのオニグモの仲間の幼体(多分)ともハイタッチしたのだが、この子たちは積極的に近寄ってくるのはいいとして、どうにも「食べられるかしら、これ?」という感じで触肢でもしょもしょしてくる。捕帯でぐるぐる巻きにされたり、牙を打ち込まれたりしないだけでもありがたいのだが、オニグモの仲間はよく言えば積極的、悪く言えばがさつな性格の子が多いような気がする。
オニグモの仲間の円網の端にいたシロカネイソウロウグモともハイタッチした。この子も逃げようとしないタイプだ。しかし、こいつらはなぜ主に追い出されないんだろう? 共生関係が成立しているという説もあるのだが、私はそれを信じる気になれない。あるいは獲物だとも侵入者だとも認識されていないということになるんだろうか?
この日は昼過ぎから青空が広がったので十王ダムのトイレまで3匹のクモの写真を撮りに行くことにした。
ところが、そこには予想外の展開が待ち受けていたのだった。クモたちは3匹とも元の場所にいたのだが、その体が黒と言ってもいいほどの濃い茶褐色になっていたのだ。
「3匹のクモたちは前回と同じだ。でも色が違う。このトイレは狙われているんだ!」〔トイレを侵略してどうするんだ!〕
草の茎でツンツンしてみると、やや潰れた楕円形の軌道ではあるものの腰を振ったので2日前と同じクモたちなのは間違いないと思うのだが、アザラシの赤ちゃんのような大胆なイメージチェンジである。新海栄一著『日本のクモ』で再確認すると、どうやらこの子たちは体を激しく揺らす威嚇行動で有名なユウレイグモ科のイエユウレイグモらしい。2日前は脱皮した直後で、まだ色素が沈着していなかったのかもしれない。
3匹のうち、2匹の不規則網は隣り合っていたのだが、やや小型の子をツンツンすると、大型の子が小型の子を追いかけまわす行動も観察された。どうも小型の子が草の茎に反応したのが気に障ったらしい。おそらくこの大きい方が雌で小さい方は雄なんじゃないかと思う。他の雄に取られないように雌が成熟するまで近くにいなければならないんだろう。クモの雄は苦労が多いのだ。
撮影を終えて外に出ると空が一面の雲に覆われていた。クモを撮っていたらクモっていたのだ。〔…………〕
急いでスマホを取り出して天気予報をチェックすると、あと1時間半くらいで雨雲がやって来るらしい。もう峠を越えて国道349号で帰る時間的余裕はない。国道6号を使うことにする。こちらは片側2車線で路側帯も広いからスピードが出せるし、隣を走る車の流れも速いのでブレーキをかけることも少なくなってペースが上がるのだ。ただ、こちらのルートだと左折レーン付きの交差点が何カ所かある。この場合、道路交通法では自転車は左折レーンを直進しなければならない。つまりこれは「お前らなんか左折車に巻き込まれてしまえ」という法律なのだ(素直に法律を守って巻き込まれるほど愚かではないが)。そういうわけで普段はこのルートは敬遠しているのだが、ここはリスクを背負っても時間優先である。
ボトルの水も必要最小限の量だけを残して捨ててしまう。峠の上りでもなければ少しくらい軽量化しても効果はないのだが、そこは気分である。あとは真っ暗な空の下を家まで39キロ、途中でヘバらない範囲の上限近くのペースで走り続けるだけだ。
途中でパラパラ程度の雨が落ちてきたが、夕立のような本降りになったのは帰宅してから30分後だった。
6月13日
今日は朝から雨。
オニグモの仲間は昼間は隠れている個体が多いらしいのだが、雨の日は比較的暗いせいか、午後四時頃から円網を張っていた体長6ミリほどの子を2匹見つけた。円網を指で揺らしてみると1匹は逃げたのだが、もう1匹は逃げる様子を見せなかったので調子に乗って指を近づけていくとハイタッチ! 相変わらず「食べられるかしら、これ?」という感じのハイタッチだったが、50パーセントの確率で逃げられなくなったのは評価できると思う。そして、逃げるか逃げないかはそれぞれのクモが自分で判断しているような感じがするのだが、どうなんだろうかなあ……。
6月16日。
前回は見落としていたのだが、ゴミグモやヨツデゴミグモの円網は直径20センチくらいなのに対して、くすんだピンク色のキジロゴミグモの円網は直径40センチ弱とゴミグモの仲間としては大きめだった。しかもゴミから上半身を乗り出している。正確に言うと、待機位置は円網の中心なのだが、ゴミはそこから上の方へしか取り付けられていないのだ。どうも隠れることよりも獲物に素早く駆け寄る事を優先しているようなやり方である。どうやらゴミグモやヨツデゴミグモの「安全第一」よりもオニグモの「積極的に食う」寄りの戦略を採用しているらしい。とは言っても、個体数が少ないということはあまり成功しているとは言えない……と思ったら大間違い! 個体数が少なくても絶滅していないのなら、命を繋いでいくことができているのなら、それはそれで成功していると言えるのだ。
それに対してヒトの個体数は過去200年で6倍に増えてしまった。生きるために必要な資源量を考えれば、これは明らかに増え過ぎである。スペースコロニーなり、火星移住なりを実現せざるを得なくなる時期はすぐそこに迫って来ているんじゃないだろうか。ヒトの場合は簡単に個体数を減らすというわけにもいかないのだから。
※ついでに言ってしまえば、作者は文明を築き上げてしまった人間はシロアリのようなものだろうと思っている。人間をこのまま放っておけば、いつかは地球という木造家屋の柱をボロボロにして、その中に住んでいる者たちごと倒壊させてしまうだろう。残念ながら作者もまた1匹のシロアリだし、シロアリにも生きる権利はあるのだから「シロアリを駆除しましょう」と言うわけにもいかないのだがね。
正直なところ、地球環境をこれ以上破壊しないためには、人間を1万分の1くらいまで減らして人口密度を縄文時代レベルまで下げる必要があるだろうと思う。
ホシスジオニグモ(多分)も以前見たのと同じ場所にいて、少し大きくなっていたので指を近づけてみたのだが、今回はハイタッチどころか作者の指に乗ってきた。それでもクモの牙ではヒトの爪を貫けまいと思って放っておいたのだが、サイドへ回り込む素振りを見せたので慌てて手を引かせてもらった。ほんの1ミリか2ミリ大きくなっただけなのだが、成長した分攻撃的になったようだ。着実に「オニ」になっていくのだなあ。そのままの君でいて欲しいのに。〔人間の都合をクモに押しつけるんじゃない!〕
お尻に2本の白い縦帯があるシロカネグモの仲間もいた。これなら福岡県出身の研究者に「こんクモはほんなこつ白かねー」と言ってもらえるだろう。〔「白金蜘蛛」だぞ〕
この縦帯の色の変化が成長の途中で現れるものなのか、ヒトの髪の毛のように個体変異の範囲で黄色の個体と白い個体がいるのかはわからない。クモの場合、色や模様の個体変異が大きい種が多いのだ。
体長は7ミリほどで、丸っこいお尻がライムグリーンの地に輪郭がボケた黄色の横帯というコガネグモ科ヒメオニグモ属のサツマノミダマシもいた。新海栄一著『日本のクモ』によると「この和名は京都府と福井県の一部で呼ばれているサツマの実(ハゼの実)に似ていることから付けられている」のだそうだ。クモにダマす意図があるわけがないのだから、せめて「サツマノミモドキ」という和名にして欲しかったところだな。それでは植物みたいだというのなら「サツマノミトマチガエタ」かな。だいたい間違える方が悪いんだし。
この子は円網の近くの木の葉の上にいたので指を近づけてみると葉の裏に潜り込んだ。さらに追いかけていくと地面まで逃げていった。『日本のクモ』には「昼間は網の一端の枝や葉裏に潜んでいる」と書かれているから、今度は円網の上にいる時の反応も見てみたいものだ。おそらくゴミグモの仲間よりは積極的な反応を見せてくれるんじゃないかと思う。
6月17日。
近所の生け垣に体長2ミリクラスのジョロウグモが多数住みついているのがわかったので、買い物の途中で10匹ほどの円網に順に触れてみた。すると、逃げたり腰を振ったりせずにハイタッチしてくれたのはそのうちの2匹で、さらに指にまで乗ってくれたのは1匹だけだった。どうやらこの子は前回指に乗ってくれたのと同じ子らしい。こんな小さなクモたちを個体識別できるほどの視力はないのだが、指に乗るか乗らないかはその子の個性なのかもしれない。
ジョロウグモには親から餌をもらう時期もないはずだから、小鳥のように育て方次第で手乗りにできるというものではなさそうだが、こういうフレンドリーな子を選択して飼育し続ければ指に乗りやすいジョロウグモを商品化できるかもしれない。需要があるかどうかが問題になるだろうけど。
さて、今回はクモの学習能力について考えてみよう。
体長2ミリから3ミリのジョロウグモの幼体の多くは円網をツンツンされると円網の端まで逃げてからX軸方向(左右)に腰を振るのだが、そこで特に気になるのは円網をツンツンする度に逃げ出すのが早くなっていくような印象がある点だ。今日などは円網に指を近づけていっただけで逃げ出す子まで現れたくらいである(おそらくバリアーの振動で指の接近を感知したのだろうと思う)。そしてナガコガネグモもZ軸方向に円網を揺らす。また、何回か書いてきたようにオニグモの仲間も短時間ではあるがY軸方向のヘッドバンギングをする。
また、ヨツデゴミグモには脚を振り上げて威嚇されたことがあったのだが、これも以前書いたように一度目は二回のツンツンで脚を振り上げたのに対して、2度目は1回で振り上げるようになったりする。あくまでも個人的な感想なのだが、この子は学習したのではないだろうか? ツンツンされたことを記憶していて、2度目は1回で威嚇することにしていたような感じがするのだ。
※振動を使って威嚇するという行動のルーツはより原始的なクモとされているユウレイグモ科のクモにありそうなので、イエユウレイグモの動画を見てみた。するとこれがまた、「腰を回す」とでも言おうか、脚先を固定して円を描くように体を振り回すのだ。しかも10秒間くらい! さらに糸で包んだ卵を口に咥えた雌は2分間も回していたらしい。ただし、時間はともかく、体長に対する円の直径の比率は小さくなる。やはり体重が増えると振り回しにくくなるということなのだろう。そして、こういう行動が生まれるためには可動域が大きい関節を備えた長い脚も必要だったはずだ。
このように、クモはかなりの学習能力を持っているように見える。そこでウィキペディアの「クモ」のページを開いてみると「小型のクモや幼生では身体に占める脳の容積は非常に大きい。中枢神経が容積の8割を占めて脚の中にまではみ出しているものや、幼虫の期間は身体の割に巨大な脳で体が膨れ上がっているものもある」と書かれていた。なんとまあ、「考える足」のようなクモもいるのだなあ。〔パスカルが言ったのは「考える葦」だぞ〕
これは昆虫と違って頭部と胸部が一体の頭胸部になっているために脳が胸部にまで入り込めるのと、その頭胸部には脚も付いているためだろう。
ウィキペディアにはさらに「幼虫がしばらく成虫と生活を共にする例は少なくなく、これらは亜社会性といわれる」とか「大きな集団をつくり、長期にわたって共同生活するクモは、日本国外からは少数ながら知られている。それは社会性クモ類といわれる」とか「一部のものでは真社会性を獲得しているのではないかとの説や示唆がある」という記述まである。クモは節足動物界の霊長類と言えるような存在だったのだなあ。
しかし、人間がクモを「知的生物だ」と認めるためにはもっと大きな体(せめてサルくらい?)で道具を使うこと、そして直立二足歩行であることが必要だろう。
クモが大型化するのには呼吸システムが障害になる。クモ類は書肺(しょはい)や気管で呼吸する。書肺というのは表皮が局所的に紙の本(紙でなかったら「本」とは言えないような気もするが)のような多数の薄いひだ状に陥入した器官で、もともとはカブトガニの書鰓(しょさい)のように水中の酸素を取り込むためのものが陸上生活に移行する段階で水分の蒸発を防ぐための蓋を獲得したものらしい。気管はもちろん昆虫と同じ呼吸器官だ。問題なのは、これらは昆虫クラスの小型動物向きの呼吸システムだということだ。書肺で呼吸するダイオウサソリの体長は最大でも300ミリ程度。気管で呼吸する昆虫ではボルネオ島の567ミリのナナフシが世界最大らしい。肺呼吸の動物たちと比べるとはるかに小さいが、こんなものは酸素濃度を高くすれば解決できる。たいした問題ではない。
道具については、すでにコガネグモ科のナゲナワグモなどが先端に粘液の球が付いた糸を振り回して獲物を捕らえているらしい。
直立二足歩行に移行するためには「周囲を観察するために立ち上がった」という説でも使えばいいだろう。〔なげやりだな〕
この場合、眼が8個あることで広い視界が得られるという点でも有利になる……というか、クモには捻ることができる首がないし、眼も固定されているから常に360度の視界が得られないと困るのだ。ああっと、足元を見る時も頭胸部を傾けるしかないかもしれない。
さて、これでクモを直立二足歩行で腕6本の知的生物にしてしまえるわけだが、実はもう一つ問題が残っている。この真スパイダーマンはお尻が大きいのだ。〔腹部だ!〕
どういうことかというと、クモの呼吸器官は腹部に位置しているので、そのまま直立姿勢を取ると腹部をがに股の脚で挟み込むという実にみっともない体型にならざるを得ないのである。腹部を後ろに出すと、その分頭胸部が前傾してしまうし、胸の中に移動させようにも通気性のない外骨格はどう考えても呼吸向きではない。
しかし、作者は「直立型にあらずんば知的生物にあらず」などという人間らしい考え方をしない。直立姿勢では無理があるというのなら水平姿勢の6足歩行のまま残りの2本の脚を道具を使うための腕に変えてしまえばいいではないか。
そこで『蜘蛛研究室』というサイトを覗いてみると、クモが歩く時には昆虫と同じように3本の脚で体重を支えて、残った3本を踏み出すので脚は6本あれば問題なく歩けるらしい。つまり、クモ類はすでに2本の腕を持っているのだ。作者が観察した時も歩くのに使っていない2本の脚を使って円網の横糸を張っていたようだし、動画を見た感じではナゲナワグモも脚1本で獲物を捕らえるための粘着球付きの糸を操っているようだった。
さらに好都合なことに『蜘蛛研究室』には「蜘蛛の幼体の足先を見てみると細かい毛の中にカギ型の爪が生えていて、この爪もカニの足のようにギザギザがついています」とも書かれていた。この「カギ型の爪」と7つもある関節を使えば指がなくても道具をつかむことが可能になるだろう。ただ、円網を張るタイプのクモだと道具にするようなものが手に入りにくいから、石器のナイフや槍を使うような方向へ進化するのにはハエトリグモのような徘徊性のクモの方が有利かもしれない。
というわけで、これがクモから進化した知的生物のあるべき姿である。直立型ならともかく、2本の腕で道具を使う巨大なクモという体型では外見がグロ過ぎてマンガや映画では悪役にしかなれないだろうが、小説なら心理描写をうまく使うことで繊細な知性を持った生物にすることもできるだろう。それなら自分で書いてみろと言われても困るのだが……。
ああっと、もうひとつ問題があった。円網を張るクモは罠を使っていることになるのだし、獲物の抵抗を封じるためのロープの代わりに捕帯も使う。オニグモの仲間やツチグモは住居を造る。彼らはすでに必要な道具はすべて持っているのだ。今さらナイフや槍などを発明する必要はないかもしれない。
6月27日。
自宅の近くの植え込みで縦線が斜めになったT字形の糸の上を行ったり来たりしている体長4ミリほどの茶色いお尻のクモを見つけた。頭胸部側に一対の山形の膨らみがあるお尻は丸いからオニグモの仲間らしい。しばらく観察していたのだが、どうにも円網を張る様子がない。ただ往復しているだけのようだった。
新海栄一著『日本のクモ』によると、この子はコガネグモ科コオニグモモドキ属のコオニグモモドキ(1属1種)らしい……のだが、「本州では500メートル以上の山地から採集されるが、1000メートルを超えると急に増えてくる」と書かれている。作者が住んでいるのは海辺の街なので、その場所の標高は約31メートルである。標高623メートルの高鈴山まで25キロくらい、877メートルの筑波山までは45キロくらいだから風に乗ってやって来た迷子なのかもしれない。また、その落ち着きのなさは「糸の途中に待機して獲物を待ち、近づいてくる昆虫を捕らえる」という記述と一致しないのだが、それはおそらく標高が低い分気温が高いために体温も上がって活動的になってしまっていたということなんだろうと思う。変温動物ではよくあることである。
6月29日。
近所の生け垣で2本の直線的な隠れ帯がアナログ時計の10時15分の位置に付けられている直径40センチくらいの円網を見つけた。ホームポジションにいるクモは体長3ミリほど。体型から判断するとゴミグモの仲間のようだ。帰宅してから調べてみると、どうやら宇宙戦艦ヤマトゴミグモらしい。〔「宇宙戦艦」は付かない!〕
ええと、ヤマトゴミグモは「縦から横まで様々な角度に隠れ帯やゴミを並べる」のだそうだ。そして例によって円網に指を置いてみると、いきなり飛びついてきた! 腹ぺこだったのか、あるいは慎重なタイプが多いゴミグモの仲間としてはかなりの変わり者なのかもしれない。
7月3日。
ちょっと思いついたので、0.3ミリ径のステンレスの針金の先端を6ミリ幅くらいのループにしてジョロウグモたちの円網をツンツンしてみた。つまり、これはジョロウグモが円網にかかった獲物の大きさを判断して対応を変えている可能性を検証しようという実験である。
結果から言えば体長3ミリから4ミリのジョロウグモの場合、円網の反対側へ逃げられる確率が人差し指の場合のだいたい80パーセントから20パーセント以下まで低下した。そして駆け寄ってくる確率は逆に人差し指の場合よりも大幅に増えた。脚先で触れてくる子も多かったし、抱え込んでしまう子も現れた。精度の高い実験ではないのだが、ジョロウグモたちは円網にかかった獲物の大きさによって違う対応をするとは言えそうだ。
そして今回も、ツンツン1回で駆け寄ってきた個体が2回目は無視するか逃げるかする行動が多く見られた。1回で「これは食べられない」と学習できる子が多いのかもしれない。あるいは、いったん警戒態勢に入るとしばらくは解除されないのか、だな。
ついでに3匹のナガコガネグモの幼体の円網もツンツンしてみたのだが、結果は体長10ミリほどの子は駆け寄ってきたのに対して、8ミリの子と6ミリの子は円網を揺らしただけだった。これもやはり獲物の大きさによって対応を変えていることを示唆する。ただ、ジョロウグモたちよりは消極的(威嚇優先)なようだ。手に負えないような大物に襲いかかっても返り討ちに遭うだけだということを理解しているんだろう。
※後にナガコガネグモが狙っているのはバッタであるらしいことがわかってくる。
体長5ミリほどのオニグモの仲間は指の場合と同じように針金に駆け寄ってきた。行動開始までの時間がやや短くなったような気もするが、オニグモの仲間はもともと積極的なタイプが多いので大きな差はないようだ。
ゴミグモ婦人がいた生け垣にも針金を持って行ったのだが、ゴミグモ婦人の姿はなかった。きっと素敵な男性が現れて嫁入りすることになったんだろうと思う。幸せになって欲しいものだ。
ゴミグモ婦人に代わって2週間前には一回り小さかったゴミグモが12ミリほどになっていたのでツンツンしてみた(ゴミグモの雌成体の体長は12ミリから15ミリらしいので成体か亜成体だろう)。この子はかなり慎重なタイプで、円網に指を置いてもゴミの中から1歩踏み出すことはあっても近寄ってくることはなかったのだが、針金にはすぐに駆け寄ってきた。それはもう抱え込んで放そうとしなかったくらいだ。もう1匹、やや小柄なゴミグモの円網もツンツンしてみたのだが、この子もすぐに反応してくれた。
この生け垣では体長5ミリほどのオニグモの仲間も体長5ミリと7ミリのサツマノミダマシも寄ってきたし、いままで一度も誘い出せたことがないどころか、近寄っただけで棚網の奥のトンネルに隠れてしまう用心深いクサグモたちまで針金を抱え込んで放さなかった。
この実験結果から、これらのクモは網にかかった獲物の大きさを判別して対応を変えている可能性が高いと言えるだろう。そして、ゴミグモやクサグモのような隠れる場所を確保しているクモは一般的に慎重なタイプが多く、威嚇行動を見せるジョロウグモやナガコガネグモがそれに続き、ノーガード戦法を採るオニグモの仲間はすぐに飛びついてくるようだ。10ミリクラスのクモで誘い出せなかったのはコシロカネグモだけである。
次のテーマは、クモは何を基準にして逃げるか襲うかの判断をしているのか、だな。あるサイトには「種類にもよりますが、クモの視力は無に等しく、ほとんどを感触(触感?)に頼っております。もちろんなかにはハエトリグモのように形を認識することができるぐらい視力がいいものもありますが、一般的にクモの視力は悪い(弱い?)んです」「クモは目の変わり(代わり?)に糸を頼りにしているものが大半です」という記述がある。しかし、だ。クサグモは作者が近寄っていっただけで隠れてしまうし、ツンツンしまくったオニグモの仲間では近づいてくる指に対して脚を振り上げる行動が観察されている。コシロカネグモなど近寄っただけで円網の端まで逃げたし、そこへカメラを近づけるとさらに逃げて、枠糸の先の枝辺りまで逃げてやっと落ち着いたくらいだ。これらのクモたちは作者の指を見て行動したとしか思えないのだが、すべて「一般的」の範囲外ということなんだろうか? あるいは、細部までは判別できないが、何かが接近してくるのと、それが大きいか小さいかがわかるくらいの視力は持っているということなんだろうかなあ……。
7月4日。
クサグモの棚網から上にランダムに張られている多数の糸(迷網)の中に、体長2ミリほどで細長いお尻から後ろ上方に向かって伸びる出っ張りがある脚の長いクモが3匹いるのを見つけた。新海栄一著『日本のクモ』(2006年発行)によると、この子たちはヒメグモ科のチリイソウロウグモの幼体らしい。チリイソウロウグモは他のクモの網に侵入して居候生活をするのだが、雌の成体の体長が7~10ミリとかなり大きくなるクモなので、時には網の主を襲うこともあるのらしい。
さてさて、ここでコシロカネグモの体色について考えてみよう。シロカネグモの仲間は通常水平円網の下側で待機しているので腹面が上を向いている。昆虫や爬虫類は紫外線から黄色辺りまでの色を識別できるらしいから、これらの捕食者がコシロカネグモを上から見下ろすと、腹の緑色が地面に生えている草の色に溶け込んでしまうのではないかと思う。ジョロウグモやオニグモと比べて低い位置に円網を張るのもその効果を高めるためなのかもしれない。逆に下から見上げた場合には、その白と黒の腹部背面は木漏れ日に紛れ込む効果が得られるはずだ。オニグモの仲間が昼間は隠れていたり、ゴミグモがゴミの中に紛れ込んでいるのに対して、この子たちは色による迷彩効果を獲得する方向に進化したのだろう。サバやイワシなどの背中が濃い色で海底側の暗さに溶け込み、腹側は白や銀色になっていて明るい海面をバックにした時に目立たなくなっているのと同じだ。超音波で「見る」コウモリに対する効果はないだろうが、その点ではオニグモやゴミグモでも同じだろう。
そしてコシロカネグモには成長の途中でお尻に鮮やかな黄色の帯が現れる時期がある。これはもちろんスズメバチに擬態しているのだろう。ジョロウグモも小さいうちはお尻が白と黒のまだら模様で成長の途中から黄色と黒に変わっていくのだから、体の大きさによって最も効果的な擬態をしているということなんじゃないかと思う。で、ジョロウグモは体長6ミリほどの幼体から20~30ミリという成体になるまで黄色と黒なのに対して、コシロカネグモは成体に近くなったところで黄色と黒から白と黒に切り替えるようなのだが、これはなぜなんだろう? そこでまたまた作者の思いつきだが、これは垂直円網と水平円網の差によるものではないかと思う。垂直円網のジョロウグモの場合は比較的遠くからでも黄色と黒が目に付く。しかし、水平円網のコシロカネグモでは近くに寄って下から見上げてもらわないと効果がない。そこまで寄って来られると縦帯では効果が弱いというような事情があって木漏れ日に紛れ込むようになるのだろう。人間が見るとすぐにわかるからといって、本来の捕食者にも見えやすいとは限らないということだ。
話は変わるのだが、ナショナルジオグラフィックのサイトで『クモの調教に成功、訓練でジャンプ』という記事を見つけた。これはマイクロロボット開発用のデータを取る目的でハエトリグモの一種を調教してジャンプさせることに成功したということらしい。
「クモは1週間に1度ほどしか食事を摂らない。そのため、犬のようなペットとは違って、餌で動機づけすることは難しい」ので「クモを持ち上げて、離れた台に移す」作業を繰り返すと人間の手助けなしにジャンプするようになったのだそうだ。ハエトリグモはもともとジャンプして獲物に襲いかかるという捕食行動をするので、その点では不思議なことはない。「一度も失敗しませんでした。成功を確信してジャンプしていました」とも書かれているのだが、これも当たり前。ハエトリグモも常にお尻からしおり糸を引いているので失敗しても元の葉に戻るのは簡単なのだ。
しかし、「キム」と名付けられたそのハエトリグモにとってジャンプすることにどんなメリットがあったんだろう? 徘徊の延長として葉から葉へジャンプするくらいのことは野生状態でもあるだろうと思うのだが……「遊び」だろうか? クモくらいの知性があれば遊ぶくらいのことはするかもしれない。
7月9日。
予想通り、円網を指でツンツンしても腰を振らないジョロウグモの幼体が現れ始めた。体長4ミリくらいだとほとんどの子が腰を振るのだが、6ミリ以上になると円網の端の方まで逃げる子が多いのは同じでも腰を振る子はだいぶ減るのだ。ただし、これが齢、つまり何回脱皮したかによるのか、それとも他にも要因があるのかまではわからない。
そしてもうひとつの変化として指に乗ってくる、というか、指を抱え込む子も増えた。成長した分大胆になったということだろう。それでも胴の直径で10倍以上というのは人間ならばナイフ1本でゾウに立ち向かうようなものであるはずだ。とてつもなく勇敢なハンターである。ただし、さんざんチェックしまくった末に「これは食べられない」と判断するとホームポジションに戻ってしまうのだが。
7月15日。
体長6ミリほどでヤマトゴミグモのように円網の一部にゴミを取り付けている、尖ったお尻の先端が斜め上を向いているクモを見つけた。新海栄一著『日本のクモ』で調べてみると、ヤマトゴミグモかシマゴミグモかミナミノシマゴミグモらしい。ミナミノシマゴミグモは分布域が「本州(山口県、奈良県)、四国、九州、南西諸島、伊豆諸島」とされていて、茨城県は外れているからヤマトゴミグモかシマゴミグモだろう。めんどくさいからヤマトゴミグモということにしておく。クレームを付けられたら謝罪して修正するさあ。
この子の円網を枯れ草の茎でツンしてみると、オニグモの仲間よりも高い周波数でヘッドバンギングをした。もしかすると、ゴミグモ属の祖先はもともとヘッドバンギング型の威嚇行動をしていたものの、ゴミを取り付けることによって円網が振動しにくくなったゴミグモでは円網を脚で引き寄せるようになったということなのかもしれないと思った……のだが、買い物を終えてから今度は指を置いてみると、駆け寄って来て指を抱え込んだのだった。何だ、これは? 枯れ草サイズより指サイズの獲物の方がいいという大物狙いの子だったのか? それとも単なる気まぐれか? 脳が大きいとそういうこともあるのか? わからん。
7月16日。
今日はあえて枯れ草の茎でクモたちの円網をツンツンしてみた。これだと0.3ミリ径の針金よりも固有振動数が下がるから、円網の揺れ方を針金の場合よりも大型の獲物がかかった時のようなものにすることができるんじゃないかというわけである。〔針金を忘れただけだろ〕
ええと、まずはいままで逃げられてばかりだったコシロカネグモの円網をツンツンしてみた。するとこの子は飛びついてきた……のだが、2回ほどタッチしただけで円網の中心に戻ってしまった。ジョロウグモやオニグモの仲間が納得いくまでタッチするのに比べるとはるかに見切りが早い。防御優先型と言えるかもしれない。あるいは、2回タッチしただけで昆虫ではないと判断できるほどの知性を持っているか、だな。
体長10ミリほどのナガコガネグモは駆け寄ってくる、と見せて途中でUターンしてしまった。タッチさえしてくれない。それでも8ミリ以下の子たちだと最初から威嚇するだけだから少しは正解に近づいているのかもしれない。しかし、こんなに好き嫌いの多いクモがなぜちゃんと成長できるんだろう? 作者の見ていないところで獲物を食べているのか? 夜の間しか捕食しないとか、昼間は基本的に威嚇するだけにしているということなんだろうか? それとも、まず円網を揺らして威嚇してみて、それでも逃げない、あるいは逃げられない獲物だけを狩る、のかなあ……。
体長2ミリほどのチリイソウロウグモは枯れ草を抱え込んで放さなかった。これでも主にとがめられないのなら居候したくもなるだろうな。
3匹のクサグモはトンネルから出てくる様子さえ見せなかった。前回は針金で簡単に誘い出すことができたのだから、棚網に0.3ミリの針金タイプの振動を起こせるような獲物を狙っているということなのかもしれない。あるいは、たまたま3匹とも満腹だった、とか?
7月17日。
今日は腰を振るジョロウグモが多かった。針金にしろ、指にしろ、抱え込んだのは10ミリほどの1匹ずつで、他の子たちはほとんどが腰を振った。曇りで気温も20度Cと低めだったから、気温が低い時には獲物を狩るよりも腰を振った方がエネルギーの節約になるということなのかもしれない。あるいは、獲物になる昆虫の活性も低下しているのだから、こんな日に円網にかかるやつはろくなもんじゃないと判断しているか、だな。
クサグモの棚網をツンツンすると、全員針金を抱え込んだ。クサグモは0.3ミリ径の針金のような物理的性質を持つ獲物を好むと見て間違いないだろう。それはおそらく棚網を造るという習性と連動しているのだろうが、具体的に針金と棚網がどう繋がるのかまではわからない。
体長10ミリほどのナガコガネグモの幼体では針金を抱え込んだまま円網を揺らすというおかしな行動が観察された。襲いかかっておいて威嚇するというのはどういうことなんだろう? いつも食べている昆虫と違って中身の部分がないので「何なのよ、これ!」ということなんだろうか?
ナガコガネグモたちについてはもうひとつ妙なことがある。4匹のうち3匹が円網の前にジョロウグモと同じように多数の糸(ATフィールド)を張っていたのだ。〔バリアーだ!〕
ええと、ジョロウグモと違って背中側にしか付けられていないし、去年は見た記憶がないのだが、確かにバリアーが張ってある。南西諸島に分布するというオオジョロウグモのバリアーも背中側だけらしいのだが、この子たちの円網にはI字形の隠れ帯も付けられていたからナガコガネグモで間違いないだろう。新海栄一著『日本のクモ』には隠れ帯の記載はあってもバリアーについては何も書かれていないし、バリアーを付けていない子もいるから、この地域だけの文化ということなのかもしれない。
今日はオニグモの仲間が排泄するところも観察できた。垂直円網を張るクモは一般的に頭胸部を下にしているのだが、排泄する時だけはお尻を下にするようだ。その理由については説明の必要もあるまい。しかし、それなら常に上を向いていれば手間がかからないはずである。なぜそうしないのかというと、クモの眼にはまぶたがないので上を向いていると太陽の光がまぶしくてしょうがないということなんじゃないかと思う。〔そうかあ?〕
※頭胸部を下に向けているのは円網の下半分にかかった獲物に素早く駆け寄るためだそうだ。下を向いているクモの円網は下側の方が面積が広いという論文が発表されているらしい。
さてさて、今回はジョロウグモのもしょもしょ行動についても考えてみよう。念のために言っておくと、この「もしょもしょ行動」というのは指を抱え込んだジョロウグモが指の周りを回りながら触肢で探っている時の感触から作者が勝手に作った用語である。
クモの脚は4対8本なのだが、その前にも1対の触肢がある。これは文字通り触るためにある感覚器官らしいのだが、それに試験管ブラシのように多数の毛が生えているので、その感触が「もしょもしょ」なのである。いままでももしょもしょしてくれていたのだろうが、10ミリ以下の体長ではもしょもしょ感が弱かったということだろう。
さて、このもしょもしょ行動にはどんな意味があるのだろうか? ここからは例によって作者の踏み外しになるわけだが、体長10ミリ以下のジョロウグモにとって直径17ミリ、長さ70ミリの人差し指はいままで捕食したことがない大きさのはずである。しかし、暴れるわけでもないし、逃げもしない。そこで「食べられるようなら食べちゃおうかしら」と考えるジョロウグモが現れるのだろう。そこで問題になるのが、こういう大型の獲物は硬い外骨格を持つ甲虫であることが多いだろうということだ。クモは消化液を獲物の体内に注入して液状になった中身をすすり込む体外消化か、小型の獲物なら噛み潰して食べるらしいのだが、指のような大きさの甲虫だとクモの牙でも厚く硬いキチン質の外骨格を貫けないのかもしれない。だがしかし、ジョロウグモには3億年にも及ぶ狩りの歴史の中で練り上げられてきた究極奥義があるのだ! 甲虫でも外骨格の継ぎ目のキチン質は薄く柔らかい。そこなら牙が通る。つまり、ジョロウグモのもしょもしょ行動は甲虫の弱点を探っているのだ、と作者は思う。指先と爪の間に牙を打ち込まれればこの仮説が正しいということになるかもしれない……のだが、痛いのはいやだなあ。
クモをつつくような話2019~2020 その2に続く