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即興劇

作者: 東間 重明

宜しくお願い致します。



「各地に残る伝説を現代風に蘇らせる、そういうことに決まりましてねえ」


 どこか懐かしむような口ぶりで、唐沢陽介は言った。


「直近ですと、奥州安達が原ですか」


「ああ、黒塚ですか」


 良く磨かれた舞台に、演者の姿はない。静まり返った舞台を前に、私たち二人は立ちつくしていた。熱気がこもって息苦しいので、私はシャツのボタンを外した。何事も、期待通りにはいかないものだ。


「ちょっと失礼しまして」


 私の様子を見た唐沢が、引き戸を開けてくれた。さっと心地良い風が室内に吹きこんだ。午後の強い光線が差し込んで、舞台の使い込まれた板敷を飴色に染めた。


「しかし、がっかりなさったでしょう。折悪しく公演が重なっておりまして、団員はみな出払っております」


「いえいえ。こちらの勝手次第にもゆきませんから。こうしてお話を頂くだけでも有難い」


 私は曖昧に言葉を濁した。事前に取り付けた約束とは異なり、甚だ要望に沿わぬ形ではあったが、私はここへ来たことを後悔してはいなかった。


 表には夏草が生い茂り、雑木が清朗な影を落としている。蝉の声に混じって、のどかな鳥のさえずりが、たえまなく聞かれた。そっと、風にのって、女の泣き声がしたと思った。


「好いところでしょう」


「ええ、本当に」


 日々、私が手を焼く都会の暮らし、まつわりついて離れぬ女のようなそれと袂を分かち、こうして異郷に遊ぶのはなんとも快い。


 執拗に私へ追い縋る女の泣き声も、次第に耳を離れた。


 ここでは、瑞々しく生命力に溢れた自然が、無関心に私を慰労してくれる。


 ※


 都合が良い人がいるかもしれない、と電話をかけた私に母は言ったのだった。


「じゃあ、なんとか紹介してよ」


 藁にも縋る思いで取り付いた。


 両月中に、古民家とライフスタイルというテーマで一文を草する必要があった。いわゆる、田舎暮らしというやつだ。当節、使い古されたネタであるだけに乗り気でなかったが、依頼主が縁故のある太客で断ることもできなかった。


 どうにも、ライフスタイルという一句が肝要らしかったから、私は田舎で変わった生活をしている人たちをほうぼう探し求めていたのである。


「そりゃ、構わないけど。随分、変わった人よ」


「なに、変わった人のが良いんだ。そういう趣旨なんだから。どんな人?」


 母はその人をあまり好くは思っていないらしい。非難がましい口振りだった。


 件の変わった人というのは、母の遠戚に当たる男性らしかった。唐沢というその人物は、母の同級生であったから、在学中には幾分の交際があったらしい。なんでも、非常な女ったらしであったということである。


 母の話は右へ左へと曲折しながら、唐沢自身の沿革というよりは、その人物評を専らとした。色事は唐沢という人物を語るに、切っても切り離せない事柄らしい。記事にまとめるかどうかは別として、そういった話題は私としても願ったり叶ったりだった。


 演劇サークルを主催していた唐沢は、在学中に数々の風紀事件を引き起こしたという。サークルに所属する女性の妊娠騒動は、一度や二度のことではなく、いわゆる御手付きになった女性は内外を合わせて十指に余るほどだったそうだ。


 そんな具合だから、演劇サークルは彼らの卒業を待たずして解体され、唐沢は諸々の旧悪も露見して、大学から放逐された。


「誰にも言ってないけど、唐沢君が大学を追われるように手引きしたの、私なのよね」


「変に匂わすなよ。息子にするような話じゃない。想像したら、気持ち悪いだろ」


「あら、唐沢君とはなにもなかったわよ」


 母親の色話など聞きたくもなかったので、私は先を促した。母は物足りないようであったが、渋々話を進めた。


 大学を追われた唐沢はしばらく職を転々としていたようだが、ほどなく劇団(母は肝心の劇団名を知らなかった。なんでも、魚のような名前らしい)を立ち上げた。女癖が悪かろうと、彼の作劇の手腕は誰もが認めるところであったから、新規立ち上げにもかかわらず、少なからぬ人員が集まった。


 俳優業に転身する団員も、一人か二人あったそうだから、個人劇団としては先ず好調の部類だろう。


 母も結婚して忙しくしていて、唐沢のことなど念頭になかったが、近年、婦人会の寄り合いで懐かしい顔に出くわした。在学中、唐沢に孕まされた女生徒の一人だった。当時はガリガリの痩せっぽちだった彼女も、今では福々と肥えていた。結婚して三年になるらしい。


「そう、結婚おめでとう。お子さんは?」


「長兄がね、去年産まれたの。苦労して産んだだけ可愛さも一入よ」


「いいわねえ。男の子は大体、六歳くらいまでがかあいらしいわね。天使よ、まるで。でも、大きくなると駄目ねえ。うちのでかいのったら」


 取りとめもないことを話しているうち、話頭は旧知の人物の現在に向かった。みどりさんはどうしてるかしら、と母は聞いた。これも、唐沢に弄ばれた女生徒の一人であった。


「みどりは、自殺したわ」言葉少なく、彼女は顔を曇らせた。


「あの子、馬鹿なのよ。あんなことがあったのに、唐沢君の追っかけなんてしていたんだもの」


 母は生唾を呑みこんだ。とまれ、恋情の真実は余人の想像の及ぶ限りではない。二人はしばらく瞑目した。


「唐沢君、最近家を買ったってね。それも、山奥に」


「そりゃいいわ。すっかり改悛することね」


「それがそうじゃないのよ。あれでなまじっか実力はある人だったじゃない。そこで団員や有志の人間を集めては、共同生活をしながら舞台稽古をつけているんですって。言わばセーフハウスよね、これって」


「汚らわしいことねえ。まるで魔窟じゃないの」


「魔窟とはよく言ったものね。でも、その通りでしょうよ」


 女二人は、にわかに色めきだって喃々した。


 母のする話は、概ねこのような内容だった。母の底意にはなにやら女の未練らしいものが見え隠れするようで、私をちょっと厭な気持ちにもさせたが、それだけに、こうも女を惹きつける唐沢という人物に興味が湧いた。


 抗し難い魔力を以って、女を支配する劇作家。母は山中の家を魔窟と称したが、私にはそれは阿片窟と思われた。女を誘う毒物のような男と、山中の屋敷。それは舞台装置と演者のように、ぴたりと似つかわしい。


 山の緑に抱かれて、唐沢が脳裏にはどのような想念が育まれているのか。古民家とライフスタイルという題目にもふさわしかろう。私は俄然、乗り気になって、


「それじゃあ、よろしく取り次いでくれよ」と、母に頼み込んだ。


 それから数日後、封書にて唐沢氏から面談の受諾を頂いた。舞台稽古の様子も見せようと言う。願ってもない話に浮き足立つうち、またたくまに日は巡った。


 当日、雑務を終えてから車を走らせた。二時間ほど走行しただろうか、くねくねとした林道をひたすら上り、開けたところへ、山ひだに抱き込まれるようにして、目的の屋敷が見えてきた。封書に同封された写真と相違ない。切妻屋根の木造二階建てである。


 面に回りこむと畑が連々と続いていて、防虫ネットもない畝に作物が青々と葉を茂らせている。柿の木の根方に、男が一人屈んでいた。向こうもこちらに気が付いたようだ。


 停車して車外へ出ると、夏の光がじっとりと頬を焼いた。


「ごめんください。先日、面談の約束を頂いた内海と申しますが、唐沢さんはおいででしょうか」


 男は私を見て目を瞬いたが、どうやら心付いて、


「ああ、僕が唐沢です。もう、そんな時刻でしたか」作業していた手を止めて、こちらへ向き直って一礼した。


 ひょっとして約束を忘れでもしたのかと不安だったが、私の取り越し苦労であったようだ。


 私は唐沢氏に案内されるまま後に続いた。道々、差し障りのないことを話した。


「立派な畑ですね。すべて、自家で栽培なさるのですか」


「なに、自家栽培というほど大したものではないですが、これで生活の足しにはなります。大所帯の共同生活ですからね。連帯感を養う目的もあります」


「演劇に没頭するばかりではないのですね」


「もちろん、それが第一等ですよ。しかし、そればかりではいけないようです。大勢が暮らしていれば、自然、軋轢も生まれます。作務は、緩衝材になります」


「なるほど、身体を使っているだけに、唐沢さんは随分とお若い。僕なんて机にかじりついて、ペンを握るだけの人間だから、どうにもいけない」


「どうで老骨の身ですよ」


 唐沢氏は言葉尻を寛がせてそう言った。唐沢氏は母と同年の四十八のはずであったが、どう見ても外見は三十後半のそれと見える。やはり、身体は使い込むのが良いらしい。私は無精が祟ってどんどん老けていくようである。これではどちらが老骨か、知れたものではない。


 しかしながら、私の目の前にある人物が、かつて浮名を馳せた色男だとは肯えなかった。顔の造作は、いかにも整ってはいるが、個々の印象が弱い。気が抜けているといおうか、年若には見えるがそれだけのことで、ピンボケした写真のように覚束ない男だった。同じ男一匹、一向風采のあがらぬ私の僻目でもあろうか。ひょっとすると、凡夫と見える外見が、逆に激しい内面を裏切って、かえって女性を虜にするのかもしれない。私はつくづくと彼を観察した。


 その後、あれこれと近代劇の話をするうち、日はすっかりと暮れてしまった。


 唐沢氏の勧めもあって、私は二階の一室で晩菜をご馳走になった。山菜の天ぷらに混ぜご飯、香の物にきのこ汁。山菜はどれもえぐみが強く、青臭かったが、それだけに野趣に富み、私は満足してこれを頂いた。


「先頃は、何人くらいの方がここに暮らしておられたのですか」


「そう、私を含めて四人、ですね。私自身は台本を書くばかりになってまして、稽古をつける他、公演などは任せきりになっています。今回もできればついて行くつもりではありましたが……。半ばは隠居のようなものですね」


「それでも苦労は様々あるでしょう。大人数が一所に生活を共にするからには」


「そうですね。人間関係に悩む者も、少なからずおります」


「男女間の揉め事なども」


 私が聞き出したかった本題へ踏みこむと、唐沢氏は眼を剥いた。氏の顔は、見る間に苦痛に満ちた。


「嘆かわしいことですが、そういった問題もありましょう。芸事に打ち込む人間にも、魔が差すということはある。それで道を誤り、一芸成就を成し得ず、身を滅ぼす者は後を絶たないのです」


 それでは、わざわざ山中に共同生活などしたところで、益体もないだろう。そんな私の胸の内を見透かすように、唐沢氏は言う。


「当初、ワークショップを企図していたここも、どうやらそろそろと店仕舞いのようです」


 私たちの間には、白々しい空気が流れた。その所為か知らないが、少し肌寒いようだった。


 これ以上は面白い話が聞けるとも思えなかった。考えてもみれば、色狂いの劇作家と山奥の隠れ家という着想にしてからが、いかにも安手で幼稚なものだった。こんなものに望みを賭けていたとは、私もつくづく行き詰っていたのだろう。


「少し、冷えてきましたね」


「山の中ですからね。夏場でもあまり薄着だと冷えるようです。なにか、温かい飲み物でもお持ちしましょう」


 私としては早々にこの陰気な屋敷を離れたかったが、夕飯をご馳走になった手前、そうも口に出せなかった。唐沢氏は膳を手に、階下へ降りた。


 相手もないので、私は室内をあれこれと物色した。柱や壁には、台詞の覚書や写真の幾葉、大小様々の紙片が貼り付けられていた。写真には、団員やここで暮らす人たちだろう、立ち稽古をしている姿や、野山に遊ぶ様子などが写っている。男女比は七対三といったところだろうか。演劇の道を志す女性は、思いのほか多い。きらきらしい表情の男女は、時代も背景も乱脈に点綴されていた。


 眺めるうち、壁面に切れ目のあることに気が付いた。それは、次の間に続く引き戸であった。上に写真や紙切れが貼り付けられていた為に、ちょっと見るとわからない。そこから、ひんやりと底冷えする冷気が漏れ出ているようだった。先ほどから私が感じていた寒気は、どうやらこれが原因らしい。何か、低くうなる音が聞こえる。


 私は一階の舞台を前に、唐沢氏と交わした会話を思い出した。


 --各地に残る伝説を現代風に蘇らせる、そういうことに決まりましてねえ。直近ですと、奥州安達が原ですか。


 黒塚、あるいは奥州安達が原は、鬼婆伝説を基にした演目である。


 能と文芸では細目が異なるが、大筋は変わらない。旅人が一夜の宿を山中に求める。陋屋に住まう老婆は、これを拒みきれずに旅人を泊めてやる。


「決して、寝所を覗いてくれますなよ」


 老婆は旅人に言い置いて、彼の為に山へ薪を取りに出かける。


 好奇心に抗することのできなかった旅人は、とうとう禁を破って寝所を覗き見てしまう。


 そこには、人の死体がうず高く積まれていた。老婆の正体は人食いの鬼婆であったのだ。


 そうとわかったからには、旅人は脱兎とその場を逃げ出した。けれども、後には秘密を知られた鬼婆が、恨み言を口にしながら、髪を振り乱して追い縋る。


 私もまた、黒塚の旅人のように、無沙汰と承知の上で、引き戸に手をかけている。せっかくこうして山奥にまでやって来たのだ。伊達男の秘密のひとつでも持ち帰ってやろうというつもりだった。あのつまらない男に、もしもそんなものがあったなら。力をこめるまでもなく、引き戸はすらりと開いた。


 そこは台所であった。


 直ぐに、私は激しく後悔した。甘ったるく、饐えた残り香が瘴気のように立ち込めていた。大型の冷蔵庫が、重々しいうなりを上げている。


 前時代的な壁面タイルに、木壁に、絵具をぶちまけたように朱が走る。四辺はことごとく、蘇芳染めであった。


 視界が明滅し、倒れそうになる身体をどうにか堪えて、私は魔力に憑かれたように冷蔵庫へと歩み寄った。重厚な取っ手を握りこみ、引いた。


 自らの才腕ひとつで世を渡る、多情なる好漢。彫りの深い、苦みばしった色男。来訪に期して私が思い描いていた通りの男が、そこに納められていた。


 腹を断ち割られ、肉身を吊られた姿のままに。


 こめかみが、どくどくと脈打っている。


(一体、いつから?)


 それは、恐らくは私が彼を初めて目にしたときからだ。柿の木の根方に、うずくまっている彼を目にしたときからだ。彼はずっと、あの折り目正しい、油断のない目で、じっと共演者である私を見張っていたのだ。


 唐沢を名乗る、あの男は誰だ。彼は階下へなにを取りに行ったのだ。


 まさか薪を取りに行ったわけでもあるまい。


 私は逃げ出そうとして、その場に無様に転がった。わくわくと脱力して、身体が思うように働かない。私にできることと言えば、あの男がそのままこの屋敷から去って行ってくれるのを、願うばかりであった。

しかし、ゆっくりと、私に運命の到来を告げるように、階段から鈍い足音がした。


 心臓に金釘でも打ち込まれたようだった。呼吸が、犬のように浅い。


 舞台の経験はないが、やるしかない。猶予はないのだから。腹を決めて、ここを脱するほか道はない。己を奮い立たせるつもりで、私は膝を強く打った。


 何食わぬ顔で男に向かい、相手の出方次第に切り抜ける。私は立ち上がり、台所の引き戸を後ろ手に閉めた。


 水を打ったような静けさのなかを、一段、また一段。足音は床板を軋ませながら、上り詰めようとしている。じっくりと時間をかけ、私の命数を残酷に刻むかのように。


 恐怖に歯の根も合わぬというのに、私は奇妙に高揚してもいた。これまでの人生で、味わったこともない感覚だった。私は自らの心へ強く言い聞かせた。


(やれる。おれはやれる。どうにでもして、逃げ切ってみせる)


 覚悟は決した。


 だというのに、身体が重い。手足が痺れて、末端の感覚がない。まるで指先から凍りついていくようだ。嗚呼、それにこの眠気はどうしたものだろう。

 

 どうにも、眠くて……







お読みいただきありがとうございました。

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