第一話 赤色のスライム
そこは地獄だった。前衛は装備ごとバラバラにされ、後方で支援していたパーティメンバーも全員が息絶えている。立っているのは旅立ったばかりの勇者ただ一人だけだった。
「はあ……はあ……、なんで、こんなこと、にっ!?」
現状を嘆く勇者は突然しゃがみこむ。すると頭上すれすれを残像が通り過ぎ、その余波だけで勇者は体勢を崩す。もっとも、とっさにしゃがまなければ、勇者もまた仲間達と同じく物言わぬ屍と化していただろう。
勇者はすぐに体勢を整え、敵を見据える。この地獄絵図を作った立った『一匹』のモンスターを。
「くそ! なんだって……なんだってこんな雑魚モンスターに!」
勇者はモンスター――弱いモンスターとして認識されているスライムに剣を向けるが、剣先は震えていた。
彼は決して弱くなどない。村人として生を受けた彼は創世神イデアに勇者として選ばれ、然るべき訓練を受けて冒険に出ていた。勇者としては新米だが、一般的な兵士を上回る戦闘力を身につけていたのだ。
対し、彼が立ち向かう敵はスライム。戦う力のない者には驚異だが、ある程度戦える者なら決して勝てないモンスターではない。むしろ、あらゆるモンスターの中でも一、二を争うほどの弱さだ。
故に勇者は理解できなかった。最初の関門としては低過ぎるその敵を相手に仲間達は倒れ、そして自分もまた歯が立たずに殺されかけていることに。
「スライムがこんなに強いなんて聞いて……いや」
そこで勇者ははっと息を飲む。自身を鍛えてくれた者達からはスライムは弱いということを聞かされていたが、またもう一つ聞かされていたことがある。
本来、スライムの体液は水色だ。そこから進化すれば濃い青色だったり紫色だったりするが、とある色のスライムは未だ一匹しか確認されていない。
曰く、そのスライムは何百人という勇者達を殺戮し、新たな勇者が現れる度にそのもとへと出現する。
曰く、そのスライムの力は絶大で、かつて一国家が大規模な軍を率いて複数の勇者と共に討伐作戦を実行したが、結果は僅かな兵士が逃げ切れたのみで、残りの兵士と勇者全員が全滅した。
曰く、そのスライムはかつてのスライムでは存在しなかった色――『赤色』であった。
そして、勇者が相対するスライムは――『赤色』だった。
「……ははっ、そうか。お前がそのスライムなんだな」
勝てるわけがない。伝説として語られる古の勇者であればもしかしたら勝てるかもしれないが、ここにいるのは新米勇者。実力も経験も何もかもが足りていなかった。
しかし、勇者は諦めなかった。たとえここで死ぬことになろうと、自分は勇者だ。死を怖れず、絶望に立ち向かってこそ勇者なのだ。そう覚悟を決め、勇者は目の前の『絶望』へと駆けた。
「うおおおおおお!」
それは見事な太刀筋だった。血の滲むような鍛錬を重ね、実践として何度も剣を振るい続けてきた彼だが、今この一太刀に勝るものはなかった。
鍛えられた肉体と技術、そして命と誇りをかけたが故に繰り出すことができた一撃。並みのモンスターどころか強力なモンスターが相手でも、この一撃への対処は困難だったことだろう。そうしてその一撃は赤いスライムへと届く――ことはなかった。
「かっ、はっ!?」
勇者の命懸けの一撃はしかし、直撃する寸前に赤いスライムが勇者の腰辺りに体当たりをし、勇者の上半身と下半身が離れたことで不発に終わった。上半身のみとなってしまった勇者は薄れゆく意識の中、視界に赤いスライムを映しながら思わず失笑し、彼のモンスターの通り名を呟いた。
「……ははっ、『勇者の天敵』、か」
それを最期に、勇者の意識は途絶えた――
動かなくなった勇者とその仲間達を見ながら、僕は一息ついた。主であるグレイス様に言われてこの地域の勇者を倒しにきたが、問題なく命令をこなすことができた。おそらく勇者になったばかりだったのだろう、その実力は勇者とは思えぬほどに低く、何故弱い勇者を守る役割の仲間達も弱い者を用意したのかと疑問に思う。とはいえ、最近の勇者やその他の人間は前よりかなり弱くなっているようなので仕方のない話なのかもしれない。
とはいえ、勇者が放った最後の一撃は結構良かった。僕みたいな弱っちいスライム相手に脅威にすらならないものだったが、最近戦った人間の中では一番の攻撃だったと思う。
スライムというモンスターは弱い。粘液でできた身体には槍や剣のような点や線での攻撃は効きにくいが、面での攻撃や魔法は普通に効く。攻撃力も耐久力も乏しく、戦う力のない者でも二、三人で囲めば戦えないこともないほどだ。
しかし、どうやら人間は極端に弱くなったらしい。昔なら僕は命懸けで勇者達と戦ってきたというのに、最近ではかつて常に感じていた死の気配を全く感じなくなっていた。
少し前にたくさんの人間の群れと数人の勇者を相手に戦ったが、本気を出さなくても余裕で対処できた。これほどまでに人間が弱くなったのに、どうしてグレイス様や魔王様が世界征服とやらに時間をかけているのかわからない。おそらく、僕には理解できない崇高な御考えあってのことだろう、僕みたいなモンスターはただ命令に従い続ければいいだけだ。
僕は息絶えた勇者に触れ、『捕食』というスキルを使うと、触れた勇者はまるで最初からいなかったかのように消えてしまった。それを彼の仲間だった者達にも行う。
死体はすべて無くなり、派手な戦闘後が残るここを見渡す。やり残したことがないことを確認し、任務完了の報告のためにグレイス様のもとへと向かうことにした。