08 マスターは長ゼリフが得意
シャンディガフは聞き取りづらいガラガラ声をメゾピアノに落として、続けた。
貿易都市ドルエンセントの有力な港湾企業『モーレイ海運』について。
「……表向きは地元の有力企業、だが裏は酷えぜ。あいつら、港商売を――いや、この港町全体を牛耳ってやがるんだ。金と脅しと暴力でな」
「へーえ、要するに」
「ああ、ギャングってやつさな。羊の皮を被った獰猛な悪狼の群れよ」
「ふふっ、面白そうじゃない。……くはあっ、ヤバい話は最高の肴だね。もっと聞かせてよ」
レイラは肉食獣のようにグリーンの瞳を輝かせ、爽やかなラム・モヒートを一気に流し込んだ。
「おう、構わんが……。お前さん何杯飲むんだ。歳幾つだよ」
「ぴちぴちの14歳」
「ほう、ギャングの話で喜ぶぴちぴちは見たことねえな……って、未成年だったのかよ!」
「ふふん、私、大人びて見えるでしょ? まあ、あともうちょいで15だし」
だから見逃してよね、 と、店主に小悪魔の視線を送るのも忘れない。
「あら、そう言えばもうすぐでしたわね。何でお祝いしようかしら」
どれだけ飲んでも素面と変わらぬ18歳の令嬢は、豪華なパーティドレス姿で酒を舐めるように味わっている。
幼い頃しょっちゅう舞踏会に参加していたせいなのか、シャロンは『お出かけ』といったらこうなのだ。
――道行く人に二度見されるほど目立つ盗賊なんて、早々いないだろう。
「……ぐう」
その隣では、16歳の短剣使いがカウンターに突っ伏して、早くも寝息を立てている。
カノペペは、だぼだぼの褪せたシャツにダメージパンツ、革ベルトの左右に短剣という物騒な格好である。
しかも、過去の戦闘でところどころ裂けているシャツの左袖からは、何やら厳ついタトゥーまで見え隠れしている。
――こちらはこちらで、悪目立ちすることこの上ない。
レイラはそんな様子の二人を横目に呟く。
「誕生日プレゼントねえ……何か3人でお揃いのモノ欲しいな~。
……ほら、私たち見ての通り統一感無さすぎるじゃん?」
「違いねえな、ハッハッハ」
15の誕生日は特別な日だ。
多くは親から成人の贈り物を貰い、教会で儀式を行う。
その儀式の最後に、神の前で初めての酒を口にし、晴れて大人の仲間入りを果たすのだ。
当然、未成年の飲酒は違法である。
もし成人の儀式より以前に飲酒すれば、その者は道徳心を失い、善の神に見放されるといわれている。
――レイラを見る限り、どうやらその通りのようだが。
「……あら、いつの間にか話がそれてしまいましたわね。マスターさんのお話の途中でしたのに。『獰猛な悪狼の群れよ』から続きをお願いしますわ」
「おっと、そうだったな。
……とにかく、モーレイの一家は港を我が城にじゃんじゃん儲けてやがるって話よ。勿論、港湾業の乗っ取りだけじゃねえ。不法な仕事を色々やってやがるが、特に武器やクスリの密輸でかなり稼いでるんだと」
「……なるほど。それで、彼らの持つ利権に釣られた行政も腐敗したりしているのでしょうか?」
甘辛いタレが効いた鶏カシュを味わいながら、シャロンは素早く切り返した。
「ご名答、察しが良いな。モーレイの親分がこうものさばっていられるのは、警察や役人のお偉いさんと繋がりを持ってるかららしい。賄賂だの何だのやってるんじゃねえか」
「へえ、結構詳しいんだね、マスター。情報屋としてもやってけるかもよ?」
「馬鹿、俺をなめんじゃねえぞ。こんな場末の酒場の店主やってんだからよ。裏町の情勢なんぞ粗方耳に入ってくらぁ」
と、不意に、得意気だったシャンディガフの口調が少しだけ冷たいものを帯びた。
「……っとまあ、散々言った後に忠告しておくが、この話は下手にでかい声で喋らん方がいいぜ。少なくともこの店じゃな。俺はみかじめなんぞこれっぽっちも払わんが、ここも一応奴らの勢力範囲内らしいからよ。
……とはいっても、モーレイ一家を酷く憎んでる奴もたむろしてるやもしれんからなぁ、何とも言えん」
この店は荒くれ者の中立地帯。
あらゆる立場の悪党が集まる騒がしいオアシスだ。
しかし、酒席での喧嘩こそ茶飯事だが、このドンパチ亭で大っぴらな組織間抗争は起きない。
『この、ならず者共!耳をかっぽじってよく聞きやがれ!
ここは俺の店だ!店主たるシャンディガフ様の言うこたぁ絶対よ。手前ら俺の気に入らねえことしてみろ、叩き出して海にぶん投げるぞ!』
普段はお茶目で気さくな店主シャンディガフが、しばしばこんな風に吼えるからである。
肝と腕っぷしに自信があるからこそ、喰い物にされることもなくギャングの縄張りに居城を構えられるのだろうか。
「マスターはモーレイのこと怖くないの?」
「うるせえのは拳で追い払ってるぜ。大方は組織の下っ端だろうがな。怖がるも何も、誰が何と言おうが俺は俺の好きなように店をやるって決めてんだ。まあ、恨み買って消されたらそん時よ。骨くらいは拾ってくれや」
シャンディガフはにかっと笑い、汗で張り付いたショウガ色の髪をタオルで拭うと、コック帽替わりの海兵帽を被り直した。
「ところで、お嬢さんたちこそギャングを恐れねえのか?」
「うん、ちっとも。むしろワクワクしてきたよ。ヤバい組織が絡むとスリル倍増だからね」
2年と少し前、アンバーエンジェルが結成されてから、彼女たちは都市を転々とし、金や宝を溜め込んだ獲物を狩ってきた。
そして、犯罪騒ぎを起こすにあたって各地の裏組織と関わってきたことも少なくない。
標的にしたことも、されたことも、商売敵として競いあったことも、時には手を組んだこともあるのだ。
「ほうほう、そりゃ結構なことさな。……しかし、どうも分からねえな」
「ん、何が?」
「――何だって、こんな綺麗な娘が三人で、徒党なんか組んでいるんだね?」
すると、レイラは不意にグラスを持つ手を止め、エメラルドの流し目でシャンディガフを見遣った。
それから、彼女は意味ありげに微笑み、もう何杯目か分からない酒で湿らせた唇を徐に開いた。
「……ふふっ、マスターも野暮なこと聞くねぇ。私たちの身の上話なんか始めたら、日が暮れるどころか朝日が昇っちゃうよ?」
ほんのり色付いたレイラの唇は、優しい三日月を描いていた。
しかし、そのとろんとしたエメラルドの瞳の奥には、ナイフのような何かが潜んでいた。
「お、おっと、こりゃ失礼。いや、ちょいと気になっただけなんだがな」
(――こりゃあ、どうも盗賊以上に恐ろしいお嬢さんらしいな)
そう悟ったシャンディガフは、苦笑して素直に詫びておいた。
それに満足したのか、レイラはうっとりと目を閉じた。
「……まあ、私たちの出所なんて大したことないよ。アンバーエンジェルが結成されたのだって、お宝と血に眩んだ女盗賊が三人、たまたま神さまのお導きで出会っただけだし」
彼女が再び目を開けたときには、先ほどの『何か』は姿を消していた。
「……ハッハッハ! 洒落たこと言うじゃねえか。そんじゃあ神様も、今頃さぞ嘆いてるだろうな。こりゃとんだ組み合わせにしちまった、とな」
小汚ないカウンターの一角が、再び陽気な笑い声に包まれる。
束の間訪れた不穏な空気は、追加オーダーの酒に流れて過ぎ去って行った。
「あ~、飲みすぎちゃった~。もう歩けな~い」
日が沈みかけた頃、3人は漸くアジトの前に辿り着いた。
「全く、歩けないのはわたくしの方ですわ。少しくらい手伝ってくれても良かったのではなくて?」
パーティドレスの背に酔い潰れたカノペペを担ぎ、ピンヒールで帰還したシャロンが抗議する。
「まあまあ、楽しかったから良いじゃな~い」
シャロンの懐に手持ちの金貨を適当にねじ込みながら、レイラはアジトのノブに手を掛けた。
――すると、開いた扉の隙間から、何かがパサリ、とレイラの足に落ちた。
白い封筒だった。
ご丁寧に、見覚えのあるシーリングスタンプで封がされている。
『我が愛しのレイラ』
その宛名は、レイラと『ある人物』にしか通じない符丁を使って書かれていた。
レイラは即座に封筒を裏返した。
そして、静かに笑みを浮かべた。
――それは、どんな酔いも覚めるほど恐ろしい、琥珀色の悪魔の笑みだった。
そこには、同じく符丁でこう記されていたのだった。
『15の節目を飾るに相応しいイカれたヤマ、在中』