05 襲撃
昼はお気に入りのパスタ屋で茄子のミートソースを食べ、日が落ちぬ内に酒屋やカジノに入り浸り、夜通し遊び回ってから朝の眠りに就く。
そんな風に、レイラはここ数日を過ごしていたのだが……
「どっかの屋敷に襲撃を仕掛けよう!」
すっかりピカピカになったアジトの中で、アンバーエンジェルの首領は唐突に叫んだ。
スリルに飢えているらしい彼女は、シャロン愛飲の高級ブランデーのボトルでジャグリングを始めた。
因みに、シャロンは外出中である。
「そろそろアブなくて楽しくてでっかいことしなくちゃ、気が狂っちゃう!」
それは由々しき事態である。
レイラがこれ以上狂うと、もはや誰の手にも負えないだろう。
「……で、何処へ」
眠そうにお下げ髪を編みなおしながら、カノペペは訊いた。
普段は独りで物置部屋に籠っている彼女だが、たまに気が向いたときは、ふらっと出てきたりもするのだ。
「そりゃ勿論、たっぷり宝がありそうな金ピカゴテゴテのお屋敷へ……」
レイラはにやにやしながら、襲撃の算段をあれこれ思い描き始めた。
――その時だった。
突如、1発の銃声がアジトの空気を震わせた。
それと共に、ドアが豪快に突き破られる音がした。
外から数人の足音がやかましく近付いてくる。
「あれっ、お客さんかな?」
「……かもね」
レイラとカノペペは油断なく身構えつつも、そんなことを交わす。
――どんな非常事態であれ、楽しむのが彼女たちのモットーだ。
間もなく、破壊されたドアからなだれ込んできたのは、レイラと同年代の少年たちだった。
「俺らのシマを盗ったのは、てめえらか」
いかにも悪童、といったようなのが4、5人。
どうやら、先日までこの酒場を牛耳っていたガキ共の仲間らしい。
その中の、大将らしき少年が三白眼でレイラを睨み付けた。
しかし、彼女がその程度で竦むはずもない。
「ふふっ、盗られたのはてめえらでしょ?」
「何だと、このアマ!」
大将は真っ赤になって、ポキポキと拳を鳴らす。
「これ以上俺を怒らせるなよ。あんまり調子に乗ると――」
そう凄みを利かせ、岩のような拳を振り上げる。
――パコン!と、澄んだ音がした。
次の瞬間、身体がぐらつき、どさり、と床に崩れ落ちる。
「……レディーファーストで、良いんだよね?」
琥珀色の悪魔は、大将にそう笑い掛けた。
――いきなり鮮やかな飛び蹴りを喰らって、床にのびた大将に。
「おのれ、よくも……」
「かかれ!」
前から、右から、左から、幾本もの刃と拳がレイラを襲う。
彼女は軽やかなステップで、嗤いながら躱していく。
「どうしたの、腰が引けてるよ?」
言い放つや、レイラは一人目に足払いを掛け、二人目の鳩尾に固めた拳を突き込んだ。
「うぐっ……」
鋭い拳を鳩尾に受け、呻いて身体を折る少年。
レイラはその背を踏み台に大きく飛び上がる。
そして、引っ掴んだブランデーボトルを、目の前で呆気に取られている三人目の頭に叩き付けた。
耳をつんざく悲鳴のような音と共に、ガラスの破片と琥珀色の飛沫が辺りに散る。
血生臭い戦場に、美酒がふわりと葡萄の芳香を奏でた。
「あ……ぐ……」
ガラス片で頭を血塗れにした悪童
は、白目を剥いてダウンした。
「で、これで終わり?」
流れるような連撃を終えて、ガラスの屑を手荒く振り払う。
――と、レイラは、すぐ後ろで撃鉄が起きる音を聞いた。
「動くな」
振り向くと、一人が銃口を真っ直ぐこちらに向けていた。
「あ、まだ残ってたんだ……」
苦笑しながら、レイラはゆっくりと両手を挙げる。
「そうだ。両手を頭の後ろで組んで、そのまま此処から出ていけ。そして、もう二度と近づ――」
そこまで言って、悪童は口をつぐんだ。
――研ぎ澄まされた短剣が、自分のうなじに突き付けられているのに気付いたのだ。
「な、何を……」
真っ青になって、思わずその場に硬直した彼の耳元で、暗く低い女声が囁いた。
「さっさと撃てば良かったのに」
直後、背後を振り返ろうとした彼は、右の手首に熱い痛みを感じた。
いつの間にかうなじを離れていた短剣に、切り裂かれたのだ。
カノペペは、痛みに呻く悪童から銃を奪い取り、すぐさま絞め落とした。
自分の手首から血飛沫が上がるのを見たのを最後に、彼の視界はホワイトアウトした。
「あれっ、殺さないんだね。カノン」
「こんな奴の死体処理なんかしたくない……」
気配を殺して忍び寄り、返り血すら浴びずに仕事を終えたカノペペは、忌々しそうにそう吐き捨てた。
今度こそ全員片付いたか、と一息付きかけたレイラたち。
しかし間もなく、ばらばらと足音が近付いてきたかと思うと、さらに大勢の悪童たちがアジトに乗り込んできた。
「このアマ、よくもやってくれたな」
「泥棒猫はとっとと失せな」
剣呑な目が彼女たちをぐるりと囲む。
漸く静まったアジトを、再び一触即発の空気が支配する。
「もうそろそろ飽きてきたんだけどなぁ……」
そう言いはしても、来たものは仕方無い。
レイラは素早く半身に構えた。
しかし、その時――
「何事だ!」
騒ぎを聞き付けたのか、けたたましい警笛を響かせながら一人の警官が突入してきた。
効果はてきめんだった。
「……ちっ、くそ!」
途端、悪童たちは真っ青になって、倒れた仲間を引きずりながら、ちりぢりに逃げて行った。
警官は彼らを追わなかった。
かといって、目の前の盗賊一味を捕まえようともしなかった。
何処からどう見ても、真面目そうな若い男の警官だ。
レイラはおどけて敬礼してみせる。
「御勤め、ご苦労様でーす」
「本官の任務は以上でありますわ」
彼――もとい彼女が、ドルエンセント都市警察の制帽を脱ぎ捨てると、チョコレート色の長髪がばさりと姿を表した。
声色も、纏う雰囲気すらもがらりと変えてしまう彼女は、やはり "化け猫のシャロン" と呼ぶに相応しい。
「ドアの弁償金はきちんと頂きましたの?」
「財布は全部スっといたよ。そんなに入ってないだろうけどね」
あの激しい闘争の、何処にそんな暇があったのだろうか。
レイラはつまらなさそうに、悪童たちの薄っぺらい財布をカウンターに積み上げた。
「それにしても……」
レイラは暫し思案する。
各々が装備していた、肉厚のナイフに、拳銃。
引き金を引く度胸こそ無いようだったが、ただの不良グループにしては装備が良すぎる。
――裏で何か別の力が働いているのか?
これまで幾度となく手錠から逃れ、幾多の銃口と刃の下をくぐり抜けてきた盗賊の勘が、そう告げた。
「――ま、いっか。一件落着ってことで。おまわりさんも来てくれたしね」
レイラの思案は呆気なく終わった。
長々と考え込むのは性に合わないのだ。
「まったく、『都市警官セット』がこんなに早く役立つとは思いもしませんでしたわ……」
「助かったよ、シャロン。ちょうど疲れてきたところだったからね」
すかさずチップを要求してくるシャロンの掌に、レイラは大粒のダイヤを握らせた。
先程は、変装用の衣装や小道具を調達しに外出していたシャロンが、上手く機転を利かせてくれたのだった。
「どういたしまして。……ところで、この部屋は随分と芳醇な香りがしますわね。例えば、わたくしのブランデーをボトルごと床に染み込ませでもしたら、こんな香りがするのかしらね?」
と、シャロンはガラス片を拾い上げ、床に出来た琥珀色の水溜まりに目を遣る。
「あ、えーと、その、……えへっ」
可愛く笑って誤魔化そうとするレイラに、シャロンはにこりと微笑み掛けた。
「……別に、怒ってなんかいませんわよ? レイラがお詫びとして南方から輸入されている最高級ブランデー『ル・ポンヌ』をプレゼントしてくださるんですもの。ね?」
「勿論だよ、シャロン。今すぐにでも!」
流石は名うての女盗賊。
脱兎のごとく、並外れた逃げ足で、レイラは破れたドアをくぐり抜けて行った。