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04 トンガリ・ブーツ

 



 昼前にはすっかり起きて、レイラは街に繰り出した。

 目覚めの散歩である。


 活気溢れる市場には異国の品々がずらりと並んでいる。

 威勢の良い客引きの声は、香辛料と潮の匂いが混じった南風に乗って、何処までも飛んで行く。


 ここは、貿易都市ドルエンセント。

 ガレオット連邦国の南東部に位置する温暖な都市である。


 良港に恵まれたこの都市は、諸国との海上貿易で栄えているのだ。


 レイラは勿論(渋々ではあるが)、きちんと服を着ている。

 薔薇をあしらった襟ブローチが映える、シンプルなシャツに、ふわっとした膝丈のスカート。

 中身はどうあれ、見た目はごく普通のお淑やかな町娘だ。


 レイラは、ただのんびりと散歩をしているだけではない。

 エメラルドの瞳を油断なく、しかし自然に動かして、街の様子をじっくりと観察しているのだ。


 街の広場の近くまで来ると、何やら人々の歓声が聞こえた。


「諸君、共に声を上げよう。我らの正義で以て、このドルエンセントを変えようではないか!」


 広場の中央で、真っ白なスーツに身を包んだ恰幅の良い紳士が熱弁を振るっている。

 どうやら政治的な集会が開かれているらしいが、内容は分からない。


 彼女たちはこの街のことをまだよく知らない。

 何しろ、つい3日程前に来たばかりなのだから。


 遊びやスリはともかく、大きい仕事をしようと思えば、まずやるべきことは一つ。


 街をよく知ることだ。


 地理と治安、情勢に世論。

 利用できるものは全て利用するのが、アンバーエンジェルの基本方針である。


 しかし、街は広い。

 やはり彼女たちの足だけでは限界がある。

 そもそも、レイラは地味かつ地道な作業が大嫌いでなのである。


 早いとこ、でかくて楽しいことをやらかしたいとウズウズしているのだが、焦りは禁物。

 暫くは面白くもない情報収集に追われることになるのかと思い、レイラは身震いした。


 彼女が如何にしてシャロンにこの雑務を押し付けるかを考えていると、人混みの中から聞き覚えのある声がした。


「ああ! そこにいるのは我が愛しのレイラじゃないか?」


 軽薄な声の若者が雑踏からぬっと出てきて、レイラの隣を歩き始めた。


「あら、凄い! 私、今ちょうど貴方のことを考えてたのよ」


 レイラはきゃあ、と大袈裟に喜んで、若者の腕に飛び付いてみせた。


「くっ……あっ……卑怯な」


 若者は顔を真っ赤にして、照れ隠しのつもりか栗毛の癖っ毛をごしごし掻いた。


 よれよれのシャツに安っぽいベストといった格好だが、履いているのは上等そうな革のブーツ。

 尖端がとんがって反り返っているそれは、まるでお伽噺の魔女が履いていそうな奇抜な代物だった。


「で、俺のことを考えてくれてたなんて、本当かい? ――レイラ、そんなに俺のことが」


「そうよ。とっても便利な情報屋 トンガリ・ブーツのことを考えてたの」


 彼女は悪女の笑みと共に、するりとトンガリの腕を離した。


「チッ、つれないなぁ」


 彼は大袈裟に落胆してみせながら、レイラの耳元に口を近付けた。


「手持ちはあるんだろうな」


「貴方の持ってるモノ次第よ」


「……そうこなくちゃな」


 そして、二人は笑顔で他愛ない話をしながら、腕を組んで歩き始める。

 示し合わせたように本物のカップルのふりをしながら、トンガリの隠れ家に向かって行った。




 スラムに程近い一軒の空き家が、彼の新しい隠れ家だった。


「――ところで、アンバーエンジェル様ご一行は何度お引っ越しすりゃ気が済むんだ? 前の街では一体何をやらかしたんだったか」


「えーっとねぇ、多分『16聖人の宝珠』でビリヤードやって怒られたんだったかな」


「最高だな」


 腹を抱えて笑いながら、トンガリはレイラに温い茶と申し訳程度の菓子を差し出した。


「貴方こそ、あちこち点々として大丈夫なの。コネとか情報網とか、全部作り直しなんじゃない?」


 一つの都市で指名手配者(ゆうめいじん)になって、警察の目の敵にされる度、レイラたちは新しい都市に逃げ、略奪を繰り返している。

 このトンガリは、アンバーエンジェルが逃げる先々にふらっと現れる奇妙な情報屋なのだ。


「いや、何とでもなる。それより、他の都市で仕入れた情報が良い売り物になるんだ。需要があるのに供給は追っ付いてねえから、大したネタじゃなくても馬鹿みたいな金額が付く。何より――」


 彼は得意気に、こう付け加えた。


「――俺のハートを奪った可愛いレディを逃がさないのは当たり前だろ?」


 嘘か誠か、キザな台詞を言ってしたり顔のトンガリ。

 しかし、軽率そうで気さくなだけでは情報屋は務まらない。


 不意に、少しだけ真剣な目になって、トンガリは何気なく訊いた。


「ところで、タチの悪いガキどもを追っ払って潰れたバーを乗っ取るって、どうやったんだ?」


「……簡単よ。見張りもいない間抜けたちだったから、真夜中に忍び込んでクスリで皆おねんねさせてあげたの。後は身ぐるみ剥がしてから縄で縛って、警察署の前に吊るしておいただけだよ」


「ハッ!そいつは結構だな。あそこなら良いアジトになるんじゃないか?」


 三人しか知らないはずのアジトの詳細を、彼がどうやって知ったのかなど、レイラは気にしない。


 金貨1枚で敵にも味方にもなる。

 情報屋とはそういうものだからだ。




 あちこちを点々とする度、大事を起こして街を掻き回すレイラの一味を追うのは警察だけではない。


 一攫千金を夢見る賞金稼ぎ。

 面倒事を起こす泥棒猫など縄張りから消してしまおうと画策する裏社会の人間たち。略奪の被害を受け、私怨を晴らそうとしている豪商。それらに依頼を託された暗殺者や暴漢の類。


 そう、アンバーエンジェルの情報は、何処へいっても飛ぶように売れるのだ。

 一味の行くところに踊る影のようについて来るこの男が、どれ程の強か者なのかは、レイラが一番よく分かっている。


「警察にはまだ売らないでよ?」


「……分かってるよ」


 トンガリは、人の良さそうな顔で笑った。

 彼とて、一味が捕まってしまえば儲け口が無くなって困る。

『売り』の匙加減が絶妙だからこそ、この商売が成り立っているのだ。


「で、レイラ。貴女は何が知りたいんだ?」


 その途端、前触れもなくトンガリの頬に柔らかいものが触れた。

 後ろから滑らかな白磁の腕がするりと伸びて、彼を優しく捕まえる。


 レイラはかあっと熱を持った彼の首筋に舌先を走らせて、甘い毒の吐息のような声で囁いた。


「……貴方が知っていること、ぜーんぶ」


 トンガリの手には、いつの間にかずっしりと重い麻袋が握らされていた。


「ああっ、何て酷いイタズラなんだ。貴女には勝てないよ。愛しのレイラ……」


 思わずくらっとした頭を抱え、理性を振り絞って、トンガリは苦笑した。


 困り果てたような彼の情けない表情を見て、誰よりも強かな悪魔は、満足そうにエメラルドの双眸を煌めかせた。






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