02 シャロン嬢はお酒がお好き
小鳥たちが目覚めの囀りを始める頃、レイラは漸く帰路に就いた。
夜明けと共に人間の姿に戻ってしまった彼女は、一晩中遊んだ後の快い疲労を噛み締めながら、路地を歩いていた。
淡い朝の光が当たる度に、彼女の自慢、どきっとする程深いグリーンの瞳が楽しげに揺れる。
ともすれば、再び蝙蝠の翼で飛び上がるのではないかと思う程、彼女は上機嫌だった。
腕に食い込む革袋の快い重みが、どうにか彼女を地上に繋ぎ止めているのだ。
細い裏路地の角を幾度も曲がり、辿り着いたのは、とある小さなバーだった。
レイラは足取りも軽やかに短い階段を下り、半地下になっている店の入口に立った。扉に引っ掛けられた小汚ない札は、永遠に『CLOSE』のままだ。
「ただいまぁ」
レイラがふざけて後ろ蹴りを放つと、玩具みたいに小さな扉は悲鳴を上げて勢いよく開いた。
店内に入り込んだ日の光が、薄闇の中を浮遊する無数の塵を、白くきらきらと照らし出す。
油臭い埃がこびり着いた床。
そこら中に放置されたガラクタの類。
加えて、柱や壁に残された生々しい刀傷や弾丸の跡が、今しがた帰還した少女を――このアジトの首領を迎え入れた。
朝日の輝きを背に受けて、琥珀色の髪を煌めかせる華麗な少女。
滑らかな白磁の素肌に、ゆったりとしたクリーム色のショールを纏ったその姿だけなら、地上に降り立った美の天使に等しい。
――残念なことに、重そうな革袋を抱えて舌舐めずりする彼女は悪魔にしか見えないのだが。
彼女こそが、"琥珀色の悪魔" レイラ・アンバー。
大胆不敵、神出鬼没。おまけに魔獣の血を引く、見目麗しい14歳の女盗賊である。
彼女が率いる盗賊一味は、レイラを含め、総員僅か3名。
しかし、狙った獲物は逃さない、名うての悪党一派でなのだった。
「おーい、ただいまってば。皆、まだ寝てんの?もう朝だよ」
返事が無いのがつまらないのか、レイラは盗れたてほやほやの金貨を床にぶちまけ、そこへダイブした。
「……起きていますわ、レイラ。お帰りなさい、そして、おはようございます」
と、奥の方から穏やかな返事が聞こえた。
その声の主――バーカウンターの古びた回転椅子に腰掛けている少女は、レイラより落ち着いた雰囲気で、随分大人びて見える。
「シャロン、おはよう。何してるの」
「朝の静寂を楽しんでいるところですのよ」
夜の喧騒も、それはそれで良いものなのでしょうけれど……と、意味深な一言を付け加え、シャロンは微笑んだ。
彼女は、会話の相手が金貨の上でクロールをしていても、全く気にならないらしい。
――おおらかな性分故か、はたまた諦観の境地にあるのか、定かではないが。
まだ寝ぼけていてもおかしくない時刻なのだが、シャロンは既にきちんと服を着替え、身だしなみを整えていた。
優しいチョコレートブラウンの髪は寝癖一つ無く、いつも通り髪留めでハーフアップに結われている。
「――金の籠から抜け出して、世界の果まで飛ぶのです――」
目覚めの1冊、とばかりに詩集など嗜みながら、シャロンは指先を優雅に使ってティーカップをつまみ上げた。
彼女がこうしていると、汚ならしくて無粋なこの空間が、貴婦人方が集う客間に見えてしまうのだから不思議だ。
ただし、ティーカップの中に淹れられているのは普通の紅茶ではなかった。
ティー・ウイスキー。
かなり強いモノを香り高い紅茶で割った、シャロンお気に入りの1杯である。
テーブルの隅に置かれたボトルに気付いたレイラが苦笑混じりにからかう。
「いやはや、流石はシャロン嬢。朝っぱらからよく飲まれますねぇ」
「これで3杯目です。わたくし、お紅茶もお酒も大好きですの」
シャロンは悪びれもせず、うふふ、と上品に笑ってみせた。
早朝からの飲酒はともかく、シャロンが高貴な家で生まれ育ったことは、その立ち居振舞いから何となく察することが出来るかもしれない。
――しかし、彼女が知識教養と演技力とを駆使し、老若男女問わず完璧に変装する女盗賊 "化け猫のシャロン" であることは、恐らく誰も想像しないだろう。
「キャプテンこそ、随分大胆な遊びをして来たのではなくて? この都市に来てまだ3日目ですのに」
彼女らは、各地を点々としながら、気の向くまま略奪に勤しむ、放浪の盗賊一味であった。
故に、今まで同じ街に3ヶ月と留まったことがない。
「まあまあ、新居を住みやすくするには何かとお金も必要でしょ?」
「それもそうですわね。では、カウンターテーブルの拭き掃除代と、ガラクタの一部の撤去費を頂戴しなくては。わたくし、新居の環境改善に尽力しましたのよ? ……貴女が夜の街に繰り出している間に」
シャロンはすかさず両の掌を優雅に揃えて、満面の笑みと共にレイラの胸元に差し出す。
「……全く、シャロンには勝てないや」
レイラは袋から大粒の宝石を取り出して、狡猾な淑女の掌に握らせた。
シャロンは自ら進んで雑事をこなし、とんでもない額のチップを要求してくるという、非常に珍しいタイプの貴婦人(?)なのだ。
「嗚呼、我らがキャプテン! わたくし、何処までもお供致しますわ」
目にも止まらぬ速さでそれを懐にしまうと、シャロンは左胸に拳を当てて、恭しく頭を垂れてみせた。
「はいはい、どうも。……にしても、やっぱりここは最悪だね。ゴミだらけだし、照明も全部壊れてる。ああ、もう!あいつら、滅茶苦茶な住み方しやがって」
レイラが崩れかけた空樽を蹴り付けると、丸々と太ったドブネズミが慌てて飛び出し、逃げていった。
ここも、かつては小さな隠れ家バーとして繁盛していたらしい。
が、暫く前に廃業してからは、裏町にたむろする悪童が勝手に住み着いていたのだった。
3日程前、ここに流れ着いた彼女らは、そのガキどもを首尾よく追い出し、この店の新たな不法占拠者となったのである。
「でも、折角手に入れたアジトですもの。わたくし、毎日頑張ってお掃除致しますわよ。……そうねえ、1日3ダイヤからでどうかしら?」
「……考えとく」
貪欲な働き者を軽くあしらいながら、レイラはカウンターの奥にある小さな扉に手を掛けた。
「――あら、彼女はまだ眠っているのではないかしら?」
「そうかもね。ま、叩き起こすよ」
エメラルドの瞳をいたずらっぽく光らせながら、レイラは微笑んだ。




