第7話 森林公園のゴブリンさん
森林公園に着いたマキナと美羽は、ベンチの近くに設置してある自動販売機で飲み物を買うことにした。噂の醜い鬼がいつ現れるかわからないので、とりあえず、ジュースでも飲みながらゆっくり待とうという話になったのだ。
たくさんの木に覆い囲われた夜の公園で、煌々と明かりを灯す自動販売機にお金を入れたマキナは、年上として小学生にお金を出させるわけにもいかないので、美羽のぶんも買うことにした。
「美羽ちゃんは、どれにする?」
マキナが訊ねると美羽は一瞬「えっ?」と呟いてキョトンとしていたが、すぐに焦った様子で首と手を同時に小さく振った。
「い、いやいや、そんな、悪いですよ。自分で買いますから……」
「俺が美羽ちゃんに買ってあげたいだけだから、気にしないで」
「はうぅっ……そ、それじゃぁ……コレを、お願いします……」
左手を胸の前に軽く当てた美羽が遠慮がちにイチゴミルクの缶を指で指し示たので、マキナはボタンを押して商品を取り出すために腰を屈めた。その瞬間————。
お尻に誰かが思いっきりぶつかってきたような衝撃が走って、マキナは自動販売機に顔を「んがぁっ!?」と激突させてしまい、バランスを崩して前のめりに倒れそうになってしまう。
「せ、先輩……大丈夫ですか……?」
美羽も何が起きたか理解出来ていないのだろう。マキナを心配する声がとても困惑している。
「痛ってぇ……」
実際にはそこまで痛くなくても、突然の事態でつい言ってしまうのは、人間も魔族も一緒だろう。顔を押さえながら振り返ったマキナが、後ろからぶつかってきたモノの正体を確認すると、子供くらいの大きさで額から2本の角を生やした鬼が「ゲヒャヒャヒャ!」と腹を抱えて笑っていた。鬼の顔は緑色で、目と鼻が拳ほどの大きさもあり、口は耳まで裂けている。髪の毛は生えておらず頭には無数のコブがあって、醜いという表現がピッタリの容姿だ。
「やっぱり小鬼か」
魔界でもイタズラ好きで有名な鬼の種族で、マキナは森林公園の噂を知った時に、鬼の正体はおそらく小鬼じゃないかと予想していたのだが、どうやら正解だったようだ。ちなみに服装は、白い薄手のトレーナーに紺色のハーフパンツだったりする。普段は人間に化けて生活しているのかもしれないが、なかなかシュールな絵面だ。
小鬼は腹を抱えて笑うのをやめると、マキナの方に向かって手を差し出してきた。
「おい、お前! 買ったモノを俺に寄こせ」
「はあっ!? 何でだよ?」と、マキナがそう言いかけたところで、
「ゴブリンさん。他人からモノを無理やりとっちゃダメですよ」
美羽が小鬼に注意した。だが、口調があまり強くないせいか、小鬼は全く動じず訝しそうに美羽を睨む。
「何だ? お前」
「えっと、この街の退魔師です」
「あっそ。とりあえず、お前に用はないから引っ込んでろ」
「そ、そんな……でも」
「用はないって言っただろ!」
「ふぇっ!? はうぅっ……」
美羽が小学生だからというのもあるだろうが、小鬼は美羽を相手にしようとしない。そのことに美羽はガックリ肩を落とした。
今のやりとりで、現在の夜束市における魔族や人外たちの治安の管理状況が垣間見えた気がして、マキナは納得して呟く。
「そりゃあ、そうだよな……」
戦闘だけで言えば美羽の能力はかなり高い。だが、魔族や人外の討伐ばかりが退魔師の仕事ではない。目の前にいる小鬼のようなちょっとした悪さをしている連中が相手の場合、話し合いで解決する必要があるのだが、美羽は小学生。相手に話を全然聞いて貰えないことも多いだろう。要はナメられやすいのだ。美羽が自分のことを未熟と言うのも、この部分が大きく関係しているのだろう。コミュニケーション能力も高くなさそうだし、今までも似たようなことが何度かあったのかもしれない。
「ガキは邪魔だから、どっか行ってろ!」
「い、いや、でも……」
「あぁっ!? まだ何かあんのか? ウザいんだよ!」
とにかく、小鬼に好き勝手言われて、オロオロしている美羽をこのまま見ておくわけにもいかない。
マキナは、小鬼の頭を掴んで体ごと持ち上げた。
「おい! 小鬼。いい加減にしろよ」
「いでででっ……! は、離しやがれっ!」
小鬼が手足をジタバタさせて叫ぶが、マキナは構わずに目線を小鬼に合わせてから睨んだ。
「お前が人間に迷惑ばかりかけていると、困る魔族達がいるんだよ」
力の弱い魔族や人外たちは、唯でさえ人間に紛れてひっそりと暮らしているのに、自分勝手なバカのせいで、自分たちの存在が悪い意味で露見したら堪ったモンじゃない。魔界での生活に耐えられなくて人間界に来ている連中がほとんどなのに、そこで居場所を失ったら大変だ。
「知るかよ! 手を離せって言ってんだろ!」
もがく小鬼の頭を掴んでいる手に、マキナは力を込めた。
「————ッ!?」
小鬼が声にならない悲鳴をあげる。
マキナは魔族で魔王の子供。変身していなくても、小鬼の頭くらいなら簡単に握り潰せるが、もともと話し合いで解決しようとした相手を殺したら、美羽が嫌な思いをするかもしれない。なので、頭が潰れるか潰れないかギリギリの力加減を保ちながら、掴んでいる手で小鬼の頭を締め上げているのだ。
脅しの意味を込めて、マキナは冷たい口調と雰囲気を演出して小鬼に注意を促す。
「もう一度だけ言うぞ。お前が人間に迷惑をかけ続けるって言うんなら、それなりの対処をしなきゃならない。この意味がわかるな?」
小鬼の頭からメキメキッ! っという音がマキナの手に伝わってくる。
「わかった……わかったから! 離してお願いします!」
小鬼が泣きそうになりながら、何度も弱々しく首を縦に振ったので、マキナは小鬼の頭から手を離した。
どさ! っと地面に尻もちをついて崩れ落ちた小鬼の体は少し震えている。
「まったく……最初から素直に人の話を聞いとけば、痛い目に遭うこともなかったのに……」
「先輩……」
嘆息するマキナを美羽が見つめてきた。
「何だい? 美羽ちゃん」
何かを訴えたそうな瞳をしているのでマキナが訊ねると、美羽は少し困ったような感じではにかんだ。
「えっと、その……ゴブリンさんがかわいそうなんで……先輩が買ってくれたジュースをあげてもいいですか?」
あれだけ好き勝手に言ってきた相手を気遣うのか。
マキナはちょっと複雑な気分になったが、イチゴミルク自体は美羽に買ってあげたモノなので、文句を言うことが出来ない。
「いや、まあ、別に良いけど」
「ありがとうございます!」
渋々了承したマキナに美羽はお辞儀をすると、自動販売機からイチゴミルクの缶を取り出し、地面に座っている小鬼に向かって缶を差し出した。
小鬼は、意味がわからないといった様子で目を白黒させている。
「何だよコレ……?」
「ゴブリンさん。最初にコレが欲しいって言ってたんで」
「あ、ああ……そうだったな……でも、俺はお前に酷いことを言って……」
「そのぶん、先輩がちゃんとゴブリンさんを叱ってくれたんで、わたしは構いませんよ」
「そ、そうか……」
困惑しながら小鬼がイチゴミルクの缶を受けると、美羽は満面の笑みを浮かべた。
「もう、悪いことしちゃダメですからね」
「わ、わかった……もう、しねぇよ!」
マキナに頭を潰されそうになった直後で悪態を吐く余裕がなかったのか、小鬼はバツが悪そうに美羽から目を逸らして立ち上がると、背中を向けてこの場を去ろうとした。
「おい! 小鬼」
マキナに呼び止められた小鬼が、背中を一瞬ビクッとさせて振り返る。
「な、何だよ……? まだ何かあるのか……」
小鬼の顔は非情に怯えていて、先ほど悪態を吐いていた時のような元気はない。
「ああ。もし、黒いコートを着た男が近づいてきたら、全力で逃げてくれ」
「何だよそれ?」
「いろんな意味で危ない吸血鬼だよ。お前、ヘタしたら殺されるぞ」
ブラドは夜束市を人間の手から解放すると言っていた。ならば、何か行動を起こすための同士を集めている可能性が高い。しかし、あの変態吸血鬼の考えに共感してくれるモノは、ほとんどいないハズだ。
なんせ、目指しているのが魔族と人外と幼女の楽園だからな。ってか、幼女って何だよ? モロにアイツの趣味が入ってるじゃん! そんなんじゃ、誰もついてこないだろう……。
だが、困ったことにブラドは血を吸って殺した相手を操る能力を持っている。おそらく、誘った相手が断れば噛み殺して無理矢理仲間にするだろう。そんな悲惨な犠牲者は、出来るだけ少ない方が良いに決まっている。
「あ、ああ……気を付けるよ」
マキナの忠告に小鬼は身を震わせて頷くと、遠くの方へ走り去っていった。
森林公園に現れる醜い鬼の噂については、これでしばらくは落ち着くだろう。頭を潰されかけたのに懲りずに同じことをやるほど小鬼もバカじゃないはずだ。
小鬼の姿が完全に見えなくなってから、美羽がマキナを見つめて微笑んだ。
「こんなにあっさりと解決しちゃうなんて。やっぱり、先輩はすごいです」
「えっ? そ、そうかな?」
照れ臭くなったマキナが誤魔化すために鼻を擦ると、美羽は少し暗い顔をして目を伏せた。
「はい。わたしなんて、先輩がいなければ何もできませんでしたから……」
シュンとなった美羽の頭をマキナは軽く撫でる。
「そんなことないよ。自分を悪く言った相手に優しく出来る美羽ちゃんの方がスゴイよ」
自分に敵意を向ける相手に対して、暴力を使って従わせるのは意外と簡単だ。現にマキナも小鬼相手にそうしている。反対に美羽は対話で解決しようとしていたし、最終的には罵声を浴びせてきた相手を優しく諭している。前者はともかく、後者はなかなか出来るモノじゃない。
もしかしたら、小学生という問題点を除けば、魔族や人外の治安を取り締まる退魔師として、戦闘面でも気持ちの面でも、美羽以上に適した人間はあまりいないんじゃないだろうか。
「でも……」
美羽は納得しない。自信を喪失いる今の状態で、このまま説得しても落ち込むだけだ。気分転換でもさせて、美羽のテンションを上げてから、もう一度話をした方がいいかもしれない。
「とりあえず、今日は初日だし、パトロールはこれで切り上げて、どっか遊びに行こうか」
「えっ?」
マキナの出した提案に美羽はビックリしたらしく、目を見開いたまま固まってしまっている。だが、まずは美羽を元気づけるためにも、楽しいことを提供するのが先決だ。
うーん。小学生が喜びそうな場所……小学生が喜びそうな場所……と。
マキナは思案するが、いいアイデアが浮かばない。結果――――。
「まあ、歩きながら探せばい良いか」
という結論に至り、先導するために美羽の手を強く握った。
「それじゃあ、行くよ!」
「ふぇっ!?」
少し強引だが、手を握られて驚いている美羽を引っ張りながら歩き、マキナは森林公園を後にする。