第6話 パトロールをしませんか?
「痛ってぇ……!」
顔にできた引っ掻き傷を押さえながら、マキナは帰宅しようと校庭を歩いていた。
昼休みに如月の不安を払拭させるため、彼女を怒らせたまでは良かったが、その後が良くなかった。購買で如月に捕まったマキナは、爪を立てた彼女のフルスイングの一撃を顔に浴びてしまい、購買の中を転がりまわった。棚にぶつかって商品が落ちてくるわ、複数の女子生徒たちからはスカートの中を覗こうとした変態としてボコボコに蹴られまくるわで散々だった。放課後になっても顔にできた傷がまだ痛む。まあ、如月に引っ掻かれたのは自分が蒔いた種なので、マキナはあまり怒ってない。むしろ、原因を作った御影が憎い。
と、思考がネガティブになりかけたところで、校門の前でキョロキョロしている美羽の姿を見つけた。
そういや、パートナーの返事をまだしていなかったなぁと思いつつ、彼女のもとへ歩み寄る。
美羽もマキナに気付いて駆けてくると、ランドセルの紐を掴んでもの凄い勢いで頭を下げてきた。マキナはビックリして、つい体を仰け反らせてしまう。
「お疲れさまです! 先輩」
「う、うん……美羽ちゃんもお疲れさま。それで、パ……」
「一緒に街をパトロールしてくれませんか!?」
「へっ?」
パートナーの話を持ち出そうとしたところで、美羽と言葉が被ってしまい、思わずマヌケな声を出してしまったマキナは、慌てて「コホンッ」と咳払いをして気を取り直した。軽く握った拳を口元に当てたまま、片目を閉じた状態で少し渋めの雰囲気を作って美羽に訊ねる。
「パトロールって?」
マキナの質問に、美羽は頭を上げると、目を伏せて肩を落とした。ランドセルの紐を掴んでいる手にギュッと力が入る。
「その……わたしのせいで、昨日魔族を逃がしちゃったんで、早く見つけて何とかしなきゃって思ったんですけど……わたしじゃ何もできないし……」
どうやら、まだ立ち直っていなかったらしい。手を振り合った時にそんな様子は見せなかったので、相当無理をしていたのだろう。今ここで、「そんなことない。ブラドを逃がしたのは、俺の判断が甘かったせいだ」と言っても、たぶん美羽は納得しない。
それに、マキナとしても、夜束市の魔族や人外の現状を把握しておきたかったので、美羽の誘いに乗っかることにした。
「良いよ。一緒にパトロールしようか」
「えっ? 本当に?」
美羽の目がキョトンとしている。もしかしたら、マキナが断ると思っていたのかもしれない。
「ああ。俺もアイツのことは気になってたんだ」
多少だが、気になっていたのは本当だ。ブラドの口ぶりからすると向こうから接触してきそうな感じもするが、それまで待っていたら、おそらくロクなことにならない。警戒態勢を強化しておいても良いだろう。
「だから、俺も一緒に吸血鬼を探すよ」
「ありがとうございます!」
深々とお辞儀をする美羽に、苦笑しながら「いやいや」と手を振りつつ、マキナはこれからのことを思い浮かべる。
ブラド探しに夜束市の現状の調査。場合によっては人間界で迷惑を掛けている魔族や人外たちの対応。やることは意外に多いかもしれない。まあ、今までちゃんと活動してこなかったマキナが悪いのだが。
ため息交じりに呟く。
「街の平和ね」
マキナは魔王から人間界で危険分子を見つけたら、処刑するように命じられている。それは言ってみれば退魔師と同じようなモノで、人間界の平和を守ることであり、同時に人間界で暮らす魔族や人外たちの平和に繋がる。それが自分の役目であり、どんなに大変でも自分はやるべきことをやるしかないのだ。
吸血鬼は太陽の光を嫌う。映画やドラマのように灰になったりはしないが、湿疹や水ぶくれができたり、頭痛や嘔吐などで日常生活が困難になったりするらしい。通常昼間は太陽の光が当たらない場所に潜んでいて、完全に日が落ちてから活動を始める。
美羽と校門で話し合った結果、吸血鬼の生態を考慮して、パトロールは夜にしようということになった。
お互い校門で一度別れて、現在の時刻は午後8時。マキナは美羽の家の前に来ていた。
実は校門で別れる際に、美羽がマキナを迎えに行くと言ったのだが、年上として小学生が迎えにくるまで家で待っているというのも気が引けるので、丁重にお断りしてマキナが美羽を迎えに行くことになったのだ。昨日美羽を送り届けたときに場所自体は覚えていたので、迷わずに彼女の家まで来れた。
家の正面には木造の門があって、白い塀が家の周りを囲っている。美羽の家は、閑静な住宅街に並んでいる少し大きめの古い一軒家といった感じだ。
このまま突っ立っていても仕方がないので、マキナは門の横に設置しているインターホンを鳴らした。魔界の文化は基本的に中世のヨーロッパに近い。ところが、母親が魔王に何か言ったのか、マキナの周囲だけ現代の日本の文化に近かったりする。そのおかげで、人間界の生活にもすぐに馴染むことが出来た。
「どちら様ですか?」
インターホンから凛とした若い女性の声が聞こえたので、美羽の母親ならちゃんと挨拶しとかないとな。そう思ってマキナは制服のブレザーの襟元を正してインターホンの前で軽く頭を下げた。
「どうも。久遠っていいます。美羽ちゃんを迎えにきました」
「久遠……ああ、美羽さんをたぶらかそうとしているクソ虫ですね。美羽さんを呼んでまいりますので、しばらくお待ちください」
「……」
何かスゴイ言葉が耳に飛び込んできたが、ツッコんでも話が進まないので、とりあえずマキナは美羽が出てくるのをおとなしく待つことにした。
「ってか、クソ虫って……」
美羽の母親にしては口が悪いなぁと苦笑いしていると、門の片方が開いて中から美羽が顔を覗かせたので、マキナは軽く手を挙げて挨拶する。
「こんばんわ」
「先輩!」
マキナの顔を見て門の外に出てきた美羽が、顔を若干赤くしながら満面の笑みを浮かべる。
「えへへっ。来てくれてよかったです」
「一緒にパトロールするって約束だからね。それより、美羽ちゃんも制服なんだ」
「はい。外に出るときは制服を着なさいって校則に書いてありますから」
「そっか」
美羽の服装はピンクのセーラー服。天啓学園初等部の女子の制服だ。お互い家に帰ってから、着替える時間は十分にあった。だが、天啓学園の校則にはこう書いてある。
――――外出するする時はなるべく制服を着用し、天啓学園の生徒であるという自覚を持って行動するのが望ましい――――。
マキナはこの校則を天啓学園に通っている魔族や人外に当てたモノだと考えている。設立者である神魔管理協会が、お前たちはウチの管理下に入ったんだから、人間に迷惑を掛けるなよと遠回しに言っているのだ。
校則に書いている以上はそれに従うべきだろうと思ったので、「にぃに。普通はそんな校則誰も守らない」とシャルに言われても、着替えずに家を出てきたのだ。
美羽の服装も校則を守っているだけなので間違ってない。
我が妹よ。世間はお前が思うほど腐ってはいないようだ。
家でパソコンを使ってネット仲間たちと掲示板で会議をしているシャルに心の中でそんな言葉を送りつつ、マキナは本題に入る。
「それじゃあ、パトロールを始めようか」
「はい! 先輩」
パトロールを開始したマキナと美羽は、まずはブラドと対峙した神社に行って、そこから巡回範囲を広げていくことにした。
夜束市は総人口約20万人。総面積がおよそ50キロ平方メートルほどの小さな街だ。市内の南部を中心に神社や寺が数多く建っているが、実際は工業都市であり、漁業や採石業も盛んだったりする。近年は都市開発も進んでいて、市街地には沢山のビルやマンションが立ち並び、大型スーパーもあって街はそれなりの賑わいを見せている。
住宅街や街の外れにはまだ未開発の部分が残っているため、田んぼや畑も残っていて、古い町並みと新しい街の風景が混ざり合う小さな街だが、ブラドの居場所が特定出来てない今の状態では、はっきり言って探し出すのは不可能に近い。
放課後にマキナが美羽と話し合った結果、彼と因縁のある自分たちが囮になって街の中を歩き回った方が向こうから襲撃してくる可能性がある分、やみくもに探すよりも効率が良いということになった。マキナは家に帰ってからも、シャルにネットでブラドに関する有力な情報を探してくれと頼んでおいたので、数日中には巡回範囲どころか捜索範囲も絞れるだろう。
暗闇を街灯と民家の明かりが照らす住宅街の夜道をマキナと美羽は並んで歩く。以前ブラドと対峙した神社が見えてきたところで、マキナは、制服のポケットから四つ折りの紙を取り出して両手で広げた。これもマキナがシャルに頼んだモノで、紙にはシャルがネットで調べてくれた夜束市の不思議な噂がいくつか載っている。実は、美羽と出会った時も、シャルに人狼が出現しそうなポイントを絞って貰って、そこに向かっていたのだ。
「どうしたんですか? 先輩」
歩きながら、夜束市の不思議な噂の内容をマジマジと読み上げているマキナを変に思ったのだろう。美羽が興味深そうな顔でマキナを見上げている。
「ああ、吸血鬼を探すついでに、他にも悪い魔族がいないか調べておこうと思ってね」
マキナは紙の内容を読むのをやめて、目線を美羽に移す。すると美羽が嬉しそうにニッコリ微笑んだ。
「それ、わたしも同じようなことを考えてたんですよ。吸血鬼の他にも悪いことをしている魔族がいるかもしれないんで、見ておきたいなぁって」
「へぇ。そうなんだ」
確かにブラドを探すだけなら、パトロールなどという言葉を使わないかもしれない。今にして思えば、最初から他の魔族や人外の調査も兼ねてマキナはパトロールに誘われたのだろう。美羽の説明は言葉足らずだったが、どのみちマキナも夜束市の現状の調査をやるつもりだったんで、別に構わない。
「はい。先輩と一緒みたいで、なんだか嬉しいです。えへへっ」
頬を赤くして俯く美羽にマキナは「そっか」と口元を緩めつつ、神社の前に着いたので、足を止めて入り口から境内を確認する。境内は真っ暗で昨日の戦闘が嘘だったかのように静まり返っている。シャルにネットで夜束市の不思議な噂を調べて貰った時にも、マキナが今見ている神社のことが載っていて、内容的には、社や木にイタズラをしようとすると着物姿の少女が現れて、手から青い炎を出して驚かせてくるといったモノや、子供が神社で遊んでいると着物姿の少女が現れて一緒に遊んだというモノがあった。
マキナもよく知らないが、もしかしたら少女は神界辺りから来た狐型の人外で、この神社の守り神のようなことをしていたのかもしれない。まあ、その死体を変身したマキナが銃で粉端微塵にしたわけだが。
「ははっ……罰が当たりそうだな」
気持ちがブルーになってきたので、神社を後にしたマキナは、美羽を連れて再び住宅街の夜道を歩き始めた。次のポイントを思案する。
「えっと、ここから一番近いのは……」
夜束市の不思議な噂の内容を頭の中で思い描いて出てきたのが、
「森林公園か」
住宅街を右に抜けて広い道路の歩道をしばらく歩いていくと、左手側に鬱蒼と覆い茂る木に囲われた公園がある。そこで、会社帰りに飲みすぎてベンチで休憩していた男性が、子供くらいの大きさの醜い鬼に鞄を強奪されそうになったらしい。幸いにも男性が酔った勢いで蹴り飛ばすと鬼は驚いて逃げていったそうだ。
「美羽ちゃん。次に行く所なんだけど――――」
マキナは噂の真相を確かめるため、美羽に醜い鬼の話をして、2人で森林公園に向かった。