第5話 同級生×教師
教室でマキナは、ハゲた教師が授業内容を書いている黒板をぼーっと見つめながら、あくびを噛み殺した。
昨日は色々とあり過ぎたせいで、疲れがまだとれていない。美羽を送り届けて自分の家に帰ってからも、シャルが「にぃに。犯罪者予備軍になった気分はどう?」とか変なことを言って拗ねていたので、機嫌を直して貰うために大変だった。まあ、主にやったのは、シャルが満足するまで対戦型格闘ゲームの相手をして、ボコボコにされているだけだったが。
深夜まで起きていたこともあって、勉強に身が入らないマキナは、教室の窓際にある自分の席から外を眺める。グラウンドに視線を移すと初等部の児童たちが体育の授業をしている最中だった。
どうやらリレーをしているようで、トラックの周りを男女入り乱れて数名の小学生たちが駆け抜ける。
その微笑ましい光景に目を奪われていると、走る順番待ちをしている児童たちの中に美羽の姿を見つけた。美羽は自分の番が近づくにつれて緊張が増しているようで、少しずつ顔が強張っている。ちなみに、マキナは魔族で魔王の子供。夜ならいざ知らず、昼間なら3階の教室からでも細かい仕草や表情までバッチリ見える。
「あっ」
美羽と目が合った。魔族や人外ならわからないでもないが、美羽は人間だ。退魔師のちょっとした身体能力を知ってマキナが感心していると、美羽が嬉しそうに手を振るような仕草を見せた。だが、すぐに引っ込めてしまう。周りに他の児童たちがいるし、美羽は顔を赤くしているので、照れてやめてしまったのだろう。
せっかく目が合ったのに挨拶をしないのも何だかなぁと思い、マキナは自分から先に手を振った。美羽は一瞬困ったような表情をした後に、頬を朱色に染めて、はにかみながら遠慮がちに手を振り返してくれる。
昨日のことを気にしている様子も特に見られないし、美羽の姿が可愛いのに何だか可笑しくて、マキナは「くすっ」と笑う。そして、どちらが先というわけでもなく、お互いに手を振るのをやめてから、マキナは教室の方に意識を戻した。
すると、マキナの席の前に座っている如月千尋がこちらをじーっと見ていて、とんでもないことを口にする。
「ねぇ、マッキーってロリコンさんなの?」
「はあっ!?」
マキナは思わず大きな声を出してしまい、ハゲた教師から「そこ! うるさいぞ」と怒られたので、「すみません」と軽く頭をげて、小声で如月に文句を言う。
「そんなわけないだろ」
「でも、さっき美羽ちゃんと手を振ってイチャイチャしてたじゃない」
別にイチャついてたわけじゃないが、美羽と手を振り合っていたのは事実なので、マキナは言い返すのをやめて、如月の発言で気になる部分があったので、そのことをを質問する。
「……ってか、お前。美羽ちゃんを知ってるのか?」
「そりゃあ、私たちみたいな弱い魔族は、退魔師のおかげで平穏な生活が成り立ってるからね」
「ああ。そういや、入学式の時に猫型の魔族だって言ってたっけ」
「うん。猫の妖精だよ」
魔界には多種多様な種族がいて、それを一括りにして魔族と呼んでいる。マキナは半分人間の血が流れているが、種族的には一応悪魔族で、デモンドライバーの名前もそこからきている。如月は猫の妖精といって、二足歩行で歩く猫型の魔族で、猫と喋ることと人間に化けることくらいしか出来ない種族なので、魔界では弱い種族とされている。
「なるほどね。それで美羽ちゃんを知っているのか」
マキナは漠然とだが理解した。退魔師の主な仕事は人間界での魔族や人外たちの治安の管理。要は悪さをしている魔族や人外を取り締まったり、粛清したりして、人間界の平和を守ることだ。
もし、魔族が人間の街で大暴れして甚大な被害を与えた場合、当の本人はすぐに処分されるとして、魔族や人外たちの存在が悪い意味で明るみに出て、ヘタをすればパニックどころか人間と魔族や人外たちの間で戦争が起きてしまう可能性がある。
そうなれば、弱い魔族や人外はすぐに殺されてしまうか、人間界ではまともな生活が出来なくなってしまう。
魔界に帰ったところで、魔界は基本的に格差社会。治安もあまり良くない。魔界での生活についていけなくて人間界でひっそりと暮らしている連中が大半なのに、これでは本末転倒だ。
だから、人間界で悪さをしている魔族や人外たちを取り締まってくれる退魔師は、弱い魔族や人外たちにとっては重要な存在になってくる。
「そりゃあ、私たちの居場所を守ってくれてるような存在だもん。知っとかなきゃダメでしょ」
「まあ……そうだけど」
如月の言うことはわからないでもない。実際は、弱い魔族や人外たちを守るのが退魔師の仕事ではないのだが。人間界のオカルト的な秩序や平和を守ることが、結果的に人間たちに紛れてひっそりと生活している魔族や人外たちにも平穏をもたらしている。でも……。
気になることがまだ残っていたが、ハゲた教師が「そこ! いつまで喋ってるつもりだ」と眉をピクピクさせていたので、マキナは授業に集中することにした。
授業が終わって休み時間になる度に、武部与一がやってきてアニメやゲームの話をしてきた。悪い奴ではないのだが、如月に聞きたい事があるマキナとしてはちょっと鬱陶しい。まあ、小中高の一貫校で、生徒のほとんどがエスカレーター式に進学する天啓学園において、入学式の当初は魔界からやってきたばかりで、知り合いがいなかったマキナに対して気軽に話しかけてくれる武部の存在はありがたかった。その気持ちは今も変わってない。武部は一般人で魔族や人外についても基本的に何も知らないので、夜束市の魔族や人外についての現状を聞くわけにもいかない。なので、彼の話に合わせて適当に頷いておいた。
如月も、休み時間になるとすぐにクラスで仲が良い友達グループの会話に交ざりに行ってしまうので、マキナが話しをするタイミングが取れなかったというのもあるが。
時間だけがむなしく過ぎてしまい、午前の授業が全て終わった昼休み。
マキナは購買に如月を誘った。如月も昼食は毎回購買で買っているのでマキナの誘いにも簡単に乗ってくれた。ちなみに、武部や如月の友達たちは、毎回弁当を持参して教室で食べている。
お昼の喧騒漂う廊下を歩きながら、如月に聞きたいことをストレートに質問してみる。
「なあ、この街にる魔族たちの状況について教えて欲しいんだけど」
「ほぇっ。どういうこと?」
如月の目がキョトンとしている。マキナの質問が漠然とし過ぎて的を得なかったのだろう。なので、もう少し突っ込んだことを訊ねてみる。
「魔界にいる時に聞いたんだけど。この街って、トラブルを起こす魔族が多いらしいからな」
それが原因で、マキナは魔王に命令されて人間界に来たのだ。ただ、昨日までは、退魔師が魔族や人外たちを取り締まっているので、トラブルが増えていると言っても、そうそう自分の出番があるとは思っていなかった。むしろ、自分が頑張り過ぎると、本来この街を取り締まるハズの退魔師の仕事を奪ってしまう可能性があるので、あまり動き過ぎるのはマズいとさえ考えていた。なので、本格的な活動はほとんどしていないし、当然ながら、夜束市にいる魔族や人外たちの現状についても、あまり把握していない。
マキナの隣を歩く如月が、「うーん」と顎に人差し指を当てて首を上に傾ける。
「確かに、美羽ちゃんのお父さんがいなくなって、悪さをする子たちが増えたねぇ」
「そうなんだ」
「うん。美羽ちゃんのお父さんが退魔師として、この街の魔族たちを取り締まってたんだけど。悪さをする魔族の話なんてほとんど聞かなかったよ」
「へぇ。そりゃ凄いな」
マキナは素直に感心した。魔族や人外の中には魔界からの亡命者だけではなく、人間たちを餌と勘違いしたり人間界を支配してやろうなんて考えで人間界にやってくるバカな奴もいる。そういう連中の話をほとんど聞かないのは、前任の退魔師である美羽の父親の対処がよっぽど上手かったのだろう。実際はどうかわからないが、マキナとしては、美羽の父親はかなりのやり手なんじゃないかと思う。
「だよね。退魔師なのに、魔族にも気さくに声をかけてくれるし優しいしで、美羽ちゃんのお父さんは私たちにとって最高の存在だったよ」
「なるほどね」
自分たちの居場所を守ってくれる上に魔族や人外たちにも優しい。まさしく、人間界でひっそりと暮らしている魔族や人外たちにとっては、この上ない存在だ。
「でも、今は行方不明になってて、美羽ちゃんが退魔師として、この街の魔族たちを取り締まってるんだよな」
昨日の戦闘を見た限りでは、実力的には充分通用するんじゃないかと推測していたのだが。問題は、美羽がまだ小学生ということ。
階段を下りつつ、如月は「そうなんだよねぇ……」と頬をかいて苦笑いを浮かべる。
「美羽ちゃんも頑張ってはいるんだけどねぇ……それでも、美羽ちゃんのお父さんと比べるとねぇ」
「そっか……要は美羽ちゃんのお父さんに抑えられてた魔族たちが、美羽ちゃんに変わってから騒ぎだしたんで、トラブルが増えたってところか」
「それはそうなんだけど……その魔族たちに便乗して悪さをする子も出てきちゃって……私たちも困ってるんだけどね……にゃはは」
周りの魔族や人外が悪いことをしていれば、自分もやってみようと思うバカが出てくるのも何となくわかる。人間たちに迷惑を掛け過ぎて、ひっそりと生活している魔族や人外たちの平穏を脅かすことも。
マキナが人間界で出会った中では、変態吸血鬼のブラドが、平穏を脅かす最たるモノになりそうなのだが。
「そんな状況になるなら、神魔管理協会が前もって別の退魔師を派遣してくると思うんだけどな」
「この街には昔から魔族がたくさんいるから、他の退魔師が来ても一緒だと思うけどね。退魔師の数も多くないみたいだし、ひょっとしたら任せてるんじゃない。にゃははっ」
「美羽ちゃんはまだ小学生だぞ」
普通なら、神魔管理協会が何らかの手を打っていてもおかしくはない。協会の仕事は、人間界に来た魔族や人外たちがちゃんと生活出来るようにサポートすることも含めて、そういった連中の全てを管理し、人間界や魔界の調和を図ることなのだ。それなのに、治安の管理だけ小学生に全部任せるのはおかしい。
冗談めかしていう如月に、マキナは釈然としないモノを感じながら購買に続いている廊下を歩く。
購買は昼食を買いに来た生徒たちでかなり賑わっている。そこから、グレーのスーツを着た若い男の教師がマキナと如月に近づいてきた。教師の頭や首には包帯が巻いてあって、ケガをしているようなのだが、購買の袋を引っ提げたまま爽やかにニコッと微笑む。
「こんにちわ久遠君」
「……」
「……」
マキナはこの教師とは会ったことがないし、如月は教師から漏れ出ている殺気に少し緊張している。
「先生とは初対面のハズだが」
明らかに異様な感じがするので、マキナは無骨な態度をとって様子を窺ってみることにした。
「これは失礼。僕の名前は御影悠真。この学園の教師で神魔管理協会の職員をしてる」
「それで?」
「なかなかツレないね。せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
「初対面で相手が殺気立っていたら、誰だってこうなるよ」
「ちょ、ちょっとマッキー……」
如月が、マキナと御影のやり取りに本気でビビッておろおろしている。
「あははっ、確かにキミの言う通りだ」
「それより、俺に何か用があるんだろ?」
御影は「そうだね」と頷くと、殺気を隠すどころか、さらに強めて口を開いた。
「管理する側の人間として、噂の悪魔がどれほどのモノか、ちゃんと知っておきたくて」
マキナは御影が放つ殺気に動じない。御影が放っている殺気なんてブラドの殺気と比べれば全然大したことないし、それどころか、本気でマキナをどうこうしようなんて気配すら微塵も感じない。ただの威圧だ。如月は目を回してフラフラしているが。
「それで、アンタから見て俺はどうなんだ?」
御影は短く息を吐いて殺気を解くと、両手を上げて首を振った。
「これだけ殺気を当てても全然動じないなんて。殺気を当てた僕としては、ちょっとショックだね」
「そりゃどうも」
軽口を言いつつ、マキナは如月に目を向ける。如月は、御影が殺気を放った時の緊張状態がまだ解けておらず、目を回したまま体が硬直している。
とりあえず、如月はこのままにしておいて、マキナは御影に視線を戻した。
「話は終わりか?」
マキナが付け入る隙を与えないようにしているからなのか、御影は少し困ったように苦笑いを浮かべる。
「まあ、ここでキミと会ったのは本当に偶然だしね。他に話すことといえば、この街の小さな退魔師さんにお礼を言っておいて欲しいくらいかな」
「どういうことだ?」
マキナは、御影の発言に違和感を感じて眉根を寄せた。
御影は、自分の頭と首に巻いてある包帯を順番に指し示す。
「詳しくは言えないけど、この前人狼に殺されそうになってね。彼女が駆けつけてくれなかったら、僕たちは本当に危なかったよ」
かなり引っかかる物言いだが、とりあえず、マキナは訊いても良さそうな質問だけピックアップする。
「美羽ちゃんは、人狼と戦って逃げたんじゃないのか?」
「うーん……ちょっと違うかな。人狼と戦って彼女の力が通じなっかのは確かなんだけど。ケガをして動けない僕たちから人狼を遠ざけるために、彼女は囮になってその場所を離れたんだよ」
「へぇ。美羽ちゃんは、この街の退魔師は自分しかいないって言ってたんだけどな」
御影の話し方だと、美羽も御影の仲間で、一緒に戦っていたようにも聞こえる。美羽が嘘を吐いてるとは思えないし、意味がわからない。
「ご心配なく。僕たちは退魔師じゃないし、彼女も僕たちの存在は知らない。助けてくれたのもたまたまで、その時は変な人たちが倒れてるなぁくらいにしか思ってなかったんじゃないかな」
そう言って苦笑すると、御影は手の平をパンッ! と打ち鳴らした。
「じゃあ、話はこれでおしまい」
マキナの肩をポンッと叩いて、横を通り過ぎていく。
「悪魔のヒーロー君。僕たちはあまり強くないからね。出来るだけ仕事を増やさないようにしてくれよ」
耳元で囁く御影の言葉は含みがありそうだが、問い詰めてもハッキリと答えないだろう。なので、マキナは皮肉を返すことにした。
「そっちこそ、他人の後ろをついてまわるなんて、悪趣味な事はやめてくれ」
マキナと美羽が出会ったのは昨日なのに、普通に考えたら御影がそれを知っているのはおかしい。シャルが感じた不穏な気配っていうのも、おそらくは、御影本人かその仲間が自分たちを尾行して、アパートまでついて来ていたのだろう。あくまでも、マキナの勝手な推測だが。
そして、マキナに疑いの目を向けられた御影はというと、口元を緩めながら「そうだね。気をつけるよ」と呟いて歩き去っていった。
御影がいなくなっので、もういいかと思ったマキナは如月の背中をトンッと叩いてやる。殺気の緊張から解放された如月は、「はにゃあっ!」と奇声をあげた。
「ちょっとマッキー! なにするのさ! びっくりしたじゃん」
「でも、体の硬直は治っただろ」
「だからって、何もびっくりさせることないじゃん!」
「いやいや、びっくりしたのはお前の勝手だから――――って、ちょ、おまっ……!」
マキナが、ギャーギャー言って掴みかかってこようとする如月の手を必死に制していると、廊下を歩く生徒たちの何人かが、こちらのやり取りをチラチラ見ながら通り過ぎていく。猫の魔族が人間に化けているのだから、じゃれてくるのは仕方ないが、おかしな注目を集めるのは恥ずかしい。
不意に如月が掴んでくる手を止めた。
「さっきの先生って何か怖かったね」
如月の顔色が若干悪くなっている。
教師のクセに、変なトラウマを生徒に残していくなよ。
一瞬だけ御影に腹を立てたが、これ以上如月を不安にさせとくわけにもいかないので、マキナは別の話題を振ることにした。
「そんなことより、早くしないと購買の食べ物がなくなるぞ」
思いっきり意地の悪い笑顔を作って、如月の髪をくしゃくしゃに撫でる。
「わっ、ちょ、にゃにゃにゃにゃっ!」
乱暴に髪をかき回されて、如月がジタバタしている間に購買へダッシュ――――。
如月が「ぶるるるるっ!」と何度も頭を振ってから、先を行くマキナに気付いた。
「あっ! こら、マッキー!」
目を三白眼にしながら、右手を上げて凄い勢いで追いかけてくる。
「やばっ、ちょっと怒らせ過ぎたかも」
緊急的な処置でワザと怒らせたとはいえ、後ろから般若のような顔で追いかけてくる如月を見て、マキナは自分がとった行動に少しだけ後悔した。