第2話 小学生×妹
「まさか、ここまでついてくるなんて……」
校門の前で逃げるようにして別れたと思ったら、女の子が後ろからついてきたので、マキナは気づかないフリをしながら歩くスピードを上げて帰宅した。だが、彼女はマキナが住んでいるアパートの前までついてきてしまった。途中で何度か振り切ろうと商店街や住宅街を走ったりもしてみたが、どういうワケか振り切ることが出来なかった。相手は小学生なのに。
「はあっ……!」
盛大にタメ息を吐いて後ろを向くと女の子が「はぅっ」と体を仰け反らせたので、マキナは痛くなってきた頭を押さえた。
そして、
「ははっ……」と女の子が困ったように微笑んだのと同時に。
バンッ!
大きな音がしたので振り返ると、マキナの住んでいる部屋の扉が勢いよく開き、妹のシャルが現れた。
ドアノブを握っている小さくて細い手には若干力が込められ、反対の手で抱かれているクマのぬいぐるみは強く締め付けられているように見える。普段は人形みたいに無表情なのに、今は青色の瞳をした目が微妙につりあがっており、短く切り揃えられた銀髪と黒いローブの服の裾が逆立っているせいで威圧感が半端ない。そのせいで、マキナの家の前までついてきた女の子とほとんど変わらない体の大きさが、マキナよりも圧倒的に大きくなっているようでスゴイ迫力だ。
簡単に言うと、妹のシャルがめちゃくちゃ怒っているみたいでかなり怖い。
「にぃに。不穏な気配がしたけど、そいつ何?」
抑揚の無い淡々とした口調はいつものことなのだが、今は冷気を放っているのかというほど明らかに冷たい。
もうすぐ、5月の中頃になろうかというのに何だか肌寒くなってきた。
「えっとだな……」
ダメだ。言葉が上手く浮かんでこない。さすがに、パンツを凝視したら変な性癖に目覚めたみたいで、挙句の果てに誘われましたなんて言えない。
マキナが説明に困っていると、女の子がマキナの前に出てきてシャルに頭を下げた。
「わ、わたしは、神代美羽。一応退魔師をやってます」
「そう」
「へっ?」
この小さな女の子が退魔師? ただの変態じゃなかったのか……。
驚くマキナを余所に、シャルは美羽と名乗った女の子をジッと見つめると、ドアノブを握っていた手を離して親指でクイッと部屋の中を指した。
「とりあえず、中に入って。話はそれから」
「えっ……あ、はい」
ちょっと困惑気味の美羽だったが、シャルが先に部屋の中に入ると扉が閉まる前にドアノブを握ってマキナを見てきたので、マキナも美羽と一緒に部屋の中へ入る。
本来なら、我が家に帰ってきたことで気を抜きたいところだが、そうもいかない。勝手についてきたとはいえ、家にあがってもらう以上は美羽も客人だ。ちゃんと対応しないとマズいだろう。
玄関で靴を脱いでリビングに移動すると、シャルがソファーに座るところだったので。
「えっと……美羽ちゃんだっけ……美羽ちゃんも遠慮せずに座って」
美羽をソファーに座るように促してからキッチンへ。
「にぃに。お茶」
「はいはい、オッケー。美羽ちゃんはオレンジジュースでいいかな?」
「は、はい。ありがとうございます」
棚からコップ2つと湯呑みを取り出し、コップにオレンジジュースを注いでから、緑茶を入れる準備をする。
「わたしは、シャル・フェレス。あっちの頼りなさそうなのが、久遠マキナ。わたしの兄」
「はぁっ……? でも、名前が」
マキナが急須で湯呑みに緑茶を注いでいる間にシャルが自己紹介をしたのだが、美羽は首を傾げてキョトンとしている。おそらく、説明が足りなかったのだろう。
お盆からそれぞれの飲み物をリビングのテーブルに置きながら、マキナは説明の補足をすることにした。
「俺とシャルは魔王メフィスト・フェレスの子供で、腹違いの兄妹なんだよ」
「ふぇっ!? 魔王の子供……」
「そう。わたしたちは魔王の子供。そんなわたしたちにあなたは何の用?」
「そ、それは……」
魔王の子供と聞いて萎縮する美羽を、シャルがお茶を啜りながらジッと睨んでいるので、美羽は口ごもって俯いてしまう。
「こら、シャル。そんな態度を取ったら、美羽ちゃんが喋れなくなっちゃうだろ」
軽く叱ったが、シャルはマキナと一瞬目を合わせただけで、すぐに視線を美羽に戻した。これ以上言っても機嫌を損ねるだけなので、マキナはシャルの隣に座って美羽を宥める。
「美羽ちゃんもそんなに小さくならないで。魔王の子供って言っても、全然たいしたことないから」
「でも……」
「にぃにの身分は魔界でも最底辺」
「おい……!」
叱った仕返しなのか、シャルが放った言葉がマキナの胸に突き刺さる。しかし、間違ってはいない。
マキナの母親は何の力もない人間の女で、その子供であるマキナは、数多くいる魔王の子供たちの中でも序列最下位。魔界での身分もかなり低い。そのせいで、フェレスという魔王名を与えられずに母方の性を名乗っている。当然だが、周りからの扱いも決して良いものではなかった。
「何か問題でも?」
「いや、特にないな……」
本当のことなので、マキナは何も言い返せない。ちょっぴり切なくなって天井を見つめるが、別に泣いてるわけじゃない。キラッ――――。
「あのー……」
遠慮がちな声が聞こえて視線をそちらへ移すと美羽が手を挙げていた。
マキナは、気を取り直すために「コホンッ!」と咳払いを1つしてから美羽に訊ねる。
「なんだい?」
「あ、はい……校門のところでも言ったんですけど、先輩にわたしのパートナーになって欲しいなって……」
顔を赤くしながら下を向いて手をゴニョゴニョさせている美羽に、マキナは苦笑いを浮かべることしか出来ない。
魔王の命令で人間界にやってきて約1か月半になるが、まさか自分が年端もいかない子供から変態の道に誘われるなんて夢にも思わなかった。しかも、相手は小学生で退魔師。なんて世の中だ。
この世の不条理さを嘆くマキナの隣で、シャルが湯呑みをテーブルに置いた。
「パートナーってどういうこと?」
シャルのちょっと冷たい口調の問いかけに、美羽が顔を曇らせて俯く。
「わたし、退魔師なのに未熟でうまくいかなくて……だから、先輩にパートナーになっていただいて、街の平和を一緒に守っていけたらいいなって……」
「――――ッ!?」
マキナは、自分がとんでもない勘違いをしていることに気付いた。
さすがに小学生くらいの小さな子供はいなかったが、魔界では変な性癖を持っているヤツを何人か知っている。そのせいで、美羽もパンツを覗かれたことで見られることに快感を覚え、その性欲を満たすためのパートナーとして自分が選ばれたと思っていたのだ。
だからこそ、あまり関わりたくないと思って逃げるようにして帰ってきたというのに。
「話くらいはちゃんと聞いておくべきだったな……」
「いえ、先輩が優しいのはわかってますから」
悶絶したくなるのを堪えて頭を押さえるマキナに、美羽がニコッと微笑む。
おそらく、彼女は自分が変態扱いされていたことに気付いていないのだろう。心が痛いので、マキナはこの話を全力で流すことにした。
「それで、美羽ちゃんは何で俺なんかをパートナーにしたいと思ったの?」
「先輩が悪魔のヒーローだからです」
まずは当然の疑問を口にしてみたが、なんともいえない答えが返ってきた。確かにマキナは、人間界に来てから美羽も含めて3回ほど魔族に襲われた人間を助けている。そのせいで、マキナの変身した姿が夜束市の住民達の間で悪魔のヒーローとして噂になっているのだ。
だからといって、人間界で魔族や人外からの治安の管理を役目としている退魔師が、魔族をパートナーにしたいという理由がわからない。
「もっと詳しく話して」
「ふぇっ!? は、はいっ……」
シャルもマキナと同じことを考えたのだろう。ただし、無表情なうえに少し言い方がきつかったせいで、美羽がちょこんと小さくなってしまっている。
「昨日の夜助けてもらった時に、先輩みたいにみんなを守れる力がほしいと思ったんですけど、どうしたらいいかわからなくて……それで、先輩の近くにいれば何かわかるかなって……」
「強くなりたいなら、他の退魔師に相談すればいい」
「……それは、そうなんですけど……退魔師だったお父さんが3か月前に行方不明になっちゃって。いま夜束市にいる退魔師はわたしだけなんで……」
「……」
美羽の発言にマキナは頭を抱えた。人間界に来る前に、魔王から夜束市で治安の管理をしていた退魔師が交代したせいで、人間に害をなす魔族や人外が増えていることを聞いていたのだ。そして、自分はそういった魔族や人外たちを見つけたら処刑するように命じられているのだが。
まさか、小学生が治安の管理をしていたとは。しかも、本人曰く未熟らしい。
「まいったな……」
これから増えていくであろうバカな魔族や人外のことを考えると気が滅入る。コップを口に運んでオレンジジュースを一口飲んでから、「はあっ」と深いタメ息を吐いてマキナは天井を見上げた。