第14話 襲来×神代家の秘術
マキナ先輩のアパートの上空にたどり着くと、巨大な機械の蝙蝠は、ゆっくりと地上に降下し、着地する寸前に光の粒子となって消滅した。
蝙蝠の背中に乗っていた美羽と先輩が落下して、コンクリートの地面に打ち付けられたのと同時に、悪魔に変身していた先輩の姿が突然人間の姿に戻ったので、おそらく、ケガのせいで魔力を維持出来なくなったのだろう。
美羽はすぐに起き上がることが出来たが、首から大量の血を流していた先輩は、「うぅっ……!」と呻いたものの、うつ伏せで倒れたまま動かない。そこで、美羽は先輩の肩を担いで起き上がらせた。それと同時に、先輩の部屋の扉が開いて、シャルちゃんが顔を覗かせる。
「悪い、シャル……吸血鬼に噛まれ……うっ……!」
苦悶の声を漏らして気絶した先輩を一瞥すると、シャルちゃんは美羽に声をかけてきた。
「退魔師。にぃにを部屋の中へ」
「は、はい!」
気絶した先輩を担いだまま、美羽は部屋の中に入っていくシャルちゃんを追いかける。
リビングに辿り着いて、美羽がマキナ先輩をソファーに寝かせると、シャルちゃんは先輩の首筋に手をかざした。シャルちゃんの手が光り、先輩の血が出ている首筋の部分から、黒くて禍々しい触手のようなモノが2つ現れた。先輩の首筋から伸びている2本の黒い触手は、物凄く長い。アパートの部屋の壁を通過して、遥か先まで伸びている感じだ。触手は先輩から何かを吸い上げるように激しく脈打っていて、見ていると鳥肌が立ちそうなくらい気持ち悪い。
「これは一体……?」
疑問を口にした美羽に、シャルちゃんは先輩の首筋に手をかざしたまま答える。
「魔力の経路」
魔法や能力を使って対象に断続的な影響を及ぼす場合、魔力の管のようなモノを対象に繋げて、そこから魔力を通して事象を起こすという手法がある。通常は事象にカバーされたような状態になるせいで、魔力のラインは視えないのだが、専用の手法を用いれば、視ることが可能らしい。シャルちゃんがやっているのも、それに該当する能力か何かなのだろう。とはいえ……。
「こんな気持ちの悪いモノが……?」
魔力のラインというのは、普通は細い光の糸だったり、帯だったりするハズ。もしかしたら、このラインを形成した吸血鬼の特徴が現れているのかもしれないが、いくらなんでも、これはない。
蠢く黒い触手に若干引いている美羽に対して、シャルちゃんは何でもないかのように口を開いた。
「にぃにを苦しめている原因をあぶり出したら、これが出てきた。ラインの形なんて、どうでもいい」
「そ、そうですね……すみません」
シャルちゃんの言うとおりだ。今は魔力のラインの形に嘆くよりも、これをどうするかが問題だ。触手のようなラインが吸い上げてるのは、おそらく魔力。魔力が吸い上げられると、生命力も一緒に低下するし、首の出血が止まらないのは非常にマズイ。このままでは、先輩が死んでしまう。
「でも……どうすれば……?」
血が止まらないのは、黒い触手のような魔力のラインが関係していると思って間違いない。もしかしたら、このラインが魔力と一緒に血を吸い上げてる可能性もある。けど、美羽にはそれを解除する術がない。
困り果てて動くことが出来ない美羽の横で、シャルちゃんは、先輩の首筋から伸びている2本の黒い触手のようなラインを片手でまとめて掴むと、
「簡単。こうすれば良い」
空いている方の手で、パチンッ! と指を鳴らした。それだけで、黒い触手のようなラインは、蠢くのをやめてボロボロと崩れていき、しばらくすると完全に消滅した。ソファーで寝ている先輩の首筋の出血も、止まってはいないものの、魔力のラインが繋がれていた時よりも、だいぶ緩やかになった気がする。
「ウソ……こんな簡単に……?」
呪いとも言うべきこういった力を解除するには、それ相応の手順や準備、もしくは、特殊な魔法や術式が必要なハズ。それをあっさりと解除するなんて。普通なら有り得ない。
「にぃにを苦しめている吸血鬼の力にアクセスして、強制的に魔力の経路を閉じてやっただけ。わたしの能力を使えば、これくらいは余裕」
「シャルちゃんの、能力……?」
「そう」
理解が追い付かずに、キョトンとしている美羽にあまり答えるつもりがないのか、シャルちゃんは、こちらに目を向けることなく、ソファーで寝ている先輩の首筋に再び手をかざした。
「回復魔法」
かざした手の平から現れた小さな魔法陣が淡い光を放ち、先輩の首筋やソファーを赤く染めていたおびただしい量の血が、光の粒子となって消えていく。
やがて、全ての血が光の粒子となって消え去ると、先輩の首筋に見えた2つの小さな穴が閉じ、シャルちゃんは手を下ろした。ソファーで寝ている先輩の顔も、何だか穏やかになった感じがする。
「これで大丈夫。あとは、にぃにの魔力が回復するのを待つだけ」
マキナ先輩の治療が終わってから、どれくらいの時間が経過しただろう。リビングの壁に掛かっている時計に目を向けると現在の時刻は午後4時45分。まだ30分も経っていない。
先輩が寝ている向かいのソファーで、ひたすらパソコンに打ちこんでいるシャルちゃんの隣に座りつつ、美羽は先輩が目覚めるのを待っているのだが、その間、教会で戦った時のことをずっと頭の中で振り返っている。先輩が住んでいるアパートの部屋に帰ってきた時は、バタバタしていたので、そんな余裕は無かったが、今は嫌でも教会での戦いが頭の中を過ぎるのだ。
あの時自分は大量のホムンクルスたちと戦うだけで精一杯だった。そのせいで、吸血鬼と戦っていた先輩を援護することが全く出来なかった。それどころか、ホムンクルスの攻撃を貰って危なくなったところを、首にケガをしていた先輩に助けてもらっている。
自分がもっと上手く戦えていれば、先輩を援護出来ていたかもしれない。そうしたら、先輩が苦戦して、ケガをすることなんて、無かったかもしれないのに。
教会での戦いを振り返って、自分の無力さを嘆いてる美羽の横で、ずっとパソコンを触っていたシャルちゃんが、「あっ!」と呟いた。
シャルちゃんの声につられて、美羽は何気にパソコンの画面に目を向ける。すると、そこには、右端に実況LIVEと書かれた、夜束駅の駅前の映像が映っていた。
「これは……!?」
その光景に美羽は絶句する。駅前では、大量のホムンクルスが暴れていて、周辺にいた一般人たちが悲鳴をあげながら逃げ惑い、パトカーで駆けつけた数名の警察官がホムンクルスを取り押さえようとしている。
『と、止まりなさい! 止まらないと撃つぞ!』
警察官の1人が拳銃を構えて制止を促しているが、ホムンクルスは止まらない。警察官に近づいたホムンクルスの1体が腕を薙ぎ払うと、それだけで警察官は吹き飛ばされて地面を転がり、やがて動かなくなる。
一拍の間を置いて――――。画面が左に旋回。警察官がホムンクルスに拳銃を発砲しているが、ホムンクルスは僅かに怯んだものの、そのまま警察官に襲い掛かり、他のホムンクルスたちも逃げ惑う一般人たちを次々と襲っている。
飛び交う悲鳴。殺される人々。画面の中の光景は、まさに地獄絵図と呼ぶに相応しい。
「そんな……ひどい……」
その後も――。カメラアングルが変わる度に、繰り返されるあんまりな光景に、美羽が呆然として固まっていると、パソコンの画面の中では、複数の黒いワゴン車が駅前で急停車し、車から、武装した黒い服装の人たちが沢山降りてきた。
「この人たちは……」
その姿に、美羽は見覚えがある。人数はこんなにいなかったが、人狼と戦った時に倒れていた人たちだ。
「A班は一般人の避難誘導! B班は夜束駅周辺の封鎖! C班とD班は、化け物の殲滅を!」
「「「「了解!」」」」
御影悠真の指示により、総勢24名の隊員たちが迅速にそれぞれの持ち場へ移動する。
夜束駅周辺の状況は最悪だ。神魔管理協会の暗部である自分たちが駆けつけたものの、一般人の避難誘導はともかくとして、白い化け物の集団と、奥にチラリと見えた黒い狼の怪人が、どうにもならない可能性が高い。しかも、魔族や人外らしきモノも数体混ざっている。
「全く……この街の小さな退魔師と悪魔のヒーロー君は、何をしているのやら……」
部隊を仕切っている御影は、「ハァッ……」と深いため息を吐きながら、自動拳銃の安全装置を解除した。
暴れている魔族や人外を取り締まるのは、退魔師の仕事。自分たち暗部は、情報収集や諜報活動が、主な仕事だ。まあ、神代美羽が子供なので、それを考慮して、自分たちが、彼女よりも早く危険な魔族や人外を殲滅することはあるが、それは、本来の役割じゃない。
だからこそ、神代美羽が、久遠マキナと接触したと分かった時に、偵察を寄越して、久遠マキナに神代美羽と夜束市を任せても大丈夫か動向を監視しようとした。その際に、2人が吸血鬼と交戦したという報告を受けている。
もしかしたら、白い化け物の集団や、それに混ざって暴れている魔族や人外たちは、吸血鬼と関係があるモノたちなのかもしれない。だとしたら……。
「僕たちだけじゃ、長くは持たないぞ……」
一応は戦闘訓練も受けているし、それなりに実戦経験もあるが、数日前に5名で人狼の殲滅に向かって失敗している。報告書を見た感じでは、吸血鬼は人狼より手強いかもしれない。それに加えて、白い化け物の集団。そして、暴れている魔族や人外たち。人狼と戦った時以上に分が悪過ぎる。
「まあ、それでも、やらないといけないんですけど……ね! っと」
言い終わるのと同時に、近づいてきた白い化け物に発砲。銃口から発射された弾丸を胸に受けて、白い化け物の体が大きく仰け反った。そのまま、間を置かずに3発の弾丸を連射。合計4発の弾丸を喰らった白い化け物は、アスファルトの地面に倒れると泡になって消滅した。
御影が使っている自動拳銃は、グロック18Cだが、暗部が使用している装備は、魔族や人外を相手にするため、神魔管理協会が特殊な加工をしていて、通常のモノより威力が高い。人狼と戦った時は、怯ませる程度の効果しか無かったが、今回はちゃんと性能を発揮してくれている。
他の隊員たちを見ると、避難誘導の方は問題ない。パニックになりながらも、一般人たちは駅前から離れていって、今はほとんど残っていない。戦っている隊員たちも、アサルトライフルやショットガンを使って、白い化け物を倒している。
「これなら、少しくらいは……」
攻撃が効いてくれているので、人狼と戦った時よりかは、幾らかマシだが、敵の数は多く、こちらが不利なのは変わらない。ジリ貧になるのも時間の問題だ。
だからといって、泣き言を言っても仕方がない。御影悠真は、自動拳銃の引き金を弾が無くなるまで連続で引いて、2体の白い化け物を撃ち殺した。マガジンを取り替えつつ、白い化け物が泡になって消滅した跡を踏んで移動すると、次の標的に狙いを定める。他の隊員たちも、今はまだ順調に戦っている。……とはいえ。
大量の化け物を相手に、どこまで戦えるか分からないが、とにかく、やれるところまで、やるしかない。
御影がそう思った瞬間――――。駅前周辺に強烈な衝撃が吹き抜け、御影や他の暗部の隊員たち、複数の白い化け物や逃げ遅れた一般人たちが、一斉に吹き飛ばされた。宙に浮いた体が、アスファルトの地面に叩き付けられる。
「かはっ……!」
地面に叩き付けられた衝撃で、肺から空気を漏らした御影が痛みを堪えて起き上がると、視線の遥か先で、黒い狼の怪人がこちらに向かって、手をかざしている姿が見えた。
「クッソ……! 何だアイツは……」
白い化け物の集団だけでも、どうにもなりそうにないのに……。
今の一撃で、御影悠真は悟った。あの黒い狼の怪人は、自分たちがどうこう出来るレベルじゃない。ハッキリ言って、強さの次元が違い過ぎる。
黒い服装の人たちや、複数のホムンクルスが吹き飛ばされたのとほぼ同時に、パソコンの画面に映っていた駅前の景色がグルグル回って、ガシャン! という音と共に、画面が真っ暗になった。
何が起きたのか分からずに、美羽は一瞬「えっ?」っとなったが、すぐにマズイことが起きたんじゃないかと思い直し、勢いよくソファーから立ち上がる。
「わたし、吸血鬼を倒しに行ってきます!」
そう言って、美羽がソファーから離れようとしたところ、隣でパソコンのマウスを触っているシャルちゃんから、辛辣な言葉が返ってきた。
「あなたが行ってもムダ。殺されるだけ」
あまりにもハッキリとした物言いに、美羽は、ギュッ! と拳を握って答える。
「そんなの、わかってますよ……だからって、何もしないワケには、いかないじゃないですか……」
自分は退魔師。危険な魔族や人外から、街の平和を守る義務がある。それに、もともとは、自分が教会で先輩を援護出来なかったせいで、吸血鬼が駅前に出てきて暴れているのだ。黒い服装の人たちが、何者かは分からないが、あの人たちだけに、戦いを任せておくのは、間違っている。
たとえ殺されると分かっていても、退魔師である自分が、吸血鬼を止めるために、戦うべきだ。
「あなたが殺されたら、にぃには、自分を責める」
「それは……」
シャルちゃんの言う通りかもしれない。自分がマキナ先輩と出会ったのは、数日前だが、それでも、先輩がどういう人なのかは、何となく分かる。いつも困ったような顔ばかりして、頼りなく見えるが、実際は自分よりも他人のことを優先して、その中で最良の結果を求めようとしている。
そんな先輩が、撤退を余儀なくされて、吸血鬼が街で暴れているのだ。これで、美羽まで殺されてしまったら、先輩は責任を感じて自分を責め続けるかもしれない……。だからといって、このまま吸血鬼を放っておくワケにもいかない。
「じゃあ、どうすれば、いいんですか……」
自分の決意を揺るがそうとするシャルちゃんに、もどかしさを感じて、美羽が奥歯を噛み締めると、シャルちゃんはこう呟いた。
「30分」
「えっ?」
意味が分からず美羽はキョトンとするが、シャルちゃんは気にする様子もなく、パソコンを打ちながら、言葉を続ける。
「にぃにが目覚めるまで、あと30分くらい。退魔師は、それまで吸血鬼を足止めして、時間を稼いでくれれば良い。そしたら、あとは、にぃにが何とかしてくれる」
その言葉を聞いて、美羽は、リビングのソファーで寝ているマキナ先輩に目を向ける。
出会って数日しか経ってないのに、先輩は未熟な自分のために、色々と良くしてくれた。パトロールで魔族の対応に困っている時には、自ら悪者になって、相手と話すきっかけを作ってくれたり。落ち込んだ美羽の気持ちを盛り上げようとゲームセンターに連れて行ってくれたり。
今日だって、突然押し掛けた美羽に、先輩は嫌な顔をせずに、しっかりと稽古をつけてくれた。
そんな先輩に、自分のせいで苦しんで欲しくない。
「あなたが無理して死ぬ必要なんて、どこにもない」
パソコンを打ちながら言ったシャルちゃんの言葉に、美羽は自嘲の笑みを浮かべた。
「そうですね……」
自分は未熟で何も出来ない。だったら、せめて、先輩が目覚めるまで、時間を稼いで生き残ろう。
そう考えると、何だか気持ちが楽になった。足が自然に動いて、ソファーで寝ている先輩の傍へ歩み寄る。
「先輩……」
わたしが、なんとか時間をかせぎます。だから先輩も、少しでも良いから、早く起きてください。
そう願いを込めつつ、美羽は集中して、体に流れている魔力を高めていく。
今から使うのは、神代家に伝わる秘術。美羽の父親が、この術は、余程のことがない限り、大切な人にだけ使って欲しいと言って、教えてくれたモノ。その際に、術を掛けられた母親は、顔を真っ赤にして怒っていたが。
美羽にとって、悪魔のヒーロ―である先輩は憧れの人。今がその時だ。
魔力の高まりが極限まで達したところで、美羽は、ソファーで寝ている先輩の顔を両手で優しく挟んで、ゆっくりと唇を重ねた。
普段の先輩は何だか頼りないが、ちゃんと真剣に美羽のことを考えてくれている。そんな先輩と、これからもずっと一緒にいたい。何も出来ない自分が、こんな考えを持つのは卑しいかもしれないが、それが美羽の本心だ。
強い想いを胸に抱きながら、美羽は、唇の重なった部分から先輩の体に魔力を流し込む。途中で、カシャッ! という写真を撮るような音が聞こえたが、気にしない。それよりも、先輩の魔力を少しでも回復させることの方が大切だ。
しばらくして、高めた魔力を全て流し終えた美羽は、自分の唇を先輩の唇からゆっくりと離した。そして、唇を重ねている間は呼吸がちゃんと出来なくて、瞳が潤んでしまったが、先輩の体に自分の魔力が行き渡ったかどうかを確認するために、先輩をジッと見つめる。これで、少しでも先輩の魔力が早く回復してくれれば。
そう願いつつ、上半身を起こした美羽は、向かいのソファーに座って、黙々とパソコンを打っているシャルちゃんに、自らの決意を告げる。
「先輩が起きて、駅前に来るまでのあいだ、これ以上被害が広がらないように、吸血鬼を足止めしてきます!」
「そう。頑張って」
シャルちゃんの言い方は素っ気ない。その態度からは、嬉しいのに怒っているような、何だか複雑な気持ちが見え隠れしているような気がするが、どういうわけか、悪い気はしないので、美羽は大きな声で返事をする。
「はい!」
シャルちゃんが言ってくれたように、無理に吸血鬼を倒そうとは思わない。もともと、自分には、吸血鬼を倒せる力なんてないのだ。だったら、街の平和を守るためにも、生き残るための戦いをしよう。
自分がやるべきことを頭の中で整理した美羽は、先輩が寝ているソファーから離れて、玄関へ移動すると、力強く扉を開けて外に出る。
先輩が駆けつけるまで、駅前で吸血鬼の足止めをする。
それこそが、今の美羽に出来る、退魔師としての精一杯の務めだ。