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第三章 所有権を賭けて

 スプラツタの森を引き返した僕は、いよいよキモラ姫の救出に向かうはずだった。

 ところが、ここで大きな問題に直面する。

 そう、僕は魔王の居場所を知らなかったのだ。

「…………」

 魔王に滅ぼされたオダブトゥ村へ逝けば、あるいは手がかりを得られるかもしれない。だが僕は、誰もいない廃墟に興味がなかった。要するに逝きたくなかったのだ。

 まさかの心理的手詰まりである。

「ちょっと、どこに向かってるの?」

 クサーヤの少女が、背後から不審そうに問いかけてくる。あれだけ僕を嫌っておきながら、なぜか勝手に同行しているのだ。

「どこだっていいだろ。それより、どうして僕に憑いて来るんだ?」

 すっかり立場が逆転して、今度は少女がストーカーゾンビのようだった。

「か、勘違いしないでよ。あたしはその剣に用があるんだからね」

「そう言われても卒塔刃そとばは僕の剣だし」

「違うわ、あたしにも権利があるはずよ!」

 少女が血反吐を吐き散らして言い募る。

「剣を抜いたとき、あたしだって卒塔刃の柄を握ってたもの」

 つまり少女は、剣の所有権は自分にもある、ということを主張しているのだ。しかし、だからといって卒塔刃を半分に折って渡すわけにもいかない。一体どうしたらよいものか……。

 僕の目的は魔王討伐ではなく、あくまでキモラ姫の救出だ。ならばいっそ、喋る剣など少女に譲って姫の救出に専念しようか。

 そんなことを真剣に悩んでいるときだった。

「ねぇ、あたしと勝負してよ」

 少女が突然そんなことを切り出したので、僕は酷く面食らった。

「……はい?」

「だから、勝った方が剣の所有者ってことで、どう?」

 僕は必死に考えた。

 もしキモラ姫が魔王の手にかかり、すでにあの世にいない場合――この旅で僕が得られるものは何もない。だったら今この場で少女と戦い、有耶無耶のうちに仲よくなっておくのも一興ではないだろうか。この色気のない旅路に、少しは楽しみも生まれるというものだ。

「いいよ、卒塔刃をかけて対決しよう」

 僕は、腐った下心を押し隠して了承した。

「決まりね。じゃあさっそく始めて――」

「おっと待った。その前に自己紹介といかないか? お互い名前すら知らないわけだし」

 ずっと「クサーヤの少女」では、いつまで経っても仲よくなれない。僕は少女の名前が知りたかったのだ。

「自己紹介ね……」

 僕の提案を聞いた少女は、今にも折れそうな小首をグラリと傾げて言った。

「別にいいわよ。伝説の剣を欲する者同士だし、名乗るくらいなら構わないわ」

 少女は、黄ばんだ歯を剥き出しにして可愛らしく微笑んだ。

「ではさっそく自己紹介といこうか。俺様の名は卒塔刃。知っての通り職業は伝説の剣だ。よろしく頼むぜ、見目狂わしいお嬢さんよ」

 僕たちふたりを差し置いて、卒塔刃が真っ先に自己紹介を始めてしまった。

 しかも、帯剣している僕を無視して少女に挨拶しやがった。こいつは、とんでもない「スケコマシ剣」かもしれない。

「あたしの名前はシーシャよ。よろしくね、卒塔刃さん」

 少女も当然のように僕を無視して名乗った。まるで、密葬に呼ばれなかったかのような疎外感だ。僕は少しでも注目してもらおうと、大袈裟に吐血しながら名乗りをあげた。

「ガフッ、僕の名前はゲヘリク。グハッ、偉大なる勇者クターバルの末裔だ。よろしく!」

「はい、よろしく。ヘンタイの末裔さん」

 シーシャは態度を一変させ、打ち捨てられた骸のように冷たくなった。どうやら森での一件を根に持っているようだ。

「それじゃあゲヘリク、改めて勝負と逝きましょう」

 名乗るだけの自己紹介を終えると、シーシャは醜女のように不敵な笑みを浮かべて言った。

「ちょい待ち、勝負に使う武器はどうするんだ?」

「……は? もちろん剣と剣の対決よ。そんなの決まってるでしょ」

「でも卒塔刃はひと振りしかないけど」

「大丈夫よ、あたしは自分の剣があるから。卒塔刃はゲヘリクが使って」

 その言葉を聞いて、僕は斬首されたかのように首を捻った。

 彼女はどう見ても剣を佩いていなかったのだ。怪訝に思い訊ねてみると、シーシャは墓石のように平らな胸を張って自信満々に語り出した。

「あたしは剣士なんだけど、ひとつだけ誇大誤魔法エンシェント・ルーンが使えるの」

誇大誤魔法エンシェント・ルーン!?」

「見てて」

 そう言うと、シーシャは大往生するように両腕を広げた。飛び散るウジの汗。少ない前髪が顔面にへばりつき、彼女の死相にそっと落ち武者の彩りを添える。

 その凛々しい姿に見とれていると、突然、音もなく虚空の一部が裂けた。そして目映い光とともにひと振りの剣が出現したのだ。

「……!?」

虚棺アークという魔法よ。目に見えない保管庫のようなものね。あたしは、いつもこの中に自分の剣を仕舞っているの。どう、凄いでしょ?」

 僕は驚きのあまり、ただ現れた剣を見つめることしかできなかった。

 それにしても立派な剣だ。くすんだ刀身には、遺言らしき文字が悄然と浮き彫りされている。いや、それより注目すべきは柄頭に刻まれた悶章だ。あれは確か、フランシタイン王家のものではなかったか。だとしたらシーシャは……

「始めるけど、準備はいい?」

「あ、うん」

 正直、まるで勝てる気がしなかった。

 昨日までの僕は、ごく普通のゾンビとして暮らしてきた。しかし彼女は違う。剣士であり、誇大誤魔法エンシェント・ルーンまで使いこなすのだ。しかもあの悶章。相当な手練れとみて間違いないだろう。

「ダメだ、僕なんかじゃとても……」

 自分の甘さを嫌というほど痛感させられた。先程まで姫を救出すると息巻いていたのが恥ずかしい。僕はなんて卑小な存在なのだろう。

「おい相棒、おまえ勘違いしてないか?」

 そのとき卒塔刃が、そんな僕の心を見透かすように話しかけてきた。彼の声に応じて、刀身を縁取る四対の切れ込みが人魂的に輝く。

「おまえの能力は、勇者の血によって俺様と同調できることだ。ただ俺様を持って構えていればそれでいい。あのクターバル坊だって、特に強かったわけじゃない」

「……そ、そうなのか?」

 初めて聞く話だった。

 僕はどうにも半信半疑だったが、とにかく言われた通りに卒塔刃を構えた。

「ゲヘリク、腰が引けてるわよ」

「うっ……」

 僕とシーシャは、夜明け前の草原で静かに対峙した。そんな僕らの戦いを煽るように、コウモリの群れがキィキィと鳴きながら飛び去っていく。

「逝くわよ!」

 シーシャはそう叫ぶと、不安定なステップで僕に迫ってきた。その恐ろしく遅い動きが、僕の集中力を根こそぎ奪い去っていく。目で追うのもやっとの状態だった。そうこうしているうちに、しめやかな一撃が僕の頭上に振り下ろされた。

「うわっ」

 なぜか物悲しい雰囲気に、僕は為す術もなく立ち尽くした。一合として打ち合わせる伎倆はない。だが、斬られると思った次の瞬間――

 ガキィィーン!

 僕たちの剣は激しい音と火花を散らして激突していた。卒塔刃が僕の死体からだを操り、シーシャの剣を手元から弾き飛ばしたのだ。

「ぎゃっ!」

 シーシャが短く悲鳴をあげた。彼女の剣は、クルクルと宙を回転しながら背後の地面に落ち、カランと乾いた音を立てた。

「…………」

 手元を見ながら呆然と立ち尽くすシーシャ。

 無理もない。ただの一撃で勝負が決してしまったのだ。しかも僕のような素人丸出し内臓丸出しのゾンビに負けては、さぞかしショックも大きいことだろう。

「凄い、これが卒塔刃の力……。これなら!」

 だがシーシャは、確信に満ちた声をあげて力強く頷いた。気落ちしてはいないようだ。僕を見ると、裂けた口の端をわずかに吊り上げた。複雑な感情が入り混じる死相だった。

「今回はあたしの負け。でも、あなたを勇者として認めたわけじゃないから」

 そう言うと落ちている剣を拾い上げ、虚棺アークの魔法で何もない空間に仕舞った。

「でも、あなたと卒塔刃の力があればきっと……」

「え?」

「ううん、なんでもない。それよりゲヘリク、勇者の末裔であるあなたが卒塔刃を手にしたということは、もちろん魔王討伐が目的でしょ?」

「いや、僕はキモラ姫の救――」

「だったらあたしも協力するわ。一緒に魔王の居城を目指しましょう」

 僕の話は読経のように聞き流されたが、卒塔刃の所有者としては認めてもらえたようだ。

「そうだな、一緒に魔王を倒そう!」

 つい嬉しくなって、僕は無意識に魔王討伐を口にしていた。

 実際、不可能ではないように思えた。僕には卒塔刃の力を最大限に引き出す能力があるのだ。それに加えて、シーシャという心強い味方も得ることができた。

 ――よし、キモラ姫救出の片手間に魔王を始末してやる!

 決意とともに振り仰いだ空が、静かに黎明を迎えようとしていた。

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