第一章 目覚めた勇者
この作品には 〔グロい描写〕が含まれています。
それは心地よい悪夢を見ているときのことだった。
僕の朽ちかけた墓標の前で、いきなり大声をあげる不届き者がいたのだ。
「勇者ゲヘリク様、我ら彷徨えるゾンビどもに救いの御手を!」
ああ、うるさい。
これでは、おちおち永眠することもできない。まったく悪夢の続きを返して欲しいものだ。
「……んあっ!」
僕は土中で伸びをすると、ボコボコッと地表に顔を出した。
中天を過ぎた太陽が、忌々しい光を降り注いでいる。僕の頭部を一陣の風が通り過ぎ、疎らに生えた毛髪を優しく撫でていった。
「おお、ゲヘリク様」
喀血気味の声が再び僕の名前を呼んだ。
見ればモーダメポ長老が、顔全体に神妙な腐肉を貼りつけて佇んでいる。もう死んでいるはずなのに、ダメ押しで死にそうなくらい顔色が悪い。
「どうしました、モーダメポ長老?」
僕は、墓標を押し退けて這い上がりながら訊ねた。
「件の魔王が、北のオダブトゥ村を滅ぼしたのです。このままでは、いずれ我がシダラケ村も……」
モーダメポ長老の話は、すでに数日前から村中で話題になっていた。
突如として現れた魔王が、精強の誉れ高い「フランシタイン王酷既死団」を一夜で潰走せしめ、その勢力を拡大しているというのだ。酷王クズデス二世も参戦したが軽い致命傷を被り、今は木棺に臥せっておられるという。魔王の侵略目的は定かでないが、とにかく物騒な存在には違いなかった。
「勇者ゲヘリク様。どうか魔王を倒して、この世界を平和の闇で閉ざしてくだされ!」
恨めしそうな声で哀願される。
だが正直なところ、僕はそういった声に心底ウンザリしていた。
村のゾンビ衆は僕を勇者として持て囃すが、厳密には勇者クターバルの子孫に過ぎない。各地に遺る伝説も、全部ご先祖様が築き上げたものだ。つまり、僕自身はどこにでもいる普通のゾンビなのだ。有事の際だけ祭り上げられるのはいい迷惑だった。
「あのですね、長老。勇者といっても僕は――」
「これから集会があります。とにかく霊廟まで来てくだされ」
モーダメポ長老が、僕の言葉をわざとらしく遮った。
気は進まなかったが、長老の頼みでは無下に断ることもできない。
土葬明けに酒を呷る余裕もなさそうだった。僕は筋肉が腐って不自由な両脚をズルズル引きずりながら、村の中央に建つ霊廟まで憑き従った。
建物の内部に入ると、村の主だったゾンビ衆が累々と集まり、棺のフタに腰かけていた。皆の視線が、一斉に僕の方を向く。思わず気後れしたが、わずかに残る表情筋を駆使して必死に平静を装った。
僕が着棺すると、皆は乱杭歯を揃えて「魔王を討伐すべし!」と言い立てた。もちろん、すべては勇者である僕に押しつける格好だ。
「ゲヘリク様、呑気に土葬されている場合ではありませぬ」
「魔王の配下は少数ですが精鋭揃いです。ゲヘリク様、気を引き締めないと」
その場に集まった誰もが、まるで他死人事のように言う。
しかし僕は一介のゾンビでしかない。一体どうやって、そんなゾンビ離れした奴らを相手にしろというのか。できることなら、ずっと自分の墓で安らかに眠っていたい。
僕が胸の内で腐っていると、モーダメポ長老が興奮気味に口を開いた。
「偉大なる勇者クターバルの直系ならば、伝説の剣『卒塔刃』が使えますぞ!」
――伝説の剣、卒塔刃。
その噂なら僕も聞いたことがある。かの勇者クターバルが、かつて地上の支配者だったニンゲンどもを掃討した剣だ。
「卒塔刃は勇者クターバルの墓標の側に、今もぬぼーっと突き刺さっております」
長老の話では、卒塔刃は勇者の直系にしか引き抜くことができず、ひとたび手にしたならば一騎当千の力を発揮できるという。
そんな都合の良い剣が本当にあるとは信じがたい。恐らく僕を焚きつけるためのデタラメだろう。騙されてなるものか。僕は永眠不足の両目を擦りながら、何とか魔王討伐の件を無難に回避できないものかと思案した。
そのとき、ゾンビ衆の一体が思い出したように言葉を吐瀉した。
「そういえば、フランシタイン城のキモラ姫が行方不明で、魔王に誘拐されたという噂もあるそうですな」
彼の言葉に、僕は死に肝を抜かれるくらい驚いた。
キモラ姫は「発酵の貴腐人」と称されるほどの麗人で、僕の憧れの屍だった。城下町に赴いた際、遠くから一度だけ見かけたことがある。顔こそ良く見えなかったが、ウジ虫のびっしり湧いた白い肌は紛うことなき王族の気品に溢れていた。
魔王討伐は御免だが、取り敢えずキモラ姫だけは救出したい。そして恩着せがましく墓場のデートに誘いたい。そう思ったときには、僕の覚悟はすっかり固まっていた。
「分かりました。僕はこれから卒塔刃を入手して、魔王討伐に向かいます!」
下心に満ちた僕の英断に、村のゾンビ衆が呪詛めいた歓声で応える。
「勇者ゲヘリクに栄光あれ!」
いいや、栄光など知ったことではない。キモラ姫を救出するのだ。僕は決意が揺るがぬうちに墓標へ戻り、旅立つ準備をすることにした。
そそくさと霊廟をあとにする。
果たして、魔王に気づかれることなく姫だけを救出することができるだろうか……。帰り道では、そんなことばかりを考えていた。
だから反応が遅れたのだ。
霊廟を出て、少し進んだ曲がり角だった。僕はいきなり飛び出してきた一体の少女に、グチャッとぶつかってしまった。よろめきながらも踏みとどまったが、少女の方は完全に吹き飛ばされて尻もちをついた。
「痛いわね、どこに眼球つけてるのよ!」
怒気に満ちた少女の低声が、僕の腐った耳朶をゾッと叩く。
「眼窩だけど」
誠意を込めて答えると、僕は倒れた少女の様子をそっと窺った。
村の者ではなく、見知らぬ少女だった。よそ逝きの死装束を着ており、口にはクサーヤの干物を咥えている。曲がり角&咥えた干物とは、お約束イベントのような出会いだった。
ちなみにクサーヤの干物とは、魚の臓物を腐敗させた食べ物で、シダラケ村に古くから伝わる特産品である。独特の腐臭が食欲を誘う。珍味好きで知られるキモラ姫を始め、多くの腐女子に人気の逸品だ。この少女もご多分に洩れずといったところだろう。
「大丈夫だった?」
手を差し伸べると、少女は何度か躊躇したあとそれに応えた。僕は優しく手を握り、彼女の死体をグイッと引っ張り起こした。その姿を初めて間近に捉えて、思わずドキッとする。
まだ死体防腐処理の痕が残るあどけない顔。およそ整わない目鼻立ちは、まるで惨殺されたかのように美しい。破れた死装束からヌラリと伸びる細い両脚は、ハエが大挙して群がるほどの色香を放っていた。
少女は立ち上がると、黄色く濁った瞳で蔑むように僕を睨みつけた。
「あ、あたしは悪くないんだから!」
ぶつかったことを言っているのだろう。少女は、抗議するように眉間の腐肉を寄せている。
「僕だって悪くない!」
一方的に悪者扱いされたのが癪だった僕は、思わず怒鳴り返していた。
すると彼女は、口から落ちかけていたクサーヤの干物を喰らいなおして、足遅に姿を消してしまった。
「うーん、嫌われたかな。カワイイ子だったけど、ちょっと慎みが足りないよな」
そんな独り言を呟きながら、僕は旅の支度をするために墓標へと急いだ。




