第四章 血は新たな血を・・・2
これまで何人の人間を黄泉に送ってきたのだろうか・・・あの計画のために奪ってきた命の数は、俺だけでも十は軽く超える。冥の分を合わせると、三十人ぐらいはいくはずだ。これを高速道路で起こそうと思えば、超スピードで走っているときに急ブレーキすれば、後は後続の誰かさんが次々と衝突してくれる。要するに、大事故で死んでしまう人数と、俺たちが殺した数は、大体同じになるってことだ。当然事故の度合いにもよるし、仮に大事故になっても、多くの人が生き残ってくれれば、それに越したことはないけどな。
ともあれ俺たちは、一回でも許されない殺人を、ある計画のためと言う不純な理由で繰り返しているわけだ。参ったねぇ、俺たちは超凶悪犯罪者だぜ。覚悟はしていたけどな。
二人が老婆の家に入れてもらってしばらく経つ。そろそろ警察も気付き始めるだろう。しかし、焦る必要はない。この辺りにも家はたくさんあるのだから、あまり急いで出ていっても返って怪しいだけだろう。
そう自分を落ち着かせ、もう一度部屋を見渡す栄司。すると、さっきも見つけた若い男性の写真が目に入った。遺影である。この老婆の親族なのだろうが、若くして亡くなってしまったものだ。あの写真から察するに、享年二十代前半だろう。
「? どうしたの栄司・・・あっ!」
栄司と同じ場所に目をやる冥。その瞬間、彼女は言葉を失った。目が恐怖に満ち、体がカタカタ震えている。
ここにいては危ない。一刻も早く逃げなければならない。あの遺影に写っているのは・・・あの人は・・・!冥は栄司に警告しようとしたが、恐怖のあまりそれだできなかった。冥の異変に気付く事無く、栄司は老婆に問うてしまう。
「息子さん・・・ですか?」
「いいえ、孫です。年寄りを労ってくれるいい子だったんですけど、ほんの数週間前に殺害されてしまって・・・」
数週間前に・・・?妙だな。この一ヵ月、殺害事件のニュースなんて流れていなかったはずだ。目立ったものといえば、冥の脱走や、今日の勧告みたいなものだ。俺たちが起こした事件以外は。しかし、彼のような人物を殺した記憶はないし、冥だって・・・っ!
「冥、お前まさか・・・」
「栄司・・・逃げよう。だってあの人・・・」
間違いない。栄司は確信した。となれば、冥の言う通り一刻も早く逃げなければならない。この老婆は、孫がやられたことをやり返すつもりだ。
「いい子だった・・・他に言い様がないくらい。頭が良くて、けど決して慢らず、努力を惜しまなかった。人当たりも良くて、非の打ち所がなかった。彼ならきっと幸せな人生を送れる・・・そう、信じていたのに・・・」
老婆がゆらりと立ち上がる。痩せ細ったその手には、果物ナイフが握られている。老婆にはわかっていた。最愛の孫を殺したのが、未成年連続通り魔だと言うことを。
そして警察から勧告が出された今、犯人でありうるのは外から訪ねてきた彼らしかいないという事を・・・!
「あなた達にあの子が味わったのと同じ苦しみを味合わせてあげる。警察に突き出したりしない。今ここで、あなた達を葬ってやるんだからぁっ!」
耳に響く声を上げ、狂ったように果物ナイフを振り回す。この狭い居間ではすぐに後がなくなってしまう。
どこかに逃げ道は・・・あることを祈って後ろを見ると、大きな窓があった。ガラス製ではない。これなら破って逃げられる。
「冥、こっちだ!」
障子を蹴飛ばして外へ出る。しかし、その先でも恐怖が待っていた。
数えきれないほどの人が、二人を囲むようにして立っている。年寄りから若者まで年令は様々だ。そしてそれぞれが、手に凶器を持っている。
この者達は恐らく、二人に殺された人の遺族だ。さっき茶を入れてくるとき、老婆が連絡したのだろう。背筋が凍りそうなほど、強烈な殺気を感じる。
「へっ、お熱い歓迎に感謝しねぇとな」
前にも後ろにも、右にも左にも、二人に復讐せんと集まった者達。このままでは間違いなく殺される。この者達にはもう、二人を警察に突き出すと言う発想は残っていないのだ。
彼らの言い分もわかるが、黙って殺されるわけには行かない。できれば使いたくなかったが仕方ない・・・。栄司はポケットの中にあるものを握り締めた。
ガウンッ!
突如、捜査本部の電話が鳴り響いた。捜査中にあった異変は、全て本部に連絡することになっている。何かあったな・・・と言う確信を持ちつつも、正義は受話器をとった。
「私だ。碧子か、何があった?」
もはや何かがあったことは確定している。何もないのにこの電話が鳴ることはありえないからだ。
できれば、この電話が鳴るのは二人を捕まえた時だけであってほしかった。しかし、そんなにうまく行くほど、事態は優しくない。
「先程銃声が聞こえました。恐らく、あの二人のどちらかが発砲したのだと思われます!」
「何だと!?」
正義は驚愕すると同時に、危機感を覚えた。彼らが銃を使ったということは、銃を使う相手がいたと言うことだ。あの二人が仲間割れするとは思えない。となれば、相手は一般人か。
もしこれ以上死者が出れば、逮捕できるできないに関係なく、正義は失脚せざるを得なくなる。そうなれば、警察の革命どころではなくなってしまう。
「すぐに銃声のした方へ向かえ!怪我人がいるなら、救急車の手配。随時報告を怠るな!」
「は・・・はい!」
電話が壊れてしまいそうな勢いで受話器を置く。落ち着け・・・私が慌てては部下達も慌ててしまう。これ以上被害を出さぬよう、冷静に事を運ぶのだ。
追い込まれた表情の正義を見て、重鎮達は思った。彼もおしまいだな・・・と。
銃声のした方へ走る。あの音を聞いたのは俺たちだけではないはずだ。何人もの刑事が向かっているとすれば、栄司も終わりだな。何があったのかは知らないが、銃を使ったのは失敗だ。自分の居場所を知らせることになるのだからな。
しかし、あいつがそう簡単にミスを犯すとも思えない。何かの作戦か、あるいは銃を使わなければならない状況に追い込まれたか・・・。いずれにせよ、俺は奴を逮捕すればいい。怪我人がいれば話は別だが。
「急いだ方がいいわ。彼、殺されるかもしれない!」
碧子の表情からは、達也が感じている焦りとは別種のものが見て取れる。栄司の命が危ない。かなり切羽詰まった感じがする。
「彼らが殺してきた人は相当なものよ。となれば当然、二人を恨む人もたくさんいる。もしその人たちが、彼らに復讐しようとしているとしたら・・・」
「・・・!」
確かに、愛する者を亡くして、警察に任せようと思う者が全てとは限らない。殺人を実行した者に、自ら罰してやろうと思う者達もいるかもしれない。今のように、犯人を判断しやすい状況なら尚更だ。
甘く見ていた。遺族の怨恨は、警察が全力を尽くす程度で抑えられるものではないのだ。信用を失った警察が、遺族にとって頼りになる存在であるはずもない。自ら動かなければならないと決心した者がいるとすれば・・・。
『栄司・・・!』
あいつに死なれるわけには行かない。まだ決着がついていない上、逮捕できずに死んでしまったとなれば、親父の悲願が達成できなくなる。
いや、嘘を吐くのはよそう。あいつに死んでほしくない。仕事であれ何であれ、一度繋いだ友情を、どこの誰かもわからない奴に切られるのは御免だ。
「・・・!」
人が倒れている。女の子だ。待て・・・まさか・・・そんな馬鹿なっ!なぜそこで・・・。
「何故だ、紅水!」
倒れていたのは紅水冥だった。残酷である。胸に斬られた跡がある。それだけではない。冥の体中、足に腕に腹・・・更には目まで、至る所が刃物で斬られ、刺されている。あまりにグロテスクな状態に、直視することも難しい。
何だこの酷さは・・・。死神でも現れて、刑に処されたようだ。間違いなく世界にあるどんな刑よりもひどい。何故そう言えるか。それはこの状態であるにも関わらず・・・。
「紅水さん、しっかりして!」
冥が生きているからだ。
「碧子、すぐに親父に連絡しろ。早く!」
この状態では、今から救急車を呼んでも助からないだろう。なんてことをするんだ。徹底的に苦しめた上、さらに生き地獄を味合わせるとは・・・。
「あ・・・ああ・・・」
「どうした、言いたいことがあるなら言え。伝えてやる」
こうしている間にも、冥の体からは大量の血が流れている。傷口がありすぎて、どこを抑えていいのかもわからない。どうにもできない自分に腹が立つ。あいつの愛している少女を助けることもできないとは・・・。
「栄司・・・を・・・」
「ああ、わかっている。心配するな!」
なんと健気な少女なのだろうか。こんな状態になっても、まだ愛する者のことを想えるとは・・・体を走る激痛で、そんな余裕はないだろうに。
栄司・・・お前はどこへ行ったんだ!恋人が死にかけているんだぞ・・・!
「ああ・・・」
見るも無残な顔で、冥が微笑んだ。潰された目で、彼女は何を見ているのだろうか。
「・・・栄司・・・今そっち・・・に・・・」
その瞬間、わずかに残っていた力が抜け、冥は黄泉へと旅立った。
「・・・くそっ!」
「あ、ちょっとどこに行くの!?」
碧子の声を無視し、達也は走った。
冥はうまく逃げ切ったか?まさかやられちゃいないよな。
にしても、遺族達がこんな行動に出るとは思ってなかった。計算外だ。このままやられるわけには行かない。一体何のために、俺は警察を離れたんだ・・・!絶対に生きてやる!
栄司の後ろには、未だ殺気を帯びた遺族達が刃物片手に、走るわけでもなく、ゾンビのように追ってきている。その様子がより恐怖を増大させた。
「ホラー映画じゃねぇんだ・・・うわっ!」
その時、突然腕を掴まれ、栄司は裏路地に引きずり込まれた。
「静かにしろ。奴らに切り刻まれたいのか」
「! 神崎・・・」
栄司の腕を掴んだのは達也だった。本来なら腕をへし折って逃げるところだが、そんなことをやっている場合ではない。
「どうしたんだよ。こんな危ない状態のところに乱入しやがって」
冗談めかして言うが、達也の表情はかたいままである。
「いいかよく聞け。紅水冥が死んだ」
その瞬間、栄司の表情から余裕が消えた。冥が死んだ。めいが死んだ。めいがしんだ。メイガしんだ。メイガシンダ。
「これ以上ない最悪な惨殺だった。あいつらの仕業だろ?」
あいつら・・・後ろから追ってくる、復讐に燃えるゾンビ。ナイフに斧に鎌にハンマー。正気の沙汰とは思えない。奴らはもう人ではないと言っても過言ではないだろう。
だが、人を人でなくしたのは栄司であり、今の警察である。何の結果も期待できなくなった組織と、例を見ない凶悪な犯罪者。最悪な状態のところに、最悪な犯罪。被害者の恨みが形になってしまったのだろう。
「お前・・・さっき誰か殺したか?」
「いや、やってねぇよ。威嚇するために、空に向かって撃っただけだ。数が多かったから、二手に分かれて逃げたんだけど、失敗だったな」
やれやれと、空を見上げる栄司。泣きたいだろう。しかし、栄司も警察の端くれ。泣いても無駄だということはわかっている。
「栄司、今すぐ捜査本部へ戻れ。そうしなければ、今度はお前の命が危ない」
彼らの恨みは本物だ。その証拠に、紅水冥が殺されている。そして今、栄司を殺すために凶器を持った者達が迫ってきている。
栄司の命を守るためには、彼を逮捕し、捜査本部へ連れていくのが一番だ。警察と一緒にいるとなれば、奴らも諦めざるを得ないだろう。
「そうだな。それもいいな」
栄司からはまったく気力が感じられない。冥を失って、全て抜けてしまったのだろうか。
「お前、そもそもどうしてこんなことを・・・」
「言い訳っぽくなりそうだからあまり言いたくないけど、事情聴取ってことにしとくか。簡単なこった。オッサンの警察革命を、確実なもんにしたかったんだよ」
栄司の計画は、彼が正義に出会ったときに始まった。