第三章 Sky blue, meets Justice1
その時はきた。十二時間が過ぎると同時に、危険地域に該当する警察署の全刑事が出動した。その中に、達也と碧子もいた。
当然のことながら、警察は幾つもの課に別れている。通常、その内の幾つかが、街を歩いて聞き込みなどをするのだが、今回は違った。
警察に属する全ての人材が、倉坂栄司と赤水冥の追跡に駆り出された。二人が銃や刃物を持っている可能性もある。もしもの時に備え、全員が武器になる物を携帯している。
街は静かだった。住民達は自宅に引きこもり、逃亡者が捕まるのを待っている。だが、いつまでこの状態が保てるだろうか。
「時間がないわ。あなたは私と一緒にきて」
碧子にそう言われ、達也は彼女と行動することになった。
いつ犯人に襲われるかわからない。警察関係者は、数人でチームを作り、まとまって行動している。もし碧子に声をかけられなければ、達也は確実に孤立していただろう。
「いい?絶対にみんなの邪魔になるようなことはしちゃダメよ。ただでさえあなたは国家試験もなしに刑事になって、みんなに快く思われていないんだから」
確かにその通りだった。碧子や栄司でも歓迎はされなかっただろうに、親の力で刑事の一員となった達也が受け入れられるわけがない。他の刑事達を納得させるには、一刻も早く自分が使える人間であることを証明しなければならない。足を引っ張るなどもってのほかだ。
「・・・気を付けよう」
さすがの達也も、この状況で仲間といがみ合う気にはなれない。経験のない自分は、先輩の荷物にならないように注意するしかなかった。
空は雲で覆われている。これは一雨くるかもな・・・。そう思いつつ、静まり返った街を歩く。
普段は人で見えないところが見えるようになり、街が広く思えた。改めて、この街の広さを認識する。
「あなたって馬鹿よね」
沈黙の続く重苦しい空気に耐えかねたのか、隣で歩く碧子が口を開いた。
「何?」
「だってそうでしょう?聞いた真相を喋らないように注意してさえいれば、いつも通りの生活を送れたのに、わざわざそれを投げ出して、危険なことに首を突っ込んでるんだから」
碧子の言い分は正しかった。達也や碧子、栄司と冥が通っていた学校及び校区は、危険地域に指定されていない。栄司と冥が、学校に戻ることは考えにくいと言う理由からである。
つまり、達也は今まで通り、つまらない学校生活を送ることができたのだ。いつもどおりだ。栄司がいないと言う点以外は。
「そうだな」
認めよう。しかし、元より学校と言う集団行動が必要とされる場所に、居続けるつもりはない。そこに友が居ないのならばなおさらである。達也の場合、栄司の存在が達也に学校へ行く意欲を出す源だったと言っていい。それがなくなってしまった今、何の価値もない石ころが転がっている公共施設に通う理由は何もないのだ。
「・・・まあ、総監はそれを期待してたみたいだけど」
「・・・そうなのか?」
学校の会議室で、事態の説明が終わった後すぐ、正義は去っていった。その態度は捜査に参加することを期待しているどころか、達也を拒絶しているようにも見えた。
そう言えば、あの人は昔から素直じゃないと、ずっと昔に母さんに聞いたことがある。母の死から十年近く・・・わずかに残ったこの記憶も、いずれは時の忘却にさらされる。わかっていたことだが、改めて考えると口惜しい。
「私が任務に就く少し前に、総監からあなたの話を聞いたことがあるの。無愛想な息子がいるって」
これは意外だ。あの徹底した仕事人が、他人に自分の息子のことを話すとは。
「きっと任務で会うだろうから、よろしく頼むって言ってたわ」
あの親父・・・性に合わないことを。
ともあれ、俺はまんまと奴の期待に応えてしまったらしい。失敗だったか。この辺りで話を変えておくべきだろう。
「・・・今井」
「何?」
碧子の髪が、微風に吹かれてなびいている。この場に雑誌の編集者が歩いていれば、すかさず碧子をモデルとしてスカウトしていただろう。
「お前、どうして刑事に・・・」
本人が自分の容姿について自覚していないと言う事は考えにくい。どうにでもなったであろう人生を、警察といういいイメージのない職にあてたのか。
もちろん、何かしらの理由があるのだろう。何となく、それを知りたくなった。珍しい事もあるものだ。
「意外ね。あなたが他人のことに興味を持つなんて」
「・・・確かにそうだろうが、もう少し言い方を考えたらどうだ?」
苦笑いを浮かべる達也。自覚はしていたが、少しの間しか時間を共にしていない人物に自分を理解されるとは・・・。そんなに自分は単純なのかと、内心肩を落としている。
碧子は面白そうに微笑んだかと思うと、すぐに表情を戻し、空を仰いだ。
十二年前、当時四歳の今井碧子は、街の大通りを一人で歩いていた。
もちろんこれは妙である。幼い女の子がたった一人で、どこかを目指すわけでもなく歩いているのだ。
しかし、世間とは冷たいものである。街を歩く一般人達は彼女を見ても、きっと保護者が傍にいるんだと勝手に解釈し、少女から目を離す。
思えば、それも当然のことなのかもしれない。
もし仮にこの状態がおかしいと思ったとしても、迂闊に話し掛けようものなら、自分が怪しい目で見られてしまう。世の中の目を執拗に気にする社会人たちはそれを恐れ、行動することができないのだ。
そして心の中で形だけの謝罪をし、さも何事もなかったかのように去っていく。世間に敵とみなされないために。
一瞬自分に絡み、そして離れる他の目線。少女はそれに不快感を抱いていた。彼らの目線がまるで汚物でも見るかのようなものに思えてしまう。見られるたびに少女は目線を振りほどくように、歩くスピードを上げた。
『・・・!』
周りを気にせず歩いていると、誰かの足にぶつかってしまった。
いつの間にか、少女は裏路地に入ってしまっていた。少し不安に思いながら、少女が顔を上げる。
「あ?何だてめぇ」
そこには柄の悪そうな太い男が立っていた。至る所に傷があり、それなりに迫力がある。
しかし、それぐらいで怯む少女ではない。大の男でさえ目を背けそうな、殺意を込められた目線に対し、真っ向から見返す。が、相手が悪い。
この太い男は、いわゆる暴力団と言う奴の一員であり、つい最近虐殺事件を起こし、全国で指名手配されている。そんなことを少女が知っているわけもない。
「生意気な目ぇしてるじゃねぇか。ガキだからって容赦はしねぇぞ」
男は少女の頭を掴み、自分と同じ目線の高さまで持ち上げる。少女は暴れようとはしない。
少女に生きる意志はない。男を睨み返したのも、そうすれば彼が怒るであろう事を計算した上での事だ。ここで命を落とすなら、それもいい。
男はニヤニヤ笑いながら、少女を鷲掴みにしたほうの手を後ろに回し、逆側の足を上げる。要するに振りかぶっているのだ。
野球投手さながらのフォームをとる男の目は、真っすぐに地面を睨んでいる。これからどうする気なのかは言うまでもない。しかし、男はそれを実行することができなかった。
「あ・・・?」
肩を叩かれ、振り替える男。彼の視界は目の前の拳に占領されていた。
ゴッ!
「ぐあっ・・・!」
頭を掴んでいた手が離れ、少女が自由落下する。しかし、その体が地面にぶつかることはなかった。
大きな腕が少女を包み、落下を止めたのだ。停止に気付き、瞑っていた目を開ける。
「怪我はないか?」
少女を受けとめたのは警察官だった。派出所などにいる警察よりも多少装飾があるように思えるが、それでもほとんどは紺一色。洒落てはいない。
警察官の男は真剣な恐い目で少女を見ている。こういう場合、優しく語り掛けるなり笑顔に繕うなりすべきなのだが、彼は不器用さ故にそれができなかった。それを少女が理解できるわけがない。若干の恐怖を覚えた。
警察官は少女をおろすと、男の両手に手錠をかけた。そして無線機・・・ではなく携帯電話を取り出し、でた相手と短い会話をして切った。
「すぐに私の仲間がくる。君にも一応、一緒にきてもらう。いいな?」
ここで嫌だと言ったらどうなるのだろうか・・・と思ったが、さすがにそれはまずい。少女は頷く事にした。
しばらくすると別の警察官が現れ、少女を助けた警察官に敬礼する。どうやら、彼はそれなりの地位に立っているようだ。
彼の言っていた通り、少女はパトカーに乗せられ、その場から去った。行き先はもちろん、警察署である。
移動中、少女は捕らえられた男の隣に座らされていたが、あの人が気を遣ってくれたのか、位置を交替してくれた。交替するとき、手錠かけられた男に、強く睨まれた気がした。
それからしばらく、少女はミラーに映ったあの警察官を、ただ眺めている。彼は大体二十代後半ぐらいのようで、パトカーを運転している警察官よりも若く見える。実際に若いのかどうかわからないが、少女の見た感じ、あまり年はくっていなさそうだった。
少しすると、警察署に到着。思っていたとおり、貧相な建物である。もちろん、少女たちは中に入った。
今回の場合、巻き込まれただけの自分は、適当に事情を話せば終わりだと思っていた。しかし、そうはいかないらしい。
「・・・もう一度聞くぞ。君の名は?」
いい加減にしてくれと言いたげな、老け顔の警察官が問う。
困ったことになった。事情を聞くために、警察はまず少女の名を知ろうとした。が、少女は自分の名を名乗ろうせず、そのまま黙り込んでしまったのだ。
沈黙し始めてから、すでに二十分ほどの時間が過ぎてしまっている。
「・・・・・・」
「やれやれ、どうしたものか」
警察官が困った表情で頭を掻く。本来なら、無理に名を知らせる必要はない。しかし、時は夜の十一時。
夜の町は物騒である。現に、彼女は危ないめに遭いかけた。なぜ彼女のような幼い子供が、真夜中の街を歩いていたのだろうか。
とは言え、ひたすらそれを追及するほど、警察も馬鹿ではない。そんなことをすれば、子供は怯えてしまうだろう。そこで、まずは彼女の保護者を呼ぼうと思い、名前を聞いているのだが・・・この調子である。
これでは、少女を帰らせることもできない。
「・・・署長!」
ギィと音を立て、部屋の扉が開いた。中には入ってきたのは、少女を助けた警察官。先程の発言から察するに、彼はこの警察署で最も偉いらしい。
ずっと変化のなかった少女の表情が、わずかに明るくなる。本当にわずかだったため、それに気付く者はいなかったが。
「どうだ?」
「だめです。何も話してくれません」
ふむ・・・と署長が少女を見る。
「・・・私が話を聞く。君は奴を見張っていてくれ」
「え・・・あ、はい」
警察官は何か言いたいことがありそうだったが、結局何も言わずに部屋を出ていった。
それからすぐに、署長は椅子に座り、少女と向かい合う。
「何が聞きたいかは、わかっているな?」
少女は黙っている。それを肯定とみなした署長は、座ったばかりの椅子から立ち上がる。
少女が見上げると、若き署長はわずかに笑いながら、少女を見下ろしていた。その表情に、何となく温かみを感じた。
「他人の名を聞くときは、まず自分から名乗らねばな」
そう言って、彼は手を伸ばした。少女の細く白い手とは違い、大きく、今までの人生が凝縮されている・・・そんな感じのする手だった。
「神崎正義だ。よろしく頼む」
少女と男は出会った。