序
人は、様々理由で、他人の命を奪う。恨み、嫉み、恐れ、憎悪、渇望、正義感・・・。それらの人を突き動かす負の感情があるからこそ、第三者は犯罪者を醜いと思う。
金が欲しかった、腹が立ったなど、犯罪者の動機を聞いて初めて、人々は犯罪者を『悪』と認識する。負の感情の醜さこそが、『悪』の本質と言える。
では仮に、犯行の動機が・・・その行為に及んだ理由がなければ、どうなるのか。
感情の器をコップとするならば、動機は中の水。人はコップの中身から、コップそのものの質を判断する。動機なき犯罪は、中身のないコップと同じである。
判断する材料がないとき、人は犯罪者をどう見るのか・・・。『悪』と断定できないとき、人はどうやって人を裁くのか。
今、動機なき悪の出現に、世の中が揺れる。
広い会議室で、警視庁の重鎮達が一堂に会していた。長く続く沈黙により、会議室には重苦しい雰囲気が漂っている。
その逃げたくなるような状態が続いているのには、理由があった。
「・・・本日、皆に集まってもらったのは他でもない」
会議室の最も奥の席に座る男が、ようやく口を開く。
この場に全員が集まってから、実に十五分が経過していた。
「もう既に伝わっているとは思うが、我が国最大の囚人数を誇る、東京レクイエム刑務所から、ある死刑囚が脱獄した」
最大であると同時に、最高峰の技術の結晶でもあるそこには、全国の囚人の内、約35%が服役している。勿論、これまでの間に何人もの囚人達が、そこからの脱獄を試みた。
しかし、最高峰の技術の力と、数百にも及ぶ警備員達の連携によって、その試みが成功することはなかった。
鉄壁の牢獄と謳われた、レクイエム刑務所・・・。ついに、そこからの脱獄を成功させてしまった。しかも、その脱獄者が、ただの犯罪者ではなかった。
「とんでもないことになりましたな・・・。まさか奴が、再び外へ出てしまうとは」
「奴の危険度は尋常ではありません。総監、直ちに対策を・・・!」
重鎮達は、先程脱獄のことを報告した男に目を向ける。
警視総監・・・それが、この男の立場である。
「無論だ。その対策実行を伝えるために、皆を集合させた」
総監は冷静だった。対策の実行・・・。それを聞いた途端、会議室が騒々し始める。
既に対策は練ったということ。それは重鎮達に、総監の有能さを再認識させた。
「さすがは総監。既に考えをおもちとは。して、対策の内容とは?」
重鎮が問うと同時に、会議室の扉が叩かれた。
「目には目を。犯罪の天才には、捜査の天才を。紹介しよう。今回、対策の要となる・・・」
扉が開く。そのドアノブを回した者の姿に、重鎮達はただ、驚くしかなかった。