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第一章 いつか見た夢

 西の山脈から吹いてきた心地よい高地の澄んだ風が、紅葉しかかった黄色い葉を抱えた木々をそよがせる。

 いつか感じたあの風のように、それは渡って行く。

 髪を撫でるように通り過ぎた風に連られて見上げると、雲一つない満天の星空だった。

 いつか見たあの夜空のように、夜闇を割り銀色の満月が煌々と静かに輝く。

 あの時とよく似た夜。何者にも邪魔されず静かに時が過ぎる。

 あの時と違うものがあるとすれば……それは──……




 闇を退かそうとするかのような満月の光も遮りがちな、針葉樹の混じった暗く静かな森の中を人影が揺れる。日没後、既に結構な時が経っている上に鬱蒼とした森の中を、明かりを持たないその人影はまるで陽光溢れる森を行くように軽い足取りで進んで行く。

 狩人ではない。こんな時間にうろつけば例え狩人であろうと、冬篭り前の食欲旺盛な夜行性の獣に襲われる危険があるし、そうなれば、ひとたまりも無いだろう。

 しかしその人物は完全な丸腰であるにも関わらず、危険など何もない、自分の庭を散歩するかのように気軽に足を進め、薪になりそうなよく乾いた枯れ枝を目聡く見付けては集めて行く。

 実際、初秋のこの時期の森にしては静か過ぎた。虫の音すら聞こえない。

生あるもの全てが何かに怯え、息を潜めているような、そんな静けさに満ちていた。


 木々の合間から射し込む月光に時折銀髪が光る。肩より少し長いくらいの髪がさらさらと夜風になびく。月明かりに照らし出された、男にしては標準より多少背が低く女にしては高いと言える線の細い体は、今は旅用の黒い外套に包まれていて体型から性別を判断するのは難しい。

男女どちらとも判別のつかない顔は年齢を推し量るのもやはり難しく、そして、白い。

死人とまではいかないまでも、お世辞にも血色がいいとは言えない。然るべき格好をして病院のベッドに寝て病人だと言えば誰もが納得するだろう。

 ──その瞳の色を見なければ。

 まるで鮮血のように鮮やかな紅い瞳を見れば、その肌の白さも性別や年齢のあやふやな外見も、異様に静かな森も、全てに説明がつく。

 紅色の瞳を持つ種族はこの世界では唯一つ、ヴァンパイアのみ。

魔素や生気を糧に生きる魔族であり、血を吸うこともあるため吸血鬼とも呼ばれるが、実際にはもっと穏当な方法で生きている者が大半である。

だが。

 今はそんなことはどうでもいい。件のヴァンパイアは空腹だった。

空腹は不機嫌を増長させ、おまけに今は苛立ちを隠す気もない。経験の浅い者特有の威圧感も相まって、近くの生き物はとっくに逃げ去っていた。

腹が減る一方である。

 ついつい独り言が漏れる。

「まったく……何故、私がこんなことを……」

 文句を言いながらも夜目の利く紅い瞳は薪に適した木材を見つけ、手は休まずそれを集めて行く。程なく両手に抱えられるだけの薪が集まった。

「そもそも夜にこそ移動すべきだというのに……あのバカは何を考えているのだ……」

 余計なことまで思い出して更に腹が立つ。


 薪集めで下ばかり見ていたので腰と首が痛い。腰を伸ばしながら空を見上げる。

日中あった雲は消え去り、今は満天の星空が広がっている。この分では明日は晴天だろう。

「あぁ……最悪だ。今日だってまともに体力回復できていないのに……」

ヴァンパイアの苦労など知らんとでも言うように、満月は今日も麗しく輝いている。

『――、お前また逃げられたのか? 深呼吸してから、落ち着いて気配を消してから歩き出すんだよ』

 ふと、脳裏にいつか聞いたお説教が浮かぶ。

『どうしても上手くいかないなら、お前は嫌だろうけど、誰かからちょっと血をもらうことも考えないといけないな』

 背に腹は代えられないよ、と半ば呆れたような、困ったような顔で言われたのを思い出す。

ため息をつき、現在の連れの一人の顔を思い浮かべる。ヤツは『ヴァンパイア化しない程度ならやる』と言うが。


 ……あんなバカの血など吸いたくない。


 奴の血を吸うくらいなら餓死した方がましだ。

生気にしたって同じこと。あんな奴のを吸収したら品格が下がること間違い無し。

願い下げである。餓死しようがなんだろうが……どうせロクに記憶がないのだ、ヴァンパイアの誇りなんぞは知ったことではない。

 とはいえ、今ここで文句を言ってみたところで聞いて反省する相手も無し。薪も一晩過ごす分くらいは十分に集まった。

「……そろそろ戻るか……」

 山と抱えた薪を見下ろし、一つ溜息をつくと目を閉じ移動先へと意識を集中させる。目標は連れがいる近くの狩人の山小屋だ。無断侵入なのだが……まぁ気にしないでおく。

 身体の感覚が希薄になり、拡散していくのが感じられる。どうにも、この霧状になるという行為はあまりいいものじゃない。さっさと元通りになるべくそのまま集中して目標地点を思い描く。



 次に目を開けると、シチューの芳香が漂う山小屋の中の、大して広くない土間。無事に空間転移完了だ。こういう時にヴァンパイアだと楽である。

そして、目の前の足元には明々と燃える焚き火……とその上にシチューの入った見覚えのない鍋が鎮座している。

またあの子は勝手にひと様の小屋の備品を使ったな。内心苦笑しつつ焚火の向こうに座る連れに目をやった。


 戻った気配に気づいたのだろう。焚き火を挟んだ向かい側に陣取り、これも見覚えのない木製のおたまで鍋を掻き回していた黒い影が顔を上げる。少年とも少女ともつかない、儚げな白い顔が炎の明かりで赤く染まり、肩口で適当に切った黒髪が揺れる。

「あ。お帰りなさい、セシル様……早かったですね。薪はそっちの脇に置いておいてください」

 おたまで「あそこ」と場所を指定して、いまいち性別の判断できない声が告げる。

「……おたまで指すなんて行儀が悪いよ、ノエル……」

 言いながらもセシルは指定された場所に薪を置いて、小屋の中を見回す。

左手――西に入り口が一つ。右手側には一段高くなって仕切りのない板の間。東向きにわりと大きめの窓がある。カーテンは掛っていない……朝はさぞや殺人的なことになるだろう。

 部屋の真ん中に四角いテーブルが一脚、椅子が三脚、ロッキングチェアが一脚。部屋は南に曲がってL字型になっていた。ここから南側の様子は見えないが、窓のない部屋がある。

テーブル真上の天井近くにはセシルが出した魔術の黄色い光が浮かび、室内を適当に照らしている。

 大して遮るものもない小屋を一通り眺め渡す。案の定、あのバカの姿が見えない。どうせ一人だけ何もせず寝ているのだろう。眉を寄せて見えない南の部屋の方をみていると……

「『夜番に立つから先にひと眠りしてる』……だそうですよ」

 不愉快そうな気配を察したのか、夕食の味見をしながらこちらは見ないでノエルが言う。

「どうせ飯時には澄ました顔して出てくるのだろう……何もしないクセに飯だけはしっかり食いやがって……誰が薪を取ってきたと思っているんだ。そもそも夜番なら私がやるのに……」

 ハーブを少し足して最終チェックを終え、満足げに小さく頷いてからノエルが顔を上げる。

細い眉をしかめ、おたまをこちらに付きつけ

「……セシル様こそ言葉使い、悪いです。そんな品の無い物言いは関心しませんよ」

「……。こういうのは移るんだよ。粗暴なのがいると、余計にね」

 説教は御免だ。頭を逸らしておたまの矛先を避けてから板の間の縁に腰を下ろす。『粗暴なの』の顔をうっかり思い浮かべてしまい、溜息を一つ。

 近くにあった薪の束から、小さな松ぼっくりが二、三個ついた小枝を取り焚き火に突っ込む。

暫くすると焔に焼かれ、松かさの中心が赤く明滅する。火の加勢にはならない。唯、綺麗なだけだ。セシルはこれが好きだった。無意味なことは嫌いだが、これだけは。

 膝の上で頬杖をついて、明滅する赤光をぼんやり眺めていると、ふと、いつか聞いた言葉が脳裏を掠める。


『――本当に何にも知らないんだなぁ……それじゃあ、セシリア……お前こんなのも知らないんだろ?』

 驚きと苦笑の入り混じった声がそう言い、焚き火に松かさを入れ――あの時も今と同じように赤く明滅していた。

自分は確か、『それに何の意味があるのか』と訊いた。火の勢いに変わりはない。無意味だ。

『意味? ……綺麗だろう?』

 確かに、綺麗ではある。だが

『それだけ?』

『ああ。それだけだよ。……嫌いか?』

『そういう……訳じゃないけど……』

『好きならそれでいいだろう。そういうこともたまには必要だよ』

『……』

 言って、まだ釈然としない顔をしているこちらを面白そうに眺める紅い瞳。

『さて、今日は何を教えようか? 一般常識か? 豆知識がいいか? 気配の消し方か? ああ、まずは同族との関わり方の復習からだな、ちゃんと覚えたか?』

 派閥が面倒臭いんだよな、と心底面倒くさそうに呟いていた。

 自分が知らないこと……知っていたかもしれないが忘れてしまったこと……いろいろと教えられた……無駄なことも多かったが……それはそれで楽しかった……──――


「そろそろ出来ますよ~」

 ノエルの言葉に思考を中断させられ、顔を上げる。

 鍋の中身を覗き込むと結構な量になっていた。優に五~六人分はあるだろう。必要なのは一人分だというのに、どうするつもりなのか。

まさか自分にも食べろというつもりではあるまい。食べられないこともないが……命の糧にはならないから無意味である。

 そういえば自分の食事はどうしようか。数日前までは街にいたからまだ良かったものの、こんな森の中ではロクに補給が出来ない。しかし、何がなんでも連れの世話になるつもりはないセシルだった。

どうしたものか……体力も落ちてきている、なんとかしないといけない。溜息がまた一つこぼれた。


「何だよ……葬式みたいな辛気臭い溜息ついて。美味そうな飯が不味くなるじゃないか」

 欠伸をかみ殺した男の低い寝ぼけ声が上から降ってきた。

「おはようございます、デューク様。食事、ちょうど出来たところです」

「出たな、木偶の坊」

 セシルは舌打ちして見上げる。かなり高い位置にある、まだ眠そうな薄い緑の瞳と寝癖でぼさぼさな枯葉色の短髪を殊更陰気な顔で出迎えてやる。サービスで人魂の二つ三つも出してやった。

一気に室内の明るさも雰囲気も暗くなり、ついでに気温も五度くらい下がる。

「……お前な……」

 デュークが頭を掻いていた動きを止め、半眼で見下ろしてくる。

「何だ?」

 言葉と共に出血サービスでもう一つ人魂を出してやる。

「……そんなに大歓迎してくれるなんて……おはようのキスでもしてやろうか?」

 身体に纏わりつく人魂に若干煙たげに追い払いつつ、引きつった微笑を湛えて、そんな馬鹿なことを言ってきた。

「戯け。寝言は死んでから言え馬鹿者」

 こちらは人魂など全く意に介さず素晴らしく爽やかな笑顔で答える。

……但し、人魂が数個、回りでふよふよと踊っているが。紅い瞳は光をよく反射するし、光源用に顔の下に一つ待機させているのでかなり不気味に見えるかもしれない。

「………………………………」

「………………………………」

 暫し、無言の睨み合い。

 先に折れたのはデュークだ。

「セシリア……どうしてそうお前は……こう……和気あいあいと出来ないんだ?」

 嘆かわしい……と、ワザとらしく額に手を当て大袈裟な溜息をつく。

「私をその名で呼ぶなっ!!」

 この馬鹿にその名を呼ばれる筋合いはない。

無性に腹が立ってセシルは勢い良く立ちあがり、ついでに蹴りをお見舞いするもあっさり避けられた。

「はんっ! んなトロいのが当たるかよ。

大体そんな簡単にぽこぽこと人魂を出すもんじゃないっ! 誰かに見られたらまた化け物だとか騒がれるだろーが」

(……ヴァンパイアを相手にトロいとか言えちゃう貴方はどうなんだろう……)

 乱闘により発生した土埃から鍋を避難させていたノエルは、ふと思ったその言葉は飲み込み、至って冷静に、それこそ気温が下がるような冷たい声で冷酷な宣告をした。

「……デューク様……暴れるなら晩御飯抜きです」

 朝からロクに食事もとらずに歩き続けてきたデュークには、死の宣告と言ってもいいだろうその言葉に一瞬凍り付く。ぴしぃっ……と音でも出そうな感じだ。その一瞬の隙をセシルが見逃すはずもなく。

「一回あの世を見て来い大馬鹿者がぁーっ!!」

 ヴァンパイアの今日一日分の不満と苛立ちを込めて放った衝撃波は、固まったままのデュークの空きっ腹に見事に命中し、憂さ諸共彼をふっ飛ばした。

後ろにあったテーブルその他一式ごと薙ぎ払われ突き当たりの壁に当たって止まる。……衝撃で窓が割れなかったのは奇跡と言って良いだろう。

 衝撃波を放ったままの格好でぜぇはぁと肩で息をつき、哀れな人間が起きてこないのを確認。ようやく腕を下ろして深いため息をひとつ。

「はぁーー~~……あーー~~……スッキリしたぁっ!」

 折り返し、目の前の惨状など無いかのように心底すっきりした、なんとも清々しい晴れやかな顔で伸びを一つ。

 何かを悟ったような…もしくは諦めた顔で、それでもしっかり鍋は死守してこちらを眺めているノエルに向き直り、そこで初めて彼を見つけたように声を掛けた。

「やぁ、ノエル。何かやることあるかい?」


「まったく……何故、私がこんなことを……」

 ついさっき言ったのと同じセリフを呟きつつ、今度は先程ふっ飛ばした物を片付けていく。

テーブルに椅子達、元あった場所に再設置完了。驚いたことに、加減していたとはいえ衝撃波を食らったにも関わらず無傷である。安そうに見えるが頑丈だったようだ。

最後にどうでもいいモノを引きずって焚き火の近くまで運ぶ。

「ちゃんと介抱してあげてくださいよ」

 横目でちら、とセシルを見やりノエルが言う。

「────判っている」

 言いながら未だに全く動かないデュークを乱暴に蹴り起こす。

「デューク様にはこれ全部食べて貰うんですから、治癒くらいかけてあげてくださいね。ホントにあの世に行っていたら連れ戻さなくちゃいけなくて面倒ですし」

 鍋を温め直しながら涼しい顔でノエルがさりげなく、いろいろととんでもない事をいう。

「……」

 セシルは動かないデュークの大きく古い傷跡の残る左頬をぺちぺち叩く。反応はない。

「…………」

不安になって、左胸に少し先端が尖った耳を押し当てる。しっかりと規則正しい鼓動が聞こえた。どうやら気絶しているだけらしい。

安堵の溜息をついて彼の脇に座り外傷がないか調べる。幸いにというか、やはりというか、掠り傷一つ見当たらない。頑丈なのが取り柄なことはあるようだ。

とりあえず一番簡単な治癒呪文を掛ける。暫くすれば目を覚ますだろう。

デュークが地獄を見る心配が無くなったところで

「本当にソレ、これに全部食べさせるつもりなのか?」

 『ソレ』で鍋を、『これ』でデュークを指差し、尋ねる。

「ええ」

「五人分はあるように見えるんだが……」

「あ、判ります? 少し作りすぎちゃいまして」

 でもデューク様だしこれくらい大丈夫ですよ、と軽い調子でパタパタ手を振って答えるノエル。

「これから暫く、先の街へ行くまで他に食料を調達できるような集落は無かったと思うぞ」

「そうです、だから今の内に食べてもらわないと」


『…………──』

 ふと、声が聞えたような気がした。

テーブルセッティングをしにノエルが立ちあがる……気のせいだろう。他に人はいないのだ。

(……人間て食い溜め出来たか?)

 そう思い、何の気なしにかつて人であった時の事を思い出そうとしたのだが、やはり思い出せない。

 人だった時のことは勿論、人で無くなった時のこと、魔族としての親の事。それは、まぁ記憶がないままだから仕方がないのだが…おかしなことに、この二人といつ出会ってどうして一緒にいるのか。これから何処へ行こうとしているのか、それまでが思い出せなくなっていた。無理に遡ろうとすると頭痛がする。


『────……』


 また声が聞こえる。ひどく遠くからのようで聞き取れなかったが。

やはりノエルが何か言ったのか……痛む頭を押さえてノエルを見た。セシルの異変に気付いたのか心配そうに見ている。

 ノエル。

 そういえばこの黒髪黒瞳、黒ずくめで影のように気配の希薄なこの人物の素性を知らない。

……記憶が無いのだ、当たり前と言えば当たり前なのだが……それでも自分は今の今まで彼を知っているようだったではないか?

更に思い出そうと無理矢理に何も思い出せ無い記憶を手繰る。


『……──────……』


 声が、聞えた。気のせいではない。だが何を言っているのか聞き取れない。

 もう少しで聞こえそうだ、さらに強引に意識を集中させる。

 急に目の前が真っ暗になった。訳がわからない。自分は今何処にいる? 何をしている? そもそも、私は誰だ?

 何も判らなかったあの時と同じ、言い知れぬ孤独感と焦燥感、それに衝動的な恐怖がのしかかる。

『──……きろ……リア……』

 もう一度、今度はもっとしっかり声が聞えた。

先ほど記憶の端を過ぎったあの声に似ている気がした。


 青ざめた顔で虚ろな瞳を自分に向けたまま動かないセシルの様子に、ノエルは傍らに移動して声をかける。

「……しっかり……てください。……大……丈夫ですよ、何も心配ありません」

 ……誰の声か……やけに遠い。大丈夫? 心配? 何を……


『――……リア……セシリア……いい加減起きろ……まったく、いつまで寝ている気だお前は』

 セシリア。……そう……これは自分の名前だ……呼ばれている。

間違い無い、あの声……懐かしい声……ソリュートが呼んでいる。いつも通り、半ば呆れた声でブツブツとなにやら文句を言っている。

……起きる……? 私は寝ていたのか? また寝坊したのだろうか。

『俺が起こさなければ起きないつもりなのか?……まぁ……気持ちは判らないでもないが……それではいつまでたってもお前さんの親は見つからんぞ……ってなんで俺、寝てる奴に説教しているんだ……あーもう……ほれ、起きろって。さっさと起きないと夜が明けるぞ』

 あぁ……そうだ、夜だったはず……寝ている場合ではない。起きなくては。

 相変わらず回りは真っ暗闇で何も見えないが、起きないわけにはいかない。

目を開ければ何かが見えるようになるわけでもない気はしたのだが、セシルは目を開けた。

 すると、小さくなっていた声がまた近くで聞えた。

「起きてください、ヴァンパイアが夜に寝るのはあまり良くありません。戻ってきてください」

 暗闇にぼんやりと浮きあがる人影が自分の肩を掴み揺さぶる。

「セシル様、こちらへ戻ってきてください、そっちへ行ってはいけません」

 ……戻る……何処へ?


 はっきりしない頭をようやく上げると、執拗なまでに揺さぶっていたノエルが手を止めた。

瞬きを数回すると、焚き火の焔がぼんやりと見えた。

 もう自分を呼ぶ懐かしい声は聞こえなくなっていた。

その替わりノエル、デュークのことは思い出した。忘れていたというのがおかしいのだ。

何故一時でも忘れてしまったのか。

「大丈夫ですか? セシル様、ちゃんと戻ってきましたね? 私がわかりますか?」

 セシルが肯くと、ノエルは何やら呪文らしき言葉を二言三言呟きセシルの額に印を描く。

「さあ、これでもう大丈夫です」

「……何をした?」

 額を触り疑いの眼差しをノエルに向け問う。

「警戒しないでください、何でもありません、魔除けみたいなものです。

 誰かがセシル様を惑わそうとしているようでしたから……もしかしたら、いつか今でない時のあなた自身かもしれませんけれど」

 ノエルの言っている意味が判らない。それはどういう意味か。

尋ねようとセシルが口を開きかけたその瞬間、大欠伸をしてデュークが起きあがった。

「くあ~~~~……あーひっでぇ目に遭った……ったくセシリアめ……名前くらいであんなに怒ることないだろが……ノエル、俺の飯有る?」

 突然割って入られ不快げに睨みつけるセシルのことなど気にした風もなく、伸びをしながら言うデュークと一緒に彼の腹の虫も盛大に鳴った。

「ありますよ。沢山。全部食べてくださいね♪」

 一人呑気なデュークに勢いを削がれ、追求するタイミングを完全に逸して力無くうな垂れたセシルから逃げるようにそそくさと鍋の方へ移動するノエルを目だけで追い、それでもセシルは掠れた声でこれだけは言った。

「……私を……その名で呼ぶな……」



「もう……勘弁してクダサイ……ノエル様……」

 テーブルに半ば突っ伏し弱々しい声でデュークが懇願する。

 鍋の中身は半分以上消えていた。かなりの長身で体格もよく元々大食いな上に丸一日空腹だったデュークでさえ、四人分が限界だったようだ。

「え? でもまだ少し残っています。勿体無いし、遠慮しないでどうぞ?」

「いや、いくら俺でもこれ以上はちょっと……」

 ノエルはそんなデュークの言葉は無視し、素知らぬ顔で彼の手から空になった皿を抜き取り、更によそって手に戻す。

ようやくやっつけた皿の中身が増えて帰って来たのを見て一段と陰鬱な表情になったデュークに、にこにこと牽制とも脅しともつかない笑みを返してから、セシルに向き直り言う。

「セシル様もどうですか?」

「…………無意味なのは嫌いだ。それにこれはデュークのために作ったものだし。私が食べてしまってはノエルに悪い」

 なるべく、隣に座り期待の篭った目を向けるデュークと目を合わせないようにしながら答える。

「あっ! こらセシリ……いや、セシル。自分だけずるいぞ少しは手伝ってくれ」

「……」

「セシル様、さっきはスンマセンでした。ちょっとでも手伝って頂ければこの先末代まで崇め奉りまくろうかと思う所存でゴザイマスです」

 ジト目で見下すセシルの袖に今にも縋り付かんばかりの勢いでデュークが言う。

「街に辿りつくまで最低三日は食料がないんだろう?」

 セシルはつん、とデュークからそっぽを向いてノエルに聞く。

「そです。ありません。それに目的地で長居する気はないですから。……『あちらさん』が歓迎してくれるというなら別ですけれど……今まで歓迎してくれた事はありませんし。

どこでも派閥って厄介なんですよねー……。でもヴァンパイアって特に別派閥に厳しすぎじゃないです? セシル様、今度こそ手がかりが掴めるといいですね、いつまでも親が判らないままでは何をするにも待遇が悪すぎますよ。

……あ、食料の話でしたね。

道はあるので迷う心配もないですから、大して保存食も持ってきてません。それにその保存食は――……どなたかが毎夜こっそり食べてしまったみたいでもう殆ど残っていませんねぇ」

「それでは、食べられるものがあるうちに食べておかなければな?」

 セシルはノエルの答えに頷き、にやりとデュークに笑いかけてから火の消えかかった焚き火の方へ移動する。

「うぅ……」

 ヴァンパイアの恨みは恐ろしい、完全に根に持たれたようだ。見捨てられたデュークは、さっきまでセシルが座っていた椅子にくずおれる。

「日保ちしないので残ったら棄てて行かないといけません……あぁ……勿体無い……」

 作りすぎた自分のことは棚に上げて、悲しそうに鍋を見るノエル。

「判ったよ、判りました。食えばいんだろ、食えば。

飯は粗末にしちゃイカンと爺様も言っていたしな……クソっ……これ食ったら寝てやる……」

 涙目になりながらもデュークは殊勝に残りをやっつけに掛る。

「…………まったく……やっぱり夜番は私がやるんじゃないか……」

 今や『わんこソバ』ならぬ『わんこシチュー』状態のデュークを、セシルはちょっと憐れみのこもった目で眺めて溜息をついた。

「あ、そうだ。セシル様、さっき出てた人魂――――……戴きましたから……ごちそうさまでした」

「…………」

 おやつもらいました、みたいな調子でノエルがお辞儀しながら言ってくる。セシルは完全に忘れていたが、そういえば人魂はいつの間にか消えていた。

「ノエル……お前またそーいうものを食って……これだから魔族ってのはどいつもこいつも……」

 そうは言いながらも、大して気にしていない様子で皿の中身をつつきながらデュークがぼやく。

「その言い方は心外だな。私はゲテモノ食いはしないぞ」

「ゲテモノじゃないですよー……」

「似たよーなモンだろが。人魂食ったり生き血吸ったり……大して変わらん」

「これだから人間って……すぐになんでもいっしょくたにしようとする。悪い癖ですよ、それ」

 ノエルが言い、皿が空になったのを見つけて多めによそう。もはや悲愴と言っていい顔で皿を見つめるデューク。

「……私だってなにも好きで吸ってる訳じゃない……出来れば穏便にやりたいんだ」

 言って立ちあがる。一人だけ食事にありついていないのがちょっと悔しい。

「散歩に行ってくる」

 なにやら口論し始めたノエルとデュークに背を向け外へ出る。暫く戻らないほうがよさそうだ。



 外へ出たはいいが――……さて、どうするか。セシルは顎に手を当て暫し黙考する。

 無理をすれ一番近い街まで戻れなくもないのだが。最近の人間は夜でも活動するものが多いし……それにあの街では出る前に少々イザコザを起こしてしまっている。

 デュークが言っていた人魂云々である。多分、まだ皆忘れてくれてはいないだろう。

唯でさえ近くの森林にヴァンパイアがいると噂されている街の中で、それとはまた別口でヴァンパイアが出たとなれば……その騒ぎは推して知るべし、である。

「はぁ……全く、出たの消えたのと害虫みたいに言われるのは心外だ。ちょっと人魂出しただけであそこまで騒がなくてもいいんじゃないか?」

思わず声に出して愚痴ってしまう。人魂なんて、人畜無害だ。無害どころか明かりになるからとても便利だ。

そう言ったら

『普通、人間は人魂とか出さないんだよ』

 デュークに呆れられた。


 人魂は無害だが、人間にはアレが無害かどうかは分からないのかもしれない。

魔族の中には無駄に好戦的な者もいる。魔力だって人間より多いから、いるだけで威圧的なこともあるだろう。逆に親切な者もいる。意味わからない者も嫌な奴もいるし。確かにそれを見分けることは簡単ではない。

でもそれは、人間にも言えることだろう。

「……あの時ソリュートに助けて貰わなかったら、どうなっていたことやら」

 記憶喪失になって街を彷徨っていた時のことを思い返して、思わず身震いする。

今、街の人間に見つかればあの時同様、問答無用で襲われるだろう。流石に単体ならば負けることなど有りえないが、束になってかかられるとつらい。……セシル……実はあんまり強くなかったりする。

『セシリア、争いを好まないお前の性格を考えればそれも仕方ない部分はある。でも撃退くらいはできないと、お前が危ない。今は本来の能力が殆ど使えないから、全力でいっても大丈夫だから』

 そう、全力でふっ飛ばしても大丈夫なのだ。ソリュートが言っていた事を思い出して、これまでの我ながらちょっと情けない戦績を軽く振り返り、苦笑する。

 あの時だって、無意識に手加減をしていたんだと今なら分かる。自分が誰なのかも、なぜ街の人間が自分に攻撃してくるのかも分からない中、集団に囲まれて出来たことは、とりあえず自分の身を守る防御魔術を張って耐えることだけだった。

『記憶がないって? 多分セシリアは元人間なんだろうな。純血のとはどこか違う感じがするよ。親はどうしたんだ、何故初期処置もしていないんだ? 何だ、育児放棄か? じゃあ何で転化なんて……』

 ソリュートは何やら色々言っていたが、当時の事をセシルはあんまり覚えていなかった。

『ニンゲンコワイ』。当時思っていたのはその一言に尽きる。

今でもちょっとトラウマになりかけている。あまり一人で人里へは行きたくなかった。

「私の親は誰なんだろうな。そもそも、どこにいるんだ、もういっそソリュートでいいのに」

 一度そんなようなことを彼に言ったことがある。が、そういうわけにもいかないそうで何だか微妙な顔をしながら出来ない理由を教えてくれもしたが。

やっぱりセシルには良く分からなかった。

役所がどうの、血統がうんたらと言っていたっけ。良く分からんが兎に角面倒なんだな。と感想を述べたら、一瞬固まった後、すぐに笑って髪を混ぜられた。


 わしわしと髪を混ぜてくる手の感触を思い出して、思わず頭に手をやる。

親もいない。手がかりは今もほとんどない。記憶が戻る気配もない。そしてソリュートも消えてしまった。

「ソリュートもどこへいったんだ……育児放棄か? いや、そんなはずは……」

空腹も相まって、良くないほうへ考えが行こうとする。


 軽く頭を振って気持ちを切り替える。今はとりあえず、どうにかして生気を吸収することに集中しよう。

とはいえ、相変わらずそれも思うようにできない。

最終手段は森の動物を捕まえて生気を吸収するか、生き血を戴くことになる。だが、出来ればそういうのは遠慮したかった。加減が難しく殺してしまうことが多かったし、もふもふは可愛い。そして、何より口に毛が入るのは嫌なものだった。


「そういえば、そろそろ同族の縄張りが近いとノエルが言っていたな」

 あまり森の奥へは行かないほうが良さそうだ。ノエルやデュークがいないときに遭遇するのだけは避けたかった。

となれば、やはり大人しく小屋周辺をふらつくしかない。……うっかりデュークの生気を取り込んでしまわない所まで空間を渡るため意識を集中し、セシルは目を閉じた。


「最初に深呼吸、それから落ち着いて気配を消して…」



 真夜中を少し回ったころ、空腹を抱えたままセシルは諦めて山小屋へ帰って来た。

やはり気配のコントロールが上手く行かず、大した収穫も無かった。身体は重く、頭も働かない。それに加えて今はもう左手から徐々に灰化してきた。

あと少しすれば全身が灰になる。光に当たりさえしなければどうにでもなるが、このままではまずい。


 霞む眼をこすり、室内を見回す。既にデュークは奥の部屋に引っ込んでいるらしく姿は見えなかった。ノエルは火の番をしていた。

「お帰りなさい、どうでした? ……その様子では駄目だったみたいですね……」

 肘まで灰化が進んだ左腕を抱えて現れたセシルをみて、ノエルが立ちあがる。

 セシルはノエルの言葉に頷き、板の間の壁にもたれて座り込む。

「……再構成する、あぁ……その前に少し休まないと駄目か……ノエル、すまないが夜番は任せた……」

「あ……そこだと朝日がかかってしまいます」

 東向きについている窓を見ながらノエルが言う。

「大丈夫だ……日の出前には再構成するくらいの力は戻るよ」

「そんなに弱っていたんですか? それならそうと言ってくださらないと……意識体はあちらに戻した方が早そうですね。明け方前には道を開きますから」

「……いいよ。あそこに行くのは色々と面倒だ……」

 一度だけソリュートに無理矢理連れて行かれたことがある。どこかの貴族屋敷から門を通ったが、入る時に何か書かされていた。

魔界でも気付けば見知らぬ屋敷の一室で待たされただけで、酷く退屈だった。そのくせまた戻るときにもソリュートは何枚も書類を書かされた。

あまりに暇すぎて寝ていたら

『自力で道を開いて自由に出入りできれば良かったんだけどな。まだ俺はそこまでじゃなくてね』

 と言っていたのを思い出して、思わず顔をしかめた。


「あー……あのお役所仕事を気にされてるんですかね。今日は無しで行きますから、ご安心を」

言ってノエルは複雑な印を結び、呪文を唱えながら自分の血で宙に魔法陣を描く。陣を中心にして空間に黒い裂け目が生じ、魔界への道が開いた。

「……」

 今この人、自力で門を開けた。

「見つかり難い所に繋げましたから、そこにこっそりいれば大丈夫ですよ」

 軽く言ってセシルを促す。

「ほらほら、長時間開けていると誰かに気付かれてしまうかも」

「…………」

 どうあっても閉じてくれそうにない。仕方なくセシルは身体から離脱する。途端に身体は灰になって崩れ落ちた。

「それでは、また後で会いましょう。ちゃんと休憩しててくださいね」

 魔界への門を通るセシルの視界の端で、ノエルがひらひらと手を振っているのが見えた。買い出しをしてくるからお留守番お願いします、とでも言いそうな軽い調子である。

「出来るだけ早く頼むよ……」

 対して一人では戻る術すらないセシルは、朧げに霞む『意識体』を引きずり、祈るように呟いた。

 ノエルは、にこりと微笑して頷き、門を閉じた。


 濃厚な魔素の気配にセシルは重い瞼を開ける。

どうにも異質な感じがして、やはりあまり好きになれない。

 取り敢えず辺りを見回してみたものの、ノエルの言葉通り近くには何の気配もない。

「どこだここは」

 見たところ何処かの貴族屋敷にある誰かの私室のようだが、あまり使われた感じはしない。ソリュートに連れていかれた屋敷とは違う。そこにあったものよりもっと上質で、高級そうな調度品ばかりだった。

部屋の端にベッドを見つけて、無意識にふらふらと吸い寄せられて潜り込む。

 魔界ではいつ寝ても、さっきあったような妙な干渉が起こる心配はない。セシルはあっと言う間に眠りに落ちた。


「うわっ?!」

 数刻後、爆睡していたセシルはいきなり身体が落下するような感覚に目を覚まし――ノエルによって魔界の快適な寝床から山小屋に引きずり戻された。実体(肉体)がないから床に叩きつけられることはないが――なんとも乱暴である。

「――なっ……いきなり何てことを……」

 気持ち良く寝ていた所をたたき起こされ抗議する。

「……いきなりじゃないです。何度も起こしたんですよ? ……それなのにセシル様ったら一向に起きる気配がないので。仕方なく強制転送したんです」

 憮然とした表情でノエルが答える。

「え? ……起こしたのか?」

 全く気付いていなかった。一度寝るといつまでも起きない癖がまた出ていたらしい。

「早く戻せって言ったのは誰でしたっけ? ……デューク様はもう起きてますよ」

 言って空の寝袋を指差す。どうやら戻された場所は窓のない南の部屋らしい。

それはそうとセシルが嫌がるのを承知でさりげなくデュークを引き合いに出すところを見ると、ノエル、ちょっとご機嫌斜めなようだ。かなり頑張ってセシルを起こそうとしたらしい。

「……………………」

「……………………」

「――……悪かったよ……」

 聞かなかったことにしようとしたものの、結局ノエルの無言の圧力に負けて小さく謝ってからセシルは灰と化した体を再構成すべく、今は灰の山となっているであろう己の身体うつわの元へと向かった。窓を覗くと、まだ夜明け前。朝日が出るまでにはあと数時間はあるだろう。再構成するには十分な時間だ。

 デュークはテーブルにつき、どこから見つけてきたのか古新聞を眺めつつパンをかじっていた。

(……昨夜あんなに苦労して食べていたのに……)

 信じられない、あれだけの量をもう消化してしまったというのか。

(いや、今はそんなことはどうでもいい。さっさと身体の再構成をしなければ)

 デュークに注いでいた、珍獣でも見るような視線を無理矢理逸らす。昨夜座り込んだ場所には――……灰の残りカスが、少々。ほんの一握り。人一人分の灰にしては少なすぎる。

 嫌な予感がしてセシルはデュークを振り返る。彼はセシルに気付いていないようだった。

「デューク……ここにあった灰を知らないか?」

 最悪の事を考えながら言った為か、心なし声が震えている。

「ん? あーおはよう…セシリア? ……どうしたんだ半透明じゃないか。……ちっ……服だけ透けりゃ男か女かわかったのに」

「……」

 この男は……それどころではないというのに。思わずジト目になるセシル。だがここでまたふっ飛ばすわけにはいかない。暴れたい衝動をぐっと堪え、ちょっとだけ残っている灰を指差し再度尋ねる。

「ここにあった灰の山はどうした?」

「あーそれ? そんなモン昨日あったっけ? ……いやぁ……蹴躓いてぶちまけちまったからさ、ちょうど落としたパン屑と一緒に掃いて棄てたぞ」

「……は……?」

 今、この馬鹿は何と言った?

 デュークの寝袋を小さくたたんで、ちょうど部屋から出てきたノエルも問題発言を聞きつけて歩みが止まる。

「……え?……今……何て言いましたか……デューク様……」

「……いや、だからさ。掃いて棄てた、と。…………ええとー……な、なんかヤバかったのか?」

「……ほう? ……棄てた……と。そう……言ったか? ……貴様……」

 正面からはセシル――その視線だけで獲物を発狂させることも可能なヴァンパイア――の殺気に満ち溢れた冷たい視線を。背後からは、いつも通りの温厚そうな微笑を湛えたまま顔色一つ変えずに広範囲の生物の命を一瞬にして奪える死神の、今は多少憐れみを含んだ、けれどやっぱり冷たい視線を集中して浴びて。

 流石のデュークも自分が何をしたか悟ったようで。

「ま……まさか、とは思うが――……あの灰って……もしかして……?」

 灰とセシルを交互に指差し言う。引きつる頬を一筋の冷や汗が流れた。

「……」

「……」

 同時に、無言のままヴァンパイアと死神が頷く。

 掃いて棄てたということは。大事な灰とパン屑+埃がいっしょくたにされたということだ。

灰とその他の異物が混ざったとしても再構成時には余計なものは全て省かれるので問題はないのだが。

……心情的にはかなり嫌である。ごみと一緒にされているのだ。自分の、大事な『うつわ』が。

 我慢の限界に達したセシルが無言のまま腕を上げる。いつもの、デュークをふっ飛ばす衝撃波の構えだ。

「――……ッ!!! ……だだだ大丈夫だっ! そのゴミ箱に棄てただけだからっ?!」

 デュークがあわあわと腕を振りながら部屋の隅に置いてあるゴミ箱を指差し言う。

 構えは同じでも、いつもと全然違う魔族本来の気配と殺気を漂わせ、完全に据わった目で無表情に狙いを定めるセシル。

「…………」

 紅い瞳が輝きを帯び、手のひらに見えない力が収束していく。

「ちょっと待てって!! まだ何とかなるかもしれないだろ?!」

 セシルがどこまでも本気なのを感じて、デュークは慌ててノエルの背後に回り込んで説得を試みる。

「……あの……私を盾にして言ってもあんまり説得力ないと思うんですがー……」

 とは言えこのままセシルに魔術を発動されても色々と後始末が面倒だ。『仕方がないですねぇ』と呟きノエルは説得を引き継ぐ。

「セシル様、お気持ちはよぉ~~~く判りますけれど……冷静になってください。

今そんな大技を使っては器の灰も消し飛んでしまいます。デューク様を吹き飛ばすのは身体を再構成させてからでも遅くありません、どうか早まらないでください」

「……あ、さりげに今俺のこと売ったな……お前……」

 デュークのツッコミは無視してノエルは続ける。

「いいですか、ゆっくり腕を下ろしましょう……深呼吸をしてください」

 ノエルの言葉に少し落ちついてセシルは腕を下げた。けれど怒りが収まったわけではない。

「……うぅ……この……この……この虚け者がぁ――……!!」



「――この虚け者がぁ――……!!」

 ガンっ!

 叫びつつ勢い良く起きあがったセシルは、半開きだった木製の棺の蓋……の角、に思いっきり頭をぶつけた。蓋は弾みで石の床へ落ち、派手な音を周囲の闇へ冷たく反響させた。

「…………~~~~~~ッ!!」

 たまらず打った頭を抱えてうずくまる。

「……痛~~~~……大馬鹿者めが……絶対に許さん……泣いて土下座して謝ったって許すものかっ!!」

 目に涙を浮かべながらも堅く決心する。

「……うわ……今のは痛そうだ……大丈夫かセシリア?」

 脇から、呆れと苦笑の混じった穏やかな声が訊ねてくる。

「――ッ!?」

 突然の呼び掛けに驚いて、慌てて声のした方を振り向くと、人がいた。

石造りの冷たい床にあぐらをかいて、セシルが中で座っている棺の縁の上で腕を組み、顎を乗せてこちらを眺めている。

「ようやくお目覚めかい? 一体いつまで寝ているんだ……今夜は起きないつもりなのかと心配になったぞ」

 大して心配したようには思えない調子で言い、濃い青紫の髪の奥から紅い瞳を細める。

「…………ソリュート……?」

「そう、俺だよ。目は覚めたか?」

「あんまり寝ていると夜が明けてしまう。俺が起こすまで起きないことにしてるのか? まったくお前は……毎度毎度寝すぎだぞ」

 そういうとソリュートは人差し指を立てて滔々と説教を始めた。……適当に聞き流してセシルは改めてまわりを見回す。

ソリュートが室内の壁に沿って等間隔で設置した青白い鬼火が照らし出すのは、窓のない石造りの部屋。それほど湿気てはいないが、なんとなくカビくさく陰気な気配が充満している。生き物の気配は全くない。部屋の左右に通路がそれぞれあり、先は闇の中に消えている。

 段々頭がハッキリしてきた。ここはとある辺境の森にあった地下墓地の一室。ソリュートと一緒にセシルの親探しの旅をしている途中、寝場所にちょうどいいからと空き室を勝手に拝借していたのだった。

「……夢、だったのか……?」

 そうだとしたら、あまりにも妙に現実感があった。

「あぁ、なんだか夢を見ていたみたいだったね。邪魔しちゃ悪いから起こすの止めたんだ」

 セシルの呟きに、ソリュートは説教をやめ苦笑交じりにそう答えた。

 ……では、夢の中でのややこしいやり取りは、やはりソリュートが起こそうとしていたのか。さっきまでとは別の意味で頭痛がしてきてセシルは顔をしかめる。

「……さっさと起こせば良かったのに」

 腹の立つ最後まで思い出して言葉に苛立ちが混じる。

「まぁそう言うなよ。俺達の夢は貴重なんだ。ヴァンパイアは夢を見ない。いや、見ないわけじゃないけどな、少なくとも人間のそれとは違う。

大抵は自分の過去を見る。決して脚色されない、あった事実をもう一度見せられるだけだ。……良い事っていうのはあんまりないから、大方悪夢になる。

ごくたまに未来も観るが……これは予知夢みたいなものだから性質は少し違うかな。

だけど夜に夢を見るのは良くない。もし過去か未来で夜に夢を見ていた場合、干渉し合って夢に捕まる恐れがある。昼ならばそんなことはないんだが……」

「…………そういうことなら……どうして尚更起こしてくれなかったんだ……」

 思いっきり自分は夢を現実だと思っていたのだ。セシルはぶつぶつと文句を言いつつソリュートを恨みがましい目で睨む。

「あぁ……いやさ、なんだか楽しそうな夢だったし。そういうのって珍しいし、そんなに危なそうに思えなかったしな。悪い奴等じゃなさそうだったから……邪魔しちゃ悪いと思って……ははははは……」

 頭に手をやり、ソリュートは明るく笑う。セシルの視線など全く気にしていない。

 人を脅かしておいて、楽しそうだったから放っておいたとはどういうことか。額に手を当て反芻してみてもセシルには楽しいとは思えない。

「……アレのどこか楽しそう……ん? ……悪い奴等じゃなさそうだったって……? 観たのか?」

 はた、と思い至りグリグリと額を揉んでいた手を止め聞き返す。

「あぁ。起こそうとしたときにちょっと、ね。その所為でどうやら妙なことになってしまったらしいが……今は大丈夫そうだな」

「あのまま起こしてくれて良かったんだ」

 そうすれば不愉快な最後を見なくて済んだのに。セシルは憮然とした顔でソリュートを見る。何故か彼はちょっと嬉しそうな顔をしていた。

「いやぁ、なかなか楽しそうで……先見かな……安心したよ」

 あまり悪い未来じゃないみたいだ、と言葉の最後は真剣な顔になって言う。

 先見。未来を見たということ。……あの場にソリュートはいなかった。急に不安になってセシルは思わず声を上げた。

「……ソリュート、あれは――……」

「ま、あんまり気にしないことだ。先見といっても完全じゃない。先のことは判らない。決まってない、仮定でしかない」

 言いかけたセシルの言葉を遮り言う。ソリュートにしては珍しい。

「だから、心配するな」

 安心させるように微笑してそういうと、セシルの頭を軽く叩いた。そのままくしゃくしゃと銀髪をまぜられる。

「……」

 この話はこれでおしまい、ということか。いまいち納得できないまま、それでもセシルはそれ以上言い募ることはせず引っ込む。

ソリュートは立ち上がって伸びを一つ。それに合わせ背に流れる青紫の束もまた、まるで猫のしっぽよろしく彼自身の動きとは別に、自らくねりと伸びをした。 

「さて、今日はもう晩くなってしまったな。遠出はしないほうがよさそうだし、特訓の続きだな」

「特訓……」

 撫で繰り回されて乱れた髪を整えていたセシルは、そう言われて手止める。色々とメニューを思い出してまたもや頭痛がしてきた。暗記ものはまだいい、記憶するのは得意なのだ。だが、身体で覚えないといけないこととなると、もう全然だめだった。出来れば頭を使う方を選んで欲しいところである。

 そんなセシルの思惑などお構いなしに、ソリュートは何やら思案顔でうろうろしている。

彼が特訓内容を決めるまではすることがない。とりあえずセシルは寝ていた棺から出てきて蓋を閉め、その上に座って待つことにした。


 暫くして、彼は歩みを止めてポンと手を打ち、独り言ちた。

「あー……腹減ったな……。そうだ、今日は狩りにしよう」

 それからセシルの方へクルリと振り返り、不敵に笑って言葉を続ける。

「気配の殺し方の特訓に決定。お前は機嫌によって気配が左右するからな……ついでに空間転移もやってみようか」

(……今、もしかしてお腹が減ったからとかいう理由で決めなかったか?)

 あと少し言われるのが遅かったら二度寝しようかな、などと考えていたセシルだが、ソリュートの言葉に思わず心の中でツッコミを入れる。

決めるまでそれなりの時間が経っていたが、一体何を考えていたのだろう。ソリュートの考えることがたまに判らない。五百年くらいヴァンパイアをやっていると色々と人間離れしてくるのだろうか。転化者は大抵元の種族の性質を色濃く残すものなのだが。

「……なんだセシリア……その目は……」

 ジト目でこちらを見つめているセシルの視線に気付き、たじろぐソリュート。

「いぃえ、なんでも。気配の消し方……か。今日は、大丈夫だ……そんな気がする」

『驚くなよ』とソリュートに笑いかける。セシルは立ちあがり、言葉を続ける。

「早くしないと朝になってしまうのだろう? さっさと行くぞ。私の実力を見せてやる」

 実技と聞けばいつもならものすっごく嫌そうな顔をする所を珍しく上機嫌にそう言い、ソリュートの背を押し外へと促す。多分、上手くいく。気分が良いし、それに――……

「……? 変な奴だな」



 陰気な墓所から地上へ出ると、南から来た一陣の湿った風が銀髪をさらりと撫でていく。

 やはり外の新鮮な空気のほうが好きだ。深呼吸を一つして森の薫りを堪能してからセシルはあたりを見回す。

 地上の墓地を囲むように植えられている楓が風にざわつく。

「この分だと、朝には嵐が来るな」

 ソリュートが南の方に目をやり言った。

 釣られて見上げると、南風に乗って雲が近付いて来てはいるものの、頭上には星空が広がる。

 夜も深更に差し掛かり、西に傾き掛けた銀色の満月が煌々と静かに輝いていた。

 いつか見るあの夜空のように。

 唯……あの時と違うものがあるとすれば……それは――――……


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