ベネチアの夕日
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第69話 (伸子の長旅 4)より
夢のカード
伸子がいつも見る夢は、大統領がトランプを切り出すところから始まる。
いつもあの夢は、ここから始まる。
いつもは、大統領は一人だが、昨夜の夢は二人だった。
体格の似た二人が目の前でトランプを切っている。
どうやら、同時にカードをめくる約束のようだ。
しかし、どちらも相手の札を見てから出したいらしい。
いつも一人でカードを切る国の大統領。
ふざけているようで、それがまた不気味だ。
だが、隣に座るもう一人の男――神妙な顔つきで一点を見つめ、静かにカードを切るその姿は、それ以上に恐ろしい。
0 ジグソーパズル
ようやく富士山のジグソーパズルは完成した。
ただ一つも、誰もが実りを感じることなく、スパムの缶も開けることはなかった。
かばんに詰めて次の町に移って、三日が経とうとしていた。
部屋に、2か月、ラジオのみが流れる日だった。
その空間にテレビがあることで、一瞬、日本に戻ってきた感覚を覚えた。
1 カナリアの残響
カラオケは、「虹の輪」の仲間たちの絆を、そっとつないでいた。
「国際貢献」なんて言葉の意味さえ、もうわからなくなってしまった。
…カナリアの残響
汽車は、豊富な水資源を求めて走った。
水を熱にして、空へと還す。それは夢だった。
つながりたいという思いが、水を蒸気に変え、汽車を動かしたのだ。
夢の原石は石炭だった。
連れていくカナリアに命を託し、地中深く、海の底までもぐって掘った。
そして、その汽車の通る場所に町が生まれていった。
やがて汽車は電車に変わり、人々は町へ、都市へと移り住んだ。
村は静かに消えていった。
採掘の町は、わずか三十年で繁栄と衰退を繰り返す。
若い人たちは町を離れた。
人は、誰かと比べたときに、不幸を感じてしまうのかもしれない。
ぼくらは、みんな臆病なのだ。
「正しさ」を誰かに決めてほしい──
本当は、そんなふうに願っているのかもしれない。
論点は、ずれたり、ぶつかったりする。
「その国のリーダーと、よく話しなさい」と言われるけれど、
そのリーダーが何を考えているのかさえ、見えないこともある。
本物のリーダーなのか、革命家なのか、
はたまた、過去の屈辱を晴らしたいだけの支配者なのか。
答えはいつも、あとになってようやくわかる。
正義は、人を強くし、また人を傷つける。
この負のループを断ち切るのも、きっと正義しかない──
そう思いながら、涙をぬぐう。
船は、悲しみの海を静かにこいでいく。
その海を、「カラオケ」という名の波が、やさしく癒していた。
ギターの音が虹の輪の仲間を包む。
ひとりひとりの声が静かに重なっていく。
壊れたジグソーパズルのピースが、音の中でまたひとつ、つながっていった。
2 ベネチアの朝
空はまだ灰色だった。
サン・マルコ広場のあたりでは、鳩たちがぱらぱらと降りてきている。
ベネチアの朝がはじまっていた。
伸子はベネチアの石畳を足早に歩く。
まだ眠る街角、すれ違う人もいない。
こんなときは、スマホのありがたさを痛感する。
地図アプリが、電池のありそうな店を静かに教えてくれる。
そして青い線でその位置を示してくれる。
ようやく見つけた店で電池を手に入れるだけで、奇跡のように思えた。
ダビデは虹の輪の本流から外れ、元の場所へと帰った。
しかし、彼のバトンを受け取った者は多かった。
垣根のない存在が増えることで、距離の壁を越える“中継地”が生まれ、
国境を越えてラジオの周波数も届くようになった。
ギターは何も言わずに電池をセットし、静かにチューニングを合わせる。
このラジオは、虹の輪がベネチアに入る前に滞在した、
小さな寒村の古い民家に置かれていたもの。
木製の本体には「Schaub Lorenz」の文字。
中身は改造されているが、音は驚くほどよかった。
ジェリーが冗談交じりに「日本製のラジオ付き懐中電灯と交換できないかな」と尋ねると、
年老いた持ち主はあっさりうなずいた。
それ以来、虹の輪の面々は毎晩ラジオを囲み、周波数を合わせるのが習慣になった。
ベネチアに着いた夜、コードが合わず音が出ないと不安になった。
スマホで聴けばいいのに、伸子はどうしても、あの木製ラジオで聴きたかった。
トレーナーは相変わらず自室でマイクラに没頭しているが、
決まった時間になるとラジオのある部屋に現れ、ジェリーと地元のお菓子を食べる。
ギターが慎重にダイヤルを回す。
「ガーガー」というノイズのあとに、ピタリと音が合う瞬間がくる──日本のアナウンサーの声。
「またあした」、そして覚えたメロディーのあとに、「こんにちは」。
ダビデの声だった。
「間に合いましたね」とキティが小さな腕時計を見ながら微笑む。
キティが虹の輪に加わったのも、一台のラジオがきっかけだった。
ラジオの音は不思議だ。
目に見えないのに、確かに届く。
どこにいても、どんな言語を話さなくても、知っている声が自分の場所を見つけてやってくる。
昨夜は、今日の講堂でのプレゼンを考えて眠れなかった。
この一年半、水道インフラと向き合って感じたのは、
「当たり前」は決して当たり前ではないということ。
日本のように家庭の蛇口から安全な水が出る暮らしは、世界では例外だ。
世界では、約4割の人々が家庭で安全な水を使えない。
毎日、井戸や川へ水を汲みに行く(特に女性や子ども)
タンクローリーで水を購入する
雨水を溜めて飲む
配管があっても水質が悪く煮沸が必要
給水時間が限られている(1〜2時間だけなど)
この情報は手元のスマホで今や誰でも見られる。
だからこそ、「教壇の上で話すこと」が傲慢なのではないか──という自問も巡った。
しかし、一年半かけて見てきたことは、
数字には表れない憤りや祈るような思いにも満ちていた。
それでも、きっと「語る勇気」を求めていたのだ。
いつものように、皆がラジオを囲む。
ギターが慎重にダイヤルを回し、ノイズがふっと静かになる。
ダビデの声が流れる。
「……最後に、今日の僕の音色。
こんにちは。今日は僕の仲間の伸子が、ベネチアの大学講堂で話します。
彼女は緊張していると思います。でも、その“揺らぎ”を言葉にすることがすごいと思います。
あなたが使った時間で語ろうとしていることで、きっと何かがはじまっていくと思います。」
背後から、明日香の声が聞こえた──
『がんばって……伸子。』
伸子は、朝に一度通ったサン・マルコ広場をもう一度通り、講堂へ向かう。
光の向きも、人の流れも、すでに変わっていた。
石畳を踏む足取りは、もはや旅人ではなく、
長い歴史を積み重ねた広場に静かに溶け込む者のようだった。
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、どこかで感じていただけたなら幸いです。
こちらは台所で世界をかえる 第69話 として収録したものです。
◇◇◇
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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第69話 カナリアの残響とベネチアの朝(伸子の長旅 4)として収録
―― 朧月 澪




