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ヌジー

 ヒカルは少女を強く抱きかかえながら、息を殺した。眼前に現れた化け物を見て、体の内側から恐怖が込み上げてくる。

 そこには、鹿の骨に似た仮面をつけた巨大な化け物が、六本の巨大な足を器用に使って森を闊歩していたからだ。時折前足で倒木を退かしたり、葉っぱを捲ったりしている。少女のことを探しているのだろう。霧のように輪郭の掴めない巨大な尻尾がうねり、その度に強風が巻き起こった。辺りは次第に黒い霧に包まれ、絶体絶命の言葉が脳裏を過る。

「あんまよ……」

 ヒカルの隣で、同じように隠れていたウメが小さくつぶやく。流石の祖母も、この異形を前にしては大人しくなるらしい。

 巨大な化け物は、しばらく周囲を探し回っていた。あともう少しこちら側に近づけば、きっとバレてしまうだろう。だが、一歩でも動こうものなら音でバレてしまうかもしれない。ヒカルは少女の口を塞いだまま、自分も息を殺して目を閉じた。

 ズシン、ズドン。時折化け物の歩く音が聞こえる。フシュゥゥゥ……。鼻息が迫る。ゆっくりと目を開けると、化け物の顔がすぐ目の前にあった。

「クンクン……、コレハ……、カブトムシノ匂イ……カ」

 フシュゥゥゥ。また深く息をする。恐怖に震える少女を強く強く抱きしめながら、ヒカルは神に祈った。お願いします、助けてくださいと。ウメも今回ばかりはじっと身を固め、両手に抱えたカブトムシの肉に顔をうずめて息を止めていた。

「消エタ……カ」

 化け物はそう呟くと、再び深く息をした。

 フシュゥゥゥ……。その音と共に、化け物は姿を消す。まるで霧に溶け込んでしまったかのようだった。

 いつの間にか、霧は晴れていた。静寂が辺りを包み込む。だが、ヒカルは一歩も動けずにいた。今自分が異世界にやって来たことを、再認識していた。あんな巨大な化け物、沖縄はおろか、地球上にだって存在しない。

「んー!」

 その声で、ヒカルはハッと気づいた。さっきからずっと、少女の口を塞いだままだった。慌てて手を離すと、顔を真っ青にした彼女が肩で息を吸う。

「ゼーハーゼーハー……。ちょっと、殺すつもり?」

「いや、ごめん」

「呼吸できなくて死ぬかと思ったじゃない!」

「いや、俺は君を助けようと……」

 ヒカルは言いかけた言葉を飲み込んで、頭を下げた。

「ごめん、苦しかったよね」

 まっすぐ謝罪する意思を見せた青年に、少女は言い返す言葉が思いつかず口籠った。それからしばらく言葉を選び、口を開く。

「私の方こそ、ごめんなさい。助けてくれてありがとう」

「いや、どういたしまして……」

 二人の間に、妙な間が生まれる。つい先ほどまで、彼の腕に抱かれて守られていたのか、そう思った少女は、頬を赤らめてそっぽを向いた。

「と、ところでさ」

 空気を変えようとして、ヒカルは口を開く。

「さっきの化け物、何だったの?」

 彼女はヒカルの方を見ずに、小さな声で答えた。

「あれは……、多分だけど、ヌジー」

「ヌジー?」

 少女は頷く。

「私も詳しくは知らないの。名前はヌジー。元々この森には居なかったはずなんだけど、数年前から突然現れたの。そして、毎晩満月の日に人を襲う。そんな魔物」

「魔物?」

「そう。魔物。そうか、あなた記憶をほとんどワスレナグサに食べられたんだっけ」

 彼女はどうして森に入ったのか思い出して、ヒカルの顔を見つめた。

「詳しいことは私の家で話すわ。どうせあなた、帰る場所無いんでしょ?」

 ヒカルは彼女の言葉に頷いた。

「やっぱりね。ところで、そこに居るお婆さんは誰なの?」

「そうだ、自己紹介がまだだった。俺の名前は新城ヒカル。そしてこっちは俺の祖母、新城ウメ」

「アラシロ・ヒカル? 変わった名前ね。私の名前はティダ」

「ティダ、か。よろしく、ティダ。苗字は?」

「ミョウジ? なにそれ」

 どうやら、彼女たちには姓という概念が存在しないらしい。

「いや、何でもない、気にしないで。俺のことはヒカルって呼んでくれたらいいから」

「分かったわ。よろしくヒカル。それとウメさんも」

 ティダはそう言うと、優しく微笑んだ。それから周囲を見渡し、ハッと慌てた表情を見せる。

「まずい、そろそろ夜になっちゃう。早く帰りましょう」

「夜になると、何かまずいの?」

「夜は魔の時間。魔物や魔族の時間なの。あなた、本当に何もかも忘れちゃったのね。まぁいいわ。ついてきて」

 彼女はそう言うと、暗く成りゆく森の奥に目を凝らした。目を皿のようにして、必死に屈んで目印を探す。数分ほど経ってから、「あった!」と嬉しそうな声を出した。

「目印見つけたわ。これで帰れる。早く着いてきて」

「あぁ、うん。おばぁ、もうヌジーっていう化け物居ないから、隠れなくていいよ。行こう?」

 ヒカルがそう呼びかけるも、祖母はピクリとも動かない。

「おばぁ?」

 そっと揺すってみるが、やはり起きない。ヒカルの表情から余裕の色が消え始めた。不安が過る。もしかして、先ほどの化け物に殺されてしまったのだろうか。

「おばぁ!」

 カブトムシの肉塊を退かすと、そこには安らかな笑みを浮かべて夢を見る祖母の姿があった。

「むにゃむにゃ……、まやーぐわぁ(猫)は、まーさんどぉ(美味しいよぉ)」

「寝てただけかい! ってか夢の中で変な物食うな!」

 ヒカルのツッコミが、森の中に響き渡った。

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