巨大なカブトムシ
ジリジリジリジリジ――。アブラゼミの声がする。灼熱が地表を焦がし、真っ白な砂利道が蜃気楼を生み出していた。サトウキビ畑は無いものの、周囲に生える月桃や、無数の松林、そして見覚えのある大木ガジュマルを前にして、新城ヒカルは目を丸くした。
それもそうだ、彼はたった今異世界に転生したはずなのだ。にもかかわらず、気が付けば辺り一面亜熱帯気候に覆われていた。無数の木々の隙間から、太陽光を反射させるツワブキに似た植物が顔を出している。大地はマグマのような赤土に覆われていて、湿度の高い風が頬を撫でる。人々が交通のために整備しているのであろう綺麗な砂利道には、ムラサキカタバミに似た小さな花が咲いていた。沖縄のどこかへ迷い込んだと言っても、まったく疑わないだろう。
「俺たち、確かに異世界に来たんだよな……?」
周囲を見渡すヒカルの肩を、トンっと誰かが叩いた。
「おばぁ? どうしたの?」
振り返ると、そこには巨大なカブトムシが立っていた。
「えぇ!? な、何このカブトムシ!」
巨大にもほどがある。角の位置がちょうどヒカルの肩辺りにあるのだ。真っ黒の複眼と目が合う。無機質で無表情なカブトムシの瞳に、驚愕の表情を浮かべたヒカルが反射していた。
「上よ、上ぇ」
「う、上?」
震えながら、ヒカルは祖母の声を頼りに顔をあげる。そこには、カブトムシの背中に捕まる新城ウメの姿があった。
「ぎゃぁぁぁぁ! おばぁ何やってるば!」
「私のペットさぁ」
「嘘つけ! うちのペットは犬だろが! こんなでっかいカブトムシ買ってねぇよ!」
「ほんとよぉ、ねぇイカロス」
「もう名前つけてるし」
イカロスと呼ばれたカブトムシは嬉しそうに鼻息を荒げた。
「ブルルルルルロォォ」
「なんか馬みたいな鳴き声なんですけど」
「私が子供の頃は、これで通学してたよぉ」
「嘘つくなよ! そんなでっかいカブトムシ、沖縄にはいねぇよ!」
「いるさぁ、マギー(大きい)カブトムシよ。うり、山原に手ぇ長いのもいるさ」
「ヤンバルテナガコガネはカブトムシでもねぇよ。コガネムシの仲間だわ」
「だわけね。でもあれよ、このカブトムシはでーじ(とっても)まーさんど(美味しいよ)」
「嫌だよ食べたくないよ! ってかペットじゃねえのかよ!」
「ポチも食べたらいいさ」
「食べねぇよ、倫理観どこに置いてきたんだよ」
「リンカーン? アメリカァねぇ?」
「倫理観だよ、リンカーンじゃねぇよ。今奴隷解放宣言関係ないよ!」
「うちなーんちゅはアメリカァの奴隷さぁ、早く解放してもらわんとね」
「今そんな話してねぇよ、うちなージョーク結構重いからやめてよ!」
「ちなみに近所のトメさん、あの人は家が海の中にあるから、ウミガメの背中に乗って通学してたってよ」
「どうやって普段呼吸してるんだよ」
「あい、本当だね。どうやって呼吸してたんだろ」
「今までその嘘信じてたのかよ」
「だからよぉ、私信じ切ってたよ。あいえな、トメさんゆくさーひゃー(嘘つきじゃん)」
「おばぁも同じよ!」
ヒカルのツッコミを受けたカブトムシが、驚いた様子で一歩後ろに下がった。
「あ、ごめんイカロス、脅かすつもりじゃ」
「ヒカルも、ちゃんとこの子の名前覚えて偉いねぇ」
「しまった、おばぁのせいで変な状況なのに順応してしまった。ってかお前はどっから出てきたんだよこのデカブツカブトムシ!」
ヒカルがそう叫んだ瞬間だった。カブトムシは突然羽を広げて、バサッバサッと大きな音を立てて羽ばたき始めたのだ。
「え?」
「あいえなぁ」
そのまま、カブトムシは空を飛ぶ。ヒカルから逃げるようにして、爆風を巻き起こしながら空を飛ぶ。
「って、おばぁぁぁぁ!」
祖母を背中に乗せたまま。
「あれまぁ、学校行ってこようねぇ」
「本当にそれで通学してたの!?」
「なわけないさぁ、ヒカルは相変わらずふりむん(馬鹿)だねぇ」
「ふらー(馬鹿)! 今どっちかってとおばぁの方がふりむんど!」
ヒカルが慌てカブトムシを捕まえようとするも、上手くはいかなかった。大きな翼で空へ舞い、巨大な甲虫はどこか遠くへと飛び去って行く。
「待って! おばぁ待って!」
必死に祖母の姿を追いかけるも、みるみるうちに距離は離れていくばかり。追いつけそうにはない。カブトムシは、まっすぐジャングルの中へと飛んで行ってしまった。
「……どうしよう」
今の一件で、ヒカルは一つ確信したことがある。
「ここは間違いなく、異世界だ……」




