うんこマン
ティダに案内されるまま、ヒカルが最初に到着したのは村の中央に位置する古井戸だった。石積みで作られた大きな筒状の井戸には、数名の女性が列をなしている。井戸には日除けのためか、木製の屋根が建造されており、屋根の下には滑車とロープがあった。どうやら、そのロープを引くことで井戸の底に落としたバケツを引き上げ、水を汲み出す仕組みらしい。
「ここでいつも水を汲むのが女性の仕事なの。他にも、雨水を溜めたりとか、村の外の川まで水汲みに行くこともあるんだけどね。大体はここの井戸で生活に必要な水は補充するかな」
「すげぇ、大変でしょう」
「大変、なのかな? 雨はいつ降るか分からないし、川は遠くて足場も不安定だし。井戸は安全だと思うけど?」
ヒカルはハッとした。水道という概念が存在しないのだ。彼女たちにとっては、この井戸が最新設備であり、最も効率的に安全な飲み水を確保する手段というわけだ。
「そっか、確かにそうかもね」
「うん、この井戸はね、昔ナ・ミリウ国の兵士が掘ってくれたものなんだって」
ティダの話によると、かつてナ・ミリウ国からこの地に移り住んだティンダル村の住民たちは、水不足に苦しんでいたという。村人に課された使命は、鉱山で働く多くの労働者が食っていくのに必要な農作物の生産。しかし、広大な畑を維持するためには安定的な水が必要だった。そのため、畑の多くは川辺の近くで耕作し、すぐに水が汲めるよう工夫はされていたという。水路を作って水田を作った人も居たし、溜池を用意して雨水を蓄える工夫もなされていた。しかし、年々広くなっていく畑に対して、川の数は変わらない。ましてや、川の周辺は全て畑や水田にしてしまったため、人が住む空間がどんどん無くなってしまった。
結果的に、ティンダル村の住民たちは、必要な木材を刈り取った後の、余った土地に集まって暮らすようになったのだとか。そんな住民の生活を心配したのが、言い出しっぺのナ・ミリウ国であった。かの国は、大勢の兵士を派遣し、他国から貿易で得た知識を元に、井戸の建設を始めた。
「ここの他にもあと三か所、井戸はあるんだよ」
広大なティンダル村、その面積のおおよそ九割は田畑で構成されている。これまでバラバラに分かれて生活していた人々も、ナ・ミリウ国の作ってくれた井戸のお陰で一変した。安定的に水分が入手できるということで、井戸を中心に多くの家が立ち並び、彼らが住む地域は一か所にまとまったのだ。
それは、もう一つ大きな利点をもたらした。
「利点?」
「そう、魔物から、村人を守りやすくなったの」
「なるほど」
人々が集まって暮らすようになったことで、魔物に関する情報はすぐに伝達されるようになった。畑仕事を中心に仕事していた男たちのうち、より屈強で戦闘技術に長ける者は、連携して村兵となり、村の治安維持を行うようにもなった。手が空いた女たちは、農作業の他にも衣類を編むための機小屋を作ったり、魔石を使ったカヌチを作ったりと、より生活を安定させていく。結果的に、井戸という発明品は村を発展させることに役立ったのだ。
「この井戸、確かに大事だね」
ヒカルの言葉に、ティダは嬉しそうに頷いた。
「そうでしょ。この井戸が、私の家から一番近い井戸なの。他の井戸は、ここからだととっても遠いんだ。他の井戸に水を汲みに行くくらいなら、南の門を抜けて森に入って、森を流れる川で水を汲んだ方が早いかも」
「そうなんだ」
「私たちが住んでるこの地域は、ティンダル村の南部なの。ティンダル村って実は四つの集落群に分かれてるんだ。それぞれ井戸を中心に住宅街があって、その住宅街を囲うように田畑があるの。南部、北部、東部、西部の計四つに分かれてるんだ。ちなみに、一番最初に作られたのはこの南部集落。だから、村長は南部に住むって決まりがあるんだよ」
「村長って何やってるの?」
「んー、私も詳しくは分からないけど、村の掟を決定したり、雨乞いしたり、あとはヌジーに捧げる生贄を決めたりとかかな?」
ヒカルはヌジーの姿を思い出して軽く身震いした。
「他の集落にもそれぞれ門があるんだけど、その門を抜けた先には鉱山が広がってるんだって。私は見たことないけど」
「じゃあ、食料の輸出は北や東の門から行われるってこと?」
「うん、そうらしいんだけれどね……」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「でも、私見たことないんだよね、食べ物を他の集落群に運んでる所」
「へ?」
「ほら、あれ見て」
彼女が指さしたのは、井戸のすぐ近くにある巨大な建物だった。
「あれは穀物庫。あそこに、取れた麦を集めるの。でも、麦をまとめてどこかに運ぶ仕事は無いんだ。外から誰かが取りに来たことも無いし。食料は溜まる一方なの。だから、あの穀物庫は三件目。二年前に新しく建築されたんだよ」
「そうなんだ……」
それは、妙な話だ。ティンダル村が作られた経緯は、その周辺にある鉱山で働く人々の食糧を作るため。にもかかわらず、この村は食料を輸出していない。
「まぁ、もしかしたら他の集落群が豊作で、うちは備蓄を任されてるとかなのかもしれないけどね」
彼女はそう言って笑った。あまり気にしてはいない様子だ。
でも、ヒカルにとってこの村は気になることが多い。食料を一切外に運び出していないこともそうだが、なぜヌジーに生贄を捧げているのかも分からない。他にも、ガルガルという名前を頻繁に耳にしたが、そのような魔物を警戒している割に門番はたったの二人だけ。そして集落をぐるりと囲うように作られたカヌチの存在も気になる。また、住民が少ないはずのこの村で、食料のみならず、衣服や小物に関しても完全な自給自足が成り立っているのも不思議だった。せっかく大量の穀物があるのなら、それを材料に交易すればいい。衣服などは他の地域から買えば済む話だ。にもかかわらず、幼い内から機織りの勉強をさせられている。
「不思議な村だな……」
もちろん、ヒカルはその理由など想像すらつかなかった。なんとなく、不思議だなと思った程度である。
「あ、見てみて。あのバケツ持ってる人。あの人は堆肥屋さん。畑に使う糞尿を回収する仕事をしているんだよ。うちは厠が家の中にあるけど、大体の村人は共同便所を利用してるの。そういうところから、肥料を汲み取って農家に売り歩くのがお仕事なんだって。とっても臭いから近寄らない方がいいよ!」
「その仕事大変そう」
「うん、すっごい臭い」
そう言って彼女は笑った。笑いながら、走って距離をとる。うんちを前にはしゃぐティダの姿を見て、ヒカルは思わず笑みが込み上げて来た。ちゃんと、十四歳並みの精神年齢だ。
「ほらヒカル! 早く逃げないとうんこになっちゃうよ!」
「ならねぇよ!」
確かに臭い。堆肥屋さんが近づくと、猛烈な悪臭に鼻が曲がるかと思った。ハエの羽音がハッキリと聞こえる。
「ほら、早く逃げよう!」
「おう!」
ティダの後を追いかけて、ヒカルも全力で走りだした。確かに臭い、耐えられない。そんな二人を目で追いながら、堆肥を運ぶ男は呟いた。
「そんなに逃げなくても……」
彼は先祖代々この仕事を引き継いでいる。あだ名はうんこマン。気の毒である。




