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ボサボサのツンツン

「ど、どうしよう。何度流しても髪がベタベタする。しかも、指で梳いてみたらキシキシ鳴るんだけど……」

 固形石鹸は、水中のミネラル分と反応して石鹸カスという白い物質を生成する特徴がある。これが髪の毛に付着すると、キューティクルが開き、髪の毛がきしんだり、べたつく原因になってしまうのだ。また、石鹸カスは毛穴に詰まることでフケやかゆみを引き起こしたり、酷い時は抜け毛の原因にもなってしまう。ヒカルたちが飲んだ水がそうであったように、ティンダル村で採れる水は硬水である。ミネラル分が多分に含まれており、石鹸と反応して大量の石鹸カスを生成してしまったのだ。

「や、ヤバいヤバい……」

 ヒカルの髪は、キシキシと痛み、ベタベタと絡まり、頭皮をヒリヒリさせていた。

「どうしよう……!」

 お湯を流せば流すほど、髪は固く、指の通りは悪くなる。しばらくお湯を使って髪の毛を流し続けていたヒカルだったが、とうとう諦めてしまった。

「……もういいや」

 彼の指は、水分を多分に含んでふやけている。これ以上努力したところで、髪の毛は元に戻りそうもない。もしこうなった時、一番の対処法とされているのはクエン酸である。それですぐに髪が綺麗になるとも限らないのだが、石鹼カスの成分と反応して指が通りやすくなるとされている。

 人間の頭皮は弱酸性で守られているのだが、固形石鹸はアルカリ性。実は髪や頭皮と相性が悪いのだ。そのため、頭皮ケアを考えて昨今のシャンプーは弱酸性が基本である。そんな弱酸性シャンプーが市場に現れるようになったのは、なんと二〇〇一年頃。それまではアルカリ性の石鹸で頭を洗うのが当然だったのだ。

 それまでは、シャンプーの影響で髪がパサつくことを考え、リンスやコンディショナーが市場に台頭していた。しかし、残念なことにヒカルの今いるこの世界にリンスは存在しない。故に、彼はキシキシになってしまった髪の毛をどうすることもできないのだった。


 適当に体を流し終えたヒカルは、タオルで体を拭く。着替えを用意していなかったことに気づいた彼は、仕方なく腰にタオルを巻いて更衣室を後にした。

 帰り際、ジャージと下着に触れてみたが、まだ若干の湿り気がある。しかし、これ以上火の近くに吊るしておくと燃えかねない。そう考えた彼は、ボサボサの頭を片手で掻きつつ、ハンガーの位置をズラした。

 この世界に来るまでは綺麗に整っていた頭髪も、今ではボサボサのツンツンヘアーだ。髪は完全にキューティクルを失っており、指を通さない頑丈さを見せている。

 正直、彼の気分は最悪だった。

 せっかく手に入れた衣食住にもかかわらず、同居人の女の子には嫌われてしまった。加えて、自分の髪の毛はバッシバシ。心の中で彼は唱える。

「お家に帰りたい……」

 もちろん、その願いは決して叶わない。


 住民はもう皆眠りについたのだろう。部屋中を照らしていた炎はほとんど消されていて、唯一ろうそくの明かりが点々と彼の部屋まで帰る道を示してくれていた。誰が用意してくれたのかは分からないが、今はその小さな優しさが沁みた。タオル一枚の姿のまま、ヒカルは寝室に戻った。ティダの兄が以前使っていたという部屋だ。

 襖をあけて、布団に腰を落とす。ふと、黒砂糖の山が目に映った。流石に夜遅くお菓子を食べるつもりはない。虫歯になってしまうからだ。そういえば、歯磨きはどうしよう。そういう細かなアメニティも、異世界に行くことが分かっていたなら持ってくることが出来ただろうに。

 今までの生活が便利だった分、異世界はやけに不便で苦しかった。ヒカルは深く溜息を吐いて、ゴロンと横になった。

 このまま眠りについて、朝目が覚めたらいつも通りの家。そうだったらいいのにな。なんて考えていると、コンコン、誰かが襖の戸を叩いた。

「……どうぞ?」

 誰だろう。ティルルが何か伝え忘れていたとかだろうか。食卓で眠りこけていたワイダが、目を覚ましてあいさつにでも来たのだろうか。

 ところが、襖を開けた人物はそのどちらでもなかった。

「こんばん……は」

 そこに立っていたのは、赤い髪を両手で梳かしながら目線を泳がせる、ティダだった。

「ティダ、どうしたの?」

 もしかして、風呂場を覗いてしまったことを怒りに来たのだろうか。ヒカルは再び頭を下げるため、ピンと背筋を伸ばした。

 しかし、彼女の第一声は思っていたものと違った。

「ぶ、無事に部屋まで戻れたのね……」

「……へ?」

 首を傾げるヒカルに、彼女は頬を赤らめて続けた。

「わ、私が蝋燭を立てておいたの。家のこと、まだ分からないだろうから……。お母さんが、お兄ちゃんの部屋を貸したって教えてくれたから」

 どうやら、風呂場から寝室までの道順に沿って蝋燭を用意してくれたのは彼女だったらしい。

「あぁ、ありがとう。お陰で迷わずに帰ってこれたよ」

「……うん」

 彼女はうつむいたまま、そっとヒカルの居る寝室に体を滑り込ませた。左手には燭台を持っていて、その上では蝋燭がほんのりと輝きを放っている。相変わらず、ルビーのように美しい瞳が、蝋燭の火を反射させて輝いていた。

 彼女はそっと襖を閉めると、燭台を脇に置く。そして一歩、ヒカルに近づいた。

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