うちなー転生 二
「もう知らん! 俺先に帰るからよ!」
「はいはい、気を付けてね。あ、そうそう。冷蔵庫の中に――」
背後からおばぁの声がする。だが、喉の渇きに頭痛までしていた彼にとって、もう限界だった。何やらバタバタバタバタと、大きな蛾が羽ばたくような音まで聞こえる。
「危ない!」
「逃げろ!」
「ウメさん!」
阿鼻叫喚が木霊している。なんだろう。
ヒカルは痛む頭を右手で揉み解しながら、そっと後ろを振り返った。
あれはなんだ? 巨大なプロペラだ。それがまっすぐ、祖母に向かって飛んでいる。プロペラはまるで映画みたいに黒煙を巻き散らしながら、死神の鎌の如く八五年生きたその首を刈り取ろうとしていた。
「おばぁ! 危ない!」
体が勝手に動いていた。喉の渇きも、体の疲れも、熱も頭痛もすっかり忘れて、ヒカルは必死に手を伸ばした。
「ヒカル、命どぅ宝だよ」
祖母の口癖が、脳裏で無限に反復する。
「おばぁ!」
「ヒカル!」
直後、プロペラはアスファルトと衝突し、轟音を立てて破片が飛び散った。あまりの衝撃に、山積みにされていたゴミ袋が散乱し、周囲に居た人々は腰を抜かした。
しばしの静寂を経て、誰かが恐る恐る言葉を発した。
「二人が……消えた」
そう、事故があったはずの、ちょうどその場所から、新城ウメ並びに新城ヒカルの両名が、忽然と姿を消したのだった。
「……ここは?」
次にヒカルが目を覚ましたのは、真っ白な空間だった。白と白の間に、半透明の白がジグソーパズルさながらはめ込まれている。空中を無数の白い光が闊歩し、それらは運命のピースを巡って飛び交っているらしい。それ以外には、特に何もない。
「そうだ! おばぁ! おばぁどこだ!」
ヒカルは慌てて周囲を見渡した。
新城ウメの姿は、すぐに目に留まった。彼女はつい先ほどまで草刈りをしていた時と全く同じような、鼠色の琉装を身に纏い、正座して湯飲みを持っていた。左手には黒砂糖。
「あい、ヒカル起きたねぇ? だー、あいさつしなさい」
ウメの様子から察するに、どうやらヒカルは長い間寝てしまっていたのだろう。どういう状況なのか掴めないままに、彼は祖母の隣に腰掛けた。
眼前には、この空間と全く同じ白で構成された人型の何かが座っている。そいつは時折グリッチするモザイク模様の体で胡坐をかいて、真っ白なちゃぶ台の上に湯飲みをそっと乗せた。それは、ヒカルが愛用していた湯飲みだった。
「えっと、こんにちは。新城ウメの孫の、ヒカルです」
真っ白の人物は、俺の湯飲みにアツアツのさんぴん茶を注ぐと、青やらピンクやら、色とりどりに個包装されたお菓子を取り出した。どれもこれも、訳あり黒砂糖と書かれている。
「おっはー!」
「……?」
「おかしいなぁ、下界じゃこれ流行してるって聞いたんだけど」
「あぁ、それ慎吾ママの……」
ふと、頭の中で去年の流行語大賞に選ばれた曲が流れだした。
「いやぁ、君がヒカル君かぁ。いきなりで何が起きたか分からないだろう。まぁ、一杯どうぞ。好きなだけ食べてもいいからね」
「はぁ、どうも」
ヒカルは脳裏に浮かんだ複数の疑問を押し殺し、謎の人物に甘えることとした。彼はいったい何者なのだろうか、ここはいったいどこなのだろうか。そもそも、あのプロペラは。ってか、俺たちは生きているのか、それとも死んでいるのか……。
「あぁ、私は神様、ここはニライカナイ。んで、あのプロペラはお迎えだね。通称転生トラックって呼ばれてるもの。まぁ、沖縄だとトラックよりほら、米軍ヘリの方が事故のイメージ凄いでしょ、だからお迎えは米軍ヘリの墜落でやったよ。一応君たちは元の世界では死亡、ないし行方不明ってことになってるかなぁ。正確には、転生トラックを使ってウメさんを肉体ごと異世界に送るつもりだったんだけど……いやぁ、まいったねぇ。間違えて孫のヒカル君も巻き込んじゃったよ。てへ」
「……は?」
ヒカルはアツアツの湯飲みを手にしたまま、ピタリと固まってしまった。一気に叩き込まれた情報は、どれも信じがたいものだ。いや、そもそも転生トラックってなんだ。ってか、お迎え? ニライカナイって神様たちが住んでいる国の名前だよな、たしか。ってか、コイツ今自分のことを神様って名乗ったか?
「まぁ、驚くのも無理はないよね、ごめんごめん。一応おばあちゃんには全部説明済みだから。詳しくはウメさんに聞いたらいいよ」
「え?」
どうやら神様とやらはヒカルのことをあまり歓迎していないらしい。
「いやぁ、歓迎していないって言うかさ。だって君、スキルが無いんだもん」
「スキルが無い?」
何の話だ?
「あぁ、そうかそうか、まずその話か……って嫌だなぁ。同じ話またするの。うーん、面倒だから割愛で! とにかく、君たち二人は今から異世界に行ってもらいます。その世界では、今魔王が世界を侵略しつつあってだね。そこで、君たちのいる世界から最も能力の高い人間を送って、とりあえず人類を勝たせてあげようと思ってるんだけど……」
神様はビニール袋に黒砂糖をこれでもかと詰めると、ヒカルに押し付けた。
「大丈夫、行ったら分かるさ。とにかく、君は私の手違いで転生することになっちゃった。ごめんね。これ手土産。もしピンチになったらおばあちゃんが助けてくれるから。ちゃんとおばあちゃんの言うこと聞くんだよ。それじゃ、ウメさん後はよろしくお願いします」
「はいよぉ、だー、ヒカル。そろそろ行こうね」
「え? おばぁ、行くってどこに? ってか、スキルって何? 俺今から何するの? 魔王って? ってかお前誰だよ!」
神様は真っ白な姿に、恐らく笑みを浮かべて手を振った。
「私は神様だよ。転生者には異世界で頑張ってもらうために、ま、ボーナスはちゃんとあるさ。異世界転生者特典ってやつ?」
「それってつまり、勇者の剣とか、最強の使い魔とか?」
「君の場合はその黒砂糖」
「ふざけるな! ただのお徳用セットじゃねえか!」
「美味しいよ? 最近の若者は好きじゃないのかなぁ?」
「そういうことじゃねぇよ、なんで俺のボーナスが訳あり黒糖なんだってことを聞いてんだよ! ちなみにおばぁのは何なんだよ!」
「ウメさんは魔法」
「俺もそれが欲しかったァァァ!」
「あ、でも強力すぎるから、あまり使わせないように気を付けてね」
「なんだよ! 禁断の魔法ってことか! ますます羨ましいぞォォォ」
悶絶するヒカルに、祖母は優しく笑いかける。
「まぁまぁ、なんくるないさ(なんとかなるよ)ヒカル。ほら、こっちに行こうね」
彼女が手を引く先には、扉があった。先ほど宙を飛び交っていた白のピースが組み合わさって、異世界に繋がる門を形成しているらしい。祖母は神様から何かと話を聞かされたのだろう。何も疑問に思う様子はなく、まっすぐ扉へと前進している。ヒカルはそんな祖母の手を強く握りしめた。
「おばぁは悔しくないのかよ」
ヒカルの言葉に、祖母は笑顔で首を傾げた。いつも通りの笑顔だ。学校で習ったことや、テレビでやっていたクイズを祖母に質問した時と全く同じ顔。いつも祖母は、決まって「わからんねぇ」と口にしていた。そんな顔。
「おばぁはいつも言ってたさ、沖縄戦必死に生き残ったんだって。それなのに、未だに基地が置かれて、命の危険と隣り合わせな生活を強いられてるのはおかしいって。それなのに、俺たちが米軍ヘリの事故で転生すること、納得したのかよ」
ヒカルの言葉に、おばぁはスッと笑みを崩した。険しい表情を浮かべた彼女は、しゃがれた声で、低く唸るような声で、ハッキリとこう口にした。
「ふりむん(馬鹿者)、わじわじー(イライラ)するさ。あぬひゃー(あいつ)、たっくるさりんど(叩き潰す)」
祖母がそれほどまでに強力な敵意を込めて言葉を口にしたのは初めてだった。そのあまりの殺気に、ヒカルは思わず口を閉ざす。
二人はそのまま、振り返ることなく扉をくぐって行った。異世界で、これから何が待っているかも知らずに。
二人が居なくなった真っ白な世界で、神様は大きなため息を吐いた。
「新城ウメ……、彼女の能力を試すためとはいえ、少々やりすぎちゃったかな……」
直後、凄まじい轟音と共に世界が崩壊を始める。神様は、引きちぎられた自らの左腕を庇うようにして、ゆっくりと立ち上がった。
「これが、沖縄戦を生き残ったちゃーがんじゅーの、黄金言葉の力か……」
おばぁの放った強力な魔法は、ニライカナイに存在する転生者案内専用部屋を、完全破壊するのに十分な威力を持っていた。部屋を構成していた魔力が、得体の知れない力によって粉砕し、神様自身も深手を負っている。
「だが、この力があれば間違いなく……あの世界の人類は救われるはずだ」
神は存在しない口角を限界まで上げて笑った。
「力による支配には、圧倒的力で返してやる……」




