カブトムシのステーキ
ティダの家族と過ごす晩御飯は、大層賑わっていた。気が付けば、ヒカルもウメも綺麗に食べ終え、皿はまるで舐め取ったかのようにピカピカと輝いている。カブトムシの肉だと思って身構えていたヒカルだが、結局おかわりを望むほどだった。嬉しいことに、祖母が持ってきた肉はかなりの量があったようで、ヒカルはおかわりとしてもう一切れいただくことが出来た。その肉すらあっという間に平らげたヒカルの向かいで、ティダが箸を置く。
「美味しかったぁ! 久々のお肉最高!」
「そうねぇ、旅人さんたちに感謝しなくちゃ。ウメさん、こんなに新鮮なキングビートルのお肉、どうもありがとうございました」
「いいん、あいびらんよぉ」
「あいび……らん?」
首をかしげるティルルに、ヒカルは通訳をする。
「気にしなくていいですよって言ってま……」
直後、ヒカルは目を疑った。先ほどまでワイダが突き刺さっていた壁が、虹色の光を放って元の姿に戻りつつあったのだ。
「ヒカルさん、どうしました?」
ティルルが不思議そうに後ろを見ようとしている。ヒカルは慌ててそれを食い止めた。
「あぁ、いやいや、何でもないです! どういたしまして、気にしなくていいですよみたいな、そんな意味です。俺たちの方こそ、見ず知らずの旅人だというのに、歓迎してくださってありがたい気持ちでいっぱいです!」
身振り手振りを激しくしつつ、必死に誤魔化すヒカル。今振り返られたら、魔法で修復される壁が見られてしまう。
なんと、この時奇跡が起きていたのだ。祖母の放ったうちなーぐちである「いいん、あいびらんよぉ」とは、日本語に訳すと「いえいえ、気にしなくていいですよ」という意味になる。しかし、この世界では違った。かつて一部の魔術師のみが使用していた古代魔術、黄金言葉の詠唱呪文と全く同じ発音だったのだ。発動条件は非常に厳しく、優しい微笑みを浮かべ、右手は宙を撫でるようにわずかに揺らす。そして「イイン=アイビランヨォ」の呪文を、一言一句間違えることなく、イントネーションも完璧に発する必要があるのだ。
新城ウメ、なんとその高難易度修復魔法を、今この瞬間偶然発動してしまったのであった。
もちろん、そうとは知らないヒカルはパニック状態である。いったいどうして急に魔法が発動したのか、てんで見当がつかないのだ。七色の光を放ちながら、無数の破片が組み合わさって壁の穴は塞がっていく。飛び散った細かな木片ですら、全てが元あった場所に収まろうとしている。本来なら、生まれて初めて目にする魔法に興奮し、大騒ぎしていたことだろう。しかし、彼には妙な確信があった。この魔法は間違いなく祖母の物であるという確信が。
きっとこれが、神様に渡されたという祖母の異世界転生ボーナスなのだろう。しかし、ヒカルには何の力もない。ただ、認知症を患っている祖母を支えつつ、異世界で生き抜くために、支えられるのはきっと俺だけだ。そんな気がしていた。だからヒカルは、必死に笑顔を浮かべて誤魔化す。
「いやぁ、色んなこと教えてくれるし、美味しいご飯もごちそうになるし。ティンダル村はいい場所ですねぇ。もうずっとここに住みたいくらい!」
はははと作り笑いを浮かべるヒカルだったが、どうやらティルルは彼の言葉を鵜吞みにしてくれたらしい。
「それってつまり、ティダとの結婚を考えてくれるってことですか?」
「ちょ、お母さん?」
再び始まった縁談の話題に、ティダは飲んでいた水を噴き出す。ウメの顔面がびちょびちょだ。
「あぁぁ、ウメさん大丈夫ですか?」
ワイダが慌てて立ち上がる。
「ご、ごごご、ごめんなさい!」
ティダが慌てて頭を下げると同時に、ティルルは立ち上がった。
「何か拭くもの持ってきますね!」
てんやわんやの大騒ぎを見せる家族に対し、祖母は優しく笑みを浮かべて手を振った。
「いいん、あいびら――」
「ストォォォォォップ!」
間一髪、ヒカルが祖母の口を塞いで詠唱キャンセル。ウメがモゴモゴしてる隙に、ヒカルは続けた。
「お婆ちゃん、こんな濡れちゃったら風邪ひいちゃうよね、ひいちゃうよねぇぇ!」
「モゴモゴ、んんー!」
ジタバタと暴れる祖母を、プロレス技さながらの体制で締め上げながらヒカルは叫んだ。
「お風呂! お風呂とお着換えお願いしていいですか!」
「え、あ、はい!」
突然始まったヒカルとウメの格闘に困惑しつつ、ティルルは立ち上がる。
「急にどうしたんですか」
ワイダがヒカルを止めようと近づいてくるも、ヒカルは牙を剥いてそれに対抗する。
「俺に構わず! お風呂の準備を!」
「えぇ……」
困惑に困惑を重ねたワイダの服を引っ張って、ティダは呟いた。
「お父さん、本当にこんな変な人の嫁に出すつもりなの?」
「すまん、お父さんが間違っていた」
ヒカルは心の中で泣いた。




